おバカ貴族と聖塔への案内人
ヘルメスが裏切り者の交渉……もとい、迷子探しに王都へ向かってはや二週間。
ヴェズィラーザム領の復興現場を切り裂くように、十数台の真紅の馬車が列をなして現れた。青いコンテナと泥にまみれた建築現場において、その「教会の赤」はあまりに異質で、高圧的だ。
「ザッ、ザッ、ザッ……」
一糸乱れぬ足音が、復興の槌音を冷徹に塗りつぶしていく。現れたのは、深紅の刺繍が施された黒法衣の集団。彼らが手にした錫杖が石畳を叩くたび、周囲の領民たちは本能的な畏怖に身をすくませた。
それだけで今のカサルには排除したくなるほどに、今の彼には心の余裕がなかった。
「随分と仰々しいお迎えだな。……誰の葬式だ?」
仮設テントの前。カサルは日傘を差し、優雅に背筋を伸ばして彼らの前に立った。だが、その右腕は漆黒のドレスの袖の中で、未だに焼け付くような熱を帯びている。
筆一本握るのにも脂汗が流れるほどの負傷。内臓に生じた傷が塞がっては剥がれるような感覚を二ヵ月以上も味わっている彼だが、一向にその痛みに慣れることはなかった。
「カサル猊下。選定者様の御使いとして、お迎えに上がりました」
馬車から集団がぞろぞろと揃うと、先頭に立つ真紅のローブの男が跪き、一通の手紙を差し出した。周囲で見守っていた領民たちから、どよめきが漏れる。
「猊下……? 聞き間違いか……?」
「いやいや、流石に神父どものジョークだろ。あの『おバカな若旦那』が……枢機卿だと……?」
隠し続けてきた権威の一端が、公の場で剥がれ落ちる。カサルは眉をひそめたが、否定する手間すら惜しかった。手紙の封をナイフで切り、教皇ネイヴ二世の署名に目を通す。
「……なるほど。次の『王』を選ぶ審判に、我の票が必要だというわけか」
手紙の内容は簡潔だった。
二鍵の聖選。世俗の代表たる貴族院と、神の代弁者たる枢機卿団。その両者が一致するまで、王の選定員は『聖塔』から出ることは叶わない。
「ザイルと申します。猊下の塔での生活を支える雑務係でございます」
紹介されたのは、剃髪した頭を深々と下げるザイルという男だった。彼はカサルの趣味嗜好を把握するためだと言い、食事や書物の希望を淀みなく聞き取っていく。
「えっ、カサルちゃんのお世話をする人? ザイルさん……へぇー、男の人か」
不意に横からマリエが顔を覗き込んできた。
「どうかなされましたか?」
「ううん。だったら良いんだ。だったらさ」
「はぁ……さようでございますか。……でしたらカサル猊下の食の好みなどをお聞かせ願えれば……」
「カサルちゃんはね、何でも食べるけど酸っぱい物と味の濃い物が好きだよ。あと朝ごはんと間食はフルーツかアーモンドが絶対。これ以外出したらその日の機嫌は何をしても不機嫌だから覚えておいてね。それとフルーツの中でも一口で食べられない物はダメ。もしフルーツが無いようなら、一口サイズにカットしないとダメ。それとベタベタした物も出したら怒るよ。他にはどんなフルーツを出す時にもフォークをつけてあげてね。葡萄やマスカットなんかもフォークで食べるからね。それとね、それとね……!」
「マリエちゃん、ザイルさん困ってるわ……。後で書類にして渡してあげたら?」
隣で話を聴いていたゾーイが、途端に高速で情報の詠唱を始めたマリエをザイルから引き剥がす。この調子で話し続けられたら、ザイルはこの場に留まれる時間を全て使い果たしていただろう。
「お心遣い感謝いたします。それではカサル様、何かご質問などあればお応えできますが」
「我オレの部屋は滞在するに値するのだろうな? 独房なんぞ御免被るぞ」
「その点におきましてはお任せください。生活環境は保障されております。最高級の寝具、静謐な図書室、そして何より――猊下を悩ませる外界の喧騒から完全に隔離される安息。いかがでしょう?」
(安息、か。……悪くない)
カサルは包帯の下で疼く腕を意識した。レビス卿を王に据えるための工作。一週間もあれば終わるはずだ。その間、外界との接触を断ち、ふかふかのベッドで読書に耽るのは、今の自分にとって最良の療養に思えた。
「よかろう。……マリエ。留守は任せるぞ。我オレがいない間、この領地を、そして『カサル経済圏』を維持できるのはお前だけだ」
カサルは背後に控えるマリエに、全幅の信頼を込めて告げた。マリエは小さく瞳を細め、カサルの負傷した右手を優しく包み込む。その手袋越しの体温が、カサルの警戒心を不自然なほど溶かしていく。
「うん……わかった。私がカサルちゃんの『理想の世界』、完璧にして待ってるからね」
そのマリエのバイタリティー、そしてこの一ヶ月で見せた驚異的な指導力。カサルは、彼女が「自分を超えるエンジン」になりつつあることに感心すらしていた。だが、彼女のエンジンが今、どのような燃料で、どこへ向かって回転しようとしているかまでは、天才の目にも見えていなかった。
◇
三日後。旗艦『愚者』がシラクーザの空を覆った。
王都の群衆は、竜の運ぶ新聞によって汚染されていた。メディシスがバラ撒いたプロパガンダが、レビス派の権威を根底から揺さぶっているからだ。だが、地上に降り立ったカサルを迎えたのは、意外な歓声だった。
「見てよ! カサル様だ! シラクーザを救った英雄だ!」
「ラジオじゃあんなこと言ってるけど……あたしたちは覚えてるよ!」
誹謗中傷の嵐の中、カサルに直接救われた下層の民たちが、必死に手を振る。カサルはその光景を「無駄なエネルギーの使い方だ」と鼻で笑ったが、その瞳には微かな安堵が宿っていた。
一行を乗せた馬車は、シラクーザの心臓部へと進む。そこには、この国の歪なパワーバランスを象徴する光景が広がっていた。
左手には、金細工と尖塔が天を突く『王宮』。
右手には、白磁の大理石が神々しい『大教皇神殿』。
その巨大な二つの建築物に挟まれるようにして、不自然なほどの「沈黙」を湛えた広大な森があった。
一歩森へ足を踏み入れると、シラクーザ特有の紫煙や排気ガスの臭いが一瞬で消え去った。立ち込めるのは、冷ややかな土の匂いと、肺が痛むほどに澄み切った、神秘的な空気。その森の最奥に、それは聳え立っていた。
───『聖塔』───
窓一つない白亜の円筒。人の手で積まれたものではなく、大地からそのまま生えてきたかのような無機質な美しさを放っている。
塔の入り口に立っていたのは、透き通った瞳を持つ、弛んだ腹の子供のような歯車仕掛けの機械人形。一等異端核保持者、通称『選定者』と呼ばれる存在。背中には羽毛の翼、頭には光るリング。そして磁器のような白い肌を晒すその姿は、全裸だった。
股間に排泄口らしきものは存在せず、球体関節のソレは人とは言い難い。だが、胸元に埋め込まれた『一等核』が、規則的な黄金の拍動を周囲の魔力へと伝播させ、自らがこの塔の主であることを不遜にも訴えていた。
「オ待チシテオリマシタ……。サア、扉ノ中ヘ」
選定者の指先が触れると、堅牢で巨大な石扉が音もなく横に滑った。カサルはマリエの方を一度も見ず、設計図と印章を彼女に預け、暗い回廊へと足を踏み入れていく。
「一週間後だ。……その時は、祝杯の寿司を用意しておけよ」
振り返った彼の瞳には、一週間で全てを収束させるという確固たる自信が満ちていた。マリエもその輝かしい少年の眼差しをじっと見つめる。あたかも、しばらく会うことすら許されない疎遠の友人を見送るかのように。
「……うん。約束だよ、カサルちゃん」
涙を浮かべて手を振るマリエ。扉が閉まる、その瞬間――。
マリエの口元が、三日月のように吊り上がったのをカサルは見た。
「マリ───」
閉ざされた石扉。
カサルは一瞬の違和感を覚えたが、すぐに思考から追いやり、聖塔の奥へと進んだ。
中には貴族と枢機卿、殆ど身内ばかりとなった空間でカサルは深く息を吐いた。
「さて……寝るか」
カサルの「長い休暇」が始まった。
カサルがこのまま聖塔の中で活躍する聖塔編は……始まりません。
オマケで書くかも知れませんが、あくまでもヴェズィラーザム領復興編なので。
リアクションされると喜びます。
それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




