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棄姫  作者: abso流斗
2/8

地獄の中からの旅立ち






 もう何日目かなんて数えるのをやめてからどれだけ経ったのだろう。

 完全に無音の空間に、カ、カカン!と石を打ち合わせる音が響く。

 闇の中にうずくまる長髪の男が打ち鳴らす石の音だけが、この独房内で生きて躍動している。

 反響する音のタイミングに合わせ、巧妙なリズムを奏でる石のスティック。

 叩く場所によって微妙にピッチが変わる。

 その場所場所を叩きわける事によって、その打撃音は脈動感を持つ一つの音楽となっている。

 そのリズムの中に、別のリズムが混ざる。

 研ぎ澄ましていた男の耳にのみ聞き分けられる、リズムの乱れ。

 スティックを握る手が止まる。

 闇の彼方から聞こえてくるのは、靴底のみが持つテンポ。

 そのリズムは力強く迫ってくる。徐々に強く。

 その合間に金属片の擦れ合うしゃらしゃらとした音が、靴音のビートを彩る。

 そして不意に止まる。

 仕上げに鍵がはずれる音。蝶番がきしむ音。

 フィニッシュ。


「オーディエンスが来るとは思わなかったネ」

 地べたに座り込んだままの長髪の男の声が独房内に響く。

「カンカンうるさかったわよ」

「そりゃ、失礼」

「なんせ、音だけしかない世界に長く住んでるもんでね」

「これしか楽しみがなかったんだ」

 再び、長髪の男の両腕が動き出す。

 二本の石のスティックが打ち鳴らされる。

「ストップ!!!」 

 狭い独房内で反響し充満する音に耳をふさぐ女。

「楽しんでいたから、生き延びられた」

 男の両手は止まらない。

 なおも闇を埋め尽くすビート。

「楽しむ事の出来ない連中は……」

「刑を待たずに死んでいった」

 カカッ!と唐突に、男の両手が止まる。

「結構、重要な事なんだぜ」


「十分楽しんでいる様ね」

「じゃ、一生ここにいる?」

「そーいう事になっている……ハズだが」

「昨日まではね」

 一枚の紙を男の前に差し出す。

「こう暗くちゃ見えやしない」

 薄笑いを浮かべる長髪の男。

「貴方を釈放します」

「……マジかよ?」

「軽いのね。反応が!」

「あの、調書の凶悪な罪状と、目の前の貴方はどうも一致しずらいわ」

「貴方……本当に、ガスト ローダン リゴーティなの?」

 女は疑わしげにリゴーティを見つめる。

「そうであって、そうではない」

 立ち上がるリゴーティと呼ばれた男。

 そのチェシャ猫の様な笑みだけが暗闇の中、浮かび上がる。

「房を間違えたかと思ったわ」

 リゴーティが素直に差し出す手鎖を外していく。

「さ、行こうか」

 一言、そう言ってのけると、すたすたと先に立って歩き出す。

「ちょっと! 少しは質問とか! 疑うとかしないの?!」

 後から追いかける様に、女が叫ぶ。

「どっちでもいいさぁ」

 へろっ、と舌を出すとそのまま歩き去っていく。

「早くうまいもんでも食べたいね」

 待ち受けている銃口も意に介せず、近づいていく。

「まず、先に風呂だな」

 居並ぶ銃口のすぐ前で、くるりと向き直り女に言う。

 その顔は薄汚れてはいたが、妖しい魅力を秘めていた。

 整った顔立ちに光る二つの眼が、吸い込む様な印象を持たせるのだ。

 結婚詐欺師で、ここに入ったのかしら。

 女には、そうとしか思えなかったが。

 その女に向かって気障な口振りで話しかけるリゴーティ。

「ハーブはたっぷり入れてくれ」

「ラベンダーをリクエストするよ」

 気に障ると書いてキザと読む。

 銃口の前で女を待っているリゴーティのその胸に、追いついてきた女が拘束具を押しつける。

 かすかな不快感が感情の上にささくれを立たせる。

「風呂の後でもいいだろ?」

「銃口に囲まれて全裸になりたいんでしたら、それでもいいわよ」

 ハハハ、と上を見上げ笑う。

 その余裕はとても死刑囚のものではない。

「止めとくよ」

 にやにやと女を眺めながら、拘束具に袖を通していく。

「こう見えても、プロのダンサーだからね」

「タダじゃ、脱がないぜ」

 ウインク。

「その趣味の兵隊さんには目のドクだしね」

 くなり、と腰を揺らすリゴーティ。

 眼が点になる女。

「……そっちのヒトだったのね」

 つぶやく女。

 拘束具を着終わったリゴーティと並んで銃口の合間を歩いていく。

 品行方正を持って学生時代を過ごしたその女は、その経歴にふさわしい言葉を吐き捨てた。


「あんたとは仲良くなれそうにもないわね」



 彼はそこにいた。

 そして、そこにはいなかった。

 眼球を抜き取られ落ちくぼんだ眼を硬く閉じ、壁に貼り付けられている肉体の中から抜け出で、思索の世界に存在していた。

 総ての感覚を一つづつ、磨き抜いていく事。

 それが、彼の卓越した頭脳がここ数年間、没頭している作業の総てだった。

 ただ一つ、視覚という感覚を除いて。

 闇無くとも闇、その直中にあって、彼は記憶の中の書籍のページをめくり、深層心理に沈み込んだ事柄を一つ一つ拾い上げ、思索を重ねる。

 もうどれくらいそんな作業を重ねたか。

 密閉された牢獄の中、一人彼はつぶやく。

「……風が来る」

 小さくつぶやくと、その相貌を上げる。

 それはまだ感じ得ぬはずのものだった。


 衣服を通した微少な熱が岩肌を暖め、彼の頬を暖めるのを感じ、小さなかかとが震わせる岩盤の微細な振動が牢獄の空気を揺らすのを感じる。

「灯火を消す風では……無い」

「燃え上がらせる風……だ」


 女がその扉を開けた時、もう準備は終わっていた。

「さあ……行こうか」

 何処に隠していたのか、ロングローブに身を包み、立ち上がる盲目の男。

「プロフェッサー……」

 絶句する女。

「手鎖は……どうやって?」

「人体の構造について、もう少し、該博な知識が必要だったな」

 にっこりとほほえむプロフェッサーと呼ばれた男。

 しかし、その落ちくぼんだ眼だけは笑みを見せようとはしない。

「そして、時間も十分にあった」

「では、脱出計画を……」

「成功率は20%、と言うレベルを脱し得なかったがね」

 漆黒の暗闇の中をすたすたと歩き、女の所へ来る。

「武器も持たず入ってきたのなら……」

「君も棄てゴマ、という所かな?」

「プロフェッサー、リーバ……」

 リーバと呼ばれた盲目の男が、女の肩を優しく叩く。

「貴女の名前を覚えておこう」

「……マーセル。マーセル グラスウェアです」

「プロフェッサーの講義を受けさせていただいた事が何度か」

「古代魔術の応用とその復活という講義に……感銘を受けました……」

 そのマーセルの瞳に、死刑囚に対するものとはとても思えない尊敬と思慕の色がが浮かぶ。

「そうだったのか」

「この目が見えれば……」

「思い出せるかもしれなかったのにな」

「残念だ」

 にっこりと笑うリーバ。

「そんな……」

 痛ましげにその元大学教授を見上げるマーセル。

「君が死刑執行の為に来たわけではない事は予測が付く」

「……私も君と同じ道を歩く事になるのだろう」

「はい……」

 うつむくマーセル。その固く食いしばった唇から繰り言が漏れる。

「何故……この様な事に」

 固く握りしめられた拳が細かく震える。

 たとえ、見えずともリーバにはその感情が痛いほど伝わっていた。

「過去はどうでもいい」

「やらねばならぬ事があるのだから」

「理想だけを見て進む事も……時には必要となる」

「君にとっての理想の成就」

「私の宿業……悲願の達成」

「それは、動き続ける中でのみ得られる成果だ」

 その声は大学教授時代から、変わらず生徒に安堵感と力強さを与えてきていた当時のままだった。

 懐かしさに思わずマーセルの胸に郷愁がよみがえる。

 それと共に、その後の悲劇も。

「君は知っているか?」

「……?」

「涙は潮騒の香りがする」

 慌てて、その目に浮かんだ涙を拭うマーセル。

「さあ。先導してくれ」

「硝煙の臭いがする方へ」

「はい」 

 先に立ってマーセルは歩き始める。


「銃口は五つ、という所かな」

 通路に出てまもなく、リーバがつぶやく。

「何故……判るのですか?」

 驚きを隠せないマーセル。

 それは未だ闇の彼方にうっすらと見え隠れしている。

 が、この牢獄にマーセルが入ってきた時の記憶と一致していた。

「漆黒の闇の中で出来る事は、感覚を研ぎ澄ます事」

「ただそれだけを……気が狂うほど繰り返してきたのだ」

 再びマーセルの眉が歪む。

 そのリーバの受けていた拷問を憂い、その苛烈な運命に思いを馳せる。

「……失礼します」

 リーバに拘束具を着せていく。

 何とか声を震わさずに言えた様な気がする。

 なすがままに任せているリーバ。

 口にしようとはしなかった。

 元教え子の声音に、感じ取るものがあったとしても。

「終わりました。プロフェッサー」

「……では、行こうか」 

 静かに歩き出すリーバ。その足取りは確かにわずかな光の方に向く。

「あの銃口の先に」

 その盲目の瞳は、未だ形とならぬ未来を見つめている。

「旅の始まりがある」




 また、別の独房の入り口。

 奥まった洞窟の奥。そのさらに奥。

 刑吏が何人か。その周りに近衛師団の者が何人か詰めている。

「ここのヤツぁ、ヤバいぜ」

 刑吏が近衛師団の人間に説明している。

「俺だったら、100億積まれたって中に入る気になんかなれねーな」

 独房の鍵を開けながら、言う刑吏。

 その鍵の数たるや、尋常ではない。

 鍵束一つを使い切るほどの錠で厳重に閉じられている上、刑吏二人がかりで持ち上げる横棒などで封印されていた。

 まるで開ける事など二度とない、といわんばかりの周到さで。

「心配するな。中に入るのは我々だけだ」

 師団の隊長が言う。

 その間も刑吏達は黙々と鎖を外し、梁を外し片ずけていく。

やっと現れた扉もまた錠前で固められている。

 それを一つ一つ外していく。

 隊員達の間に言いしれぬ緊張感が高まっていく。

 一つ外すごとに、床にごとり、と投げ捨てられる錠前の重々しい音が、その中の住人の事を……その凶悪さを暗示している。

 やがて、がちゃり、と鍵が開く。

 最後の錠が……外される。

「下がってろ!」

 刑吏を突き飛ばす師団隊員。

 それを合図に、そそくさと逃げ出していく刑吏達。

「第一列構え!!」

 隊長が一声叫ぶ! 隊員達が一斉に警棒を抜く!

「少しでも妙な動きを見せたら、容赦なく叩き伏せろ!」

「だがしかし、殺すな!!」

「出来うる限り!生かしたまま連れ出す!」

「ヤー!」

 隊員達が一斉に返事をする。

 その背中に冷たい汗が伝う。

「第二列!!」

二列目の隊員達が抜刀する。

「第一列がコントロール不可能になったら、……斬れ!」

「襲われている奴ごと、串刺しにしてでも息の根を止めろ!!」

「少しでも躊躇すれば!全員の命がない! いいか!」

「ヤー!」

 隊員達が一斉に緊張感を高める。

 その場の張りつめた空気も温度を下げたかのごとく。

 誰かが、つばを飲み込む音までが、暗い洞窟にひっそりと響く。

 第一列の中の新人隊員が、古参の隊員に小声で話しかける。

「そんなに……危険なんですか?」

 まだ隊に昇格して間もない若い隊員は、そのまだ無邪気さを残す瞳を向けてくる。

 この人選は失敗かもしれない、と古参の隊員は思っていた。

“修羅場くぐらすにも……生き残れなければ。”

「オマエは……奴の逮捕に立ち会ってなかったっけな」

 古参隊員はすでに汗だくになっている。

 忌まわしい過去の記憶が、押さえようもなく身体を震わせている。

 声を震わしているのを悟られない様に返答するのがやっとだった。

「ヤツを捕らえるのに、何人の隊員が死んだか……」

「……」

 顔色が変わる新人隊員。

“……そこまで。”

 この経験豊富な“戦士”とも呼ぶべき隊員がここまで緊張している。

 腰のサーベルの柄を握る手に汗がにじんでくる。

「油断するな」

 古参隊員がささやく。

 その声音に潜む、純粋な恐怖。


「ヤツは化け物だ」



「突入!!」

 隊長の号令一下!

 隊員達が独房の中になだれ込んでいく。

 新人隊員も中に駆け込んでいく。

 不安が、他の隊員との距離をつめさせる。

 ひとかたまりとなり、突入していく隊員達。

 そこにいたのは……。

 力無く横たわる少年。

 見た目は全くの少年だった。どう見たって、10才ほどにしか見えなかった。

 普通なら、無邪気に表を走り回っていそうな年頃。

 普通なら。

 生きているのか死んでいるのか、耳を鳴らす靴音にも殺気だった気配にも全く反応を示そうともしない。

「……二度とオマエの顔、見たくなかったぜ」 

 古参隊員が呟く。

「ジョゼ…………」


 拘束具をしていないのは、二度と此処から出す予定がない事を意味していた。

 この様な事態が全くの予想範囲以外であることも。

 その手足には緩く手錠、足錠がかけられている。

 そして、その手錠、足錠は壁に鎖でつながれている。

「……こんな年若い……?!」

 新人隊員がつぶやく。

 その少年の周りを警棒と剣を構えながら取り囲む隊員達。

 全員が、緊張しきっている。が、横たわる少年はぴくりとも動かない。

 目を見開いたまま、どこかこの世ならぬ所を見つめている。

「……拘束しろ。 ゆっくり動け」

 無言でうなずき、そっとジョゼと呼ばれた少年に近づく新人隊員。

「……この少年が……化け物……?」

 つぶやき、その手をそっとつかみ、後ろ手に拘束しようとする。

 その時、第二列の隊員達の構えた剣が緊張のあまり震え、かちゃり、と触れあう。

 しゃらっ、かすかな音。

「……!!」

 古参隊員が、ばっ、と振り返る。

 が、もう遅い。

 ジョゼの瞳の奥底に……チリッ、と火花が走る。

 “スイッチ”が入る!!

 瞬速のスピードで立ち上がったジョゼ! 

 一瞬にして!周りを取り囲む三人の隊員の咽喉を掻き切る!!

 断末魔の叫びをあげて倒れる三人。

「第二列!!」

 後方に下がりながら、隊長が叫ぶ!!

 二列目が剣を構え、体を前に倒し込む様に突っ込む!!

「ぐわっっっ!!」 

 第一列の隊員にも容赦なく、二列目の剣が突き刺さっていく!!

 倒れ込む一列目の隊員達。

 その重なり倒れ伏した体の下から!ジョゼが無傷のまま!飛び出してくる!

 ジョゼが通り過ぎる。ただそれだけに見える。

 しかし、その両サイドで血飛沫が舞い、近衛兵の悲鳴がこだまする。

 その指先が隊長の喉元に向かう!!

 が! 寸前で、その手の鎖がピン!と伸び、隊長の喉元ぎりぎりで止まる。

 その背後から、何とか立ち上がった古参隊員が思いっきり殴り倒す。

 後頭部を強打され、床に叩きつけられるジョゼ。

 その首の裏と手を踏みつけて押さえる。

 何とか生き残った隊員達も先を争って押さえつける!

「……このクソが!!」

 古参隊員が剣を抜き、その後頭部をめがけサーベルを突き刺そうとする!

「よせ!」

 隊長が止めにはいる。

「……!」

 古参隊員の動きが止まる。

「体を調べろ!」

「この部屋には武器になるようなモノは何もないはずだ……」

「なぜ止める! こいつは殺してやった方が幸せなんだ!!」

 古参隊員が叫ぶ!

「隊長! わかりました!」

 別の隊員がジョゼの手をつかみあげ叫ぶ。

「爪です! 恐ろしく鋭く研ぎ澄まされてます!!」

 その指先の爪は長く鋭い。

 その爪で一瞬のうちに三人の隊員を屠ったのだ。

「床にこすりつけて、研いでいたのか……」

 驚愕する隊長。

「見ただろ! こいつはこんなコトしか出来ねぇんだ!!」

「人を殺す事しか知らねぇし、考えられねぇんだ!!」

 叫ぶ古参隊員。

「殺してやった方が! こいつの為なんだ!」

 古参隊員、剣を構え、ジョゼの首裏に狙いを定める!

「止めろ!」

 隊長が叫ぶ!

 周りの隊員も止めに入る。

「……それは、我々の任ではない」

 歯を食いしばり呻く隊長。

「引っ立てろ」

 ちらり、と倒れている隊員達を見やる隊長。

 死亡者6人。重傷者8人。一瞬のうちに甚大な損害。

 先ほどの新人隊員も……その喉を掻ききられ、絶命。

 無惨な姿を独房の床に横たえている。

 それは、この僅か10才ほどにしか見えない少年には付き物の光景だった。

「……ヤツを……釈放する」

 吐き捨てる隊長。



 ガチガチに拘束具で固められ引き立てられていくジョゼ。

 その瞳は再び生気を失っている。口の端から血。

 殴られて青あざだらけになっているその顔。

 その冷え切った唇がつぶやく。

「……まま……」










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