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第二話 カッパがいた池


 坂を上るのも慣れてきた。筋肉がついて来たのかも。そんなことを瑠佳は考える。駐輪場に自転車を留めて、落ちた桜の花びらを踏みながら歩く。

 今朝もみおりが入り口に立っていたので、瑠佳は挨拶をした。

「おはよう」

「うん、おはよう」

 中性的な少女はうつむきがちに微笑む。

「ねえ、もしかして学校に泊ってる?」

 昨日感じた違和感から、瑠佳はたずねた。

「泊まってないよ」

「ほっ。よかったあ」

「お墓に泊まってる」

 予想外の答えに瑠佳は固まったが、気を取り直して言った。

「人は死んでないもんね」

「そうそう」

 教室へ向かった。


 一時間目は今日も自習だった。土曜日は午前授業しかないので、半分が自習時間ということになる。こんなことでいいのかと瑠佳は思う。

 瑠佳が自分の席に着くと、黒井戸が話しかけてくる。

「聞き出せたか」

 瑠佳は人差し指を顎に当てて、思案するふりをした。

「お墓で人は死んでないからだって」

「なんだそれは。答えになってない」

 黒井戸は不満げに吐き捨てる。

「無理には聞けないよ。話したくないみたいだし」

「お前の命がかかってるんだぞ」

 瑠佳を心配してくれてるのだろうか。……いや、見下した表情だ。瑠佳がたとえ死んだとしても黒井戸は気にすることなく次の協力者を探すだろう。

「未練を聞き出すことがなぜ生き残ることに繋がるの」

「……古蛇は少なくとも一ヶ月以上、ウロに憑かれている。古蛇のように即死しない者がいたことは記録にある。理由に『未練』が関わっているとも」

「ふうん」

「ウロの祟りを退ける強い未練だ。それが解明できれば対策も練れる」

 話し終えると黒井戸は自分の席に戻った。やっぱりマイペースだ。瑠佳は教科書を取り出す。


 二時間目から久那杜は現れた。右耳が痒いのか小指でほじっている。

「今日はな、全員でビオトープを作るぞ」

「ビオトープについて説明してください」

 黒井戸が手を上げた。とことん横文字が嫌いらしい。

「あー、あれだ。いいかんじにする」

 耳垢を吹き飛ばしながら久那杜は言った。

 おずおずと手を上げるのは一年生の犬神琴音(いぬがみことね)だった。

「ええと、その、皆さんで生物が生きやすい空間を作る、という授業ですわ」

 お嬢様のような言葉遣いだった。実際にお嬢様なのかも。と瑠佳は思う。

「だな。ありがとう犬神」

 久那杜はお礼を言った。


 教師と生徒はぞろぞろと校庭へ降りる。

 校庭の隅にある人工池は長年放置されてどろどろに腐っていた。かつての在校生が手を入れた痕跡は、もはや何が書かれていたのかもわからないほど退色したラミネートの看板だけだ。

「……うわ」

「どうします」

 黒井戸が久那杜にたずねた。

「洗うか」

 久那杜はなにごともなく言った。

 授業は全員で池をさらって洗うところから始まった。瑠佳も長靴を履いて藻とヘドロが混ざったものをスコップで掻き出す。水もほとんど蒸発して足首が浸かる程度の深さだった。

「この学校みたい」

 ふちにかがんでいるみおりが呟いた。

 ウロに祟られたくないために誰も反応はしない。

「……」

 瑠佳はラミネートの看板を見つめる。元は赤いインクだったのだろうが、今は薄い黄色で『蛍の楽園』と読めた。

「おわっ」

 生徒の一人、行木叶汰(ゆうきかなた)が転んだ。ボダン、と鈍い水音がして藻の中に沈む。隣に立っている舟森が笑う。

「おいおい、なにしてんだよ行木」

 起き上がってこない。

 舟森が腕を引っ張った。するとヘドロ塗れの行木が出てきたが、彼の右足首から先が失われていた。

 なぜか、血は流れていない。

「な、な、なにか、なにかいる」

 行木が震える声で言った。

 誰も叫ぶことはできず、ただ久那杜がため息をついて旧式の携帯電話を取り出した。


 行木は保健室へ搬送された。

「池に河童がいる」

 黒井戸は断言した。

「根絶しよう。生態系を構成している可能性はあるが、生徒を害した以上、危険だ」

「で、でも、どうやって戦うのですか」

 犬神が泣きそうな声で反論する。

「……」

 黒井戸はスマートフォンを取り出した。なにかを検索している。

「キュウリをあげれば出ていってくれるだろうか」

 みおりが呑気なことをのたまった。

「河童が好きなのって尻子玉じゃなかったっけ。尻子玉ってなに?」

 瑠佳がさらなる呑気さを重ねたところで、黒井戸がスマートフォンをしまった。

「相撲だ」

「相撲」

 瑠佳はその言葉を繰り返した。

 裸で太った男たちがぶつかり合う光景が、瑠佳の脳裏に浮かぶ。

「相撲の本質は神事だ。河童と相撲を取って勝つ。そうしたら退去の願いくらいは聴いてくれるはずだ」

「脚ちぎられてたけど」

「河童の代理を立てる。儀式をやって誰かに河童の役をかぶせ、それを負かせれば勝ったことになる」

 生徒たちは顔を見合わせる。久那杜は欠伸をしている。

 犬神が両手の拳を握った。

「ビオトープのためですものね」

 どういうわけか、やる気だった。


 儀式は取り行われた。

 机と割りばしとティッシュで池の前に祭壇を作り、教師も含めた全員でくじを引いた。これで河童が代理人を選ぶという理屈だ。

 当たりを引いたのは小埜寺(おのでら)だった。

「引き受けます」

 一年生だが筋肉質で体格も大きく、女子では歯が立たないだろう。四名の男性生徒と久那杜が集められ彼らは上半身裸になった。

「一人でも勝てばいい」

 眼鏡をはずした黒井戸が円陣で声をかける。それから、一人ずつ小埜寺へかかっていった。


 舟森は土俵の外へ投げ飛ばされた。

 笠井は池のふちにしたたか顔をぶつけられた。

 原田はベルトをつかまれて土俵際まで吊り上げられた。

 黒井戸は宙を舞った。

 久那杜は善戦したが、小股すくいで土をつけられた。


「だめだめじゃん!」

 瑠佳は思わず言ってしまった。

 小埜寺自身のポテンシャルなのか河童の霊力が宿っているのか不明だが、とにかく強かった。

 そこで女子が立ちあがった。立候補したのは犬神だった。

「小埜寺……あなたといえど、容赦はしませんことよ」

「……琴音お嬢様、望むところです」

 小埜寺の家は犬神の屋敷ととなりあっていて、代々犬神家に仕える付き人なのだという。黒井戸が宙を舞っていた時に瑠佳は教えてもらっていた。

 上半身は下着姿になりスカートの裾をスパッツの中に入れた、お嬢様らしからぬ格好で犬神は土俵にあがる。

 両者がぶつかった。

 瞬間、犬神の身体からオーラのようなものが立ち上った。

 白い巨大な狼が犬神の身体から出ていた。

 牙を剥き、小埜寺に襲い掛かる。

「……っ!」

 オーラに食まれながら小埜寺は犬神を投げ飛ばした。

 土俵から放り出されてヘドロで汚れた地面を犬神は転がる。

「負けましたわ」

 肘をついたまま彼女は宣言した。ちょっと泣いていた。

「じゃあ、私がやってみていい?」

 みおりが立ち上がった。

 静寂。

 返事がないことも彼女は気にすることなく、上着を脱いで、スカートをスパッツの中に入れた。

「……」

 小埜寺は視線を合わせないが、土俵で構えだけは取った。

 両者あいまみえる。

 静寂を打ち破ったのは、植木から飛び立ったカラスだった。

 ぶつかった。

 池の方から、カカカカ、と鳥の鳴き声のような音がした。河童が苦しんでいる。直感的に瑠佳は思った。

 みおりは高い背丈で小埜寺を圧倒していたが、投げ飛ばすには握力が足りないようだった。ベルトを掴んでいる指が滑る。

 小埜寺の足がみおりの脛を掬おうとしている。

「みおり、脚!」

 瑠佳は叫んだ。

 みおりは体勢を立て直し、逆にバランスを崩した小埜寺の脚を掬った。

 小埜寺の身体が傾く。

「いけ、みおり!」

 その時、池の中心から黒い液体が噴き上がった。肉の腐ったような臭い。あの時、椎名が吐き出したのと同じものだ。

 ヘドロと藻が混ざったそれは祭壇を汚し、みおりの顔を汚した。


 生徒たちは河童に勝利した。

 しかし歓声は上がることなく、ただ静寂が場を支配していた。

 土俵の外で倒れた小埜寺は犬神に支えられて起き上がる。

 久那杜はため息をつく。

 黒井戸は眼鏡をかけ直し、祭壇を片付けはじめる。

「ウロが復活したことによって怪異が集まってきている可能性がある。調査しなければ」

 独り言を言って、彼は作業を続ける。

「みおりさん、おつかれ」

「うん」

 黒い液体をキャミソールで拭いていた彼女に、瑠佳は濡らしたハンカチを差し出した。

「いいの? 汚れちゃうけど」

「……てい」

 瑠佳はハンカチを、みおりの顔に押し付けた。強引に液体を拭き取る。

「痛いって」

「あっ、ごめん」

 謝った。瑠佳の手を握って、みおりは微笑む。

「応援ありがとう。瑠佳くん」

 瑠佳の心臓がはねた。


 ビオトープが完成した。水はすっかり入れ替えて、ホームセンターで買った浮草と睡蓮を散らした。ラミネートの看板も『カッパがいた池』と新しく作り替えた。

 澄んだ水にメダカを入れる。小さな魚は静かに泳いでいく。ビオトープを気に入ったようだった。

「やっぱり、この学校みたい」

 みおりが呟いた。

「問題があっても、水ごと入れ替えてなにもありませんでした。そんな感じだもの」

 誰も彼女の言葉には応じなかった。


 次の日、学校は休みだった。

 瑠佳は家で寝ていたが、みおりのことがどうしても気になった。

「どこ行くの」

 母親がたずねる。

「学校に忘れ物取りに行く」

 自転車に乗って向かった。

 山に広がる墓地が見える。坂をあがる。キョロキョロと墓の間にみおりを探す。

「見つけた」

 みおりは墓を眺めていた。その片手に寝袋を吊り下げている。

 自転車を押して近付く。

「みおりさん」

「ん、瑠佳くん。今日休みだよ」

「知ってる」

 息を吸いこんで、瑠佳はたずねた。

「どうしたら、ウロの祟りは回避できるの」

「わかんないや」

 冷たい答えにも食い下がった。

「強い未練が関係するらしいの。心当たり、ある?」

「未練、かあ」

 みおりは墓を眺めながら言った。

「私、椎名さんが消えてよかったと思ってるよ」

「え?」

「嫉妬してたもの。瑠佳くんが盗られて」

 疑問符が瑠佳の頭を埋め尽くす。

 そんな、そんな理由で、人を死なせたの?

 瑠佳は声に出そうとして、やめる。

「優しいね、瑠佳くんは。私なんかと大違い」

 みおりは俯きがちに微笑んだ。

「もう関わらなくていいよ。大丈夫。祟られないからさ」


 瑠佳は自転車に乗って帰宅した。

「おかえり」

 母の言葉に手を振って、自室に入る。

「瑠佳、夕食は」

「いらない」

 着替えもせずベッドの上に寝転んで、かけ布団を抱いて眠った。

 瑠佳は考えることを放棄したかった。みおりのこと、ウロのこと、学校のこと。

 それができない。なぜなら……

 私は、優しくなんかない。

 瑠佳は涙をぬぐった。


 つづく


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