おバカ貴族と商王ゴルディオン・ゼウス
王都シラクーザ。
魔導の光が夜を忘れさせるこの巨大都市において、最も金と欲望が渦巻く場所──商業区画の最奥部。
そこに、王城すらも凌ぐ威圧感を放つ、巨大な石造りの館が鎮座していた。
門番が立つ鉄格子の向こう、広大な敷地には大陸中から集められた珍木や彫刻が並び、権力者の自己顕示欲をこれでもかと誇示している。
ここは、大陸最大の豪商、ゴルディオン・ゼウスの居城。
国の血液である「物流」を握る怪物の住処である。
その最上階、重厚なマホガニーの扉の奥にある執務室。
部屋の空気は、高級な葉巻の紫煙と、熟しすぎた果実の甘い香り、そして、決して拭い去ることのできない「金の臭い」で満たされていた。
「……ほう。ガモン伯爵が、たかが田舎の小僧に煮え湯を飲まされた、と?」
部屋の中央。
最高級のワニ革で張られた椅子に、その巨体は沈み込んでいた。
筋肉の鎧と見紛うほどの巨躯。
胸元まで伸びた純白の髭は、まるで獅子のたてがみのように豊かであり、その隙間から覗く唇は、常に脂でテラテラと光っている。
ゴルディオン・ゼウス。
その太い指にはめられた十個の宝石の指輪が、シャンデリアの光を乱反射し、部屋の主人たる彼の存在を煌びやかに飾り立てていた。
「は、はい……! 誠に恥ずかしながら……。奴らは枢機卿の権限を盾にし、あまつさえ小賢しい魔女を抱え込んでおりまして……。どうかゴルディオン様のお力で、奴らを捻り潰していただきたい!」
ふかふかの絨毯に額を擦り付け、懇願する男が一人。
ガモン伯爵の腹心、執事のセドリックである。
かつてザラの前で見せた慇懃無礼な態度は見る影もなく、今はただ、捕食者の前の小動物のように震えていた。
ゴルディオンは、そんなセドリックを一瞥もしない。
彼の興味は、目の前の銀皿に盛られた「南方の希少な果実」に向けられていた。
庶民が一生かかって稼ぐ金でも買えないようなその果実を、彼は無造作に掴み、皮ごと大口を開けて放り込む。
グチャリ、と果汁が溢れる音が、静寂な部屋に響いた。
「枢機卿? レビス公爵? ……くだらん」
咀嚼し、飲み下し、そして彼は太い葉巻を燻らせた。
吐き出された紫煙が、セドリックの頭上で揺らめく。
「権威や魔法で、人は食えんのだよ。執事君」
ゴルディオンの声は、地響きのように低く、腹の底に響く重低音だった。
「人が生きるには『物』がいる。パンがなければ飢え、服がなければ凍え、レンガがなければ雨に打たれる。
その『物』を、生産地から消費地へ、誰が運んでいると思っている?
王か? 神か? 魔法使いか?
……違う。『私』だ」
ゴルディオンは、卓上に広げられた巨大な羊皮紙の地図に、丸太のように鍛え抜かれた腕を伸ばした。
そこに描かれているのは、大陸全土に網の目のように張り巡らされた街道、海路、空路。
無数に置かれた駒の一つ一つが、彼の支配する倉庫、港、そして運送ギルドを示している。
彼は物流という名の「国家の血管」を握り、この国という巨人の生殺与奪の権を、物理的に掌握しているのだ。
「いいだろう。私の庭で騒ぐドブネズミには、躾が必要だ。……総員に通達せよ」
ゴルディオンが指を鳴らすと、影のように控えていた秘書たちが一斉にペンを構えた。
「本日、只今をもって、ヴェズィラーザム領への『全ての物流』を凍結する」
「す、全て、ですか?」
セドリックが顔を上げる。その顔には驚愕の色が浮かんでいた。
物流を止める。言葉にするのは容易いが、それを実行するには桁外れの影響力が必要だ。
国中の問屋、運送業者、港湾組合、果ては裏社会の運び屋に至るまで、全てに圧力をかけ、連携させなければならない。
どこかに一つでも穴が空いていれば、そこから商品は水のように流れてしまうからだ。
王命ですら不可能な所業。
しかし、ゴルディオンの瞳には、微塵の揺らぎもなかった。
「ああ。建材、燃料、そして食料。
一粒の麦、一滴の水たりとも入れるな。
奴らに協力した商人は、今後一切、我が商会との取引を永久に禁止する。この業界で生きていけぬようにしてやるとな」
それは、死刑宣告よりも残酷で、確実な処刑命令だった。
経済的な窒息死。
剣も魔法も使わず、ただ「運ばない」という一点のみで、数万人の領民を干上がらせる悪魔の所業。
「真綿でゆっくりと、絞め殺して行こうではないか。
金で買えないものはないと言うが……物がなければ、金貨などただの硬くて不味い金属片だ。
……どの程度で根を上げるか、フフッ、楽しみではあるな」
ゴルディオンの低い笑い声が、部屋の空気を重く、ドロリと塗り潰していく。
窓の外では、王都の煌びやかな夜景が広がっていたが、その輝きさえも、この男の掌の上にあるように見えた。
◇
翌日。
復興の槌音が響いていたはずのヴェズィラーザム領にて、最初の悲鳴が上がった。
対策本部として使われている仮設テント。
そこへ、まるで幽霊でも見たかのような形相の男が転がり込んできた。
「だ、旦那ぁぁぁッ!! 大変だぁぁぁ!!」
商人ヘルメスである。
常に余裕と愛想笑いを絶やさない彼が、かつてないほど顔面を蒼白にし、脂汗を垂れ流していた。
カサルはそんな無様な部下を前に、優雅に扇子を開いて顔を隠す。
「なんだ、騒々しい。……メディシスにでも刺されたか?」
「ち、違いやす! もっとヤバいことが起きやした!……『止まった』んです!」
「……流通か?」
カサルは何となく予想していたかのように、冷めたアメジストの瞳でヘルメスを見据える。
ヘルメスは何度も頷き、震える手で懐から数枚の書状を取り出した。それは全て、取引先からの「契約破棄」の通知だった。
「ええ、はい! 問屋、運送ギルド、港の倉庫……全部です!
今日届くはずだった材木も、明日の小麦も、契約していた資材が一つも届きやせん!
慌ててこっちから買い付けに行っても、店の敷居を跨ぐ前に『お宅には売れない』って門前払いだ!」
カサルの隣で、書類決裁の判子を猛烈なスピードで押していたザラの手が止まる。
彼は顔を上げ、汗をダラダラと流しながら食って掛かった。
「な、なんだと……!? 金ならあるぞ!
兄さんが稼いだ金貨が山ほどある! 倍払うと言ってもか!?」
ザラの言葉に、ヘルメスは絶望的に首を横に振った。
「ダメです! 相手はあの『ゴルディオン商会』だ!
奴に睨まれたら、この大陸で商売ができなくなる……! 商人にとっちゃ、死ねって言われるのと同じなんでさぁ!
旦那、これじゃあ……街ごと『干上がり』ますぜ!!」
テントの外、復興現場の音が消えていく。
建設中の家は骨組みのまま放置され、市場の棚からは野菜が消え、職人たちは道具を失って立ち尽くす。
倉庫に積み上がった金貨の山が、ただの無意味な金属塊に見えてくる。
圧倒的な「物流の暴力」。
見えない壁がカサルたちを完全に包囲していた。
自分達の持って来た物資も多くあるとはいえ無限ではない。
このままでは数週間もすれば、大規模な飢餓が領地を襲うだろう。
カサル達は早急に、この包囲網を破る手を打たなければならなかった。
しかし。
そんな非常に緊迫した状況にあっても、カサルはなぜかとても冷静な面持ちで、手元の紙にサラサラとペンを走らせていた。
「だ、旦那?」
「……そのパターンか」
カサルは顔も上げずに答える。
その声には、焦りどころか、待ち望んでいた獲物がかかった時のような愉悦さえ混じっていた。
「パターンって、じゃあ何か対策があるんですかい!?」
「さあな。幾つかプランはあるが、今の人類に合ったモノを選択中だ」
カサルの抽象的な答えにガクッと膝を折りながら、それでも何も対抗策がないワケではなさそうだと、ヘルメスは己が主の顔を伺い立てる。
「ど、どういうことですかい」
その頃カサルの脳内では、無数のアイデアが星空の如く瞬いていた。
異端核を成長させるという発明をしてからというものの、カサルは発明家としての階段を一つ登り、あらゆる物をアップグレードすることのできる『眼』を手に入れていた。
故に悩んでもいた。
「下手に近未来の物を作っても、普及せんからな。……今の人類の文明レベルで理解でき、かつ劇的に効率を上げるものを作ってやらねばならん……ヨシ、できた」
カサルはペンを止め、図面を満足げに眺めた。
ヘルメスとザラが覗き込む。
そこに描かれているのは、複雑な魔導回路でも、強力な兵器でもない。
ただの、何の変哲もない『四角い箱』のように見えた。
「ハコ…? よく分かりやせんが、なんかあるんですね?」
きっと複雑な変形をした後に敵の領地を焼き払う超兵器になるのだろうと、ヘルメスは予想を立てる。
もちろん、当然そんなものではない。
しかしカサルのこの何の変哲もない『四角い箱』が、今後ヘルメスが一生付き合っていくことになる『最強の武器』になるとは、彼はまだ知る由もなかった。
「無論だ。……ヘルメス、それとお前にやって貰いたいことが幾つかある」
「なんでしょう。この状況を打開できるなら、死ぬ気でやりやす!」
「まずは……フフッ……ゴルディオン商会に、我を連れて行ってくれ」
「て、敵情視察ですかい!?」
ヘルメスが目を剥く。
物流を止めた張本人の元へ、ノコノコと出向くなど自殺行為だ。相手はカサルの破滅を願っている怪物なのだから。
しかしカサルはそれに微笑を浮かべながら否定する。そんなものはもう終わっているからだ。
「いいや。恐らく我の次の発明は、正真正銘世界を変える。
讃美歌詠唱式ツルハシ何ぞとは、比べ物にならん影響力を世界に及ぼすだろう。
……その前に見納めしておこうと思ってな」
「み、見納め?」
「『古い時代』の終わりを、だ」
カサルが顔を上げる。
そのアメジストの瞳には、発明家特有の狂気じみた光と、革命家の冷徹な炎が宿っていた。
「へ、へい! 分かりやした!」
2人の会話を聞いていて、ザラは兄の異常なまでの自信に少しビビッていた。
目の前にあるのはただの箱の絵だ。
これで大陸の王に勝つ? 正気とは思えない。
(……ど、どっからその自信が湧いてくるんだ……!
と、とりあえず俺は小さな商人でも良いから、謝り倒して商品を流して貰えないか頼み込んでみよう……! それしかない!)
ザラは覚悟を決めて、判子を置いて椅子から立ちあがった。
だが、その肩をゾーイがポンと叩く。
「座りなよ、ザラ卿。貴方には貴方の仕事があるでしょ」
ゾーイはサングラス越しに、去っていくカサルの背中を見つめていた。
彼女もまた、カサルの起こす奇跡を何度も見てきた証人の一人だ。
(……そ、そうなのか?)
釈然としないまま、ザラはまた席につく。
テントを出ていく兄の背中は、いつになく大きく見えた。
彼はこれから、たった一つの「箱」で、大陸の王に喧嘩を売りに行くのだ。
ザラは祈るように、ひたすらに判子を突き続けた。
兄が帰ってくるその時まで、この領地を維持し続けることこそが、自分の戦いなのだと言い聞かせて。




