美少女空賊と完全支配
聖塔の調査が始まって数日。
シェリングとオーモンドの二人は、人生で最も「快適な、そして不可解な」捜査に直面していた。
「……なぁ、オーモンド。変な話、俺たちは今、歴史上類を見ないほど『充実』した捜査をしてるんじゃねえか?」
シェリングは、カサルのために用意された豪華な一室で、ふかふかのソファに深く沈み込みながら天井を仰いでいた。その手には捜査資料の代わりに、一口サイズの絶品な「東方風スナック」が握られている。
「ええと……。二百十六名の投票者の買収疑惑と、外部からの不審な資金流入の特定。……一応の裏取りは終わりましたが、シェリングさん」
オーモンドもまた、聖域でのみ供される最高品質の茶を啜りながら、困惑気味に答える。彼らの目の前には、カサルが作成した「相関図」と、シェリングたちが独自に集めた「不審な動きのリスト」が並んでいた。だが、調べれば調べるほど、事態は不気味な方向へと収束していく。
「不審な金は一銭も動いちゃいねえ。だが、昨日の夜会でヴォルグ派から離脱しかけた侯爵の部屋には、今朝『故郷の母親が欲しがっていた幻の魔導薬』が、ギルド・マリエの速達で届いた。……それも、匿名で『聖職者様からの慈悲』としてな」
シェリングがリストを忌々しげに叩く。
「だが、別にこいつは脅迫でも何でもねえ。相手が『今、一番欲しかったもの』が、絶妙なタイミングで空から降ってくるっていう、気味の悪いほどの『親切』が溢れているだけだ」
調査は難航を極めていた。証拠を掴もうと配給ルートを洗えば、そこには「カサル枢機卿」の印章が押された正当な発注書がある。資金を辿れば、ゴルディオンの金庫から「広告費」として合法的に支払われた金が、巡り巡って「福祉支援」として塔内の人々に還元されているのだ。
聖法捜査局の職務は非合法な人間を逮捕することであり、合法的に行われる「過剰な善行」を裁く法は存在しない。
「その『福祉支援』ってのは、結局何なんだ?」
「富裕層が教会を介さず、直接ボランティア活動として困窮者に寄付を行うことですね。ゴルディオンは以前からこれを隠れ蓑にしていましたが……。実態を調べても、票に繋がる貴族とは無関係な相手とばかり取引されています」
「イメージアップなんぞを気にするジジイじゃねえ。……裏があるのは確かだが、どこまでも『潔白』ときた。反吐が出るぜ」
シェリングは溜息をつく。物流王ゴルディオンも、「鉄の箱」の一件以来、不気味なほど大人しい。だが、正義を司る聖法捜査局にとって、その「非の打ち所のない潔白さ」こそが、どんな凶悪犯罪よりも怪しく映っていた。
「ゴルディオンの周辺で異変が起きているのは間違いない。それも『ギルド・マリエ』という謎の組織が関わっている。だが、何だこの違和感は……」
現在の停滞は、まるで河の流れが元からそうであったかのように、極めて自然に詰まっていた。不正が前提の『二鍵の聖選』が、不自然なほどの「正義」によって機能不全に陥っている。
「出資元が『ギルド・マリエ』であることは突き止めた。だが、こいつが裏工作で票を操作しているかと言えば……何かが違う」
ギルド・マリエは、一見すると悪事を働いているわけではない。むしろ、彼らの資金投入によってシラクーザの犯罪率は一時的に跳ね上がった後、翌月からは一桁台を維持している。聖法捜査局が「特別報酬」という名の資金で本気を出した結果、誰も犯罪を犯せない完璧な監視社会が完成しつつあった。
善人が正義を実行し、悪が処断された。これに何の問題があるというのか。
(……しっかし、悪が吸い上げられ、誰かが得をする。このメカニズムの『真実』は何だ?)
シェリングは煙草をふかしながら考える。世の中には損得で動かない人間もいるというが、この規模の
「善意のビジネスモデル」は本来一過性のもの。こう長く続くと裏を疑うのが道理だ。
「オーモンド。この仕掛け……一体誰が、何を『儲けて』いるんだろうな」
「それを調べるのが、私たちの役目じゃありませんか?」
「……まぁ、そうなんだがな」
「そういえば、『マリエ』って珍しい名前ですが、あの指名手配されていた空賊と同じ名前ですね」
「馬鹿を言え。ドブネズミのような泥棒が、いきなりポンと国家経済を支配してたまるかよ」
「……まぁ、そうですね。もし本当なら、とんでもない出世だ」
◇
その頃、塔の外――王都シラクーザは、音もなく「窒息」していた。
かつて物流を支配していたゴルディオンの街道には、規律に燃える聖法捜査局を恐れて人っ子一人いない。代わりに空を覆うのは、マリエの紋章が刻まれた銀色の航空船団だ。それらが運ぶ「コンテナ」の中身は、もはや単なる食料ではなかった。
「……さあ、みんな。今日も『徳』を積みましょうね」
旗艦『愚者』の艦橋で、マリエは水晶に映し出される経済グラフを眺めていた。王都の通貨価値は、今や暴落寸前だ。人々が血眼になって求めているのは、王国が発行する金貨ではなく、ギルド・マリエが発行する『魔導手形』――通称、「聖票」だった。
「お米を買うにも、風の靴を直すにも、メディシスちゃんのラジオでリクエストをするにも……。みんな、私たちの『紙切れ』がないと、もう生きていけないんだね」
マリエは楽しそうに指を弾く。彼女が最初に行ったのは、徹底的な「インフラの慈善化」だった。龍災で壊れた水道を無償で直し、最新の魔導灯を街中に設置する。ただし、それらの維持管理には『ギルド・マリエ』への労働参加を必須とする「契約」をセットにして。
本来、この独占的蛮行を止めるべき「玉座」には誰もいない。
造幣局を司る貴族でさえ、今は聖塔の中に閉じ込められている。政治の中枢が長期にわたり一箇所に隔離されるという泥沼を誰も想定していなかったがゆえに起きた、未曾有の権力真空状態だった。
カサルの説いた「稼げ」という教義は、マリエによって「稼げない者は、猊下の楽園には住めない」という選別へと書き換えられた。それはかつて自身を「失敗作」として選別した研究者たちと同じ振る舞いであることに、彼女自身は気づいていない。
邪悪な闇がシラクーザを包む中、当のシラクーザの市民たちは、自分たちが支配されていることにさえ気づいていなかった。
毎日空から届くコンテナの中には、今まで見たこともない「楽しみ」が詰まっているからだ。お菓子ギルドの新作、メディシスの暴露放送、そして「カサルちゃん人形」の新作衣装。人々はかつての重苦しい労働を忘れ、幸福な歯車として回転し続けていた。
「ゴルディオンのおじいちゃん、エディスさんのところで楽しくやってるかな?」
「……ええ。現在は老体に鞭を打ち、空港建設の総取締役として『活用』されているようです」
影から現れたリヒャルトラインが、冷淡な声で告げる。
マリエは、カサルが聖塔に入る前から根回しを済ませていた。メディシスを通じて「聖塔の中の貴族たちは、しばらく出てこない」という情報をエディスに流し、彼女をエルドラゴの利権確保に専念させたのだ。
なぜそんな甘い汁をエディスに吸わせるのか。そこにはマリエなりの、切実な「利」があった。
(聖塔の中でカサルちゃんと二人きりなんて……幼馴染だろうが元婚約者だろうが、ありえないもんね)
マリエにとって金は二の次だった。
この半年間、カサルの周囲に女を一切近づけさせず、完璧に養生させる。その目的さえ果たせれば、後のことは些末な塵芥に過ぎなかったのである。
結果として、エディスはライバルが不在の間に航空船産業を独占し、国家予算の数倍もの利益を生む巨大財閥を築き上げつつあった。
エディスにとってマリエは、駄犬を奪った泥棒猫であると同時に、自分を肥え太らせるには最高に使い勝手の良い駒であった。互いを見下しながら利用し合うその関係は、ある意味で「友情」に近いのかもしれない。
「へぇ、エディスさんも上手だね。おじいちゃんが余計な動きをする前に忙殺しちゃうなんて」
「来たるべき『商人の時代』の覇者となるべく、彼女も本気のようです」
マリエは窓の向こう、夕闇にそびえる白亜の聖塔を見つめた。そこには、自分の計算通りに世界が動いていると信じている、愛しい「王子様」がいる。
「カサルちゃん、あの中は静かでいいでしょう? ……大丈夫。外の非効率な人達は、私が全部消してあげたから。きっと帰ってきたらビックリしてくれるよね。ね、カサルちゃん」
マリエの瞳には、慈悲深い聖女の光と、すべてを飲み込もうとする深淵の影が、分かちがたく混ざり合っていた。
◇
再び、塔の中。
「……なるほどな。ヴォルグのヤツ、まさか『核融合』の微細な熱を使って、ペンデュラムによるダウジングをしていたのか。物理的な磁場を操作して、二百十六名の潜在意識を誘導するとは……恐るべき緻密な計略だ」
カサルは豪華な寝椅子に身を預け、自分だけが辿り着いた結論に興奮で身を震わせていた。
「シェリング! ヴォルグの部屋の『室温』を二十四時間体制で監視しろ! わずかな温度変化も見逃すな、それがこの停滞を打破する唯一の鍵だ!」
「……へいへい。室温ねえ……」
シェリングは、カサルの部屋に山積みされた「ギルド・マリエ製・最高級アーモンド」の空き袋を眺めながら、深い溜息をついた。
天才の推理は、今日も絶好調に空を切っていた。
リアクションされると喜びます。
それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




