おバカ貴族とカサルの弟
選別の儀から一年。カサルは三等級の異端核の権威に群がる貴族や商人に囲まれていた。
誰もが彼を褒めそやし尊ぶが、彼の言葉には耳を傾けない。まるで、幼い彼を着飾る情報だけが彼の全てだとでも言うように。
そうした人間の一人である家庭教師が、今日も深々と彼の外殻に首を垂れる。
「今日の勉強はここまで。ありがとうございました、カサル様」
カサルは表情を変えず「ありがとうございました」と返す。
そして次の瞬間には別の家庭教師が目の前に立ち、別の講義を開始していた。
六歳になったカサルには宮廷お墨付きの家庭教師が八人付き、国の支援もあって勉強漬けの日々を送っていた。数学、神学、軍事学に古典。基礎学問から化学、とりわけ異端核分野の専門家が、ヴェズィラーザム領で教鞭をとった。
母ジュディスは毎時間、その様子を椅子に座ったまま看守のように監視していた。カサルの授業態度や教師の質に少しでも不満があれば、即座にクビを切り別の教師を雇う。
彼女は合理性を好み、またそれ以上に貴族であることに誇りを持つ、そんな女性だった。
「貴方は偉大な魔法使いになるのよ」
その言葉はカサルにとって祝福を受けた羅針盤であり、呪いでもあった。
母という絶対的な太陽に従い、トイレと食事と五時間の睡眠以外、その全てを知識の吸収に捧げる。それが幸福であると、彼は疑いもなく信仰していた。
その信仰心の表れか、カサルはスポンジが水を吸うように知識を貪り尽くす。
記憶すれば笑顔と賛辞という報酬が与えられるこの教育システムは、カサルという個体にフィットし、その成長を促進させる環境として彼を包み込んでいた。
異端核を宿したというだけで、彼は他の分野でも才能があるといわれ続けた結果。
彼が自らを本当に天才なのだと洗脳されるようになるまで、そう時間はかからなかった。
そして彼はさらに周囲から称賛と言う名の呪いを掛け続けられることになる。
そしてふと家族が寝静まった夜。
カサルは瞼を閉じ、天蓋付きのベッドで仰向けになりながら、今日自分が間違えた問題を頭の中でグルグルと何度も周回させていた。
(次間違えたら天才じゃない……次間違えたら天才じゃない……次間違えたら天才じゃない)
六歳の少年は唇を噛みながら震える。期待を裏切るという行為が起こす惨状、その未来を予測することは彼にとっての恐怖に他ならなかった。そしてそんな恐怖は夜にやってくる。
夜を嫌った彼は短い睡眠時間をさらに削り、消えた蝋燭に火を灯すと、勉強机に座り直すのだった。
◇
こうして僅か二年で教師たちが用意したカリキュラムをカサルは食い潰し、七歳の終わりには専門の研究者と対等に議論を交わす怪物へと成長していた。
名実ともに、もはやこの屋敷に彼へ教鞭を振るえる者はいなくなった。
これで一安心だと、カサルは自分の才能がまだ健在であることに胸を撫でおろしながら、自分以上に賢いであろう親に自らの誇り高い姿を見せて安堵していた。
そんな順調なエリート街道を歩み続ける彼の前にある日…………一人の少年が通り過ぎる。
廊下ですれ違った少年が身に纏う服は、カサルが身にまとう極上のシルクとは対照的な、ゴワゴワとした安い麻のもの。洗濯こそされているが、袖丈は短く色褪せている。そして何より頬がこけ、眼窩が落ちくぼんでいるのを見て、カサルは訝しんだ。
屋敷の人間というよりは、迷い込んだ野良猫のような少年に思わずカサルは声をかけた。
「ど……どうも」
(……なぜ、この邸に物乞いがいるのだろう?)
カサルには「子供」という存在が分からなかった。知識では知っていても、彼にとっては机上の存在、文章問題に出てくる記号に過ぎなかったのだ。
しかし教会にはいくため、その出口で膝をつく物乞いは見たことがあった。
今目の前に立つ少年のような、ボロを着ている人間のことをみんなが揃って物乞いだとカサルに教えた。なのでカサルは目の前の少年を物乞いだと勘違いしたのだ。
「物乞いだったら教会か、商店の前がいいよ。きっと邪魔に思ってお金を幾らか分けてくれるはずだから」
カサルは小さな物乞い?に親切心で物乞いのやり方をレクチャーして上げた。
しかし少年は、そんな哀れみの眼を向けるカサルを見てポツリと「お兄様」と呼んだ。
「お兄様?……君、言葉の意味分かってる?」
誰かに嘘をつかれたことのないカサルは、少年の言っていることもまた真実だと考え、自分の知識を総動員して少年の目鼻立ちを観察した。
すると確かに、カサルは鏡で見る自分と少年に幾つかの共通項を発見することができた。
「うん……確かに君と僕は似ている。だけど変だよね。母上は合理的で賢い人だ。リソース配分を間違えるなんてことはしない」
「……」
「君の考えは尊重しよう。ではなぜ、そのように粗末な格好をしているのですか? 摂取カロリーが足りていないようですが、なぜ食事を摂らない?」
純粋な疑問だった。そこに悪意はなく、ただの現象への問いかけだ。
だが、少年は首を傾げるだけで何も答えない。
カサルも首を傾げた。彼にとって、質問には回答があって然るべきだ。議論を交わさず沈黙するのは、非生産的な時間の浪費でしかない。
「君はずいぶんと合理的ではないな……君も使用人と一緒か」
カサルが興味を失い、自分の部屋に戻ろうと踵を返したその瞬間、少年が彼の裾を掴んだ。
初めて感じる他者からの物理的な抵抗感に、カサルは驚いて振り向いた。
くすんだガラス玉のような少年の目。情熱も活力も感じない、生きながらに死んでいるような瞳が、カサルを見上げていた。
「なんで毎日お肉を食べれるの?」
少年の問いに、カサルは今朝の栄養補給を思い出す。
肉のソテー、新鮮な野菜のサラダ、焼き立ての白パン。それらを胃に入れた記憶はある。だが、それは「出されたから」だ。
「支給されたからです。貴方も同じものを摂取しているのでは?」
「……僕、ずっとお豆のスープ」
「……は?」
カサルは初めて回答不能な不具合に直面した。
目の前の少年が嘘をついているとは考えない。同じ家、同じ親、そう仮定しよう。
だとしたら、なぜ入力される資源が違うのか。
変数が全て同じであるならば、結果に差異があるのはおかしい。
よしんば才能の良し悪しがあっても、ここまでの違いを生むことなどあるのかと。
カサルの天才的な頭脳をもってしても、その理不尽な方程式の解は導き出せなかった。
(情報が足りない。解が違うということは、代入している変数が違うか、そもそも前提から間違えているかのどちらかだ。彼の身元をハッキリさせなくては)
そうして真っ先に彼は、書斎で居眠りをする父親に少年が何者かを質した。
「アレが……あのボロを来たのが僕の弟だというのは本当ですか?」
「ん?ああ、そうだとも。アレはお前の後に生まれたザラというんだ。まあ気にしなくていい。お前とは違って凡庸な子だからね」
にこやかに言うイザーム。何も父は悪気を持って言っているわけではない。
だが、その現実はカサルの心を腐らせるには十分な毒だった。
「ではその、ザラ……とかいう僕の弟には豆のスープだけを?」
「ハハハッ、なんだお前も食べたくなったのかい?」
「いえ……できれば彼にも肉を与えてやってほしいと思い」
「肉は高いからね。父さんやザラは豆のスープでも良いけど、カサルは良い物を食べなさい。そしてもっと勉強して、国のために頑張るんだ。ウチも魔法使いの家系として後世に語り継げると思うと、鼻が高いよ。ありがとう、カサル」
そう言えばとカサルは思い起こすが、父であるイザームが肉を食べている姿を見たことがなかった。
母であるジュディスも同様に。
家族で唯一カサルだけが別室で一人、勉強机に向かいながら肉を食べて生きてきたという真実を知る。
カサルは父の書斎から出ると胸の内に湧き上がる感情を抑えるのに必死だった。
ここでこの感情を爆発させることは非合理的であることに他ならない。
そんなことは天才である自分がする振る舞いではない。
その一心で、カサルはその内側で爆発する感情に重い蓋を被せた。
「僕だけが……豪勢な食事を取っていたのか。僕……だけが……」
唇を噛むと、陶器のように白い肌に赤い線が一筋垂れる。
血走った少年の眼には、この世全てが地獄に映った。
「狂っている。何もかも」
◇
数日後。彼は母に対し、ある要望を突きつけた。
「母上。既存の教師はすべて不要です。……代わりに、この国で最も真理に近いと言われる『あの男』を招いてください」
ジュディスは二つ返事で承諾し、教師を全てクビにするとすぐに知人の貴族を頼りに手紙を出した。
こうして、ヴェズィラーザムの門を潜ったのは、哲学という名の狂気を纏った男、ミャーザーであった。
2026/1/6 大幅修正
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