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第三話 ベートーベンが眠る花壇


 瑠佳は気が重かった。登校はしているが、みおりに話しかけることはなくなった。

 毎日、校舎の入り口にみおりは立っていた。

 瑠佳のほうは見ない。いや、よく考えれば以前からそうだった。瑠佳が話しかけるからみおりは瑠佳のほうを向き、瑠佳に返事をしたのだ。

 ウロに取り憑かれた少女。

 この山に棲む化け物。実体のない、祟る者。

 それがみおりには憑いている。みおりに関わっただけで常人は命を落とす。彼女はそれに自覚的で、返事をしたことで椎名を殺した。

 殺したのだ。

 瑠佳は気付いた。私はみおりを許すことができない。

 新緑が芽吹き始める季節だ。とはいえ、学校の花壇には一か所だけアジサイがあるだけで、あとは黒い土を晒している。

 瑠佳は窓からそれを眺めてため息をついた。

「生意気だな」

 黒井戸が話しかけた。

「ため息くらいつかせてよ」

「ウロの祟りにすら気付かない鈍感なお前が思い悩むなど、生意気だと言ったんだ」

「信じてないから。……」

 嘘である。瑠佳はもう、祟りを信じてしまっている。

「未練を聞き出せたか」

「ううん。たぶん、もう無理」

「お前は用済みだ」

 黒井戸は怒りすらにじませず、言葉を冷酷に叩きつけた。自分の席へ戻る。

「……」

 ふと、瑠佳は花壇に動く影を見つけた。

 黒髪のストレートロングは、二年生の村前閑(むらさきしずか)だった。自習時間とはいえ教室にはいたほうがいいんじゃ。瑠佳はそう思いながら観察していると、閑は大きなシャベルを振り上げた。

 花壇を掘っている。

「なにしてるんだろ」

 瑠佳は気になって、教室を出た。


 瑠佳が降りてきた時には、花壇は四分の一ほどが掘りかえされていた。レンガの境界を越えて掘り返された土が盛られている。

「なにしてるの」

 閑にたずねた。彼女は、びくん、と肩をすくめ、シャベルを取り落とした。

「いや、ごめん。気になっただけ。……許可、取ってるんだよね」

「……はい」

 閑は消え入りそうな声で答えた。物静かで存在感のない彼女だが、その時は大胆な行動力を瑠佳は感じた。

「なんで掘ってるの」

 閑は困った様子で、地面を見つめている。

 これは時間がかかりそうかな、と思っていた時に、黒井戸が現れた。

「花壇の死体の噂か」

 瑠佳は黒井戸を睨む。

「さっき用済みだって言ったじゃん」

「それとこれは別問題だ。花壇の死体の噂だな」

 黒井戸の言葉に閑は頷いた。

「烏鷺山高に伝わる怪談だ。かつて学校に忍び込んだ殺人鬼が生徒を殺して花壇に埋めたという」

「本当なの、それ」

「真実なら警察が来ている」

 それもそうか。と瑠佳は納得する。

「この噂の肝は発生時期と変容だ。殺人鬼説に変化する前は生徒同士が殺して埋めたとなっていたが、それ以前は……」

「……あの、……生徒、じゃなくて」

 閑がおずおずと手を上げた。

「……ベートーベン」

「はい?」

「……べ、……ベートーベンが眠ってるの、ここに」

 瑠佳は頭をひねった。

 黒井戸は顎に手を当てている。

「詳しく聞かせろ」


 三人は音楽室に移動した。

「ベートーベンって、あのベートーベンでいいんだよね」

 瑠佳が肖像画を指さす。

 閑は頷いた。

「興味深いな。二百年前に肺炎を患ってウィーンで逝去したベートーベンが、日本の田舎の、学校の花壇に眠っているとは」

 黒井戸が腕を組んで言う。横文字だが地名や人名は許せるのだろうか。

「……わたしも、信じてない、けど」

 閑が頭を抱える。

「毎晩、夢の中で語り掛けて来るの。花壇から掘り返せって、あの顔が……」

 肖像画のベートーベンが閑を見下ろしている。

 瑠佳は黒井戸と顔を見合わせる。言っては悪いだろうが、なんらかの疾患と疑ってかかった方がいいかもしれない。

「なんらかの疾患の可能性が高い」

 黒井戸は言い放った。瑠佳は苦い顔をして、閑は肩を落とす。

「……そうだよね。やっぱり」

「だが、花壇は掘り続けろ」

 黒井戸は矛盾することを言った。

「死体が本当にあるのか見てみたい。許可は取っているんだったな。手伝おう」

 黒井戸が立ちあがった。

 その時、唐突に誰も座っていないピアノが鳴り始めた。激しく鍵盤が動き『エリーゼのために』が演奏される。無論、電子ピアノではない。

「うるさい」

 超常現象にも動じることなく黒井戸は冷静に耳を塞いだ。

 演奏が止む。

「わたしが見つけないと駄目だって……」

 閑が絶望した顔で言った。


 二時間目になっても久那杜は来なかったので、自習時間が続いた。三人は花壇に戻ってベートーベンの死体探しを再開した。閑がシャベルを使って掘り返しているのを瑠佳と黒井戸は手を貸さず見つめている。

「はあ、はあ、はあ」

 小さな手は泥塗れになっていたが、花壇は半分も掘られていない。

「そもそも、花壇程度の深さに死体って埋められるの」

「河童もあの深さに居ただろう」

 この世ならざる者に物理法則は通じない。と黒井戸は眼鏡を上げた。ベートーベンは元々この世の者だったはずだが。

「もう無理……」

 閑が倒れた。

 瑠佳は駆け寄って彼女を抱き起こす。

「熱中症になっちゃうよ」

 水筒の水を与えた。閑は受け取って少しずつ飲む。まだ5月になったばかりとは言え油断はできない。

「ウロに比べればベートーベンの祟り程度無視できるだろ。協力して探そう」

 黒井戸がシャベルを手に取る。音楽室の方角から交響曲第5番が鳴り響いたが黒井戸は無視した。

「あ、そうだ。目隠しはどうかな」

 瑠佳が提案した。

「目隠し」

「ほら、閑さんに見つけてもらいたいんだよね。私たちが目隠しして手伝えばいいんだよ」

「……一応、やってみるか?」

 瑠佳はスカーフを顔に巻いて、目を完全に隠した。

「いくよー」

 シャベルを振るう。カツン、とレンガにぶつかった。

「あれ、わっと、ちょっと待って」

 瑠佳はシャベルを持ち直し、もう一度振るおうとしたが、体勢を崩し、背中が土塗れになった。

 黒井戸は完全に馬鹿にした目で見ていた。


 昼休み。閑と瑠佳と黒井戸は昼食を食べながら作戦会議をおこなった。

「ダウジングを試してみるか」

「ダウジングって」

 横文字だけどいいの、と言う前に黒井戸が続けた。

「主に水脈を探すのに使われる方法だ。曲がった金属の棒か、五円玉を使う」

「五十円玉ならあるよ」

「それでいい。闇雲に掘り返すよりはある程度当たりをつけたほうがマシだろう」

 閑が焼きそばパンを頬張りながら、ポロポロと涙を流し始めた。

「大丈夫?」

 瑠佳は彼女の涙をぬぐう。

「……ううん……わたし、本当に心細くて、……変な人だって思われるんじゃないかって」

「変な人だとは思っているぞ」

 黒井戸が余計なことを言う。瑠佳が苦い顔をした。

 だが、続ける。

「人間とは誰しもどこか変なんだ。完璧な人間がいないように、標準的な人間もいない。そんなことを気にしている余裕があったらベートーベンの死体を探せ」

 後半の言葉はともかく、瑠佳は少し感心した。

「……ありがとう」

 閑は頭を下げた。

 昼食を終えた瑠佳は、五十円玉を裁縫糸に結んでダウジング装置を作った。

 三人は死体探しを再開した。


「ここに反応がある」

 ダウジング装置を吊るした黒井戸が、アジサイの根元を指した。

「それ、三回目だけど」

 もう既にダウジングは二度失敗している。瑠佳はその効果を疑い始めていた。

「掘ってみろ」

 閑はアジサイの根を傷つけないように、慎重に掘る。

 シャベルの先が、カツン、と何かにぶつかった。

「あ、なにかある」

 手を使って土を払う。

 平べったいクッキー缶だった。

「ベートーベンの骨壺?」

 瑠佳が間の抜けたことを言う。

「ベートーベンは土葬だろう」

 黒井戸が重ねる。

 閑は蓋を開けて、中を覗いた。

「……タイムカプセル。たぶん、昔の生徒の」

 虹色のビー玉やキラカード、犬を象った粘土細工が入っている。ごく普通の少年が宝物としそうなものばかりだった。

「あ、でも待って」

 閑がそれを見つけた。白く、三日月形に曲がった、つるりとした何か。細い指先で摘まむ。

「……牙だ、これ」

「読んでみるか」

 黒井戸はクッキー缶に手を突っ込んで、入っていた便箋を開いた。


 未来のオレたちへ。

 元気にしてるか。夢は叶えたか。ベートーベンのことはまだおぼえているか。

 オレたちが裏庭で飼っていた子犬。灰色のもじゃもじゃで顔にシワが寄っていてベートーベンみたいだった。耳が聞こえないところもそっくりだった。俺たちは交代で世話したよな。

 柴田がかあちゃんのクシを勝手に持ち出してこっぴどく怒られたり、矢井田が小屋を勝手に立てて先生に怒られたり、オレが家で飼うと言って泣き出したから、みんなつられて泣いたりした。

 バイトで金をためて動物病院に連れて行ったら、病気で長くないって言われた時もみんなで泣いたよな。そしてあの雨の日、ベートーベンは死んだ。

 ベートーベンは幸せだったんだろうか。

 夢を叶えたオレたちは忙しくしてると思う。それでも忘れないでやってくれ。

 柴田敏明 矢井田浩 眞子一也


 読み終えて、黒井戸は便箋を閉じた。

 ピアノの音はしない。

「下らんオチだな」

 閑は指でつまんだ子犬の牙を、ことり、と缶の中に置いた。

「戻しておきましょう。元の位置に」

「でも、忘れられてるかも」

 瑠佳は心配だった。このままこの三人に見つけられなかったら、ベートーベンはまた誰かを祟るのではないだろうか。

「わたし、毎日は無理だけど、この子に会いに来ます。それでいいでしょう?」

 閑が骨に話しかける。

 音楽室の方角から、穏やかな調子の『月光』が流れてきた。

 花芽をつけはじめたアジサイの根元へ、ベートーベンはもう一度眠った。


 夕方になってようやく久那杜が現れた。欠伸をして肩をぐりぐり回す。

「ということで、今日はここまで。気を付けて帰れよ」

 授業が終わり、瑠佳は決心した。窓際の一番後ろの席まで近づいた。

「一緒に帰ろう」

 話しかけたのだ。あの時と同じように。

 みおりは墓を眺めている。

「みおり」

 瑠佳は、彼女の名前を呼び捨てた。

 みおりは振り返って、微笑まなかった。

「生前葬を済まされて死ぬのを待たれてるような人間に、同情しなくたっていいんだよ」

「それでも、あなたのことは諦めない」

 幸せだったんだろうか、なんて、あのタイムカプセルの三人みたいに後悔はしたくない。

「人を殺したことは許せない。でも、あなたは私の友達」

 瑠佳は手を差し出す。

 みおりは薄く笑った。

「子犬と同じ扱い?」

「見てたんだ」

 どういう力かは知らないが、今日の事はすっかり見られていたらしい。

 しかし瑠佳は、気持ち悪いとも怖いとも思わず、こう言った。

「興味あるなら言いなよ。誘ったのに」

 みおりは意外そうな顔をして、それからうつむいて、いや、腹を抱えて笑った。

「えっ、何? ツボおかしくない?」

「ごめん、ごめん。あー、おかしい」

 二人は墓所の入り口まで歩いていった。

 結局みおりは墓所へ戻っていくが、その儀式を喜んでいるようだった。


 つづく


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