美少女空賊と落日の商王
カサル・ヴェズィラーザムが『聖塔』の闇に消えてから、一週間。
物流王ゴルディオン・ゼウスは、確信に満ちた勝者の笑みを浮かべていた。
「天才小僧は檻に入った。あとは、あのガラクタの箱をワシの『数』で塗りつぶすだけよ」
ゴルディオンが放った反撃は、単純にして暴力的な「模倣」による市場の奪還だった。彼は大陸中の鉄工所を買い叩き、カサルのコンテナを模した巨大な鉄箱『ゼウス・ケージ』を一万個発注。さらに、自前の商船五百隻を強引に改造し、圧倒的な物量による市場の支配を試みたのだ。
しかし――これが、破滅への序曲となる。
「……おやまぁ。誰ですか、こんな無知を晒すようなゴミを置いたのは」
東方大陸オリエンタルムンドの港。商人のウーウェイは、ゴルディオンの船から降ろされた鉄箱を見て、冷ややかに吐き捨てた。
ゴルディオンの箱には、カサルが設計した「軽量化」も、強度を支える「波板構造」への加工も施されていない。ただの厚い鉄板で作られた無骨な塊は、空の状態でも既存のクレーンをへし折り、船の重心を無残に狂わせた。
さらに決定的なのは、規格の欠如だ。カサルのコンテナは、東方の倉庫、ヴェズィラーザムのパレット、空賊の貨物室と、すべてが「一寸の狂いもなく」噛み合うように設計されていた。だが、ゴルディオンの箱は自社専用。他国の港では、積み上げることもできぬ巨大な「鉄の邪魔者」でしかなかった。
「鉄の箱なら早くなる、なんて安易にマネっこしちゃったかぁ。カサルちゃんだったら『愚か』って切り捨ててそう。ふふッ……」
旗艦『愚者』の艦橋で、マリエは紅茶を啜りながら、地上の停滞を魔道具越しに眺めていた。現地では一匹の烏が鏡を首に掛け、その滑稽な喜劇を中継している。
ゴルディオンの船が荷下ろしに三日かけて格闘している間に、マリエの船団は三十分で荷を替え、再び空へと消えていく。
一ヶ月が経過する頃には、商人たちの間で「ある噂」が決定的なものとなっていた。
『ゴルディオンの船に乗せると、荷物が届かない。マリエの箱に乗せれば、明日の朝には届く』
◇
二ヶ月目。「質」で格の違いを見せつけた商戦の次なる戦場は、「信用」へと移り変わっていった。
ゴルディオンは焦っていた。コンテナの失敗を補填するため、彼は『二鍵の聖選』の票固めにさらに莫大な資金を投入した。
彼ほどの権力者であれば、聖塔のルールさえ金で捻じ曲げることが可能だった。カサルたちが手の出せない、聖選に参加する者たちへ裏取引で金を流し始めたのだ。その「魔力」に酔いしれ、ヴォルグ公爵へ鞍替えする者も少なくなかった。
だが、それもまたゴルディオンにとっての悪手となる。
ここで理性的に損切りのできる男であれば、これ以上傷口を広げることもなかっただろう。だが、彼は止まれなかった。今回、ヴォルグ公爵を王座に就かせることができなければ、次のチャンスが来る前に自分の寿命が尽きてしまう。死神に抗う最後の賭け。老いた獅子は、止まることができなかった。
そんな老兵の最後の望みを嘲笑うかのように、マリエはシラクーザに巨大な蜘蛛の巣を張り巡らせていた。
「あら、ゴルディオン様。またヴォルグ公爵様のための『広告費』をいただけるの? 嬉しいわぁ。あ、でも次のスキャンダルを止めるには、もう少し上乗せが必要かしら」
王都シラクーザの高級サロン。
メディシスはゴルディオンの隣で、甘い吐息を漏らしながら彼の財布を食い荒らしていた。ゴルディオンが「レビスを貶める放送」のために払った金は、メディシスを通じて洗浄され、そのまま『ギルド・マリエ』の軍事資金、あるいはレビス派への「逆買収」の原資へと姿を変えていたのだ。
メディシスはカサルを確かに裏切った。しかし、自身の救世主であるマリエへの忠義は揺らがず、親友としてマリエの命令通りに動いていたのだ。
そうして情報戦を制したマリエは、その情報と『魔導手形』を武器に、ゴルディオン傘下の商人たちの吸収に取り掛かった。
「ギルド・マリエの『空路予約権』が欲しいなら、今日からおじいさんとの取引を止めてね。……どちらに付くのが正解なんて、もはや誰の目にも明らかでしょ。フフフッ……」
マリエの微笑みは、聖母のように優しく、悪魔のように冷酷だった。
一人が裏切り、十人が追随し、百人が寝返った。ゴルディオンが気づいた時には、彼が誇った「物流の血管」は、すでにマリエという巨大な蜘蛛に吸い尽くされ、真っ白な抜け殻となっていたのである。
◇
三ヶ月目。王都シラクーザ。
かつて物流を支配した『アルゴス』の館は、墓場のような静寂に包まれていた。
ガシャン、とゴルディオンが持っていたグラスが床に落ち、粉々に砕けた。
目の前にあるのは、一通の「解散通知書」。
王都の全運送ギルド、全倉庫、そして港の管理権。そのすべてが、たった一つの『マリエのサイン』によって、別組織に吸収されていた。
「……なぜだ。なぜワシが、負ける……。何者なのだ、そのマリエとかいう女は……誰だ? 誰なのだ?」
ゴルディオンは震える手で窓の外を見た。そこには、彼の船は一隻もいなかった。
空を埋め尽くしていたのは、銀色の巨大な葉巻――『ギルド・マリエ』の旗を掲げた航空船団。それらがコンテナを吊り上げ、かつての彼の領地を「無視」して飛び去っていく。
「道……。ワシが一生をかけて作った『道』が、誰にも使われておらん……」
彼はようやく理解した。
コンテナとは、単なる「箱」ではない。それは既存の土地、港、利権、すべてを過去のものにするゲームチェンジャーだったのだと。
バタン。
執務室の扉が、音もなく開いた。
そこに立っていたのは、純白のドレスに身を包み、背中に禍々しくも美しい黒翼を広げた少女。マリエ・リーベだった。
「ごきげんよう、おじいちゃん。……まだ、その『椅子』に座っていたの?」
「……お前がマリエか? 何者なのだ、貴様は。あの小僧の仲間か?」
ゴルディオンはマリエを知らなかった。正確には、報告書には載っていたものの、取るに足らない存在だと認識すらしていなかったのだ。
獲物である子爵代行。その背後で輝く鮮烈な天才。その隣に立つ新時代の商人。老人の眼にはその三人が眩しく映りすぎて、その背後に隠れた巨大な闇に気づかなかったのである。
ゴルディオンは彼女に質す。
レビス派の人間か、教会の関係者か、それともどこからか現れたハイエナかと。
だが、マリエはそのどれにも首を傾げる。レビス卿はカサルちゃんの女装仲間で、教会は嫌い。そして全く無関係かと言われれば、そうでもない。
そして何より気になったのは、まるでカサルと自分が対等な関係であるかのように老人が語ったことだ。
「仲間じゃないよ。彼は私の『お人形さん』。今は自由に放し飼いにしてあげてるの」
「お人形……?」
マリエの言葉に、ゴルディオンは戦慄した。カサルやヴォルグ公爵よりも先に、自分が最も恐れるべきだった真の敵の正体に、今さら気づき始めたのだ。
しかし、もうすべてが遅かった。彼は力なく椅子にもたれ、抗う術がないことを悟った。
「最後の最後まで姿を見せず、すべてを役者に任せて高みの見物か……。よもやシラクーザにこれほどの化け物がおろうとは、思いもせんかったわ」
「お疲れ様。ゴルディオン商会は今日で終わり。これからは『ギルド・マリエ・物流部門』として、私が管理してあげる。……あ、安心して。おじいちゃんのことは、エディス様が『大切に』使ってくれるって言ってたから」
マリエが指を鳴らす。影の中からリヒャルトラインが現れ、ゴルディオンの前に一枚の契約書を置いた。それは、ゴルディオンをマリエ経済圏の幹部として吸収する、完全な「終戦協定書」だった。
「……く、そ。ワシは認めんぞ! あの小僧の下につくなど!」
「違う違う。これから貴方は、私と一緒に『カサル経済圏を飲み込む支度』を始めるの」
マリエはゴルディオンの机に歩み寄り、その白髭を優しく撫でた。
その瞳には慈悲など微塵もなかった。あるのは、自分からカサルを奪おうとした者への、静かな断罪。
「ど、どういうことだ貴様……!? 小僧の近くにいたのは知っているのだ。一体どういう……まさか、奴の派閥は一枚岩ではないというのか……!」
「おじいちゃん大正解。私とカサルちゃんは、共に食らい合うウロボロスの頭なの。カサルちゃんを支配するのは、この私。マリエ・リーベただ一人でいい」
マリエの暗黒を湛えた瞳を前に、ゴルディオンは呆然と、震える手で契約書に判を押した。
物流王の落日。
シラクーザの経済は、一人の少女の『独占欲』によって完全に掌握された。
(ふふっ。これで、邪魔者はヴォルグ公爵ただ一人。……あとはカサルちゃんが塔から出てくるのを、のんびり待つだけだね)
マリエは満足げに、夕日に染まるシラクーザを見つめた。
彼女の背後では、巨大なコングロマリットとなった『マリエ経済圏』の歯車が、かつてない速度で回り始めていた。
さあ、ココでようやくタイトルの本当の意味が明らかになり始めました。
リアクションされると喜びます。
それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




