集められた廃棄物
リゴーティに自殺しそうだと思われた盲目の男、リーバは、実はもっとも自殺とは縁遠い男だった。
少なくとも彼の胸にわだかまる恩讐の念が晴れるまでは。
つい、気を抜くと彼の脳裏をよぎるその忌まわしい映像。
自室で、血塗れになって倒れている最愛の妻。
花のように可憐だった二人の娘。その花は踏みつぶされた。
まだ、9才と7才でしかなかったのに。
その小さな胸から未だ固まらぬ鮮血をあふれさせ、目を閉じることもなく息絶えている姿。その後に踏み込んできた近衛兵。有無をいわせず拘束、連行されたのは……リーバ自身であった。
それは悪夢そのもの。
リーバの脳裏に焼き付けられた惨劇の跡。
その後に行われた陰惨な拷問。彼の両目をえぐり出した刑吏達の顔、一方的な裁判。
でっち上げの証拠による死刑判決……。
“忘れてはいけない。”
“まだ生きているのは……その為。”
“……君達の所に行くのはまだ先になるよ。”
癒されぬ傷が疼く。この痛みを鎮める事が出来るのは事実のみ。
彼を陥れた人物を探り真相を突き止める事のみが、彼の癒されぬ傷に効く唯一の特効薬なのだと。
最初から、任務の事など頭にはなかった。
“姫が止めれば、姫を殺さん。”
“他の者が遮らば、……その者も。”
暗い情熱がリーバの胸に渦巻く。
記憶の中で学び取った魔術の断片がいくつも脳裏をよぎる。
それは印を結び口にするだけで、相手を確実に死に至らしめる凶悪な呪文の数々。
それを一つ一つ、頭の中で数え上げる。
その行為に没頭した。
待つのは慣れている。
部屋に集められた囚人達は、もう長い時間を待たされていた。
後一人、囚人が狩り出されるまで、その時間は続くはずだった。
喉の奥がいがらっぽい様な感じがして、クロガネは一つ咳をした。
ゲホン!
そのせいで目が覚めてしまった。
「くそ……あれ……?」
気が付けば銀の砂など何処にもない。
「……夢か?」
体を起こす。あっさりと起きられる。
右手を動かし、左手を動かす。故障なし。
立ち上がってみる。特に痛みもなし。異常なし。
ただ右腕の包帯が跡形もない事を除いては。
じくじくとにじみ出る血はもうすでに止まっていた。
「……何処までが夢で、」
「何処までが本当なんだ……?」
境目の判らない二つの夢なのかもしれない。
しかし、今いる場所は紛れもなく地下洞窟。
「とにかく……」
周囲を探る。いずれの向きも闇に覆われている。
「地上に出られる所を探そう……」
当てもなく歩き始めるクロガネ。
暗い洞窟の床に、点々とクロガネの足跡が光っている。
その足跡は銀色。
王宮の塔の先端、そこでマスクと呼ばれていた男が、庭を散策している。
しかし、その足取りはうつろ。
「何故……気持ちが沈む……」
思わず声に出して後悔した。
それは否応なしに、心の隅に引っかかっているものを思い浮かべさせた。
“……ガルレーズ様……”
ふと、誰かに呼ばれた様な気がした。
足が止まる。躊躇するより先に、身体が反射的に動いた。
誰もいない。
しかし、その声は耳の奥底に残っている。
その声はアシュレイ姫の声。
「未練……か?」
自らを嗤うマスク。笑みの漏れそうになる口を強引に押さえ込む。
その指にこつ、と当たる禍々しきマスク。
「昔の事……」
「この忌まわしきマスクを選ぶ以前の……」
それはもう死んでしまった自分。
滅んでしまった国の昔話。
今の自分は、仮面に圧殺された別の人格。
誰でもない男。マスク。
しかし、その声はいつまでも耳を離れない。
残響として。
草むらで何かが動く。
眼の端に動きを捉えると、意識するより速く、身体が必要な動きを想い出す。
次の瞬間には、右手のサーベルが、草むらを突き刺す!
と、同時に、宙に浮かび上がる影が一つ!
落下すると、地を転げ距離を取る。
テイクバックしてサーベルを構え直すマスク。
その視線の先に薄汚れた男が身体を低く身構えている。
その口にはダガーと呼ばれる短剣をくわえたまま。
その男には、……右腕がなかった。
「何者か?」
尊大に反り返った構えのまま、尋ねるマスク。
「聞くより先に、斬りかかって来るんじゃねェよ」
その男は口から外したダガーを左手に持ち替える。
四つん這いに構えているのはクロガネ。
対峙する二人。
噛み付く様な視線が互いの隙を油断無く探る。
「地下の独房より脱走した者がいた、と聞く」
「だとすれば?」
にやり、とクロガネの唇がひしゃげる。
「代わりに捕らえねばならぬ義理はない」
「が」
ひゅん、と音を鳴らし、サーベルの構えを変える。
より低く、実戦に即した構えに。
「今の私には、気晴らしが必要だ」
剣先からほとばしるのは紛れもない殺気。
「気取った理由だな」
へっ、と鼻で笑うクロガネ。
「素直じゃない証拠だぜ」
その仮面の下で密かに眉が歪んだ事など、クロガネには見えるはずもない。
「フ!」
唐突に一気に!踏み込んでくるマスク!
その切っ先をダガーで受けるクロガネ。
そのままダガーの刃先をマスクのサーベルに滑らせる!
マスクがサーベルを引くのと同時に、踏み込む!
サーベルの根本に刃先がこすれ火花が散る!
そのままかぶせる様にダガーを突き出すクロガネ!
とっさに身を沈み込ませるマスク。が、避けきれない!
クロガネのダガーの刃先はマスクのその仮面をかすり、弾かれる!
ダガーががりがりと音を立て、刃こぼれしていく。
バッ!と離れる二人。
「失礼」
息を整えたマスクが、今一度サーベルを構え直す。
「ハンデがあると思い、手心を加えてしまった」
その尊大な、見下す目線には一筋の曇りもない。
それは生まれついて人の上に立つ事が義務づけられていた人間のみが持つ冷酷さ。
「この右腕がちゃんとしてりゃ、……。
「もう終わってるよ」
半分しかない二の腕をぽん、と叩くクロガネ。
「次はMAXでいく」
二人の間に凍り付く様な殺気が交錯する。
気の押し合い。張りつめた空間。その視線の間では風も動きを止める。
ジリ、とその互いのつま先が間合いを詰める。
一気に弾けようとするその瞬間!
クロガネの背後で、草むらから立ち上がった近衛兵が棍棒を振り下ろす!
「?!」
とっさに振り返るものの、振り下ろされた棍棒を受け止めるには、クロガネの手の中の ダガーは小さすぎた。
逸らすのが精一杯。
次から次へと現れる近衛兵。
組織化されたその攻撃の総てを避けきる事は不可能だった。
右目をかすめた一撃を境に、同時に足と腹に棍棒が食い込む。
「ぐぅ!」
叩き附せられるクロガネ。地に這いつくばる。
その身体の上に先を争ってのしかかる近衛兵。
多勢に無勢。
マスクは目の前でつぶされていくクロガネの姿をじっと見つめている。
その瞳に映るのは哀れみでもなく快哉でもなく、……血の滾る瞬間を盗まれた不快感。
はけ口を失った殺気がかすかに無念、として残る。
「マスク殿。お手柄でございました!」
物陰からでっぷり太った男が現れる。
総て終わった後でないと動かない男。
肩から下げている派手な房飾りが近衛兵の隊長である事を誇示している。
「そんなつもりはなかった」
フィ、とそっぽを向くマスク。
この隊長とは何度か話をした事があった。
自分なら絶対に徴用しない種類の男だな、と言うのがその時のマスクのこの男に対する感想だった。
確か、謀略をよくする、と言ったような評判を取っている男。
「引っ立てろ! でも、殺すな!」
無理矢理拘束具に押し込められたクロガネが目の前を引きずられていく。
一瞬、目線が合う。
その瞳には笑みが浮かんでいた。
哀れむ様な笑み。
その意味がマスクの心に突き刺さる。
「おお、そうだ。お伝えする事が」
隊長が振り返る。
マスクはそのでっぷりした顔に思わずサーベルの切っ先を突きつけそうになる自分を自制した。
そうでなければ本当にやってしまっていただろう。
「マスク殿。王宮へお越しください」
全くそんなことに気が付かない無神経がこの隊長の持ち味だった。
平気で慇懃無礼である事にも気付かず、こびへつらう。
その顔を見てマスクはかすかに吐き気を感じた。
「ジャッド王より、お話があるとの事でございます」
「私は近づく事を禁じられていたはず」
吐き捨てる様な口調で告げると、背を向けて歩き去ろうとする。
その背中が、次の一言で硬直する。
「何でも、特別任務をご依頼したいと」
手にしたサーベルを思いっきり!地面に突き立てる。
「それは……」
振り返った顔が怒りで紅潮している。
「アシュレイ姫の件だな!」
王宮の間。引っ立てられてくるクロガネ。
そこには凡人王ジャッド、王族、黒幕グルード、などお歴々がずらりと並んでいる。
どさっ、と投げ出されるクロガネ。その目が近衛師団長スカルを捉える。
「スカル!」
憎々しげに、その右目でスカルを睨み付けるクロガネ。
「……久しいな」
冷酷な目。 にらみ合う二人。
その王宮の間にはクロガネの他にも、ムーセット、リゴーティ、ジョゼ、リーバが拘束 着のまま、床に放り出されている。
その周りに近衛師団の隊員が剣を構え、不慮の行動に備えている。
「ジャッド王」
スカルがつい、と進み出で、ジャッドに告げる。
「これで私がセレクトした護衛団のメンバーは全て揃いましてございます」
恭しく、ひざまずき報告するスカル。
「護衛団? どういう事だ?」
倒れているメンバーを見回すクロガネ。
その中にジョゼの姿を発見する。
「……ジョゼ?!」
「生きていたのか……?!」
「静かにしろ!!」
いきなり、クロガネが後ろにいた近衛師団の男に殴り飛ばされる。
床に倒れ伏すクロガネ。
「無礼であろう! 王の眼前で!!」
「よいよい。手荒な事はするな」
ジャッド王が鷹揚に言う。
ぼってりと小太りの王は見るからに底の浅そうな笑顔を浮かべ、近衛兵を制する。
凡人王と異名をとるゆえんだ。
「彼らは今日より死刑囚ではない。大事なアシュレイ護衛団の一員だ」
「諸君らは永く獄に繋がれていた身であるから知るまいが、」
スカルが説明し出す。
「今現在、我がアイズワッドは隣国のジャスガルと交戦中である」
「ジャスガルは大国だ。その戦力も絶大なものがある」
「状況は悪化の一途をたどっている」
「最低限の近衛兵だけを残し、全ての兵力、一般民間人までもそそぎ込んで何とか戦線を維持している状況にある」
「……」
クロガネを始め、床に倒れ伏す囚人達が耳を澄ます。
「この状況を打破するため、アイズワッドは大国マーメットと軍事同盟を結び、共にジャスガルの暴虐と戦う事を取り決めた」
「しかし、マーメットの王、デガルムの出した条件が……」
突然、宰相グルードが口を挟む。
そのよく通る低い声がイニシアチブを一瞬にしてかっさらう。
「皇女アシュレイ様を人質にと」
きっ、とグルードをにらみつけるスカル。
その刺す様なスカルの視線を涼しい顔で受け流すグルード。
「しかし、それには問題がある」
何事もなかった様に説明を続けるグルード。
「姫を送り届けるべきマーメットの地は遙か彼方。しかも、ジャスガルの地を一部通り抜けて行かねばならぬ」
「我が軍隊は、全力をジャスガルとの前線維持に注力している」
「人的余裕がないのだ」
「そこでだ!」
ジャッド王が割って入る。
「諸君らの手を借りるべきだと、スカル近衛師団団長の提案でな」
「スカルの……」
つぶやく、クロガネ。スカルの方を見る。
スカルは目を合わせようとはしない。
グルードは苦りきった表情浮かべ、凍る様な視線で死刑囚達を見下している。
総てに鈍感なジャッド王は相変わらずの軽薄さを含む声で続きを話し始める。
「無罪放免という条件と引き替えに……、」
「この任務、引き受けてもらいたい」
「いかがかの?」
「ジャッド王、断る者などございませんでしょう」
「断れば……あの地下牢に逆戻りするだけなのだから」
冷酷な瞳で死刑囚の面々を眺め回すグルード。
「それに私も参加しろと?」
物陰から突然現れるマスク。
その仮面から覗く瞳には隠し切れぬ怒りが静かに揺らめいている。
「死刑囚だらけのチームに混ざって、か?」
「い、いや……これはグルードの強い希望で」
マスク相手にしどろもどろになる凡人王ジャッド。
「確実に信頼できる者が一人、必要であります」
平然と答えるグルード。
その口調はあくまでも丁寧に。
「死刑囚なんぞを用いるならば、なおのこと」
「奴らを束ねるリーダーが必要になりまする」
ジャッドとは違い、グルードは、きわめて冷徹に事実を伝える口調でマスクに話しかけてくる。その事実は、この一国を担う者の実権は誰にあるのか、という事を如実に示していた。
「ふん」
しかし、それも鼻で笑いとばす。
彼の仮面に秘められた立場というものがそれを可能としていた。
死刑囚の面々を見やる。
「ろくでもない人選だな」
マスクは心の内を素直に吐き捨てた。




