おバカ貴族と東方とんぼ返り
シラクーザのある中央大陸から海を隔て、東に位置する複数の島国が点在する通称『東方地方』。未だ未開拓な部分が多いと言われる中、数少ない貿易窓口として港を持つ国、オリエンタルムンドにマリエの航空船は錨を下ろした。
正午の陽光が照らす中、カサル一行が航空船を降りると、そこは全くの別世界だった。
鼻を突くのは、潮風の香りと混じり合った、嗅いだこともない刺激的な香辛料の匂い。行き交う人々は顔立ちも平たく、原色の布を巻き付けたような独特の装束に身を包んでいる。市場には、とりあえず辛ければいいと言わんばかりの真っ赤な香辛料が山積みされ、未知の喧騒が溢れていた。
カサル一行は発着場で待機していたレテシア嬢と、取引先のウーウェイという糸目の商人と共に市場を見て回ったが、並んでいるのは見たこともない怪しげな食品ばかり。カサルはそれを見て、ヴェズィラーザム領の人々の口に合うかを密かに不安視していた。
「……と、そう言えば相場はどんなものなんだ?」
カサルは、同じく市場を散策するため同行していたレテシア嬢に訊いた。彼女はカサルの問いを即座に翻訳し、ボソボソとウーウェイに伝達する。すると彼はしばらく話し続け、満足したように前を向いた。
「シラクーザ金貨一枚で、オリエンタルムンド金貨二枚と銀貨五十枚に相当するそうです……」
「おい、絶対それ以上何か話していただろう」
「ええ、はい。けれど、ここの人は無駄話が好きなので」
レテシア嬢はシラクーザの金貨よりも質の劣る金貨を見せつつ、ウーウェイの語った内容をかいつまんで説明した。
ここオリエンタルムンドは熱帯の群島国家であり、米や魚を中心とした食材が豊富に取れるという。その豊かさゆえに中央大陸に比べて争いも少なく、文明の進歩も穏やかな土地柄らしい。
シラクーザとは倍以上の貨幣価値の差があるこの国は、現在のヴェズィラーザム領にとってまさに救世主となる国だった。
「レテシア嬢……いくつかある候補の中から最高の国を選んでもらった」
「その……まだ早いと思います」
既に勝利を確信しているカサルと、少し照れるレテシア嬢。そんな二人を、殺気の籠もった視線で見守るのは背後に立っているマリエだ。彼女とリヒャルトライン、ゾーイの三人は、領地に残るよりもカサルの近くにいた方が、たとえ危険であっても美味しいものが食べられると考えてついて来ていた。
特に海外に関心を持っていたのは、書物を愛する淑女のリヒャルトラインだ。彼女は今回の旅で東方大陸の言語をマスターして帰るとやる気に満ち溢れていた。
「食料は買えるだけ欲しいと伝えてくれ。その代わりに、最高の交易品を持ってきたともな」
レテシア嬢が翻訳を始めると、リヒャルトラインはその一言一句に聞き入り、定型文を記憶にストックしていく。そんな彼女の熱心さに関心を示したウーウェイは、ゆっくりとジェスチャーを交えながら交渉を進めていった。
「なんて言ってるの?」
マリエの問いに、レテシア嬢はビクッと肩を揺らしながら答える。
「えっと……コンテナの中身を見せてほしいと……」
「へぇそうなんだ。いいよー。それじゃあ、近くまで船をつけるけど、降ろしてほしい場所とかあるかなぁ?」
「そ、そうですね。コンテナは大きいと聞いていますので、港の倉庫前に降ろしていただければ……はい、助かります」
眼鏡をカチャカチャさせながら、小鹿のように震えるレテシア嬢。マリエは新しい仲間に眩しい笑顔を向ける。
「わぁそう言ってるの? 凄いね、レテシアさん。色んな言葉が喋れるんだねぇ」
マリエは親しみを持って接しているつもりだったが、レテシア嬢の瞳にはまだ怯えの色があった。マリエはその感情を察知したのか、カサルに耳打ちする。
(ねぇ、わたし、なんか怖がられてる?)
小さな声で尋ねるマリエに、カサルは「そうか……?」と首を傾げる始末。まるで役に立たない。仕方なくリヒャルトラインとゾーイに尋ねてみると、「今さら気づいたのか」と言わんばかりに窘められてしまった。
レテシア嬢にとって、本物の空賊から放たれる凄みは、人生で一度も経験したことのない未知の恐怖だったのだろう。
「マリエ、二人を連れて先にランディングポイントに向かってくれ。このままじゃあ交渉にならん」
カサルに促され、マリエは不満げな二人を引き連れて旗艦『愚者』に戻った。
嵐のような気配が去り、ホッとしたレテシア嬢は、勢いを取り戻すように交渉を再開する。ヴェズィラーザム領の窮状は一切漏らさず、対等な立場でなるべく多くの食料をかき集められるよう、外交官としての役割を完璧にこなした。
港へ向かう道中、契約の大枠がまとまり、話はトントン拍子に進む。レテシア嬢の言葉は、今や水を得た魚のように流暢だった。
「……ウーウェイさん。カサル猊下が貴方に持ちかけたのは、単なる食料の買い付けではありません。これは『幸福の総量を増やすための実験』なのです」
「幸福、ですか。誰しも商人である以上、それを求めずにはいられないでしょうね」
ウーウェイは糸目を細め、クツクツと笑った。
どうせただの詭弁だろうと踏んでいるその目を見て、カサルは特大のサプライズで驚かせてやることを誓った。
やがて一行が港の指定荷下ろし場に到着すると、そこにはウーウェイが手配した数百人の沖仲仕たちが、不揃いな天秤棒を担いで今か今かと待ち構えていた。
「おい、旦那! 積荷はどこだい? 潮風に当てる前に蔵に入れないと、米が湿気っちまうぞ!」
東方の男たちは仕事に誇りを持っていた。迅速な荷下ろしこそが、自分たちの筋肉と汗の証だったのだ。
その時だった。
空を優しく撫でるような風が吹き抜け、巨大な影が港を穏やかに包み込んだ。旗艦『愚者』が、その銀色の巨体を誇示するように、静かに、そして正確に舞い降りてきたのだ。
「……お待たせ。安全圏に降ろすね」
伝声管から聞こえるマリエの声も、カサルの指示を受けてか、どこか穏やかだ。
船体下部の巨大ハッチがガシュゥゥン! と開く。カサルは日傘を差し、煤けた顔を扇子で隠しながら、ウーウェイの隣に立った。
「ウーウェイ。まずは君の部下たちを下がせるといい。……彼らの大切な肩を、今日は休ませてあげたいのでな」
格好をつけてそう告げたカサルだったが、当然言葉は通じない。
彼は即座に「……あ、翻訳してくれ」とレテシア嬢を呼び寄せた。
レテシアが慌てて通訳を行う間にも、カツン、カツンと軽快な駆動音が響く。
船内から現れたのは、十数体の蜘蛛の形をした『全自動建築人形』。
まるで羽化したての子供のように航空船から湧き出てくる人形たちは、創造主を模倣するように優雅な動きで、コンテナを次々と背負い上げた。
ガチンッ、ガシュッ。
規格化された「青い鉄の箱」──コンテナが、一寸の狂いもなく地面に並べられていく。それを見た東方の沖仲仕たちは、驚くよりも先に、その「整列の美しさ」に言葉を失った。
「……なんと清々しい。まるで碁盤の目に石が置かれていくようだ」
一人の沖仲仕が呟いた。
いつもなら罵声と混乱にまみれる荷下ろし現場が、音もなく「青い美徳」の山へと変わっていく。
「者ども刮目せよ。これぞコンテナの力だ」
カサルは手元の紅茶を一口啜り、穏やかに囁いた。
「いつもなら彼らは三日三晩、腰を痛めながら重い袋を運ぶはずだ。だが、この『箱』を使えばどうだ、仕事は三十分で終わる。余った時間は家族と夕食を囲んだり、お気に入りの茶屋でゆっくり過ごしたりするために使えよう。……これぞ、貴族の施し。常人には思いつかぬ理外の発想よ」
カサル腕組みをしながら語る言葉を、ウーウェイは理解しているわけではなかったが、不安げな顔を向けた。
「……これでは彼らの仕事がなくなる。商いとは、苦労の対価ではないのですか?」
ウーウェイの言葉を翻訳を通して聞いたカサルは慈愛に満ちた微笑を浮かべた。
「苦労などせずに済むのであれば、しなくていい。どうせ人間というものは、放っておいても勝手に苦労する生き物だ。目の前にある不要な苦労を取り除かぬというのであれば、それは美徳ではなく、ただの怠慢……あるいは思考停止と知れ。楽をするために全力を尽くす。それこそが人間のあるべき姿よ」
カサルはコンテナを愛おしそうに叩いた。
「この『箱』は単なる道具ではない。人間に『自由な時間』をプレゼントするための、今まで誰にも成し得なかった魔法なのだ。どうだ、素晴らしすぎて声も出まい」
カサルの言葉にウーウェイは苦笑しつつも、降参したように手を挙げる。
想像もつかない未来を見据えた少年の慧眼に、東の商人は腰を折り、深い敬意を捧げたのだった。
「……ククッ、ハハハ! 参りました。シラクーザの枢機卿様は、神でも悪魔でもない。……とびきりお節介な『隣人』だったようだ。どうやら時代の波がこの国にも届いたようです。この港を変えるおつもりなら、ぜひお手伝いをさせていただきたい」
ウーウェイはそうレテシア嬢に伝えた。
食料の提供と引き換えに、港の近代化工事に参画させろという申し出だ。
「……話が早くて助かる。別に我は金には興味ないからな。利権などは全て君にくれてやる」
その言葉に、ウーウェイは今度こそ度肝を抜かれたように目を見開いた。カサルは本気で金に執着がなかった。貴族は金を稼ぐものではなく、有意義に使う者――その古い矜持が、彼を突き動かしていた。
「レテシア。契約の準備を」
「……は、はいッ! ただいま!」
レテシア嬢が大慌てで書類を作成する。
少年の放った「貴族の理屈」は、東方大陸の商文化を根底から包み込んだ。
コンテナには山のような米と東方の知恵が詰め込まれ、ヴェズィラーザム領へと向けて再び機首が上げられる。
そんな帰還の途、カサルは窓の外を流れる雲を見つめていた。
「次に来た時は、もう少しゆっくりと見て回りたいものだな」
観光を目的に再訪することを願いつつも、航空船はその日のうちにトンボ返りして中央大陸へと戻る。うかうかしていては、ザラやタヌキたちが干物になってしまう。そんなことになれば笑い話にもならない。
(昼に食べた『お寿司』という、生魚を使った奇天烈な料理……あれをウチで試してみるのも面白いな)
そんな呑気な事を思いながらカサルはベッドの中で、昼に見た寿司職人の夢を見る。
そんなカサルの夢も大量のコンテナは運んで、ヴェズィラーザム領へと帰還するのだった。
次回、作者の休憩回
ギャグとかマシマシで楽しむための回です。
リアクションされると喜びます。
それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




