第十六話 卒業式にまで出るものかね
瑠佳が公衆トイレから出た時だった。
「おい」
黒井戸が呼び止めた。
「ウロを祓った時のこと、覚えてるか」
「覚えてない」
瑠佳は素直に答えて、黒井戸の横を通り過ぎた。
「真剣に思い出せ。あの化け物を祓ったんだぞ」
黒井戸が追いかけてくる。
「やだ、ストーカー」
「やめろ。不名誉だ」
瑠佳は、べ、と舌を出してみんなのもとへ戻った。
校舎はまだ復旧していないので、卒業式は青空の下で行われた。
パイプ椅子もウロの祟りで溶けてしまったのに、教室の机と椅子は残っていた。生徒分しかない椅子が並んでいる。その後方に、親族が立っている。
沼の縁を冷たい冬の空気が吹きつけていく。
「みなさま、携帯カイロをどうぞ」
犬神と坂秦がカイロを配っている。
「どうぞ」
「ありがと」
瑠佳もカイロを貰って、冷たい指先を温める。
瑠佳は椅子に座った。
「先生はまた遅刻?」
「今回に限って、それはないと思いますが」
坂秦が言った。すると、坂道を登ってくるものがいる。
片腕の久那杜がマイクスタンドを肩にかついでいた。その後ろを笠井がスピーカーを、原田がビール瓶の空箱を持ってついてくる。
「先生ー、ここでいいですか」
「ああ、置いといてくれ」
箱を並べて台を作る。
マイクをスピーカーに繋いで設定すると、台に乗ってスタンドの角度を調整した。
「では」
ハウリングが起きて、高い電子音が響く。久那杜はマイクから離れた。
「あー、では、三年生の卒業式をおこなう」
生徒と親族は拍手をした。
制服にコサージュを付けたみおりが立ちあがる。代表のあいさつをするために、台に上がった。
手にしたスピーチ文を広げる。
「今年度唯一の卒業生として、卒業式を挙行していただいたことへ感謝を述べます」
瑠佳は公衆トイレから出た。
「おい」
黒井戸が呼び止めた。
「ウロを祓った時のこと、覚えてるか」
「覚えてない」
瑠佳は答えて、黒井戸の横を通り過ぎた。
「真剣に思い出せ。あの化け物を祓ったんだぞ」
黒井戸が追いかけてくる。
「やだ、ストーカー」
「やめろ。不名誉だ」
瑠佳は、べ、と舌を出して、みんなのもとへと、行こうとした。
「あれっ」
瑠佳は立ち止まる。
「黒井戸、この会話さっきもしなかった?」
黒井戸は言われて、首を傾げる。
「気のせいだろ。デジャヴュという奴だ」
「ヴュ」
「なんだ、馬鹿にしてるのか。Vの発音くらいできる」
黒井戸が怒ったので、瑠佳はそそくさと自分の席へ戻った。
沼の縁を冷たい冬の空気が吹きつけていく。
「みなさま、携帯カイロをどうぞ」
犬神と坂秦がカイロを配っている。
「どうぞ」
「ありがと……ねえ」
瑠佳もカイロを貰って、冷たい指先を温める。
椅子に座った。
「なんか、同じことしてない?」
「なにがですか?」
犬神は首を傾げる。瑠佳は空を見上げていたが、やがて、へくしゅ、とくしゃみをした。
「まあ、お大事になさって」
「保健室があればいいのですが」
「うん、ありがとうございます」
瑠佳は二人にお礼を言った。
坂道を登ってくるものがいる。
片腕の久那杜がマイクスタンドを肩にかついでいた。その後ろを笠井がスピーカーを、原田がビール瓶の空箱を持ってついてくる。
「先生ー、ここでいいですか」
「ああ、置いといてくれ」
箱を並べて台を作る。
マイクをスピーカーに繋いで設定すると、台に乗ってスタンドの角度を調整した。
「では」
ハウリングが起きて、高い電子音が響く。久那杜はマイクから離れた。
「あー、では、三年生の卒業式をおこなう」
生徒と親族は拍手をした。
制服にコサージュを付けたみおりが立ちあがる。代表のあいさつをするために、台に上がった。
手にしたスピーチ文を広げる。
「今年度唯一の卒業生として、卒業式を挙行していただいたことへ感謝を述べます」
瑠佳は公衆トイレから出た。
「おい」
「ちょうどよかった。黒井戸」
黒井戸の肩に腕を回して、公衆トイレの裏へ連れて行った。
「ねえ、なんか繰り返してるんだけど」
「それよりもだ。ウロを祓った時のこと、覚えてるか」
「覚えてないって」
「真剣に思い出せ。あの化け物を祓ったんだぞ」
瑠佳は眉間にしわを寄せて、それを指で伸ばした。
「デジャヴュという奴だ」
黒井戸は、ヴ、と完璧なVを発音した。
「……黒井戸、そのデジャヴュってなに?」
瑠佳はいじりたくなる気持ちをおさえて、たずねた。
「日本語に訳せば既視感。体験していないことを過去に体験したように感じるという、ごく一般的な錯覚だ」
「怪異ではないわけ?」
「心理学や脳神経学の分野で研究されているが、定説では脳の情報処理に起因していると考えられている」
「黒井戸、よーく思い出して。私たち、同じ状況を繰り返してない?」
「……」
黒井戸は考え込む。
「最初に会った時も、お前がトイレから出て来た」
「そうだけど」
恥ずかしいな。と、瑠佳は黒井戸の背中を叩く。
「暴力はやめろ」
黒井戸が怒ったので、瑠佳は自分の席へ戻った。
沼の縁を冷たい冬の空気が吹きつけていく。
「みなさま、携帯カイロをどうぞ」
犬神と坂秦がカイロを配っている。
「どうぞ」
「ありがと。ねえ」
瑠佳もカイロを貰って、冷たい指先を温める。
「同じことしてる」
「なにがですか?」
犬神は首を傾げる。
「なんか、さっきから同じことが繰り返されてる。黒井戸氏にも言ったんだけどわかってくれなくて」
坂秦が口元に手を当てる。
「まあ、倦怠期ですか」
「誰と誰がオカルトカップルじゃいっ」
犬神と坂秦はころころと笑った。瑠佳もつられて笑う。
「……変なんだよ。トイレから出た時から、みおりがあいさつを読み上げるまでの間を、ずっと繰り返してる気がして」
「まあ……」
「黒井戸はなんだっけ、デジャヴュって言ってたんだけど」
「少し待ってくださいね」
犬神が守り神を飛ばす。白い狼は空を漂ったあと、するり、と犬神のもとへ戻って来た。
「なにも感じないそうです」
「じゃあ、怪異ではないってことか」
本当にそうだろうか。瑠佳は納得しなかった。
ハウリングが起きて、高い電子音が響く。
気が付けばマイクスタンドの設置が終わっていた。
「あー、では、三年生の卒業式をおこなう」
久那杜が言った。
生徒と親族は拍手をした。
制服にコサージュを付けたみおりが立ちあがる。代表のあいさつをするために、台に上がった。
手にしたスピーチ文を広げる。
「今年度唯一の卒業生として、卒業式を挙行していただいたことへ感謝を述べます」
瑠佳は公衆トイレから出た。
「おい」
「黒井戸氏!」
肩に腕を回して公衆トイレの裏へ連れて行った。
「ねえ、やっぱりおかしいって!」
「何がだ」
「繰り返してるのさっきから、トイレから卒業生あいさつまで!」
「……」
黒井戸は眼鏡を上げる。
「これは差別に繋がるからあまり言いたくなかったが、古蛇の家は蛭子神の末裔と言われている。国生みの際に捨てられた神だ」
「それで?」
「学校の外へ出る、捨てられることを恐れているみおりの意思が、ウロが残したエネルギーと感応して、アレしてるのかも知れない」
「あいまいだな!」
黒井戸は瑠佳の腕を振り払った。
「あっ、逃げる気か黒井戸!」
「違う。同じ時間が繰り返されているというお前の主張は理解した。ならば、その原因を探らなければならない」
黒井戸は瑠佳の横を通り過ぎていく。
「時間をくれ」
「くれったって、さっきから時間に閉じ込められてるのは私なんだけど!」
黒井戸は墓地に消えた。
「みなさま、携帯カイロをどうぞ」
「犬神さん、協力して」
瑠佳は犬神の手を握った。犬神の頬が染まる。
「まあ、情熱的。どうなさいましたの」
「時間のループに閉じ込められてるみたいなの。なにか変なところがないか、守り神様でもっと丹念に探って」
「もっと、と言われましても……でも、わかりました。やってみますわ」
犬神は守り神を飛ばした。
白い狼が沼の臭いを嗅ぐ。
「怪しすぎて逆に怪しくないと思っていましたが、やはり怪しいですわ」
ややこしいことを言いながら、犬神が沼を指した。
「ウロは調伏されましたが、膨大な祟りのエネルギーがここに残っています。放っておけば輪廻の輪へ戻っていくはずです、けれど」
「まだ淀んでる状態ってこと」
「そのとおりですわ。小埜寺」
呼ばれて、小埜寺が立ちあがった。
「墓地の外の者と通話して、日付と時刻を確認してくださいまし」
「承知しました」
小埜寺はフロッキー人形の根付がついたスマートフォンを取り出した。しばらく話し込んだあと、報告する。
「本日は三月十八日、時刻は十時ちょうどです。おかしいですね、私の電波時計が一時間以上遅れています」
瑠佳が家を出た時は八時だった。
ハウリングが起きて高い電子音が響く。
いつの間にかマイクスタンドの設置が終わっていた。
「あー、では、三年生の卒業式をおこなう」
久那杜が言った。瑠佳以外の生徒と親族は拍手をした。
「ちょ、ちょっと待って、待ってってば」
制服にコサージュを付けたみおりが立ちあがる。代表のあいさつをするために、台に上がった。
手にしたスピーチ文を広げる。
「今年度唯一の卒業生として、卒業式を挙行していただいたことへ感謝を述べます」
「みおり!」
瑠佳は公衆トイレから出た。
「おい」
「黒井戸、なにかわかった!?」
黒井戸の肩を掴んで振り回した。
「落ち着け、聴きたいのはこっちだ。ウロを祓った時のこと」
「覚えてない覚えてないです! 時間がループしちゃってるんです!」
瑠佳は半泣きだった。
「……どうやら、異常事態らしいな」
黒井戸はすぐに信じた。
「あの沼が関係してる、ってとこまでわかってるんだ」
「なら、沼から離れてみればいい」
黒井戸は提案した。
「でも、それじゃあ、みおりの卒業式が」
「卒業したからって死ぬわけじゃない。いつでも会えるだろ」
「……」
瑠佳は俯く。
「迷ってるひまがあったら走れ」
二人は墓地を駆けおりた。
墓地の出口で、瑠佳はスマートフォンを取り出す。
表示では九時になっていた。墓地から一歩外へ出た瞬間、カチッ、と何かがはまった音がして、表示が十時十分に変わった。
「やっぱり、お墓の中だけだ」
瑠佳は小埜寺に電話をかけた。
「もしもし、小埜寺くん?」
『瑠佳さん、今どちらにおられますか』
「ごめん、ちょっと急用思い出しちゃって、今何時かわかる?」
『本日は三月十八日、時刻は……九時ちょうどですね』
小埜寺が自分の時計を確認したのを瑠佳は気配で察した。
卒業式を構成する人間が外へ出た瞬間、ループが切れたのではないかと期待したが、そうはならなかったようだ。
考えてみれば、久那杜と二人の生徒が墓の外から道具を運搬している。
「わかった、ありがとう」
『瑠佳さん、卒業式がはじまってしまいますよ』
「うん、用事は間に合わせるから。ありがとう」
電話を切った。
「さて、問題はループをどうやってやめさせるかだが」
「……あの沼に祟りのエネルギーが残ってるって、犬神さんが言ってた」
「怪しいな。散らせばいいのか」
黒井戸はなんでもないことのように言った。
「でも、近付いたらまた時間のループに巻き込まれちゃう。どうしたらいいんだろう」
「簡単なことだ。犬神に連絡しろ」
「え」
瑠佳は怪訝な顔をした。
犬神のスマートフォンから着信音が鳴った。
「もしもし。あら、瑠佳さん」
犬神はカイロを椅子に置いて対応した。坂秦はその様子を見ている。
「沼を? はい、はい。わかりました。やってみますわ」
犬神は通話したまま、白い狼を出した。
白い狼はみるみるうちに巨大化し、霊感のある親族は感嘆の声を出して見上げていた。
狼が沼に飛び込んだ。
ダパン、と沼の黒い液体が跳ねた。親族たちから悲鳴が上がった。
狼は気にすることなく沼の中で転がった。スーツを、ドレスを、腐臭のする液体が汚す。小さな粒は宙に散り霧散していった。
沼は空になった。
泥浴びを終えて白と黒のマーブル模様になった狼は、ぶるぶるっ、と身体を震わせてまとった液体をまた散らした。親族たちは笑っていた。
「ええ、祟りのエネルギーは尽きています。これでいいのですか」
犬神が電話口で言った。
カチッ、と何かがはまった音がした。
「あれっ」
ビール瓶の箱が積み上がって山になった。久那杜が見ている目の前でだ。
マイクスタンドは焚き火の薪のように折り重なっている。
「なんだ、これ」
久那杜のポケットから着信音が鳴った。旧式の携帯電話を取り出す。
「あい、もしもし」
『久那杜さん! 箱ぜんぶ持っていっちゃったの!?』
酒屋の店主の声が響き渡った。
『すこしならいいけどねえ、困るよ! まだ使うんだから!』
「あー、すみませんでした。はい。卒業式が終わったら返しますので」
電話口でぺこぺこと頭を下げる。
それを見ていたみおりが、卒業生徒の席でため息をついた。
「もうちょっと遊びたかったのに」
「お前はもう、ウロの巫女じゃない」
電話を切った久那杜が言った。
「努力せずに手に入れた力は忘れることだ。人間ってのは、そうやって大人になっていく」
久那杜はみおりに微笑んでいた。
目を丸くしたみおりは、そんな久那杜を嘲笑う。
「っていうか、巫女って何。キモいんだけど」
「俺が考えたんじゃないのに。ショックだ」
さほどショックではなさそうに、久那杜は欠伸をした。
久那杜と生徒たちは絡まったマイクスタンドをほどいて、箱を整理して、台を作った。
みおりは、普通の少女のように、それを待っていた。
「急いで黒井戸氏、遅れちゃうよ!」
黒井戸の背中を押しながら、瑠佳が叫ぶ。
「うるさい。叫ぶな。これが俺の、全速力だ」
背中を押されながら黒井戸が、あがった息に合わせてぼやく。
墓に囲まれた坂道を駆けあがっていく。
「ところで、ウロを、祓った時のことだが」
「うん、思い出したよ。全部」
瑠佳は言った。
「あとで聞かせろ」
「わかった」
坂を登りきった。椅子が並んでいる。大量の箱とマイクスタンドが転がっている。
『では』
ハウリングの音が響き渡る。大量のスピーカーによる大合唱だ。
「まに、あ、ったぁ!」
瑠佳と黒井戸は、駆けこんだ。
今年度唯一の卒業生として、卒業式を挙行していただいたことへ感謝を述べます。
私たちのために、このように素晴らしい卒業式を挙行していただき、誠にありがとうございます。
先生、ご来賓の皆様、そして、いつも私たちを見守り、支えてくれた保護者の皆様に、心より感謝申し上げます。
私は三年前、不安と共にこの烏鷺山高校へ入学しました。
そして日々の学校生活で、大切なことを学びました。
クラスメイトとの友情です。
陳腐に聴こえるかも知れませんが、それは、私にとってかけがえのないものです。
先生からご指導だけでなく温かい励ましをいただいたことに、感謝を申し上げます。
保護者の皆様は、いつでも暖かく見守り、私を支えてくださいました。本当にありがとうございます。
私は、社会へと羽ばたいていきます。
この烏鷺山高校で学んだこと、友人たちとの思い出を忘れることは、決してないでしょう。
つづく