番外編 君の黒髪
まだみおりがウロに憑かれていた頃のこと。
「そういえば髪ってどうしてるの?」
自分のポニーテールの先をつまんで瑠佳はたずねた。
みおりはキョトンとして、そんなことをたずねてきた人間ははじめてだというように、戸惑いながら答える。
「切ってるよ。二週間にいっぺんくらい」
「でもウロがいるじゃん」
ウロの祟りによって普通の人間はみおりに触れれば死ぬ。自分で切ってるとしてもショートカットはざんばらには見えない。自分で短く切るのは難しいのだ。瑠佳はチャレンジしたことがあるから知っていた。
「んー、それはー……」
机に突っ伏して、みおりは面倒くさそうに笑った。
「教えてよぉ」
「じゃあ今日、放課後に来てよ」
実際見たほうが早いから。みおりは頬杖をついて、窓から墓を眺める。
「わかった」
自習ばかりの授業が終わって、瑠佳は鞄を抱えたままみおりについていった。
墓所は静かだ。いつか泊まった時のように妖怪変化がうろついてるわけでもなく。
「ここでいっか」
みおりは言うとひとつの墓の前に荷物と寝袋を置いて、手を合わせて、座った。
「いつも違う所で寝てるの?」
「うん、私は飽きっぽいからね」
ぐうっと伸びをして、みおりは墓所を眺めはじめた。瑠佳も彼女の隣に座って、視線を遠くに向ける。
「誰か来る」
黒い人影が近づいている。瑠佳は墓場泥棒を思い出して身構えたが、どうやら違うようだ。
黒い法衣を纏った男だった。本来は黄色であるはずの袈裟すら黒い。艶のある色黒の肌は若く見えるが、目元のシワや落ち着いた態度は歳を重ねているようにも見える。男は不機嫌そうな顔で瑠佳を見やった。
「誰だ」
こっちの台詞ですけど。瑠佳は言いそうになったがみおりが代わりに応じる。
「友達。ウロにはやられないから安心して」
「そのようだな」
「じゃ、よろしくお願いしまーす」
みおりは男に背中を向けた。
男はため息を吐いて、袈裟をはずすとみおりの首から下をすっぽり覆った。そしてハサミを取り出した。散髪に使う細長いものだ。
男は膝立ちになってみおりの髪を切り始めた。
「誰?」
結局瑠佳はたずねた。
男の代わりにみおりが答える。頭が動きそうになったので、手のひらで戻される。
「鑑刃さんだよ」
「へえ」
「なんかね、殺し屋なんだって」
殺し屋。瑠佳は目を瞬かせて鑑刃を見た。
「余計なことを言うな」
「おっといけない」
みおりは舌を出す。
瑠佳はまじまじと鑑刃を観察する。たしかに眼光がするどい気がする。などと考えていると鑑刃はため息を吐いた。
「依頼が来る。それにできる範囲で応えているだけだ」
「へえ」
瑠佳は気のない返事をした。
「私は髪の先までウロに憑かれてるからね、こうして呪いの道具として仕入れに来るのだ」
くすくすと笑い、また頭が動いたので戻される。みおりは楽しそうだった。
「とんでもない破戒僧だ」
瑠佳は正直な感想を述べた。
「僧侶ではない」
あ、そうなんだ。瑠佳の勘違いだったようだ。
それからしばらく、みおりの髪が整えられていくのを見ていた。
ビョウ、とこの世ならざる獣の声がする。
同時にカキン、と硬いものが打ち合わされる音。
瑠佳が振り返ると、塔の上に妖怪がいた。虎のような模様で尻尾は蛇のうろこに覆われている。
妖怪だなあ。と、のん気に瑠佳が思っていると襲ってきた。
妖怪は鑑刃の首を狙って噛みつこうとした。しかし右手のハサミに顎を貫かれる。法衣の殺し屋は妖怪を見やりもせず引き裂いた。
黒い血が瑠佳の制服を汚した。染みがシュウシュウと煙を上げて消えていく。ウロの祟りによって妖怪の痕跡は消えた。
「殺しちゃったんだ」
「いいや、この程度で鵺は死なない」
鑑刃はつぶやく。ハサミに残った黒い跡を振り落とし、髪を切るのを再開する。
「妖怪にも格はある。鵺は特に行き来できる世界が多い。追い払っただけだ」
「世界っていくつもあるんですか?」
初歩的な質問かな、と思いながら瑠佳はたずねる。
「位相の違う世界が重なっている。この世とあの世は重なり合っている。そういうことだ」
鑑刃は相変わらず不機嫌そうな顔だが、叱ったりはせずに答えた。
最後の一断ちが入って、鑑刃はみおりの髪をクシャクシャとはらった。掛けていた袈裟を巻き取って、切った髪の毛を落とさないように集める。袈裟ごと大きな鞄に詰めた。
「んー、スッキリした」
みおりは両手を挙げて、伸びをした。
鑑刃は立ち上がって、何も言わずさっさと立ち去っていく。
「じゃあねー」
みおりは鑑刃に手を振った。瑠佳も釣られて手を振る。
みおりがウロと分かれて、大学生になってから。
「髪、伸びたね」
瑠佳が言うとみおりは肩にかかった襟足をつまんで、答えた。
「そうだね。そろそろ切るか」
「ロングも似合うと思うよ」
「でもお風呂とか面倒くさそうだしなあ」
みおりは背もたれに背中を預けて、伸びをする。
「じゃあ一緒に行かない? おすすめのヘアサロンあるんだ」
瑠佳は指を立てて提案した。
「うーん、パス」
ずっこける。
「もうウロはいないんでしょ?」
「やっぱ慣れてる人がいいから。私のカリスマ美容師に頼むわ」
みおりはスマートフォンを取り出して、どこかへメッセージを送る。
翌日。大学のカフェ。
「ねえ、みおり」
「なに」
「目立ってるって」
カフェのテーブルでみおりは髪を切らせていた。黒い袈裟ですっぽり首から下を覆って、ヘアサロンのように雑誌を読んでいる。
髪を切っているのはやはり、鑑刃だった。相変わらず不機嫌そうだ。
「ウロの力はもうないけど、今度は縁起物になってるんだって。化け物に憑かれて生還した女の髪ってね」
「大学で切ることないじゃん」
「いつもは家に呼んでるんだけどね」
それを聞いて瑠佳はショックだった。顔なじみとはいえ、そんな関係ではないとはいえ、男とふたりきりで部屋に……。
「みおりの浮気者」
瑠佳は頬をふくらませる。
みおりは視線だけでそんな瑠佳を見て、くすくすと笑った。頭が動いたので戻される。
「じゃあ今度は瑠佳が切ってよ。髪の毛あげるから」
みおりは言った。
瑠佳はキョトンとして、それから鑑刃を見て、すこしだけマウントを取る気持ちで視線だけで見下ろした。
「ふふーん」
鑑刃は無視した。
ビョウ、とこの世ならざる獣の声がする。
テラスに鵺がいた。ガラスが三角形に切断される。散った破片を踏みながら鵺は蛇の尻尾を振った。学生たちは逃げていくが、何人かはスマートフォンで撮影を始めた
鵺は鑑刃の首を引き裂こうとしたが、カキンと硬い音がして尻尾は弾かれた。ハサミで弾いたのだ。みおりの髪を切りながら。
鑑刃はやはり鵺を見ようとしない。
鵺が飛んだ。高い天井のライトに爪を食い込ませ、それから鑑刃の真上に落ちてくる。ビョウ、とまた鳴いた。
鑑刃はため息を吐いた。
ハサミを真上に投げた。みおりの髪が絡まった刃は鵺の額に突き刺さり、爆発した。赤い血が雨となって瑠佳たちに振り注いだ。
瑠佳は一連の戦いを、ぽかんと見つめていた。
「今度は殺した」
鑑刃はつぶやく。
「ウロに憑かれていた頃より強力だ」
鑑刃は口の端をあげて、微笑んでいるように見えた。
「そりゃどうも。別にうれしくないけどね」
みおりが手のひらを上に向けて、言った。
おわり




