おバカ貴族と新たな試練
エルドラゴ郊外、切り立った岩壁の狭間に、マリエたちの航空船が息を潜めるように停泊していた。
予定外の長期滞在を強いられた彼女たちは、艦橋で「カサル奪還作戦」の最終確認を急いでいた。
リヒャルトラインが、緻密に描き込まれたシソーラ侯爵邸の見取り図を広げる。
「――以上が、現時点で判明している侵入経路です。警備は最低でも五等級の魔女が四人。さらに、カサルくんの最も近くには二等級異端核【鉱物操作】の使い手であるエディス嬢が控えています。正面突破は、自殺行為と心得てください」
リヒャルトラインは手際よく目薬をさすと、白紙の羊皮紙に周辺の地形をさらさらと描き起こしていく。わずか十秒足らずで、地形の起伏まで捉えた完璧な俯瞰図が完成した。
「五等級が四人に、二等級が一人か。……あはっ、骨が折れるねぇ」
マリエが楽しげに、しかし瞳の奥に冷たい殺意を宿してリストを眺める。
「アタシが一人で行ってこようか? 小回りが利くし、マリエを助け出した時みたいにパパっとさ」
ゾーイが金平糖をガリガリと噛み砕きながら提案した。
「回数は大丈夫なのですか?」
リヒャルトラインの問いに、ゾーイは無造作に掌を広げた。親指と人差し指の爪は短く切り揃えられているが、残り三本の爪は鋭く伸びている。
「だいじょうぶい。あと三回分はストックがあるし」
「マリエの力は温存すべきですからね。では、ゾーイに――」
リヒャルトラインが作戦を決定しようとしたその瞬間。ガツン! と、机に一本のナイフが突き立てられた。マリエが二人の会話を、凍りつくような微笑で断ち切る。
「カサルちゃんは、私たちの『共有財産』でしょ? 誰か一人が頑張るんじゃなくて、全員で力を合わせて取り返さなきゃ」
「……マリエ、少し独占欲が服を着て暴走していませんか?」
「私たちの物を盗むなんて、許されないでしょ。やられたら、やり返さないと」
マリエの瞳には、所有権を侵された者特有の暗い炎が揺らめいている。リヒャルトラインとゾーイは、それ以上の反論を諦め、静かに頷いた。
まさに決死の奪還作戦が決行されようとした、その時だった。航空船の呼び鈴が、気の抜けた音で鳴り響いた。
警戒しながら甲板へ出た三人の目に飛び込んできたのは、ひらひらと手を振るカサルの姿だった。
「おーい、たっぷり説教されて帰ってきたぞ。早く慰めろ」
その声を聞いた刹那、マリエは弾かれたようにハッチへと駆け出した。
「カサルちゃぁぁぁん!!」
扉が開くや否や、マリエが猛牛のような勢いでカサルにタックルをかます。続いてゾーイとリヒャルトラインも、安堵と興奮のあまり彼に駆け寄った。
「「おかえりなさい」」
マリエの全力の突進。常人ならば天国のような光景だが、カサルにとっては物理的な命の危機である。
「愚か者め! 我を圧死させる気か!」
カサルは即座に【風の結界】を展開した。
マリエの体は、カサルの体表数センチの場所で見えない壁に阻まれ、ムギュッ、とユーモラスに停止する。
「もう、恥ずかしがり屋さんなんだから」
マリエがけろりと離れると、カサルは結界を解き、不機嫌そうにドレスの乱れを整えた。
「……全く。マリエ、これをお前宛てに預かっている」
カサルが手渡したのは、エディスからの手紙だった。内容は案の定、烈火のごとき説教であり、『泥棒なんて生産性のない遊びはやめて、真っ当に働きなさい』という高説が、嫌味なほど流麗な筆致で綴られていた。
「アハッ。貴族様が何か言ってる。おもしろーい」
マリエは内容を一瞥するなり、笑いながら手紙を粉々に破り捨てた。
「笑い事ではないぞ。我は『宿題』を出された。……これをこなさねばならんのだ」
カサルが提示した魔法のスクロールを見て、三人は一斉に絶句した。
そこには、彼女たちの「更生」までが項目に含まれていたからだ。当然、地道に働くなどという選択肢は、彼女たちの辞書には一文字も存在しない。
「みんなで鉱山奴隷になるぞー! おー!」
「……まともな人生が歩める性格なら、今ごろ空賊なんてやっていませんよね」
ゾーイとリヒャルトラインが冗談めかして、あるいは諦めを込めて肩をすくめる。マリエだけは、カサルの頬を指でなぞりながら、甘く囁いた。
「カサルちゃん……その宿題、諦めてもらうわけにはいかないかな?」
だが、カサルは首を振った。スクロールの最下段に刻まれた、血のように赤い魔力文字を指差す。
『もし一年以内にすべての課題を完遂できなかった場合、カサルを強制的にヴェズィラーザム家へ連行、領主に襲名させた後、私エディス・シソーラが婚約者として召し上げるものとする』
その一文は、この世のどんな攻撃魔法よりも、彼女たちにとって致命的な破壊力を持っていた。
「……よし。カサルちゃん、今すぐ国外に逃げよう。大陸の裏側まで行けば、あのデカ女の目も届かないよ」
マリエが真顔で提案する。本気で逃亡の航路を計算し始めたリーダーを見て、カサルは溜息をついた。
「無駄だ。これは特殊な術式で編まれた『誓約の魔導書』だ。一度契約が成立すれば、たとえ地の果てに逃げようとも拘束力がつきまとう。我が容易に解放されたのも、逃げ場がないと分かっていたからだ」
「そんな……」
三人はようやく事の重大さを理解し、青ざめた顔で宿題リストを読み込み始めた。そして、最も被害が少なそうな項目を一つ、選び出した。
『宿題No.001:紛失した「風の靴」を回収し、捕まった男を改心させること』
「……どれどれ? あの風の靴を回収して、盗んだ浮浪者を改心させる? えー、あのおじさん? 顔も汚いし、改心させる価値なんてあるの?」
ゾーイの無慈悲な剛速球に、カサルは虚を突かれたように目を見開いた。
しかし、すぐに不敵な笑みを浮かべて、愛用の扇子をパチンと鳴らす。
「ほう。ではゾーイ、我があの男の『価値』を見極めて見せよう。誰の目にも明らかな形でな」
「何か秘策があるの?」
「我の眼に狂いはない。あの男……風の靴をあそこで、あのような手段で売ろうとした機転。あれは、ただの浮浪者の仕業ではないぞ。場所の選定、我をモデルに仕立て上げた広告戦略、そして上限のない競売形式。そのすべてが、我の合理主義的な感性に合致していた」
カサルの瞳には、すでに次の発明……あるいは次の「駒」の使い道が、精密な設計図のように描き出されていた。
「今は地下鉱山にぶち込まれているらしいが……。彼を『改心』させる必要はない。ただ、『正しく運用』してやればいいだけのことだ」
「でも、改心させなきゃダメなんでしょ?」
マリエの不安そうな声に、カサルはニヤリと笑って首を振った。
「エディスの作ったスクロールは期限や内容は詰めてあっても、言葉の定義まではこだわっていない。つまり、裏をかくことも可能だ。我の師匠は揚げ足取りの達人だったからな。その弟子である我なら、この契約書も解釈次第で無効化――いや、『骨抜き』にする方法が必ず見つかるはずだ」
「正攻法では解決しないんですか?」
リヒャルトラインが呆れたように訊くと、カサルは年相応に、しかし最高に不敵な少年の笑みを浮かべて答えた。
「もちろん。いいか、宿題なんてものは、如何に効率よく『ズル』をするかを学ぶための訓練だ。我はそう確信している」
正面から戦うのではなく、法や理不尽の隙間を鮮やかにすり抜ける。社会の清濁を併せ呑み、自らの自由を勝ち取るための『悪知恵』こそが、彼にとっての真なる教育だった。
エディスという絶対的な捕食者が仕掛けた無理難題を相手に、カサルの狡猾な反撃が今ここに幕を開けた。
風の靴を回収せよ!
リアクションされると喜びます。
それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




