第十五話 祟り
「瑠佳くん……?」
みおりが振り向くと、瑠佳は黒い液体をこぼしながらうずくまっていた。
「瑠佳くん、……瑠佳!」
瑠佳の肩に触れる。制服から、じわりと黒い液体がにじみ出る。腐った匂いが立ち込める。
みおりは思わず手を離した。震える自分の指先を見つめて、叫んだ。
「いやだ、やだよ! 瑠佳!」
いつの間にか校門の前に、僧侶が立っていた。
錫杖で地面を叩いた。金属の輪がけたたましく鳴る。
「カァッ!」
気迫と共に網が投げられた。みおりを瑠佳ごと捕らえる。網には長年使われた注連縄が編み込まれているようだった。
僧侶は念仏を唱えながら網をからげとる。
「邪魔をするな」
みおりが低く唸った。
網が黒くくすぶり、溶けていく。
「私の友達が死ぬんだ!」
僧侶の目鼻から黒い液体が噴き出した。それでも念仏をしばらく唱えていたが、やがて液体を吐き出して、骨が抜けたようにくたりとその場に崩れ落ちた。
「恐ろしいですね」
錫杖を持った誠人が校門の影から現れた。校門から校舎までびっしり詰めかけた僧侶たちが、みおりと瑠佳を取り囲む。念仏が重なる。
「ウロの力が強くなっている。皆さん、早く楽にしてさしあげましょう」
誠人が錫杖を鳴らす。
パラパラ、と通り雨のようなものが降って、念仏が止まった。
「あー、あのですね」
気の抜けた声がする。
僧侶たちは校舎の入り口を見ようとしたが、首を動かせなかった。念仏を続けようとしても口も動かせない。地面をよく見れば、彼らの影は鉄杭に縫われていた。
「ウチの生徒なんですよ、その子も」
久那杜が顎髭を掻きながら、下駄箱の影から出て来た。その声はいつも通り面倒くさそうだったが、ある種の気迫があった。
「久那杜の者か!」
「ん、同業者ね。そういうこと」
構えた誠人を指して、久那杜は納得したようだった。
「人の獲物を横からかっさらおうなんて躾がなってないねえ。どこの流派よ」
「名乗る必要はない!」
誠人が印を結んだ。黄金色の気配が久那杜に向かって飛ぶ。しかし久那杜は手首を返して鉄杭を投げた。気配と杭がかち合って破裂した。
「滅ッ!」
誠人が久那杜の懐に踏み込んだ。錫杖で腕をからげ、骨を折ろうとしている。久那杜は気付いていたのか、回転にあわせて跳躍した。
「っていうか、逃げたけどいいの」
回りながら久那杜は言った。
「なにっ」
誠人は僧侶たちの中を見た。
黒い液体が落ちているだけで、みおりと瑠佳の姿がない。
「真面目だけど実技が足らないなあ。久那杜に鞍替えしない?」
久那杜のあくび混じりの言葉に、誠人は目を見開いた。
「うるさい!」
黄金色の気配がはじけて鉄杭を抜き取る。
僧侶たちが学校へ突入した。
黒い液体は足跡を形づくり、廊下の奥へと続いている。
「瑠佳、瑠佳」
みおりは瑠佳を抱えて教室へ入った。
瑠佳はぐったりとして黒い液体を吐き続けている。
「瑠佳、ごめん。ごめんね……」
「謝って、ごほっ、くれるんだ」
瑠佳が呟く。
「全部私のせいだ。私がウロなんかに祟られたから」
「そう、みおりとウロは別のものだよ」
「そう……瑠佳?」
瑠佳は立ち上がった。黒い液体の勢いは止まっていて、身体が溶ける気配はない。
「瑠佳、どういうこと」
「ごめんね、だましちゃって」
瑠佳は墨汁で作った液体をハンカチで拭き取った。
「ウロを祓い落としにいこう」
瑠佳は、みおりの手を取る。
「みおりが出てきた」
瑠佳はスマートフォンを取り出して、全生徒に報告した。
「みおりが出てきた。今、理科室に向かってる」
「……」
瑠佳はスマートフォンをスカートのポケットにしまう。
「みんなの所に着いたら、全部話してね」
「全部って」
「みおりがウロに憑かれた時のこと。それから、みおりが後悔してること、全部」
きっと嫌だろうけど。
瑠佳の言葉に、みおりは言い淀んだが、うなずく。
「……うん」
瑠佳はみおりの手を引いて走る。
その進行を僧侶の列が阻む。
『滅!』
廊下を埋めつくす黄金色の気配が飛んでくる。瑠佳とみおりは倒れ込んでそれを避けた。スライディングで僧侶たちの足の間を抜ける。
黒い液体が廊下を侵食し、僧侶たちは溶けた廊下に足を取られる。
瑠佳とみおりは走る。
校舎が溶けていた。
ウロの祟りが侵食し、すべてが黒い液体に変わりつつあった。
理科室へ辿り着く。そこにみんなが居る。
「こっちだ!」
黒井戸が溶けつつある扉を開けて待っていた。
瑠佳は滑り込む。
みおりの腕が、錫杖に殴られた。
「っ……!」
「みおり!」
瑠佳は振り返って叫ぶ。みおりの腕を後ろ手に捕らえているのは誠人だった。
「ウロを調伏するのは、僕だ!」
黒い液体に飲まれながら誠人は叫んだ。
錫杖を振り上げる。みおりを殺そうとしている。
「やめて!」
瑠佳は手を伸ばす。
瞬間、錫杖の先端が砕かれた。
「は、はあ……?」
金属の輪が黒い液体に落ちて、沈んでいく。
廊下の向こうから久那杜が走ってきている。その手に鉄杭が握られている。
誠人の身体は黒く染まっていく。
「嫌だ……嫌だっ、僕は特別だ。僕は特別なんだ。千年に一人の天才なんだっ僕がこんな所で、死ぬはず……」
誠人が黒い液体を吐いた。
中身を失った誠人の皮が、崩れ落ちる。
「みおり、こっち!」
「久那杜先生も!」
黒井戸と瑠佳はみおりの身体を引き上げた。走ってくる久那杜に小埜寺が声をかける。
久那杜はにやりと笑って、黒い液体に沈んでいった。
「……」
生徒たちは理科室へ引き上げる。
理科室は侵食が弱かった。特に、準備室の周りは元の形を保っている。地下室の真上であることが関係しているのかも知れない。
もっとも形を保っている準備室の中央に、机と割り箸とティッシュで作った祭壇があった。
十人の生徒たちは、黒い液体に囲まれたまま儀式をはじめる。
「みおり」
瑠佳が、声をかける。みおりはうなずいた。
「私はここでウロに憑かれた」
みおりは、告白をはじめた。
「私は、弟の沢馬を弔えなかった。……ううん、恨んでさえいた。『あいつ、なんて馬鹿な死に方したんだろう』って。恥ずかしくて誰にも言えなかったけど。……あいつはいつも隣にいた。でも、それが当たり前じゃないって思い知らされて……死ぬのが怖くて、ずっと心に穴が空いていた。お墓が怖かった。この学校が怖かった。ずっと見られてるみたいで」
瑠佳はみおりを抱きしめる。
みおりは告白を続けた。
「私はわかっていた。ウロはその穴に入り込んだんだ。……ウロは私の恨みを食って育った。心を閉ざした私を依り代とするために、あらゆる脅威を祟り殺した。私が殺したい相手を殺した。私もウロと同調しつつあった。……だけど、もう終わりにしよう」
みおりは、胸の前で手を合わせた。
「ここに、古蛇沢馬の冥福を祈る」
「古蛇沢馬の冥福を祈る」
みおりに続いて皆が手を合わせた。
読経もない、ただ静かな祈りが続いた。
黒い液体がすべてを飲み込む。
山にかかった広い墓地がある。
そこへ、二人の男が訪れる。暗い色のスーツ。
墓地の中央には、黒い沼が溜まっていた。
「あの」
男たちは墓地の入り口に立つ者に声をかけた。
片腕で顎髭を掻きながら、ジャージの袖を風に流していた。その者は、調伏師でありながら烏鷺山高校の唯一の教師、久那杜だった。
「すみません、管理者の方ですか」
「あー、そんなもんかな」
「ここに、娘が来ていませんか」
男たちは言った。
「私は時宗といいます」
「私は古蛇です。私たちの娘が、この学校に通っているはずなのですが」
黒い沼の縁で、生徒たちは机と椅子を並べはじめた。
「変わった学校ですね」
「あー、以前は校舎もあったんですけどね」
時宗に言われて、久那杜が顎髭を掻きながら気まずそうに言った。
机と椅子を並べ終えて生徒たちはくすくすと談笑を始める。
「ほら、出席とるぞー」
久那杜の言葉に談笑が止む。
「舟森」
「はーい」
舟森陽介がおどけた声を出した。
「村前」
「はい……」
村前閑が静かに答えた。
「行木」
「はい」
行木叶汰が傾いた身体で手を挙げた。
「犬神」
「はい、ですわ」
犬神琴音がしとやかに答えた。
「小埜寺」
「はい」
小埜寺一が力強く答えた。
「笠井」
「はい!」
笠井東雲が負けじと声を張った。
「黒井戸」
「はい」
黒井戸劉が沼を見ながら答えた。
「原田」
「はい」
原田昌輝が恥ずかしそうに答えた。
久那杜は片手で出席簿を持ち、顎でページをめくった。
「時宗」
「はい」
瑠佳は、手を挙げた。
手を下ろして、最後に呼ばれる名前を待つ。
「古蛇」
久那杜はその名を呼んだ。
瑠佳の隣に座る、中性的な少女が手を挙げる。
「はい!」
確かにここに居る。そのことを示すように、みおりは天に向かって高く挙げた。
黒い沼の表面は、静かに凪いでいた。
つづく