おバカ貴族と世界への挑戦
通された執務室は、部屋というより「神殿」だった。
壁を埋め尽くす巨獣の剥製。床には足首まで埋まるほどの深紅の絨毯。
その最奥、黄金の装飾が施されたデスクの向こうに、筋肉の山が鎮座していた。
ゴルディオン・ゼウス。
彼は入室してきたカサルたちを一瞥もしない。
太い指で葉巻を弄びながら、書類に目を通している──フリをしていた。
「……ほう。ようやく来たか」
数分間の放置。意図的な無視。
凡人なら萎縮して言葉も出なくなる重圧の中で、ゴルディオンはようやく顔を上げ、嗜虐的な笑みを浮かべた。その唇の隙間からはギラりと真っ白な歯が覗く。
「降伏の使者にしては、随分と遅かったな。お前はカサル・ヴェズィラーザムだな?確か、落馬で頭を打ってアホになったとか言う、出来損ないの方だ」
圧倒的な威圧感。隣にいるヘルメスは、蛇に睨まれた蛙のように震えている。
だが、カサルは涼しい顔で、許可もなく来客用のソファにドカッと腰を下ろした。
「降伏とは面白い冗談だ。勘違いするな。今日の我は『見物』に来ただけのこと」
「見物だと?」
ゴルディオンの白濁とした瞳がカサルに向けられる。カサルはその視線を独り占めするように、立ち上がると、ゴルディオンのために用意された果実を三つ手に取って口に含んだ。
食べたことのない味だが、酸っぱくて甘い味がした。
「美味いなコレ」
「要件を言え」
ゴルディオンはヒラヒラとドレスを揺らしながら動く、掴みどころのない蝶を眼で追いながら、なぜこのような場所に来たのか訊いた。
「アンタ今回の内戦、負けた時のこと考えているか?」
「なに?」
「我に勝つ気でいるんだろう?それでヴェズィラーザム家がヴォルグ公爵に寝返るように、今も動いている。まぁ、それはいい。歴史の巡りあわせだ。そうなる運命だったのだろうよ。しかしだな、ゴルディオン。お前、負けた場合どうなるか微塵も考えてないだろう」
「何を言うかと思えば……腹でも減って頭がおかしくなったのか?お前が勝てる可能性は万に一つもない。お前の領地は半年もすれば、地図から消滅する」
「別にそれは構わないが」
「は?」
「領民さえ無事なら、ヴェズィラーザム領は滅びてもいいと言っているんだ」
「……はァ?」
ゴルディオン・ゼウスにとって目の前の少年の言っていることはまるで理解不能だった。
貴族が貴族足りえるのは領地と爵位が合ってこそだ。
それを自ら放棄するということがどういうことか、目の前の阿呆には理解できないのかと思った。
そしてしばらくの逡巡の内に、やはり落馬で頭を打ったまま頭のおかしくなってしまったガキ、としてゴルディオンは目の前の事象を処理した。
「まぁ理解出来なくてもいい。要はこの政戦に負けた場合、お前も相応の覚悟をしておけよ、っという話をしに来たまでのことだからな。ようは爺に向けての余命宣告だ」
「ふんっ……ワシより先にくたばれ。生意気な金髪の小僧め」
「我のことを侮っているようだから、一つ忠告してやる。
お前は『運ぶ権利』を誇っているようだが……勘違いするなよ。
荷物の持ち主は、お前を愛しているわけではない。
ただ『他に選択肢がないから』使っているだけだ」
カサルの瞳が、冷徹にゴルディオンを射抜く。
「アイツら常に願っているぞ。『もっと安く、もっと早く運びたい』とな。
……もし、お前より優れた選択肢が現れたら、彼らは一瞬でお前を捨てるだろう」
「……小僧。それが貴様だと言うのか?」
「さあな。ああ、それと。飼い主によろしく伝えておけ。『もうすぐ財布に穴が空く』とな」
そんなカサルの安い挑発には聞く耳を持たないゴルディオンは、不快そうに鼻を鳴らすと、視線をカサルの隣──青ざめて震えている小柄な男に移した。
「おい、そこの男。名はヘルメスだったな?」
「ひっ!? へ、へい……! お見知りおきを……!」
突然話を振られ、ヘルメスが飛び上がる。
ゴルディオンは値踏みするように目を細め、口元を歪めた。
「調べはついている。元はただの泥棒だったそうだが……あの『歌うツルハシ』や『のど飴』を流通させ、短期間で財を成した手腕。……悪くない。貴様には『商人の鼻』があるとみた」
ゴルディオンは、指にはめた宝石の指輪をチャラリと鳴らした。
「……単刀直入に言おう。お前は私の傘下に入れ」
ゴルディオンは葉巻の煙を吐き出し、背後の巨大な世界地図を指差した。
「私はこれから、海を越えて東方大陸へ進出する。
十年かけて航路を整備し、二十年かけて現地の商会を併合し、三十年後には世界の物流の四割を私が握る計画だ。盤石で、確実で、揺るぎない『世界帝国』の建設だよ」
ゴルディオンの声には、絶対強者の自負があった。
夢物語ではない。彼にはそれを実現するだけの金と組織力がある。
「ヘルメス。お前にはその足掛かりとして、この『王都シラクーザの全権』を任せよう。
どうだ? 泥棒上がりの男が手にするには、過ぎた報酬だろう?」
「王都の……全権……」
ヘルメスがゴクリと喉を鳴らす。
それは、商人として上がりのごとき成功だ。
安定した地位。莫大な報酬。そして何より、ゴルディオンという沈まぬ巨船に乗れる安心感。
ヘルメスの心が、大きく揺らいだ。
(悪くねぇ……いや、最高だ。この爺さんについても、一生食いっぱぐれることはねぇ)
だが。
ヘルメスはふと、隣で紅茶を飲んでいるカサルを見た。
「……あの、ゴルディオンの旦那。一つ聞いても?」
「なんだ」
「旦那の計画は素晴らしい。ですが……ちと『ぬるい』気がしやすね」
「ぬるい、だと?」
ゴルディオンが眉をひそめる。
ヘルメスは視線をカサルに向けたまま、問いかけた。
「カサルの若旦那。アンタはどうなんです?
アンタも世界を狙ってるんでしょう? 計画を聞かせてくだせぇよ」
「我か?」
カサルはカップを置き、つまらなそうにゴルディオンの地図を一瞥した。
「十年? 二十年? ……欠伸が出るな。
ゴルディオン、お前のやり方は『足し算』だ。道を一本ずつ増やしていく、亀の歩みよ」
カサルは立ち上がり、両手を広げた。
「我のやり方は『掛け算』……いや、『爆発』だ。
我は数年以内に、この世界の『距離』と『時間』の概念を書き換える。
東方大陸? そんなものは通過点だ。
我々の商圏は、空、海、陸、すべてを網羅し、世界中の富を強制的に循環させる」
カサルの瞳に、狂気じみた野望の炎が宿る。
「安定などない。毎日が戦争で、毎日が革命だ。
世界中を巻き込んで、昨日までの常識をひっくり返し続ける。
……ついて来れるか? ヘルメス」
カサルはヘルメスを指差した。
「ゴルディオンは、お前に『シラクーザ』をくれると言ったな。
だが我は、お前に『席』をやろう」
「席……?」
「「ああ。『世界経済の王』という席だ。
我は趣味で忙しい。
金の管理など面倒でやっていられんからな。
だから、我のカサル経済圏……その全てを支配する『経済の王』の座を、お前にくれてやる」
ヘルメスは息を呑んだ。
王都の支店長か。
それとも、世界経済の王か。
前者は確実な未来。
後者は、破滅と背中合わせの、とんでもない博打だ。
だが──。
(……ああ、駄目だ。比べちまったら、勝負にならねぇ)
ヘルメスの脳裏に、カサルと過ごした日々が蘇る。
歌うツルハシ、のど飴、着せ替え人形。
カサルが何かをするたびに、世界が驚き、金が嵐のように舞い込んだあの興奮。
それに比べて、ゴルディオンの提示した「三十年計画」の、なんと退屈なことか。
「……ククッ、へへへ」
ヘルメスは笑い出した。
そして、ゴルディオンに向き直り、深々と頭を下げた。
「ゴルディオンの旦那。過分なお誘い、感謝しやす。
……ですが、あっしは『毒』に侵されちまったようで」
「毒?」
「へえ。『退屈したら死んじまう病』ですわ。
安定した道で王都の長になるより……このイカれた若旦那と、世界をひっくり返す『ロマン』の方を選びやす」
ヘルメスはカサルの横に立ち、ニヤリと笑った。
「あっしは、世界経済の王になりたい。
……悪いですがね、ゴルディオンの旦那。
アンタの船はデカくて立派だが、あっしには過ぎた宝船だ。
そんな取り回しが利かねぇ船はあっしには合いませんので。
ヘヘッ、すいやせん」
宣戦布告。
商人が、大陸の王を振った瞬間だった。
「……後悔するぞ、小僧共」
「しませんよ。……さあ若旦那、行きましょうや。椅子を取りに」
リアクションされると喜びます。
それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




