女子供だけの旅
「それでは、夕刻に」
すらりと自分の馬に騎乗したアシュレイがおっとりとそう告げる。穏やかな視線には笑みすら含まれていた。ただ、その事を気にしているものは少なかった。
ただ無関心のまま、背を向けて散じていった。
ただ反応のないジョゼだけをしっか、と抱きかかえ、アシュレイも馬の首を転じた。
その側にマーセルの馬が寄りそう。
“何処までも私は姫さまと一緒……”
マーセルが心の中で呟く。
“……あの人が来るまでは”
マーセルが胸の痛みにひっそりと呻く。その美麗な愁眉が歪んでいく。
裏切っている、という意識故か。
その胸に刻まれた紋章故か。
「アシュレイ!!」
クロガネの怒号が二人の馬の足を止めさせた。
馬を落ち着けさせると、ゆっくりと振り返るアシュレイ。
その表情に囚人に呼び捨てにされた怒りは無かった。ただあくまでも穏やかに、そして、その瞳に決意を秘めて、クロガネを見つめてた。
「本当に戻ってくると思っているのか?!」
「……実は」
風が二人の間を駆け抜ける。アシュレイの長い髪を巻き上げてはためかせる。
そのせいでクロガネに、語りだしたアシュレイの表情を見届ける事は出来なかった。
「戻ってこなくても、いいのではないかと思っております」
「!」
「死刑囚の方々という事で再犯の可能性もあると考えておりましたけど、皆様のお顔を拝見して、その心配はないと確信しました」
「……」
言葉を失うクロガネ。
「皆様、心の芯からの悪人では無い様に見受けました」
「ですから、わたくしの事より大事な事を抱えていらっしゃるのなら……」
「そちらを優先なさってもかまいませんわ」
「しかし! マーメットには?!」
「私たち二人だけでも行きます」
決然と言い切る。不退転の決意。それは王権の者の深き決断、そのもののようにクロガネには思えた。
“これが……これがあれば……俺は……”
かつて騎士団長として心酔した過去が疼く。深く拝跪したものは……これこそ、ではなかったか?
「そうですね。マーセル?」
「は、はい! 姫さま!」
慌てて返答はしたものの。
マーセルのその顔には冷たい汗が浮かんでいた。
「いけない。もう一人忘れてましたわ」
馬の首にだらりと身を崩すジョゼの手をアシュレイは優しく手に取った。
「貴方もいらしてくださいますわね?」
力の欠片も籠もらない手は何の反応も見せない。その霞んだ目の奥はなんの光りも宿していなかった。
「それでは……クロガネ様も……お心のままに」
そのジョゼの手を取り、ひらひらと振ってみせるアシュレイ。
曇りのない笑顔はあくまでも変わらない。それは鮮やかなまでの輝きに満ちていた。
「それでも、旅の友は大いに越した事はありませんもの」
「クロガネ様に同行していただければ、心強いですわ」
ノドが詰まる。詰まっているのは数多の言葉だ。肯定も否定も驚愕も不安も。総ての言葉が頭に湧き、だが放たれることはなく、困惑に、ただ一つに塗りつぶされていく。
クロガネの口から出るのはうめき声だけだった。
「それでは、お待ちいたしておりますわ」
アシュレイが眼前で優雅に馬上で一礼すると、馬を転じていく。
ゆっくりと馬を進めるその背中をじっと見つめている、と眩暈が押し寄せてきた。やがて、その胸にこみ上げてくるのは苦々しい思いだけだ。
「判ってない……本気でマーメットまで二人で行けるつもりなのか?」
「! あいつは!」
クロガネが、マスクの姿を探す。
その姿は遙か彼方にあった。アシュレイが行った方向とは全く逆の方向に。
ダメか。ヤツも来ないのか。もう風の向きすら変えそうな程……盛大にクロガネはため息を吐いた。
ただアレが居る。アレが居れば……
「ジョゼがいれば、大概の敵は片ずけるだろうが……」
だがどこまで使える? 肝心のとき、アレは動くのか? 暴発して姫様達に襲いかかる可能性は?
うろうろと馬を二転三転させるクロガネ。頭のの中が千々に乱れる。
「くそっ!」
一言言い捨てると馬を走らせた。それは爆発的な反応に見えた。
「何処を見ているのでしょう?」
唐突にアシュレイがマーセルに問いかける。
並んで進む馬上のマーセルの様子がおかしい事には小一時間ほど前から気がついていた。
「え! いえ……!」
慌てて、答えを返すものの、暗い表情は隠せない。
「この旅の行く末を憂いておりました……」
「女子供だけで戦場を通り抜ける、その困難さを思うと……」
「使命はなによりも尊いもの」
穏やかな口調の中に、反論を差し挟めぬ力強さがこもっている。
「困難は最初から判っていた事」
「そうですね。マーセル」
「はい。姫さま」
「この度の戦、勝っても負けてもアイズワッドに利する所はなにもありません」
「一刻も早い終戦を……」
「お志のままに」
黙礼するマーセル。その胸の中で迷いが渦巻く。
姫さまは……高い志を持って行動していらっしゃる。
傷が疼く。胸に刻まれた忌まわしい傷が。
マーセルはあれ以来、決して胸元のあいた服は着ていなかった。
その胸元をかき会わせる。
“私は……私は……”
救いを求める様にその名を呟いてみる。
「クーラン……」
空を見上げ、口にした言葉は風にちぎれアシュレイの耳には届かなかった。
何処へ行くでもなく、馬を進ませているマスク。
迷い迷い、歩を進ませている。その馬の脚は何度も止まった。
と、道の先で土煙が上がっているコトに気付いた。
「?!」
素早く!馬を森の中に乗り入れさせた。
馬から飛び降りると、宥めつつ物陰から様子をうかがう。
その目の前を通り過ぎていくのは、ジャスガルの竜騎兵の一群だった。
「ハァッ!」
鋭い掛け声を上げ、砂埃を巻き上げ、疾走していく竜騎兵達。
その走らせ方は、あてどなくというものではない。
明らかに何か目的の地あっての走らせ方。
“何故……こんな所まで!”
マスクの胸の内に暗雲が広がっていく。
それは、悪い予感そのもの。
竜騎兵達が走り去っていく。
マスクもまた、素早く馬に跨がると竜騎兵達を追うように駆け出していった。
その先に何があるのか未明のまま。
待ち合わせ場所に着くアシュレイとマーセル、ノーリアクションジョゼ。
馬を下り、アシュレイがジョゼを抱きかかえておっとりと座り込む。
「それでは此処で待ちましょうか。夕刻まで」
「はい。姫さま」
マーセルは二人の馬を繋ぐ場所を探し、離れていく。
淡き雲の影を透かして、日差しは柔らかく、二人が座り込む丘の上を流れていく風が涼しく……とても苛酷な旅の一瞬とは思えない。ただ、穏やかな日溜まりの中でジョゼをその膝に抱え、囁くようにアシュレイは腕の中に抱えるジョゼに語りかける。
「何故、ずっと黙ったままなのですか?」
膝の上のジョゼは、くたりとなんの反応も見せない。
「幼くして、過酷な運命にさらされて……」
「でも……心が動いている」
「心は死んでません」
その額の汗を拭ってあげるアシュレイ。
「感じていますよ。……ジョゼ」
「あなたの鼓動を……心が鼓動しているのを」
「心と言葉がいつかつながる日が……きっと来ます」
ふわり、と抱きしめると、その頭に柔らかく唇を押しつけるアシュレイ。
「……」
ジョゼは動かない。しかし、その瞳の中で何かが動く。
それは、スイッチとは別の働きをもたらすものだった。
その二人の姿を物陰からうかがう集団があった。
強引に護衛任務を取り付け、城を出てきたクーランの近衛兵の一隊だった。
「なぜだ……護衛の連中が見あたらない」
「好機です。小隊長」
横から口を挟むタルガ。
クーランはベテラン軍曹の彼には、マーセル奪回の計画を話していた。
渋々賛同してくれたタルガは隠密理に近衛兵の人選を引き受け、総ての準備、手回しを整えてくれていた。
そのタルガが、クーランの影からこそこそと囁く。
「あの死刑囚達がいない理由は不明ですが……これは手間が省けると言うもの」
「姫さま一人ならば……厭とは言いますまい」
「しかし、姫さまには使命が……」
「脱出なさるのでしょう。クーラン様」
「ならば、後の事はお気になさることもないでしょう」
「アイズワッドが滅ぼうとどうしようとも」
「そうではあるが……」
そこまで悪人にはなりきれない。なりたくない。
そんな迷いを断ち切ったのは、馬を置き、現れたマーセルの姿。
クーランの眼が馬を繋ぎ終わり、歩いて戻ってくるマーセルを追う。
「……やむをえまい」
決断する。
「予定通り進める」
タルガに小声で告げるクーラン。
「後の事は頼んだぞ。タルガ」
「了解しました」
「もらうものもたっぷりもらいましたしね」
下卑た笑顔を見せるタルガ。へっへっへっと声を漏らす。
そのタルガが選んだその他の近衛師団員も妙に無表情のまま、待機している。
マーセルは走り込んで来る馬群の一団の中に、その顔を見つけだした。
「クーラン!」
物陰から走り出てくる近衛兵の一隊。その足並みが猛々しい。
素早く回り込むとマーセルとアシュレイ達を取り囲む。
「何事?」
馬の足が巻き上げる砂埃を避け、アシュレイが立ち上がる。
「城からの護衛がまだいらっしゃったのかしら?」
ジョゼを抱いたまま、その小隊長の服に身を包んだ男に問いかける。
「それとも、城に何か?!」
「姫様、申し訳ありませんっ」
馬から下りてきた小隊長、クーランがアシュレイと向かい合う。
その目線がマーセルを呼ぶ。
引き寄せられる様に、クーランの元に向かうマーセル。
「姫さま。姫さま! 申し訳ございませんっ」
アシュレイ様の顔が見れない。しかし、ただその人の顔だけを見つめて。
クーランの所に走り寄る。
その胸にマーセルをかき抱くクーラン。
「彼女は、私が……」
銃声が響く!
はっ、として向き直るその視線の先に、黒い群雲のごとく集う人馬。
高台の周りを覆い尽くすかのごとく次から次へと現れる。
「あの旗印は……」
「ジャスガル!」
クーランが叫ぶ!
ジャスガルの竜騎兵達が、最前線をこんな離れた所まで食い込んでくるとは!
「何故!こんな場所に!」
「いたいた」
その竜騎兵の隊長がにたりと笑う。周りに揃いつつあるジャスガルの竜騎兵達。
その人馬が巻き上げる砂埃が、その圧倒的な人数差を示している。
集まり、抜刀し、今まさに指示があれば突撃せんと身構える竜騎兵達の群が、ぐるりぐるりと走り回っている。
「あのお方の情報は常に正確だ」
「こんな敵陣深くまで潜り込んだ甲斐があるというもの」
その視線は遙か彼方の高台の上のアシュレイ姫をしっかりと捕らえている。
「獲れ!」
剣を抜き放ち! 号令!
隊長の怒号が、馬の蹄の音に勝り響きわたる。
振り下ろす剣が、竜騎兵達を解き放つ!
「捕まえたヤツのもんだ!!」
「どうせ殺しちまうんだ! その前にどうしてもかまわんぞ!」
「存分に楽しめ!」
竜騎兵達は勢いづき、一斉に襲いかかってくる。
「姫を囲め!」
数で劣る近衛師団員たちも陣を組み、応戦に転じた!
しかし、そこは高台の頂上。平地では数に勝る竜騎兵を防ぎきれない!
唯一の救いは高台で竜騎兵達の馬の足が鈍る事。
が、それもアドバンテージの内には入らなかった。
頭数で勝る竜騎兵達は、取り囲み、巧みに近衛兵達を少しずつ引き剥がしにかかる。
戦闘でからめ取り、後ろを追い立てて一人づつ孤立させていく。
一人、また一人、と近衛兵はその戦力を失っていった。
最後の囲みをあっさりと破られ、アシュレイの周りに竜騎兵達がなだれ込んでくる。
もはや、近衛兵は完全に分散、孤立を余儀なくされていた。
懐から短剣を取り出し、ジョゼを護る様に身構えるアシュレイ。
その時。
今まで、アシュレイに抱きかかえられていただけのジョゼが動く!
瞳の中に、チリッ、と火花が走る!
“スイッチ”が入る!
背後から駆け込んでくる馬上の竜騎兵の剣が振り下ろされる!
間に合わない!
思わず目をつぶるアシュレイ。
しかし、アシュレイの頭をめがけて振り下ろされたその剣が、間一髪で空を切る。
アシュレイの頭上をものすごいうなりが駆け抜けていった。
我が身の無事に安堵するアシュレイがその髪にかかる掌に気付く。
「……ジョゼ?!」
下から伸ばしたジョゼの手が、アシュレイの頭の角度をわずかだけ変えたのだ。
ジョゼは下を向いたまま。
「チッ!」
舌打ちし、通り過ぎる竜騎兵。
ゆっくりと、ジョゼが顔を起こす。
その顔には凍り付くような殺気。
「坊主!! そんなに死にてぇか!!」
さらに次々と襲いかかってくる竜騎兵。
ジョゼ、ゆっくりと、アシュレイの手から短剣をとる。
「ジョゼ……?!」
とまどっているアシュレイにかまわず、立ち上がるジョゼ。
殺戮マシーンにスイッチが入った!
剣を振りかぶり、走り込んでくる竜騎兵。
対峙するジョゼ。その手には、ナイフのように短い短剣のみ。
竜騎兵の剣が振り下ろされる!! が、空を切る!
ジョゼ、すれ違いざまその竜騎兵の馬の足を切る!
もんどり打って倒れ込む馬!
放り出され、地に叩きつけられる竜騎兵。
「くそ!!」
立ち上がろうとする竜騎兵。が、その背後に……。
冷たい視線。 立ちすくむジョゼ。
「……あ、」
背後にいるジョゼに気付く竜騎兵。
が、すでに遅い。
ジョゼの右手がゆっくりと動き、竜騎兵の首裏にずぶずぶと短剣が突き刺さる。
「が、ぁ、ぁ、ぁ、」
悶死する竜騎兵。
それでもジョゼの瞳は何の色も浮かべてはいなかった。
「このガキがぁ!」
さらにもう一騎、走り込んでくる!
棒立ちのまま、それを眺めているジョゼ。
凍り付く様な冷静さをその表情にたたえて。
右手には血まみれの短剣。
その短剣の血をぺろり、となめる。
すくい上げるように振り回される竜騎兵の剣!
が、寸前で、ジョゼの姿が消える!
見失ったジョゼを探す竜騎兵。 ジョゼがいたのは……。
「……!」
馬上の背後。 その細い腕が、竜騎兵の首に回される。
「ぐはっ!!」
一気にひねられる首。 ゴキッ、とイヤな音が響く。
そのまま竜騎兵の死体を馬から落とすと、立ち上がったままたずなを取り、馬の向き を変え、アシュレイの所に戻ってくる。
その間、全くの無表情のままで。
「ジョゼ……」
絶句しているアシュレイ。
その背後から、また別の竜騎兵が襲いかかる。
「!」
それに気付くアシュレイ。が、ジョゼは間に合わない!
次の瞬間、大刀を振りかぶった竜騎兵の体に無数の矢が突き刺さる!
矢の飛んできた方向を見るアシュレイ。
そこには、馬上から弓を構えるマスクの姿があった。
「ご無事ですか? 姫君」
生死の行き交う戦闘の場にいるというのにその立ち居姿はどこか冷笑的で、どこまでも固く澄み切ったような雰囲気を崩さない。片頬にはうっすらと笑みすら浮かべていた。
マスク、アシュレイに笑いかけながら、次の矢を放つ。
遙か彼方の騎乗の竜騎兵がもんどり打って馬から落ちる。
“……戻ってきてしまった。”
弓をつがえる腕に力がこもる。
苦々しいもの。それは思い通りにならぬ自らの心。笑っていたのは自嘲。何か振り切れないもの、諦めきれないもの。実に……嗤うしかない。
しかし、今はそんな事を考えている場合ではない。
意識を目の前の戦闘にのみ、振り向ける。
それ以外は後だ!
それにしても……。
「あの少年にあんな戦闘能力があるとはな」
馬で戻ってくるジョゼを見ながら言うマスクはひっそりと呟いた。




