純粋培養の狂気
一応、一人一人に馬が用意されていた。
その場で初めて囚人達も立たされ、拘束具を外されていく。
そして各各の馬の前に連れて行かれる。
「これで……長旅をしろ、というのか?」
思わず聞きたくなるほど、それは痩せた馬だった。
知らんよ、とでも言いたげに肩をすくめた近衛兵は、一言も発せず歩み去っていった。
独房でたっぶりいためつけられる前のクロガネならば、乗る事を躊躇していただろう。 だが、幸か不幸か……、紛れもなく不幸な事にクロガネ自身もその頃の様な体重ではなかった。
すたっ、と身軽にその痩せ馬にまたがるクロガネ。
周りの近衛兵の銃口が二三、一気に向けられる。
馬に乗っててもなお無気力なジョゼは首の所にぐったりともたれかかっているだけ。
馬の首の前に手を回し、縛り付けられている。
「何という事を……!」
何の恐れもなくすたすたと近づいていくアシュレイ。
「よせ!! 不用意に近づくな!!」
思わず叫ぶクロガネ!
一瞬にして、取り巻く近衛師団の雰囲気が凍り付いた。臨戦態勢にみな身を固め、新たに銃の照準が合わせられる。それはアシュレイ姫をも領域に捕らえていた。
「“スイッチ”が……!」
思わず目をつぶるクロガネ。
が、見た目ただの子供の無敵の暗殺マシーン、ジョゼの“スイッチ”はなぜか入らない。
そのまま、おとなしくアシュレイに身を任せている。
その手首の戒めを取り去り、胸に抱く。
「こんな幼い子まで、戦わなくてはならないなんて……」
ぎゅ~~~~っと抱きしめるアシュレイ。動かない。ジョゼは発火しない。
ほ~~~っ、とため息の一同。深い息を吐いたのは近衛師団もクロガネも同様。ただ、警戒は解かない。居並んだ銃口の先はまったく動くことは無い。
そのまま、ジョゼを抱きかかえ、自分の馬にアシュレイはそのくたりとした小さな痩せた身体を乗せ直していく。
そして、意外なほどしなやかな身の熟しで自らもすらりと跨がった。
「護衛団にいらっしゃるという事は、あなたも私を護ってくださるのですね」
「よろしくお願いいたします、ね」
微笑みながら語りかける。
その髪の毛の乱れを指で整えていく。
ジョゼの体を後ろから抱えながら優しく話しかけるアシュレイ。
「…………」
無言のジョゼ。
ただ淡く息をしていると言うだけの、少年の瞳の奥で何かが陰った。
「あまり刺激するな!」
馬上のまま、アシュレイに近づいてきたクロガネが警告する。
「一度スイッチが入っちまったら……」
「誰にも止められねぇぞ」
まさか、真っ先に血を流すのは姫だぞ、とは言えなかった。
「?」
その言葉の意味はアシュレイには理解できなかった。
無理もない。見た目はただの子供なのだから。
「クロガネ様は……御存知なのですか?」
「何故、この子がいつもぐったりしているのか……?」
澄んだ瞳で問いかけてくるアシュレイに答える言葉は、なかなか見つからなかった。
「ジョゼを……捕らえたのはオレだからな」
そう答えるのが精一杯だった。
「まだ、近衛部隊に所属している時の事だがね」
「彼は、純粋培養の暗殺者だ」
「物心付いた時から……人を殺す事だけを、……その方法だけを叩き込まれて育ってきた」
言葉を選び、語り始めるクロガネ。
アシュレイがそれに聞き入る。
「そういう風に育てたのは……実の母親だ」
人を殺す以外の事は全くしない、出来ない木偶人形。
ジョゼがそうなってしまったのは、彼の母親の異常な性格、異常な育てられ方によるものだった。
ジョゼの母親は男に棄てられた後、その男の子どもである彼を生み、男に棄てられた恨みを全てそのジョゼにぶつけ、溺愛と虐待を繰り返していた。
場末の酒場女、という生活で荒みきっていた母親は苦しい生活の中からさらに悪魔的なアイディアをひねり出す。
それはジョゼを暗殺者として仕込み、金を稼ごう、というものだった。
殴る、蹴る、だけではストレス解消にはなっても、一銭にもならない。
それぐらいなら、殺しを仕込んで裏社会の暗殺者として金を稼いでもらおう、と。
まさか、こんな幼いガキが殺しをやるとは誰も思うまい、と。
「彼は……そのまま母親の手で、強制的に“組織”に監禁させられた」
蒼ざめたアシュレイの顔がみるみる曇っていくのが如実だ。
クロガネはそれでもショックをなるべく与えぬよう、慎重に言葉を選び語り続ける。
「そこで徹底的に“殺し”を叩き込まれ、……」
「ジョゼの忌まわしい才能は開花した」
母親としての自分は時々会いに行く。
年端もいかぬ子供だ。
やはり、母親には会いたい。
その気持ちを逆手にとって、母親は彼に暗殺者としての腕を磨かせたのだった。
そしてそのまま、組織の暗殺者として使われていたが……。
「オレが指揮していた近衛師団の一隊が……この幼き暗殺者の逮捕に成功した」
「被害は甚大だったがね……」
「隊員の半分を失った……」
「スイッチの入った時の奴は……」
「まさにモンスターだ」
クロガネの脳裏に当時の悲惨な事件が甦る。
その陰惨な体験は、未だにクロガネの背中に、冷たい汗をにじませる。
「しかし、そこから“組織”を炙り出す事も、母親を逮捕する事もできなかった」
まともな証言の出来ないジョゼを捕らえても組織は知らん顔、母親は逃亡する中、彼は監獄の中に一人っきりの永い永い時間を過ごしていた。
全く教育を受けず、暖かい言葉一つかけてもらった事もなく、母親の溺愛と陰惨な虐待という両極端に振り回され、ただ人を殺す事のみが母親にほめられる事、として育った少年はいかなる法でも裁きようがなく、半ば放棄される様な形で牢獄に幽閉されていたのであった。
「それが……4,5年前の話だ……」
「そんなに……長い間……」
アシュレイの腕にぎゅ、と力が入る。
いっそうジョゼの体がアシュレイの胸に強く抱きかかえられる。
それを見たクロガネの眉が歪む。
「だから……あまりジョゼに関わるな」
「誰にもコントロールなぞ出来ないんだ」
失踪した母親を除いてはな。
その部分は口にはしなかった。
「いえ、大丈夫ですわ」
逆らう様になお、抱きしめる腕に力を込める。
「この旅の道中、ジョゼの面倒はわたくしが見させていただきます」
きっぱりと宣言するアシュレイ。
それは口を挟む事を断念させるほどの意志がこもっていた。
「そんな凶悪なぬいぐるみを抱いて、どうなっても知らねェぞ」
苦々しい口調で異議を口にするクロガネ。ただの子供っぽい嫌がらせにしか聞こえなくとも。自分自身ですら、そう思ってしまう。その事がまた苦々しい。
と、気付いた。
ジョゼの顔が、かすかに起きた。
その瞳が……かすかに動いた事を。
声の主を探る様に。
これ以上はヤバい……!
「好きにしろ……」
言い捨ててクロガネは馬の首を転じてその場を離れた。早すでに背は冷や汗を滲ませている。
ジョゼの瞳の奥にある深淵。
それはいかにクロガネを持ってしても、絶望的な悪寒に震えさせずにはおかない。
誰も踏み込めぬ闇としてしかクロガネには思えなかった。
「ふぅ~~~っ」
汗を拭うクロガネ。と、奇妙な事に気付く。
手の甲で拭った汗が、日の光を受けきらきらと輝いている。
「なんだこれは……?」
指先にとってまじまじと見つめる。細かく光るものが汗の中に混じっている。
「さっきの……“銀の砂”?」
「……体の中から??」
汗に濡れた手の甲を見つめているクロガネ。
しかし、夢と現実の境目は未だ見えず、それを証する何物もそこには現れ出ててはくれなかった。
腰の部分でその汗を拭う。
無かった事に。
そんな事を思い煩っている暇はなかった。
目の前に出発の時間が迫っていた。
「それでは、アシュレイ姫の護衛任務」
「見事つとめを果たすように」
近衛兵を背後に従えるスカルがまるで他人事の様に言う。
見送りはついに7~8人にすぎなかった。
囚人一人一人にも馬はあてがわれたものの、食料は無し。
金貨を詰めた小袋が一つ。旅費としてもギリギリの額だ。
近衛兵も大勢集まっていたが、誰一人城の外に出ているものはいなかった。
「それでは、健闘を祈る」
簡単な言葉と共に、城門がガララと音を立てて閉まっていく。
「姫様ぁ!」
どこからか、悲痛なサリーの声が聞こえたが、城門の閉まるドスン!という音がその哀切な響きを断ち切った。
戻る道は失われた。
改めて見回すと、城の外にいるのはアシュレイ、マーセル、マスク以下、元死刑囚五人のみ。
それがすべてだった。
早速口火を切ったのは盲目の男だった。
「さて、姫様には申し訳ないが」
盲目のリーバがひっそりと語り始める。
「私は行く所がある」
「残念ながらそれは、マーメットではない」
「護衛の任務はここ放棄させていただく」
その静かな言葉の中に決して翻らぬ決意を秘め、盲目の瞳をアシュレイに向けるリーバ。
「私も。放棄させていただくとするかなぁ」
「リゴーティ!」
マーセルがリゴーティを見据え、怒鳴りつける。
しかしそんな事は全く意に介さないのがリゴーティという男だ。
「どう転んでも面白そうな事にはなりそーにも無いしねぇ」
「アーティストに退屈は禁物さ」
「誰が!」
「待って。マーセル」
リゴーティに詰め寄ろうとするマーセルを制止するアシュレイ。
「姫様!」
「皆さん、牢獄から解放されて間もない方々です」
「いろいろと行っておきたい場所、会いたい方などもございますでしょう」
にっこりと微笑んでいる。その眼差しを見ればクロガネには判った。
この娘は、我々を猜疑の目で見る事を知らない。
やな予感がする。
「……ですから、この場は一度解散と言う事でいかがでしょうか?」
“……正気か?”
まじまじとアシュレイの顔を眺めるクロガネ。
その視線を不思議そうな顔で受け止めるアシュレイ。
“戻ってくるわけねぇじゃねェか!”
“止めろ!ンな事!”
口に出して言うわけには行かない。 他の囚人達の手前。
必死で“念!”を送るクロガネ。
「??」
“なぜ怖い顔でこちらを眺めてるのでしょう?”
首を傾げるアシュレイ。こういう時は。
にっこりと花のほころぶ様な笑顔をクロガネに向ける。
それは王族の習性と言うようなもの。
“わかってなあい!!”
クロガネが誰にも聞こえぬ絶叫を上げる。
「……街外れの高台に夕刻集合と言うことでよろしいでしょうか?」
アシュレイがついにその提案を口にしてしまう。
ついに! 頭を抱えるしかなかった。
マーセルにもその暗い将来像は想像がついてしまったらしい。
ぐったりと馬の首に片腕を立てかけてもたれてしまう。
顔を見合わせる囚人達。
気のないそぶりをしているマスク。
一同の間に冷たい空気が流れた。
「それでは、そのように」
あっさりとその流れを断ち切ったのはリーバだった。
なにも感じていないかの様に平然と答える。
「では、お待ちしておりますわ」
ふうわり、と微笑むアシュレイ。
“姫さまぁ……!!”
マーセルはクロガネ同様、もう、頭を抱えていた。
絶望しか思い浮かばない重い頭を。
一番手に抜け出したのはリゴーティだった。
湯浴みをし、念入りに梳ったその長い髪は、女が羨む様な輝きを放っている。
額にかかるその自慢の髪を掻き上げ、アシュレイに語りかける。
「ごめんね。お姫様。ボクは行かないけれど、お元気でね」
馬を下り、見送るアシュレイの目の前を通り過ぎる時、投げキッスをしていくリゴーティ。
「あの」
そのリゴーティを呼び止めるアシュレイ。
「お名前をお教えくださいますか?」
「これからお呼びする時に困りますので」
ハハ、とのけぞって嗤うリゴーティ。
「ガスト ローゼン リゴーティと申します。姫さま」
「またお会いできる時がございましたら」
アシュレイの手を取り、その甲にキスをするリゴーティ。
「お待ちしておりますわ」
小さく手を振るアシュレイ。
何処までも本気で戻ってくる事を信じているかの様に。
二番手は、盲目の男だった。
漆黒の黒髪が長く長く真っ直ぐに背中まで垂れ下がる。
その重々しい黒髪は、風に揺らぐ事もあまりない。ただ黒の色のまま重々しく、凍り付いたような表情を浮かべるその顔を時折隠す。
「リーバ ブレインザック。リーバでかまいません」
淡々と決まり切った、しかし実の無い挨拶でも有るかの様にその言葉を口にした。何の意味も無いかのように。
「お会いできる機会が再びあらば、そうお呼びください」
リーバは一礼して通り過ぎていく。
黙って見送るアシュレイ。
その盲目の瞳は行く末、そこに待ち受けているものをはっきりと見据えていた。
“長い旅になりそうだ……”
ひっそりと口の中で呟くと、風が香った。
それは恩讐の苦さを運ぶ風に違いなかった。
「……!……ムーセットは?!」
マーセルがかすかな望みをかけ、振り返る。
が、そこには馬だけがひっそりと佇んでいる。
森に通じる小道にその背中はあった。
只一人、森の中へ。
迷い無く進んでいくその背にかける言葉は、マーセルには思いつかなかった。
「貴方はどうなさいますか?」
ぐったりとしているジョゼに話しかけるアシュレイ。
全く反応しないジョゼ。
馬の首にもたれたきりピクリ、とも動かない。
「……それでは、ご一緒いたしましょうか」
「それでよろしいでしょうか?」
もちろん返事など無い。指一本動く気配を見せない。
ただの木偶人形。
それでも無言は承諾のサインと受け取ったのか、アシュレイはジョゼに微笑みかけるとその頬にキスを送る。
そのジョゼの頬を取り、互いに顔を見合わせる様に顔を傾ける。
その瞳をのぞき込み、優しくささやくアシュレイ。
「よろしくお願いいたしますね。ジョゼ」
今度はその唇にキスを送る。
全く動かないジョゼ。
「マーセル。彼をよろしくお願いいたします」
そのジョゼを乗せた自分の馬のたずなをマーセルに手渡す。
「はい、姫さま……」
渋々受け取るマーセル。彼女は、その子供の正体を知らなかった。
内心では言いたい事が渦巻いている。
“こんな子供連れて行って……足手まといなだけじゃない!!”
“何をお考えなのか……姫さまは……。”
「クロガネ様は……?」
「は?」
唐突に名前を呼ばれ、我に返るクロガネ。
あまりの展開に意識が飛んでいたのだ。
「クロガネ様は……どなたかお会いになりたい方がいらっしゃいますの?」
「そんなもん……」
クロガネの脳裏に何人かの姿が消えては浮かぶ。
その中で今でも生き残っているものなぞ、どれだけいるものか……。
クロガネのかつて率いていたテロリスト集団のものなぞ……。
今更会った所で……。
と、そんな事考えてる場合じゃない!
「そんな事より!」
アシュレイの真意を問いたださん、としたその出足を挫く様にアシュレイが質問の相手を変える。
「そちらの仮面の方は……何とお呼びすれば……?」
“仮面の方……。”
思わずクス、と声が出てしまうマスク。
「マスクとお呼びください」
「それ以外の名は捨てました故」
“君にだけは知られたくないしね。”
胸の奥でそっと呟くマスク。
「マスク様はいかがなさいますか?」
「私ですか?……夕刻まで考えてみましょう」
いかにも場つなぎの台詞を返すマスク。
「もう半分心は決まっておりますが……」
フイ、と顔を背ける。
あまりその笑顔を見ていたくはない。
“貴方の顔を見ながらの旅など……。”
胸の内で呟く。
“拷問以外の何物でもないでしょう。”
マスクはひっそりと自嘲した。




