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子猫ねこねこ

作者: F

事務所に居ても子猫の声が聞こえる。

猫好きな美波は、休憩時間の度にどこに居るのかと声を頼りに探すが姿が見えない。

だんだん弱々しくなってきてる気がする。


新入社員の石田くんが、事務所前の溝をスーツの汚れも気にせず覗いて探してくれた。

「ここの隙間に居ますよ。ちっちゃいヤツ」

「どこかから入っちゃったのかな」

「おそらく、隙間から落ちて明るい所を頼りにここに着いた感じですね」


助け出すには、側溝蓋を外すしかないが、コンクリートだから道具と時間が必要だ。

とても仕事中に出来る作業ではない。諦めるしかない事を思い知らされる。

「仕方ないね…」

休憩時間も終わりになり、急いで席に戻る。


しばらく子猫の鳴き声は聞こえないように、仕事に集中する。

聞こえなくなったらなったで、余計に心配が増す。

そんなソワソワする美波を気にする視線がある。


コピーを取りに席を立つと、視線がぶつかった。

そのまま目をそらさずに、机をトントンと叩く。

〝仕事に集中しなさい。オレがなんとかするから〟

多分そんな所だろう。

美波は、2人にしか分からないようにうなずく。

〝分かりました〟というように。

彼には何でもお見通しなのだ。



「櫻井さん、明日出勤?」

(…えっ?)

課長に言われて、ホワイトボードを見る。

いつの間にか【休日出勤】のマグネットが付いている。付けたのは美波ではない。


「すみません、どうしても終わらせたい仕事があって…」

課長は美波を見た。

「じゃ、申請出しておいて」

「はい」

「明日は誰か他に出勤するかなぁ…」独り言をつぶやきながら課長がホワイトボードを見渡す。

「営業の今野係長が出勤するな、事務所の鍵は空けてくれると思うから話しておいて」

「はい」

素直に返事をする。


彼を確認するが、席には居ない。

そういえば午後から営業会議があると言っていた。

資料作りで大変だ、とも。

いつもの雰囲気で、場をピリつかせるのだろう。

会社に居る時はホント鬼上司なのだ。


ラインではなく電話があったのは、美波がシャワーを浴びて寝るばかりになった頃だ。

「今、交流会終わったよ」

「お疲れ様です」

今はどんな状況なんだろう…?と電話口から聞こえる音に耳を澄ます。

「長かったよ、美波」

彼が下の名前で呼ぶ時は、周りに人が居ない時だ。

「呑みすぎてない?」

「それは大丈夫。会いたいけど明日もあるからやめとく」

「分かった」

「そのかわり声が聞きたいから、タクシー乗ってる間話に付き合って」

「…はい」

聞こえてくる声に癒されながら、短い時間の会話を楽しむ。〝美波〟と呼ぶ声に抱かれるように。


よく晴れた次の日、子猫用の哺乳瓶とミルクを持っていつもより早く自宅を出る。とにかく間に合って欲しい、ただそれだけを願って。


彼の車が駐車場にすでに停まっている。

事務所に入ると、窓からすでにスコップの様な物で作業している彼が見えた。

急いで荷物を置き、また下駄箱へ戻り外へ出て事務所前へまわる。


「おはようございます」 

「おはよう」


美波と顔を合わせる為に、一旦手を止めた。

こんなに優しく笑う姿は仕事中には見る事がない。


スーツが汚れないように、Yシャツの上には薄いジャンパーを着て、手には軍手をはめている。

嬉しい事に、耳を澄ませばまだ子猫の鳴く声が聞こえる。

(今助けるから頑張って!)


美波の気持ちを察してか、すぐに作業を再開する。

側溝の蓋と蓋の穴にスコップを入れ、テコの原理で蓋を持ち上げた。コンクリートの蓋をうまくずらしながら開ける。


子猫の鳴く声がいっそう大きくなった。

近くに居る。

携帯のライトを利用して、彼が溝の中を照らす。


「居る、居る」


手を伸ばして、さらに伸ばして片手に乗るサイズの子猫を引きずり出す。

ミャーミャーと鳴く白い子猫に思わず「可愛い…」と声を漏らしてしまう。

彼の軍手の中で鳴く子猫の背中をそっと撫でる。

「良かったねぇ」

小さい命は小刻みに震えている。

目は開いているので、本当の生まれたてではなさそうだ。彼と顔を見合わせる。


「ミルク持ってきた?」

「うん」

「そこにタオルとカイロがあるからやけどしないように子猫包んで。一旦ミルクあげてみよう」


美波は言われた通りに、タオルを持ってきて子猫を包み事務所に戻る。

もしかしたら誰かが出社してるかも、と身構えるも、時計を見てさすがにこの時間からはまだ出社しないな、と改める。

組み立てた段ボールにそのまま子猫を入れ、給湯室でミルクの準備をする。

かすかに子猫の泣き声が聞こえてくる。

お湯でミルクを作って、適温まで流水で冷ましている間に、彼は側溝蓋を元通りにしている。


出来上がったミルクを手に給湯室から出る所で一緒になった。

目があった瞬間に、また給湯室へ体ごと押し込まれ

「ご褒美ちょうだい」と、軽くキスされた。


ビックリして固まり、「会社ですよ!」と思わず声をあげる。

「優等生だな」

軍手を外して、石鹸で手を洗っている。

彼の大きな手が泡だらけになり、その泡が水で洗い流されて行くのを見守る。


「ミルクあげてみよう。元気になるといいけど」

子猫をタオルに包んだまま、口に哺乳瓶を近づける。ゆっくり口にくわえさせ、ミルクを吸わせる。

思ったよりうまく飲んで安心し、彼と顔を見合わせる。


子猫と向かいあって居る時、突然〝カシャッ〟と数回音がした。急いで顔を上げる。

「何で撮るんですか?」

「美波も子猫も可愛いから」

(普段そんなこと言わないのに…)と妙に照れて反応が出来なくなる。


「飲み終わったら、車の下に置いてみよう。鳥にイタズラされてもいけない。泣き声で母猫が迎えに来てくれればいいけど」


事務所からも見える位置に子猫を置く。

すでに情が移っている美波には、後ろ髪ひかれる思いだ。


「美波の所、ペットは?」

「おそらくダメです。係長の所は?」

「母猫が来なければ、ウチの子だな。出来れば面倒見てくれる人も一緒に来てくれるといいけど」

「…どういう意味ですか?」

彼が美波を見て意味ありげに微笑む。

「始業時間になるから、母猫がくるか仕事しながら見守ろう。仕事はどうだ?」

「溜まってる書類片付けます」

「オレも集中して終わらせる」


背中側でパソコンを打つ音と時折資料をめくる音が聞こえる。美波も集中して、普段出来ずにためていた仕事を終わらせていく。

「櫻井さん、外」

「えっ?」

彼の声に急いで外を見る。おそらく母猫であろう猫が周りの様子を気にしながら車に近付いている。彼もノート型のパソコンを手に、場所を移動して美波の隣に座った。


「大丈夫ですか?隣に座っちゃって」

「この時間で来なければ、誰も来やしないよ。それに悪い事してるわけじゃない」


お互いに窓の外を眺めながら、仕事をする。

彼が座った右側の方の体が熱くなる。


とうとう母猫が車の下に潜った。

さすがに2人とも手を止めて見守る。

あっという間に子猫の首を咥えて駆け抜けて行った。


安心すると同時に力が抜ける。

もう少しあの可愛い子猫と一緒に居たかった。


「残念?」

「はい…子猫にとっては1番いい結果ですけどね」話しながら彼を見ると、眼鏡の奥で優しく笑ってる。

「隣に座ると忘年会を思いだすよ」

「半年前のですか?」

「そう、付き合うきっかけになった忘年会」


彼はパソコンを打ちながら画面から目を離さずに話し出す。

「隣で緊張してるな、とは分かったんだ。普段の仕事中は鬼上司だし、営業にはキツイ事も言うし、めったに笑わないし、いつも世間話もせず、話しかけるなオーラを出してる。

さすがに気を使って、席を移動しようかと思ったら、急に〝係長は猫と犬どっちが好きですか?〟って聞かれた」


思い出して、クスッと笑いパソコンの画面を見たまま美波も話す。

「少しお酒が入っていたのもあって、何か話をしたくなったんです。共通点あるかなって…

私は昔から猫みたいだって言われてたから、係長はどっち派なのか確認したくなったんです」

「オレが犬派だって即答してどう思った?」

「少し、残念でした…。何でもこなす係長に憧れていたから」


「で、何で猫が好きなんだって話になったな」

「いい気分の私はそこから力説して…」

「そうそう、あまりの勢いにオレが大笑いしたんだよな。くるくる表情は変わるのに、スッと素に戻るし、目が合ったなって思っても、スッとそらされる。それでいて、しばらくジッと見つめてくるし翻弄されっぱなしで、気になって仕方なくなった。本当に猫みたいだなって思って」


「お正月休みにインスタにDMきた時にはビックリしました。猫について教えてくれって」

「石田のインスタのフォローから探して思い切って連絡した。本当は猫がどうより、美波の事が知りたくて連絡したんだけどな。あれからずっとオレは、美波に翻弄されっぱなしだ」


「まだ犬派ですか?」

チラリと彼を見る。

「美波派だな」

彼も美波を見る。

お互い目が合って笑い合う。


「そっちは仕事どう?」

「いつでも終われます」

彼がパタンとパソコンを閉じた。


「もう終わったんですか?忙しそうだったのに」

「急ぎは終わった。汗かいたし早くシャワー浴びてスッキリしたい。今日はそっちに泊まっていい?オレの子猫を沢山抱きしめたい」

覗き込むように強引に見てくるから恥ずかしくなる。


「職場だって忘れてますよ」

「好きな子の隣に座ってずっと冷静には仕事出来ないよ。美波、帰ろ」

最後は子供の様になっている。

美波も区切りをつけてパソコンの電源を切った。


週明けの月曜日、石田くんから話しかけられる。

「子猫の声がしなくなりましたね。うまく抜け出せたのかなぁ」

「きっとそうだよ」

美波は笑って答える。


今野係長との事はまだ秘密。

もう少ししたらだんだん周りから言っていこう、と言っていた。


「美波はみんなに知られて大丈夫?オレが相手だと色々興味持たれて聞かれるのはそっちだよ」

彼の腕の中で優しく撫でられながら囁かれる。

「大丈夫。2人の時はすごく優しいって惚気るから」

目の前の首筋に軽くキスする。

少し体をズラして美波からキスすれば、優しい彼がまたキスを沢山返してくれる。





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