終炎 そして遙かなる空
「……終わったか」
いつの間にか醜悪な仮面の男が背後にいた。その全身は返り血にまみれきり、軽く上気していたが、以前のような殺気は消え去っていた。
だが、あの王宮にいる時のような濁った感じはかき消え、鮮やかに戦場の野に立ち尽くす。その姿は返り血でまみれていても、いや血塗れであるからこそエレガントでさえあった。
刀剣のような澄んだ優美に包まれていた。
「何なのだ……その右腕は?」
すらりと手の刀を鞘に収め、胡散臭げに見つめてくる。
改めて気付いたように自らの右腕を見つめる。
その生々しく直接腕から生えた銀の剣はべっとりと鮮血にまみれている。
慌てて左目を見られない様、左に身をひねった。
その問いかけの答えは、クロガネ自身も持ってはいない。
無言のまま、その問いかけに背を向けると、近くに倒れている近衛師団の死体に近づく。
「……」
そこに倒れているのは自分。のように見えた。あのままの道を進めば。あのことを知りさえしなければ。
正しい誇りを胸に、闘い倒れた自分。武人として満悦の死。
そんな人生でもよかったな。
クロガネは胸の奥で呟いた。
その死体の胸からエンブレムをはぎ取る。
何故、今此処にいるのか、そしてこれから……。
そのエンブレムを胸のポケットにしまい込む。
後でこれで左目を……。
ふと、気付くといつの間にか、右腕の銀の剣は跡形もなく消え失せていた。
そこにはちぎり切り取られた右腕が無惨な後を晒しているだけ。
こっちは……包帯でも巻いて、隠すとするか。
クロガネは右腕を見つめ、もう一つ溜息を吐き、頭をくらくらと振った。
そして、まだ生きている雑兵に近づく。
「……姫がここにいると教えたのは誰だ?」
もう怯えきっていた敵兵は俯せに這い、ずりずりと逃れようとする。ひっ、ひぃ…………と、か細く喘ぎ、恐怖に満ち満ちた目でクロガネを見上げてくる。
それを足でごろん、とコロがし、その喉元に左手に拾い上げた誰のとも知れぬ剣を突きつけた。
見るからに下っ端のその男は、一つ大きく唾を飲み、慌てたように応えた。
「……よくは知らん。ただ、アイズワッドから情報が入った、と……」
知ることは総て話そうと思い決めたような目だった。それで幾分かの慈悲を乞おう、と言う算段なのだろう。であるなら信用は出来そうか。
「……相当確実性の高い情報だと……」」
「グルード……という名を聞かなかったか?」
いつの間にか肩を並べていたマスクが口を挟む。
「! そ、そーだ! そんな名を隊長が口にしていた!」
気配を感じ、振り返るクロガネ。そこにはアシュレイが。
その言葉はアシュレイの耳にも届いてしまっていた。
アシュレイの顔が青ざめていた。
「グルードが……」
「ま、予想はしてたが、な」
下っ端の腕をつかみ、無理矢理立たせるクロガネ。
「いーか。 オマエは死んだ」
「へ?」
「死んだんだ。この戦場でな」
バシッ!と背中を叩く。
「!」
「戦なんかやめて、ウチに帰れ」
「ハ、ハイ!」
弾かれる様に駆け出していく雑兵。
森の中に駆け込む手前でくるりと振り返り、ペコ、と頭を下げ、そのまま消えていく。
ため息と共に見送るクロガネ。
それを見つめているアシュレイ。
“クロガネ様……。”
強い風がそのアシュレイの小さなつぶやきをかき消し、いずこへか運んでいった。
その姿を見、醜い仮面の男はひっそりと離れていく。踏み出す足は重く、行方に当てなどは無かったが。
ただここには居たくない、と言う淡い思いだけ抱いて、砂岩の転がる荒れた丘陵を降り下っていった。
振り向きもせず、ただ下り降りた先に、髪の長い長身の男がいた。盲目の男はマスクとすれ違う方向に進んでくる。
慮って道を空けたが、既に彼がいるのを判っているように、相対して足を止めた。まるで見えているかのようだった。
その一文字に引き締まった唇から投げかけられる言葉は真っ直ぐ仮面の男に向かってきた。
「一度、お会いした事がございますね」
「ガルレーズ様」
驚愕に心の蔵もびくりと跳ね上がった。と同時に紅い感情も湧き上がる。思わず手が腰の刀の柄に伸びた。
「言うな」
「その名を二度と口にするなよ。プロフェッサー・リーバ」
「言わば……斬る」
その眼孔に殺気をにじませてリーバを見つめるマスク=ガルレーズ。
「あの人にだけは……知られるわけには行かない」
旧神聖アイズワッドの後継者である王子ガルレーズの死体が見つからないという噂については、リーバも耳にしていた。
まさか、この様な形で生き残っておられたとは……。
醜悪な仮面で貌を隠し、薬品で声を変じてもその体臭は変えるわけには行かなかった。
リーバの超感覚はその事を鋭く突き止めていた。
「その者はもう、この世にいないのだから」
「では……神聖アイズワッド復興という夢は……」
「夢……? そんなもの夢でも何でもない!」
「この現状を見ろ! リーバ!」
「いつまで血を流し続ければ終わるのだ?」
「運命の神はいつまで、罪なき者の血をすすり続けるのだ!!」
「……何の為に……?」
彼自身ももう一度反乱軍を指揮し、国を復興しようと言う気は完全に失せていた。
彼らを滅ぼした連中もまた、大国によって攻められ、滅亡の淵にある。
いつまでこの血なまぐさい争いを続ければよいのか……。
あと、どれだけ血を流せば、この地は平穏になるのか……。
彼は無常感にとらわれていた。
「もう一度神聖アイズワッドを復興させる動きがあるとは聞いている」
「しかし……それが何になる」
自分がこのマスクを外せば、彼らは武装蜂起を画策するだろう。
ガルレーズ王子こそ正当な後継者であるとして。
しかし、それは無用な血を流す事としか……マスク=ガルレーズには思えなかった。
「復讐など……無益以外の何物でもない」
「失われた者が、還ってくるとでもいうのなら……」
瞑目するマスク=ガルレーズ。
「その決意でありますなら……」
「正体が明かされることはないでしょう」
「たとえ誰と同行しても」
はっ、としてリーバに向き直るマスク。
リーバはそれ以上口にしようとはしなかった。
それでも……復讐は為されなければいけないとは。
胸の内に固く熱くわだかまる物を抱えて生きていく事。
それはガルレーズには出来ても、リーバには出来そうにはなかった。
真実への探求、失われた家族の復権。
誰であれ、あんなに無惨に殺されなければいけない理由など持たない。
しかも、それを指揮した者は未だ自由を謳歌している。
その事実に耐えられるわけがない。
胸の内に凶悪な衝動が渦巻く。
それは決して顔に出るものではなかったが。
「私は此処を離れましょう」
「総てはこの胸の内に秘めたまま……」
マスク=ガルレーズにそう声をかけ、静かに振り向くと歩き始める。
ガルレーズがその正体を一番知られたくない人物。
ガルレース王子の元婚約者、アシュレイ姫と顔を合わせるつもりはなかった。
立ちすくみ、リーバが残していった言葉を噛みしめるマスク。
その鋭い指摘は、迷いを断つ契機……となった。
マスクとは今誰なのか。
気付いた。
その後となっては、迷いは恥ずべきものでしかなかった。
苦笑するマスク。
いずれ苦しい道には違いない、な。
高台に一人、たたずんでいるマーセル。
戦い終えて、平穏な時が戻る。 が、もう傍らにクーランはいない。
流れる雲を見上げ、つぶやく。
「……唱えちゃおうかな……」
うつろな目でつぶやく。
「あの……呪文」
その指先が体中に彫り込まれたグルードの爪跡をなぞる。
もう、消すことが出来ない紋章。 忌むべき使命、その証明。
逃れられず、剥がす事もならず。
そして、……ゆくべき場所も失った。
唱え始めるマーセル。
自らを跡形もなく消し去り、総てを終わらせるその呪文を。
「……マーセル?」
その背後に現れるアシュレイが小さく声を掛けた。
「?!」
その声に気付き振り返る。
もうこれ以上、犠牲者は出したくない!
「来ないで!」
叫ぶマーセル!
「もうやなの! ぜんぶ、やなの!!」
「……だからもう全部、終わりにするの!」
「来ないで! もっと離れて!!」
「じゃあ……」
近づく。 後ずさるマーセルを追い、躊躇無く真っ直ぐに。
その指が、マーセルの髪を柔らかく撫でる。
「あ……」
「一緒に、吹っ飛んじゃいましょ」
広げた腕で、柔らかく抱きしめる。怯え、震えるマーセルの身体を。
「二人、一緒に……ね」
マーセルの心の中に、浮かび上がる衝動。
「……何で?!」
「それじゃ、グルードの思うつぼじゃない!」
「あ……」
思わず口にした言葉。自分で言った事の意味に気付く。
そして、その心の底に潜んでいた……殺意にも。
総てを見通していた様に、ふうわりと微笑んでいるアシュレイ。
「……私は、この旅を続けようと思ってるの」
抱き合ったまま、マーセルに語り出すアシュレイ。
「たとえグルードが何を画策していたとしても」
「姫さま……」
「もし、この戦いを終わらせる事が出来ないなら……」
「その時は一緒に……ね」
その瞳から涙があふれる。
総ては転回した。
私にも……使命が出来た。
たとえ、それがどす暗い復讐への欲求だとしても……。
アシュレイ姫と行く限り、高潔な志の一助となる。
涙ぐみ、うなずくマーセル。
「その時まで、あなたの命。わたくしが預かります」
「姫様……」
瞳に浮かぶ涙があふれ出す。
小さく嗚咽を繰り返すマーセル。
小さな子供の様にアシュレイの胸の中で泣きじゃくる事。
それは、マーセルの胸の傷を暖かく覆い……痛みを和らげていった。
それは負い目から、最後の武器へ。
向けるべき相手を変え、何よりも心強いものへと変じていった。
優しく抱きしめるアシュレイ。
総てを包み込むような慈愛に満ちた眼差しでマーセルを見つめながら。
高台に集まったのは、アシュレイ、マーセル、ジョゼ、マスク、クロガネの五人だけだった。いずれの姿も傷と埃にまみれている。
しかし、道は開かれている。
高台を吹き抜けるさわやかな風が、我が身の汚濁を吹き飛ばしていく様だ。
「……行くのか」
唐突にクロガネがアシュレイに問いかける。
「約束は約束です」
アシュレイはジョゼを後ろから抱きかかえている。
ジョゼはすでにアシュレイの手によって身を清められ、アシュレイのお下がりのシャツが着せられている。
だぶだぶのシャツにすっぽり包まれて。
まくり上げられている両腕はだらりと垂れ下がり、すでにスイッチが切れている事を示していた。
その傍らに男装姿のマーセルもいる。
その相貌にもう涙の跡はない。
固く閉じていた胸元を開け、その紋章を覗かせている。
誇り高く。
「目的地にたどり着きさえすれば……」
「マーメットは兵を出さざるを得ないわ」
決然と言い放つアシュレイ。
風がアシュレイの長い髪を巻き上げる。
それは、高台を抜けていく風に、軍旗の様にひるがえる。
“これが……あの凡人王ジャッドの娘か……?!”
内心驚き、アシュレイの横顔をを見つめるクロガネ。
「……人質となるためにか?」
皮肉っぽく言い放つクロガネ。
「ええ」
曇りのない笑顔でにっこりと微笑む。
「へ」
内心驚き、感心していながら、口から出る言葉は裏腹なもの。
「アンタはどうする?」
マスクに問いかけるクロガネ。
「……王宮の中で、」
「アンタ、ジャッド王とタメ口だったな……」
何も言わず、ニヤニヤと笑っているマスク。
「誰なんだ? アンタ」
すでに振り子は止まっていた。
答えはすでに出ている。
自分のなりたい自分になればいいのだと。
「……私は、アシュレイ姫に付き合うよ」
「別に行く当てもない身の上だ」
「アシュレイ姫の“義”に憾ずる」
それもまた、苦しい道のりだろうとは判っていた。
しかし、ガルレーズは死んだ。
自分でそう思いながらも、どこかで殺しきっていなかった。
ガルレーズを葬るには……マスクとして生きなければいけない。
リーバの言葉がその決断を後押しした。
今此処にいるのはマスクだ。私の名は、マスク。そういう男。
そして、マスクである以上……新しい人格を生きねばならない。
マスクという男をガルレーズはイメージし始めた。
それは有用な男でなければならなかった。
死んだガルレーズの変わりに。
アシュレイ姫の為に。
「カッコつけやがって」
鼻でせせら笑うクロガネ。
「クロガネ様は……?!」
「?!」
「一緒に来てくださらないのですか?!」
くるっ、とアシュレイに背を向けるクロガネ。
高台から、遙か下を、遙か遠くを見下ろす。
火の手が上がり、荒れた大地。
これから抜けていかなければならない道。
口には出さなかった。
“放っとけない”とは。
「バカげた旅だ」
つぶやく。しかし、その顔は微笑んでいる。
これから巡りゆかねばならない地を見つめる。
紛争の中を切り抜けて。
人質となるために。
「素晴らしく、バカげた旅だ」
遠くを見つめ、つぶやくクロガネ。
その眼前には、広大な大地が広がっている。
エピローグ
「……種はまかれた」
神殿の奥、唯一供出を免れた十二戦士像を眺めているスカル。
それは、アイズワッドの革命に尽力した十二の革命戦士をモチーフとした像だった。
十二人の逞しき戦士達が集い、その剣を一つに合わせている。
その中の一人が……若き日のスカルだった。
「我々は……過ちを犯した」
その視線が辿る先は、十二戦士像。
その中の一人。高々と剣を差し上げているのはグルード。
「……理想は潰えた」
「グルードを制止し得なかったその責を負おう」
「しかし、未来を継ぐ者には……生き抜いて欲しい」
「……その理想の炎を継ぐ者を残さねば」
「我々が生き抜いたその理想を……」
スカルの眼が十二戦士像の一人に止まる。
「バルディー……」
スカルの脳裏に甦る光景。
それは火に包まれるバルディーの家。年老いた二人の再会は、地と炎で飾られた。
襲撃してきたのは近衛兵。それを指揮していたのは……スカル。
バルディーは乱入する竜騎兵の真ん中に旧友の姿を見つめていた。
燃え上がる部屋の中で、スカルと只二人、対峙したバルディー。
そのスカルの瞳に総てを読みとった。
我々の革命はまだ終わっていないと。
「まだ、戦っているのか? スカル」
バルディーはスカルに問いかける。
返ってきたのは、言葉ではなく剣。
するりと抜きはなったその剣の切っ先がバルディーに向けられる。
「剣術で……私はオマエに勝ったことはなかったな」
スカルが自嘲的に呟く。
一人、戦い続けていたスカルの孤独とその強靱な意志力。
それは、バルディーにも痛いほど伝わった。
「スカル」
バルディーはそのしわの寄った笑顔をスカルに送った。
「昔の約束は……今も生きている」
「革命の為にこの命、……燃やし尽くそう」
「その為に必要なものがあるなら……」
どっかりと座り込むバルディー。
「遠慮なく持っていってくれ」
「革命の為に」
スカルが言う。剣を振りかざし。
「我々の理想の為に」
座り込み、瞑目するバルディーが言う。
そして、……総ては燃え尽きる。
「いい種を残したな……」
微笑むスカル。
聡明なスカルには、見えていた。
アイズワッドは滅ぶ、と。
グルードはそのつもりで、密かに事を進めている。
アイズワッドの存続など、グルードの眼中にはないのだ。
奴はより大きな勢力の中にいる。
それはアイズワッドよりも、ジャスガル、マーメットよりもさらに大きな何者かの為に。
その十二戦士像から離れるスカル。
「もうすぐ行くぞ……バルディー」
「この使い古した命、叩き棄ててでも」
「奴の野望は止めねばならぬ」
バルディーの像に語りかけるスカル。
「その時は……夢を語ろう」
「あの頃の様に……」
微笑みをその頬に残し立ち去る。
無人となったその台座の十二戦士像が、音もなく燃え上がる。
黒々と焼け、熔け崩れていく十二戦士像。
物陰から現れたのは……グルード。
ローブから突き出された細い腕が、軽く振られる。
熔け崩れた像が、ぼっ、と炎を立ち上げる。
最後に、ひときわ強く燃え上がると……総ては燃え尽きる。
小さく消えていく灯火。
風の無い室内で最後の小さな炎が一つ大きく揺らぐ。
そして、……闇が総てを包み込む。
END




