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棄姫  作者: abso流斗
3/8

眼下の絶望






 城の塔のてっぺん。ここも独房になっている。

 その窓から遠くを眺めている男が一人。

 他の独房とはまったく違い、内装は豪華の一言。

 周到に不備を感じさせない様、細やかな神経を使ったと思われる室内装飾。

 厳選された調度品。その広さは近衛兵達が集合する為のホールとほぼ同じだけの面積を誇っている。 

 各部屋ごとには必ずテーブルが用意され、その上には色とりどり、様々な種類の果物が常に用意されている。

 それは、この部屋の主が手を付けようと付けまいと一定の時間ごとに交換される。

 常に新鮮なもので有るために。

 それはまるで、王族の私室。

 その主である本人もまた、柔らかく身を覆う上等なローブを身にまとっている。

 しかし、その顔には不気味なマスクが張り付いていた。

 悪鬼を模したかの様に禍々しい仮面が、その男の顔部上半分を覆っている。

 それは外す事は出来ない彼の宿命。

 そして彼自らが選び取った、閉じられた未来の象徴。


 その窓からの景色は惨憺たるモノだった。

 あちこちで火の手が上がり、煙が立ち上る。

 町は瓦礫と化し、人の居る気配はない。

 遠く水平線の方向には戦火の炎が空を赤く染めている。

「……ここまでか」

 つぶやく仮面の男。

 窓際においたスツールの上のタンブラーに、朱色の液体を注ぐ。

 酩酊をもたらすその液体は、もはや彼の生活の必需品となっていた。

 絶望を忘れさせ、持て余す長い長い時間をしのいでいく為の。

「ま、ここで朽ちるのも悪くない……さ」

 手にしたグラスをぐっ、と開ける。

 と、その時。ドアがノックされる。

「?」

 叩かれたドアを見つめる男。

 外から幾重にも封印された錠前をあわただしく外している音が聞こえてくる。

 投げ捨てる錠の床に当たる重々しい響きがドア越しに響く。

 いくつも。いくつも。

 ドアを開け、一人の刑吏が急ぎ足で中に入ってくる。

「失礼いたします!マスク殿!」

 事情を知らぬ輩にその名で呼ばれるのは、彼にとっては不愉快そのものだった。

 たとえ、やむを得ぬとしても。

 それ以外に過去を殺す方法がなかったのだとしても。

「何事だ?」

 その返事に我知らずとげとげしさが混ざる。

刑吏には目も向けず、空いたグラスに新たに酒を注ぐ。

「この囚われの身に緊急事態など無いはずだが」

「……戦況と、ジャッド王よりの伝言をお伝えいたします!」

 刑吏、直立不動の姿勢で、マスクと呼ばれた男に向かって言う。

「大国マーメットから特使が戻りまして、共にジャスガルと戦うと!」

「これで、戦況が変わります!」

 声を弾ませる刑吏。

「私には関係ない」

 素っ気なく言い放つマスク。

“そうだ……何の関係があるというのか……。”

 胸の内にある苦い思いを、飲み下す酒で洗う。

 それは喉の奥にこびりつき、まだまだ……洗い流せそうにもなかった。

「その際のマーメット側の条件というのが……」

「アシュレイ姫を人質として預かる、と」

 その名は聞きたくなかった。

 苦い思いがいっそう苦みを増す。

「姫を……!」

 ほう、と感心するマスク。

 表向き、刑吏に動揺を悟られる事の無いよう、努めて冷静に聞こえる声を選ぶ。

「その美貌で近隣に知られるアシュレイ姫を、ね」

 肩をすくめる。

「何の目的か、しれたモノだな」

 あざ笑うマスク。

「……しかし、それには問題が」

「……?」




 暗い独房の廊下を引き立てられていくクロガネ。

 両腕を屈強な刑吏にガッチリ押さえられている。

 引きずられて歩く、その足取りはもつれ、時々がくり、と倒れかかる。

「臭いな、しかし」

 クロガネの腕から顔を背ける刑吏。

「腐ってるぜ」

 その切断された右腕は黒く変色し、じくじくと生臭い汁を分泌している。

 その上、表面をなにやら白いものがうじうじと這っている。

 なるべく自分のシャツにそのねばねばした液が付かない様、右腕の先を遠ざけようとする刑吏。

「面白半分に引きちぎったのは、オマエらだろう」

「何の処置もせず放置しといたのもな」

 残った片目で刑吏をにらみつける。

 その視線にも全く動ぜす、せせら笑う刑吏達。 

「殺しちまうヤツに何の処置が必要なんだ?」

「死体になりゃ、腕があろうと無かろうと関係ねぇ」

「好き勝手に殺してもかまわねえ人間だったんだよ! オマエは!」

 サディストの集団であるこの地下独房の刑吏達に何を言っても無駄な事はクロガネ自身身をもって知っていた。

 世の中には心から楽しみながら、人の生爪を剥いだり、指先に釘を打ち付ける様な吐き気を催す人種がいるのだという事を。

「そうかい」

 クロガネ、唇の内側をがりっ、と噛みちぎる。

「そーだ、テメェの立場ってものを考えろ」

「このテロリスト野郎が」

 がつっ、と膝でクロガネの腹に蹴りを入れる。

「ぐっ!」

 かがみ込むクロガネ。 ガク、と膝が崩れる。

「……おいおい。マズいぜ。 傷を付けちゃ」

「“無傷で連れてこい” とのお達しだ」

 刑吏、切断されている方の腕を放し、かがみ込んでクロガネの顔をのぞき込む。

「起きろ、コラ!」

 髪をつかみ、顔を無理矢理起こす。

 その瞬間! クロガネの口から刑吏の目を狙って血が噴き出される!

 口の中を切って、その口の中に溜まった血を吹き出したのだ。

「ぐわっ!!」

 目を潰され、のけぞる刑吏。

 クロガネ、素早く!立ち上がり、左手でもう一人の刑吏を殴りつける。

 ふらついていた足は、ただの演技。

「ぐっ!!」

 倒れる刑吏。さらに顎の先端につま先をぶち込む!

 刑吏の顔がぶるん、と左右に大きく揺れ、その意識を断ち切る。

 顔中をクロガネの血で赤く染めた刑吏が起きあがってくる。

 その顔の真ん中を、半分しかない右腕を水平に叩きつける!

「がぁっ!」

 呻き、それでもクロガネを捕らえようと腕をつきのばし探る。

 その腕を左手で取り、刑吏の後頭部に膝裏をかける。

 そのまま、体重を乗せ、床に身を落とす!

 後頭部を固められた刑吏の額が床に激突し、ぐしゃ!という湿った音を立てる。

 完全に動かなくなった刑吏達の懐を探り、必要なものを抜き取る。

 獲物は鍵束と短剣しかなかった。

 走り出す!!

 その先にはわずかな光のみが映し出されていた。




 王宮の奥。王妃の間は悲嘆の声に満ち満ちていた。

 王妃、ビセーと王女お付きの侍従サリーが旅立ちの準備をしている。

「輿に乗っての旅路、というわけには行かないものでしょうね……」

 ため息をつくビセー。

 侍従サリーの表情も悲しげに曇る。

 総ての女性達の顔に浮かぶ憂いは、明るい装飾で彩られたその部屋の空気を暗く重々しいものに変じてしまっていた。

 しかし、一人だけ憂いを見せぬ少女がいた。

「大丈夫ですわ。お母様」

 その中央に立っているのは皇女アシュレイ。

 その相貌は明るく輝き、部屋を照らす唯一の明かりの様。

 過酷で困難であろうと予想される旅の前であるにもかかわらず、その曇りのない瞳は、生まれついての高貴さというものがこの少女には確かにあるのだ、と周りの誰にも思わせる何かを秘めていた。

 長い栗色の髪を後ろで軽く束ね、柔らかく盛り上がる胸を得意げに反らす。

「わたくし、乗馬は得意ですから」

 にっこりと微笑むアシュレイ。

「そんなに悲しい顔なさらないで……」

 ビセーの手を取るアシュレイ。

 そのビセーの顔は泣き疲れ、やつれている。

「必ず」

 アシュレイは今の自分に出来るだけの力強さを声に込め、母親ビセーに告げる。

「必ず、また戻って参ります。ね」

 その母親の目に今までこらえていたものがあふれ出す。

「アシュレイ……」

 泣き伏すビセー。

「姫様……」

 侍従も泣き出してしまう。

「……助けが必要だとはいえ、なぜ、あなたが……」

 母親としての無力さに、身を切られる思いがビセーの心に渦巻いていた。

 何故、何故……と何度問いただしても。

 その答えは出ない。

「もうおっしゃらないで」

「これも王家の者のつとめ。それでこのアイズワッドが助かるならば」

「わたくしは満足です」

 立ち上がるアシュレイ。

 その身に王族として生まれた誇りを充溢させて。

 ノブレスオブリージェ。

 アシュレイはその言葉の意味を自ら噛みしめていた。

 それが、当然の義務であるという事も。

「でも、道中何かがあったら……」

 アシュレイと同じ年代の侍従サリーの声も涙で曇っている。

「マーメットの地は遙か彼方。その上、戦場を抜けて行かねばなりません」

「殺気立っている兵士達の間を!」

「彼らがどんな暴挙に出るかと思うと……」

 不安は尽きない。

 侍従サリーの涙混じりの声は、もはや泣き疲れた様にかすれていた。

 その声を遮る様に柔らかく話しかけるアシュレイ。

「お父様がおっしゃってましたわ」

「道中は強力な護衛団を付けてくださるって」

「その言葉を信じましょう」

「それと、……神のご加護がアイズワットにもたらされます様に」

「だからもう、心配しないで。ね。サリー」

 この乳飲み子の時からの長いつき合いの侍従の肩に手を置くアシュレイ。

 それでも別れは身を切る様に辛い。

 共に、育ってきたのだから。

「姫さま……」

 乳飲み姉妹であり、一番の側近であり、親友でもあった少女の涙はまだまだ尽きそうにもなかった。


 その時、部屋の奥で悲鳴が上がる。

「何事……!」

「?!」   

 アシュレイの背後のカーテンをかき分けて現れたのはクロガネ!!

 素早く、アシュレイの首に切断されている右手を回し押さえ込む!

「?!」

 唐突な事態にアシュレイも反応しきれていない。

 その当てずっぽに捕らえた人質を眺めるクロガネ。

「……これはこれは」

 クロガネ、自分が押さえ込んだ女の子が誰なのかに気付く。

 その喉元に途中で奪った短刀を突きつける!

「何者!!」

 懐から短刀を取り出し、構える侍従サリー。

 しかし、部屋にいるのは王妃付きの女性だけ。

 唯一の武器は、逆手に構えるサリーの短刀のみ。

「無礼な!!」

 ビセーも叫ぶ!


「自己紹介をしようか?」

不敵に笑うクロガネ。

「脱走中の死刑囚さ」 

「一年ほど前、あんたらカルメット王家一族の暗殺計画があった」

「その計画に失敗したテロリストのなれの果て、ってとこだ」

「まぁ……!」

 そんな事があったなんて、王妃の立場では何も耳に入ってきてはいなかった。

「王妃ビセー! 皇女アシュレイは借りてくぜ」

 ビセーを指さすクロガネ。

「我々の名を……!」

「ターゲットの顔ぐらいは調べとくさ」


「……聞きたいことがあります!」

 アシュレイ、短刀を突きつけられているにもかかわらず、毅然としてクロガネに問いかける。

 その瞳はまっすぐクロガネを見つめていた。

 その澄んだ輝きに耐えきれず、目をそらすクロガネ。

「……心配するな。無事脱出できれば……命まではとらない」

「今更、オマエ一人を殺しても……」 

「そんなことを聞いているのではありません!」

 びしり、と言いきるアシュレイ。

「なぜ!こんなになるまで、この傷を放って置いたのですか!!」

 目の前のクロガネの腕を見つめるアシュレイ。

 ちょっと怒っている。

「え……」

 意表を突かれて、とまどうクロガネ。

「サリー!」

 侍従の女の子を呼ぶ。

「は、はい!」

「消毒液と清潔な布を!」


「突きつけたままでも結構ですわ」

 アシュレイが短刀の先を見つめながら言う。

 目の玉が寄って愛らしい表情。

 表情がつい、ゆるんでしまいそうになる自分に気付くクロガネ。

 ぶるぶると顔を振ると、元通り、冷酷な元テロリストの表情が甦る。

 それでも、短刀を引っ込め、腰のホルスターへ差し込む。

 手元に届いた消毒液で、傷口の治療を始めるアシュレイ。

「……」

 クロガネ、無言のまま、傷口を任せている。

「……ひどい傷」

「完全に……壊死している」

「……潰されてから、引きちぎられた」

「それから半年、そのまま、だ」

 かすかな痛みに顔をゆがめ、つぶやく。 

「なんて……ひどい」

 一心に治療しているアシュレイ。

 冷たい声でそのアシュレイに告げるクロガネ。

「それが、この城の地下房の現実だ」

 アシュレイの動きが止まる。

 逡巡がその柔らかい表情を曇らせる。

 が、ぷるぷると首を振り、クロガネの治療に神経を集中させる。


「素人の治療ですけど!」

 包帯を巻くアシュレイ。一所懸命。

「何もしないよりましなはずですわ」

 包帯が巻きあがる。ぼってりと。

「お名前をお教えください」

 アシュレイが何気なく尋ねる。

「クロガネ……クロガネでいい」

 呆気にとられ、ペースを握られ、異様にぐるぐる巻きにされて盛り上がった自分の腕をぼーっと見るクロガネ。


「さ、まいりましょうか。クロガネ様」

 さっきのポジションに自分から入るアシュレイ。

 自分でクロガネの腕を首に巻き付ける。

「え……?!」

 自ら胸の中に飛び込んできたアシュレイにとまどうクロガネ。

「ここにはお医者様はいませんわ。城の外まで参りましょう」

 ぐいぐいと自分の首に回した腕を引っ張っていく。

 案外、強引だった。

「ち、ちょっと待て!」

 逆に振り回されているクロガネ。

「王家の暗殺を謀った咎で、死刑囚になったのですか……?」

 くるり、と振り返るアシュレイ。

「そ、そうだな」

「でも、私どもは誰も暗殺などされておりませんわ」

 にっこり、と微笑む。

「ただ、目の前にこんなひどい傷があるのなら……」

「なおしてさしあげたい、と思うのは自然な事ではないでしょうか?」

 真剣な眼差しで、クロガネを見つめるアシュレイ。

 その曇り無き眼。

 その真っ直ぐな視線がクロガネの胸を刺す。


 見つめ合う二人。

 先に目を離したのは……クロガネ。 邪気無き瞳がクロガネの傷を疼かせる。

 バッ!とアシュレイを離すクロガネ。

「……やめた」

「?!」

 小首を傾げるアシュレイ。

「毒気が抜けた……」

 がりがりと頭をかく。

「アンタといると、自分が悪人だって事、忘れそうになる」

「……」

 無言で不思議そうな顔でクロガネを見つめるアシュレイ。

 身を翻し、出ていくクロガネ。

「じゃあな」

「あの! 何処へ?!」

 出口前でくるり、と振り返るクロガネ。

「人が良いにもほどがあるぜ」

 アシュレイを指さし、言う。

 捨てぜりふを残し、姿を消す。

 アシュレイとビセーは、ただ黙って見送るより他はなかった。








まだまだ続きます。

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