おバカ貴族と嵐の前の静けさ
ゴルディオンによる物流封鎖から、二ヵ月が経過しようとしていた。
カサルの派閥に属する貴族たちも同様に制裁を受け、自領の維持で手一杯という苦境の中、カサルたちは東方地方への空路に活路を見出し、独自の交易網によって命脈を繋いでいた。
空域では幾度か小競り合いが起きたものの、実戦経験豊富なマリエ率いる空賊団と、死装束機関がもたらした最新鋭の兵装が圧倒的な格差を生み、制空権は完全にこちらの手中にあった。
力による解決が困難と悟ったゴルディオンは、軍を下げ、冷徹な「持久戦」へと舵を切る。
彼の元には優秀な会計士たちが控え、ヴェズィラーザム領へ流入する食料の量と市場価格から相手の資産残高を逆算し、その「死のカウントダウン」を冷徹に計測していた。
「……それで?奴らはいつ干からびる。ワシはあとどれだけ待てばよいのだ」
ゴルディオンの地鳴りのような低音が、執務室の空気を重く支配する。
彼にとって最も尊い資産は「時間」だ。それを若造に浪費させられることほど、我慢ならぬ屈辱はなかった。
「若い芽は摘む。出来ぬなら叩き潰す。ワシのやり方は変わっておらぬ。だが、あの生意気な小僧の泣き言が未だに聞こえてこぬのは、一体どういう理屈だ」
「そ、それが……。密偵の報告によれば、東方地方の食料は国内の半値以下で取引されているようでして……」
会計士が、正確極まりない推定値を報告していく。
ゴルディオンにとって金の動きを追うことは、雲の流れから天気を読むより容易なはずだった。
「だから何だ。貴様、ワシが誰だか忘れたか?」
「……め、滅相もございません」
ゴルディオンの機嫌は底まで落ちていた。
東方の食料が安いことなど、百も承知だ。だが、それを運ぶには速度と距離の壁がある。鮮度を保つための魔導冷却、長距離航行の維持費。それらを加味すれば、たとえ仕入れ値が半額でも、手元に届く頃には三倍以上のコストが嵩む。それが、物流王が築き上げた不動の経済定理だった。
「舶来品が高騰するのは自明の理。物流コストだけで領地が破綻せぬはずがない。それとも何か、奴らは砂でも食って生きているとでも言うのか?」
「……現在、裏帳簿の存在を含め、原因を究明中です。ヘルメス商店による大規模な粉飾決算の可能性も……」
「死に体に厚化粧をして、案山子を立てているだけと?そのようなヤワなタマではあるまいて」
ゴルディオンは安易な楽観を排する。かつてその油断で足を掬われた経験が、彼を「物流王」という怪物の地位まで押し上げたのだ。徹底したデータ主義こそが彼の武器だった。
「レビス派が密かに資金を流している可能性を潰せ。検問の予算を倍にし、不審な馬車は一輪残さず解体せよ。……それから、あのメディシスという女はどうだ」
「はッ。実に有用な駒です。鉱物ラジオという媒介は、新聞を凌駕する伝達力を持ち始めています。彼女によるプロパガンダで、既に複数の中立派貴族がヴォルグ公爵派へ鞍替えしました」
ゴルディオンは不敵に笑う。奪い取った敵の武器が、期待以上の戦果を上げている。
吸収した敵の力を有効活用する時ほど、心躍らぬ時はなかった。
しかし、それが全てまやかしであったならば、事態は危険な方向へ転ぶ。
「……元は敵の駒だ。情は無用。二十四時間監視をつけ、不審な挙動があれば即座に消せ」
「承知いたしました。……それと、次期国王選定『二鍵の聖選』の準備のため、多額の工作資金が必要になりますが」
「問題ない。そちらは息子レオパルドに任せてある。貴族院と枢機卿、両陣営の票を札束で叩き伏せることが最優先だ。これまでの布石は、すべてこの瞬間のためにある」
ゴルディオンは、窓の外で紫煙に霞むシラクーザを一望し、その端にそびえる聖地に聳える『聖塔』を見据えた。
この国の未来を決める聖域。貴族院と枢機卿、合わせて二百十六名の思惑が交差する戦場だ。
「あの塔はワシのものだ。天才だか神童だか知らんが、あの若造に玉座は早い」
彼は卓上の果実を乱暴に掴み、種ごと噛み砕いた。
ふと、舌に走った違和感に気づき、吐き捨てた種を検分する。そこには不吉な血がこびりついていた。
「……油断ならぬ相手よ」
ゴルディオンは、白いハンカチで静かに口元を拭った。
◇
一方、ヴェズィラーザム領の朝は、かつての絶望的な静寂を忘れ、軽快な「風」の音と共に幕を開ける。
「お届けものです!」
お菓子ギルドの少女が、最新型の『風の靴』で空中を蹴り、建設現場の足場へ直接飛び乗る。彼女が手渡したのは、温かい食事と資材の革袋だ。
カサルが「ラストワンマイル」――配送の最終段階を担うために再調整したこの靴は、道路という概念を過去のものにした。航空船から垂直に降り立ち、直線距離で目的地へ向かう。現代科学の限界を超えた、魔導配送システムの完成形だった。
「ご苦労様、これを受け取ってくれ」
大工が差し出したのは、カサルが設立した『ヴェズィラーザム銀行』が発行する「魔導手形」だ。
初代頭取リヒャルトラインが管理するこの特殊通貨は、未来の収益を担保に現在を動かす、無から経済を生み出す魔法だった。
「……しかし旦那、これじゃ三ヶ月後には破綻しますぜ」
仮設テントの執務机で、ヘルメスが書類を整理しながら低い声で進言する。
「それまでに何とかするさ。足りなければ他から借りて補填すればいい」
「根本的な解決になってないような……」
「その借金を返すために、また別の場所から借りればいいだけの話だ」
カサルの言葉に、ヘルメスは内心で頭を抱えた。
(いつかこの若旦那は、世界ごと心中するんじゃねえか)
後に悪名高い『ポンジスキーム』と呼ばれる手法に酷似しているが、それは「実態」を伴わない場合の話だ。
カサルの狙いは、物流の高速化による通貨の回転率の向上にあった。
銅貨一枚の価値が三倍の速度で動けば、それは銅貨三枚分の経済を支える。
その計算が成立する限り、この自転車操業は最強の永久機関へと化ける。
領民がカサルを信じ、その紙切れに価値を認める限り、富が泉のように湧き出る――まさに経済の未来を行く『信用創造』を、この少年は独力で生み出そうとしているのであった。
「いや、どう見ても詐欺の類ですがね……。なんでこんなことがまかり通るんだか……」
ヘルメスが天幕の隙間から、活気溢れる領民たちの取引を眺めて呟く。
「これが人間同士の信頼の力というやつだ」
カサルはキメ顔でそう言ったが、やり口は詐欺師のソレである。
「妄信じゃありやせんか。これ、全員が賢かったらまかり通らないでしょう」
「ああ。だからヘルメス、お前は黙っていろ。その沈黙こそが、何よりの金になる」
「ハハハッ……。あっしは『金』ってのが、よく分からなくなってきやした。まだまだ勉強が足りねぇようで」
そんな二人が会話をしている中、賑やかな足音が近づいてきた。
「ヘイお待ち!」
ねじり鉢巻きを巻いた領主代行ザラが、笑顔でお重箱を差し出す。
「おいザラ、お前の本分はどうした。兄に書類仕事をさせてどうする」
紙をパンパンと叩いて講義する兄。
たまの休養日に航空船から降りてみれば、いつの間にか子爵代行の仕事を押し付けられていたのだ。
「判子を押すだけの単純作業なんて兄さんにも出来るだろッ! 」
丁度いいから今日は俺の休日だ!と無理やりな理論を構築したザラは、領民の話を聴くため書類をほったらかして、視察という名の道楽を楽しんでいた。
「いや、そういう話では……」
「じゃあな兄上、民が俺を待ってるんだ!」
風のように去っていく弟の背中を見送り、カサルはやれやれと肩を竦めてヘルメスに向き直った。
ザラがおいて行ったお重箱にはカサルとヘルメスのため特別にこさえられた食事が入っていた。
今日の昼食は、東方の米にレタスと唐揚げを乗せ、甘辛い特製タレをかけた「東風空賊飯」とコンソメスープ。豪華極まる贅沢な一品だった。
カサルはナイフとフォークを完璧に使いこなし、対面のヘルメスは慣れた手つきで箸を操る。
「旦那、食べてる姿にも凄みがありやすね。まるでお上品なお姫様だ」
「マナーは貴族の最低限の嗜みだ。……ヘルメス、お前も今のうちに徹底して身につけておけ」
「冗談でしょう? あっしのような商人がそこまで……」
「冗談ではない。お前がこれから座ることになるのは、そういう『椅子』だ」
カサルはナプキンで優雅に口を拭い、食事を下げさせた。
「我達がテッペンを取るのは恐らく簡単だ。だが、そこに王朝を築くなら、その『後』を考えねばならん。……それとも、今見えている以上の景色には興味がないか?」
「…………。……いえ、善処しやす」
十歳も年下の少年に説教を受け、ヘルメスは気恥ずかしさに頭を掻いた。
だが、同時に実感していた。これから相対する客、そして支配する世界は、真に「上流」と呼ばれる怪物たちの戦場なのだと。
(マナー講師、雇うかね……)
湯水の如く消えていく純資産にヘルメスは頭を抱えつつも、それを「必要経費」として甘んじて受け入れた。そう、彼は目的のためならば、どんな代償でも支払う覚悟を固めていた。
例えそれが、手塩にかけて育てた部下――メディシスという「身内」であったとしても、捨てろと言われれば、躊躇いなく手を放すだろう。
しかし彼の『脳内経理部』はいまだにそれを必要経費とは認めていなかった。
(旦那に捨てろと言われりゃ……そりゃあ放すのが忠義ってもんだ。
───でもよぉ……あっしにとっちゃ、大事な部下の一人でさぁ。
……どうにかして、あいつが帰ってこれる環境を作ってやれねぇかなぁ)
カサルに一歩近づくために「冷酷」を装いながら、ヘルメスは独り、その計算の合わない苦悩を背負い続ける。それが切り捨てなければならない感情と知りながら。
リアクションされると喜びます。
それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




