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猫屋敷律子の共感覚事件簿 1

作者: はとり

 昼休憩。

 教室の窓際の席で、僕はスーパーで買った総菜パンを食べていた。

 ちなみに僕の名前は犬井順。興味がない人は読み飛ばしてくれて構わない。

 トレードマークは、この黒縁メガネだ。

 人畜無害なモブA、どこにでもいる平凡な高校生。

 呼び方は色々あるけど、そんなパッとしないのが僕である。


 この折北高校に入学して一か月で、僕はボッチの称号を得たわけだが、だからといって最悪かと聞かれたら、そんなこともない。

 言っておくけど、強がってるわけじゃないよ。

 僕の嫌いな言葉は『無駄』である。無駄なことは極力やりたくない。

 だから僕は人間関係さえ無駄なものだと思っている。


 授業だってそうさ。五分で分かることを、なぜ一時間もかけて教えるのか分からない。せっかく地元の進学校に来たってのに、結局どこも一緒だ。


「うおおお! ヤッベえー、財布忘れちった! 頼むよケンちゃん、俺にパンを恵んでくれ~」

「仕方ないな。それは良いけど、急がないと購買に人集まるよ」

「さっすがケンちゃん! これこそ友情って感じ?」

「痛っ」


 購買に向かう男子生徒が、肩にぶつかってきた。その拍子に僕のメガネも落ちる。


「あっ、ごめんね。痛くなかった?」


 ケンちゃんと呼ばれた男が、爽やかな声でそう聞いてきた。さすがは、クラスのリーダーだ。僕のようなモブにも気を遣ってくれるらしい。


「ケンちゃん、早くしねえとパン取られるぞ!」

「わ、分かってるって! ごめんね、犬井君。それじゃあ、急いでるから!」

「う、うす」


 コミュ症な返答をすると、爽やかイケメン男子は走り去って行った。せっかくなら、メガネも取って欲しかったんだけど。


 目を凝らして、落ちたメガネを手探りで探す。でも視力が悪いので見つからない。すると誰かが近づいてきて、僕の肩をツンツンと触った。


「メガネ、ここに落ちてた」

「どど、どうも……」


 黒縁のメガネを掛けると、そこには女子がいた。

 人の名前に興味がない僕でも、彼女の名前くらいは知っている。

 なんたってこの学校では有名人だ。まあ、悪目立ちの方なんだけど。


 彼女の名は、猫屋敷律子。


 純和風の黒髪に、雪でも塗っているのかと思うほどの色白な肌。一見して感情のこもっていない日本人形のようだが、そのつぶらな目は好奇心が強そうだ。


「これ、犬井くんの本なの?」

「そ、そうだけど」


 それは僕が読んでいる分析心理学の本だった。

 猫屋敷はその本が気になったのか、ためつすがめつ色んな角度から見ていた。こういうところは無邪気な子供っぽい。


「心理学の本ね。分厚いわ。難しそう。でもわたし、活字は好き。心理学にも興味があるの」

「そ、そうなんだ……。えっと、さっきはメガネを取ってくれて助かった」

「わたし、メガネを取ったわ」

「うん、知ってる。さっき渡してくれたからね……。じゃあ、そろそろ本は返し」

「でも国語は苦手」

「はい?」

「作者の気持ちが分からないの。説明書を読むのは好き。無心になれるわ。楽しいの」

「あ、さっきの話まだ続いてたんだ……」


 やっぱり猫屋敷はどこかズレている。いや、ズレともまた違う気がする。彼女の言葉には、感情とか文脈みたいなものが無いのだ。


 さすがは一か月で、学校の全生徒から変人の称号をもらった猫屋敷である。僕のボッチという称号よりもずっとタチが悪い。


「……それで空も好き。赤い空は怖い。わたし、風にもなりたいわ。気持ちよさそう」


 少し考えごとをしていると、話題が変わっていた。

 いつだ? いつこうなったんだ? 猫屋敷はうっとりしながら、空の方を眺めていた。

 もう話は終わったと思い、僕は心理学書を眺めながらパンの残りを食べた。


「犬井くん、探偵部に入って」

「唐突だな」


 どうやら会話は終わっていなかったらしい。

 僕がそう言うと、猫屋敷は一分ほど黙り込んだ。 それはそれで怖いんだけど。


「犬井くん、探偵部に入って」

「時間を空けたら良いってことじゃないよ。僕が言うのもアレだけど、少しは会話に前フリみたいなのがあるでしょ?」

「まえふり?」


 初めて聞いた言葉なのか、猫屋敷は眉をぐぐぐと寄せていた。


「聞いたこと無いの?」

「ふりかけのこと? わたし、卵味が好き。犬井くんは?」

「たらこ味。そうじゃなくてさ、『犬井くんって部活しないの?』とか聞くだろ普通」

「犬井くんって部活しないの?」

「言うと思った。まあ良いや。僕は探偵部に入らないよ。他を当たってくれ」

「分かったわ」


 猫屋敷がそう答えて、三分がたった。

 それなのに、なんでずっと僕の横に立ってるんだ? さっき断ったよね? 聞こえてないの?


 僕は居心地悪くて、横目で彼女を見た。すると目が合った。すごくすごくこっちを見てた。もう怖いんだけど、ほんとにやめてくれないかな。


「あのさ、さっき断ったよね。僕は探偵部に入らないから」

「どうして?」

「逆にどうして入ると思ったの? その部活に入るメリットが無いんだよ。言ってること分かる?」

「分からないわ。わたし、入部届の紙を持ってきたの」


 すると彼女は胸元から、折りたたんだ紙を取り出した。

 ど、どこに入れてんの! 

 そして渡される。僕は思わず受け取ってしまった。


 感想は……はい、生温かいです。


「この紙はかか、返すから! あとこの際だから言うけど、そういうの周りは迷惑だから!」

「そういうの?」


 猫屋敷は平坦な声でそう聞き返す。


「だから、僕が言いたいのは探偵部のこと! 入学早々に、探偵部なんて変な部活を作ったり、色んな人を強引に勧誘してるだろ!」

「探偵部は変じゃないわ」

「普通の高校生からしたら十分変だよ。同じ中学のよしみだから言うけど、そんな目立つことしてたら痛い奴だと思われるよ」

「痛い……」

「そうそう。だから、これからは大人しく健全な高校生活を過ごしなよ。顔は良いんだから、黙ってれば友達もすぐ出来るよ」


 どの口が言っているのかと思うけど、これも猫屋敷のためである。それに僕は友達がいなくても寂しいなんて思ったことはない。無いったらない。

 猫屋敷は少し顔を下げて、細い腕を握っていた。


「わたし、痛いの我慢するわ。注射は嫌い。でも目をつぶるわ」


 すると猫屋敷はギュッと目をつぶった。力が入りすぎて、目元に皺ができている。


「注射の話じゃなくて……もう良い、勝手にしろよ。でも僕は探偵部には入らないからな!」

「わたしは探偵部に入るわ。絶対に入るの」

「いや、もう君は入ってるだろ!」


 そんな応酬をしていたせいで、僕はつい周りが見えなくなっていた。教室に残っている生徒が全員こっちを見ており、口々に何か言っている。

 だから嫌なんだよ。この校内一の変人と一緒にいたら、僕まで変人扱いされる。


 そもそも猫屋敷のクラスは二組だ。

 ここは一組。目立つのは当然だ。

 僕が望むのは、静かで平穏な高校生活。だから猫屋敷とはこれ以上関わらない方が良い。

 僕は教室を出た。


「どこに行くの?」


 やっぱり付いて来た。しかしこれは想定内である。僕が向かうのはボッチの休憩所。


「トイレ。誰かさんのせいで具合が悪いんだよ」

「わたしも行くわ。今なら卵が産めそうなの」

「…………」


 何もツッコまないぞ。ツッコんだら負けだ。彼女のペースに持ちこまれる。

 僕は廊下を進み、そして男子トイレの中に逃げ込んだ。そのはずだったのに、


「なな、なんで男子トイレに入って来くるんだよ!」


 猫屋敷は男子トイレの中にいるのに、いつもと変わらずに落ち着いていた。


「それなら、女子トイレで話す?」

「話すわけないだろ! ちっとは常識的に考えてくれよ!」


 そう声を荒げた時、


「うっせーぞ! つうか、トイレに女子を連れ込んだ野郎は、どこのどいつだ?」


 一つだけ閉まっている個室から、体育教師の山田の声がした。

 ちなみに山田は風紀に厳しく、鬼のように怖い先生で有名だ。見つかるのは、絶対に避けたい。


「そこで待ってろよ! すぐにケツ拭いたら、生徒指導室にぶち込んでやるからな!」

「あの人、一人で何か言ってるわ。そういう趣味なのかしら?」


 猫屋敷は冷めたような顔でそう言った。僕から見れば、猫屋敷の方が変だけどね。

 でも、今はそんな悠長なこと言っている暇はない。


「ほら、早くここから逃げるよ」

「どうして?」

「このままだと二人とも指導室に連れてかれるんだよ。今の流れで分かるだろ?」

「分かったわ。でも、どこに行くの。わたし、どうせなら国外が良いわ」

「今は何もツッコまないからな!」

「おいコラ、お前らどこに行くつもりだ? そこで待ってろ!」

「あの人まだ何か言ってるわ。わたし、ちょっとこらしめてくる。そこで待ってて」

「しなくていい!」


 猫屋敷の細い腕をつかみ、僕たちはトイレから逃げ出した。

 やはり彼女に関わるとロクなことが起きない。

 僕たちは階段を二段飛ばしで駆けあがり、屋上に繋がる扉の前までやってきた。ここは普段、荷物置き場になっているので、暗くて埃っぽい。

 扉は施錠されているので外には出られない。さすがにここまで来れば安全のはずだ。


「災難だったわ。それと腕が少し痛い。犬井くん、力が強いわ」


 見れば、彼女の白い腕が赤みを帯びていた。僕は焦って強く掴んでしまったらしい。


「それはごめん。でも、君がトイレに入ってこなければ、こうはならなかったよ」

「わたし、腕を握られたわ。腕を握られたの。ここよ、ここ」


 彼女は何度も赤くなったところを見せてくれた。


「そこが赤いのは分かったから……。ちょっと腕を見せて。腫れてないか見るからさ」


 悪いことをしたつもりはないのに、何だろうかこの罪悪感は……。

 猫屋敷はいつもの、感情の読めない顔でこっちを見ている。そのくせ、声も平坦だから怒っているのかも分からない。


 彼女の腕を持ち上げると、その腕にグッと力が入り、そのまま彼女に押された。

 そして扉に背中をくっつけて、僕は両手で壁ドンされていた。そう、壁ドンである。


 なんで? ほんとどういう状況なのか、誰か僕に教えてくれ。


「やっと追い詰めたわ。ここなら誰の邪魔も入らない」

「誤解を招くようなことを言うな。それより早くこの手をどけろよ!」

「嫌よ。探偵部に入ってくれないと、この手はどけない」


 猫屋敷は口をむーっと引き締めていた。これでも本気らしい。全然そうには見えないけど。


「こんな細い手で僕を捕まえたつもり? 笑わせないでよ。こんなの小学生でも逃げれるよ」

「逃がさないわ」


 どこにそんな自信があるのか、猫屋敷はそう言った。軽いソプラノが反響する。

 近くで見れば、透明感のある肌に、長いまつ毛に縁どられた瞳。そのプリっとした赤い唇と、ほのかに香る甘い匂いが、僕の心をチクチクと刺激してくる。


 目が合った。すごく、すごく居心地が悪い。顔の内側が妙に熱い。


「どうして目を反らすの?」

「…………」


 目線を移した先に、猫屋敷の腕が見えた。僕がさっき握った部分は、まだ赤かった。


「どうして目を反らすの?」

「そ、そんなことよりさ、どうして僕を探偵部に入れたいんだ?」


 話題を変えるように、僕は疑問に思っていたことを聞いた。

 実を言えば、僕が彼女に勧誘を受けたのはこれで五度目である。今までその理由を聞いてこなかったけど、少しだけ聞く気になった。

 罪悪感を感じたのもあるけど、純粋に僕は気になったのだ。校内一の変人である彼女のことが。


「理由は三つあるわ」


 三つもあるのかよ。


「ひとつめ。犬井くんは心理学に詳しい。たくさん心理学の本を読んでるわ。さっきも見た」

「まあ、それは事実だね」


 僕は人の心理を論理的に読み取るのが好きだった。これは趣味のようなもので、人の心理を顔や行動で読み取るのは、心を掌握しているみたいで面白いのだ。


 でも普通とは違う反応をする相手、例えば猫屋敷には通じないけど。


「わたしは人の感情が分からない。だから、犬井くんは探偵部に必要よ」

「そんなの僕じゃなくても」

「ふたつめ」

「人の話は最後まで聞こうよ」

「ふたつめ。犬井くん頭が良いわ。わたしは頭が弱い。でも、探偵部はわたしの夢なの。だから犬井くんが頭脳担当になれば良いの」

「僕が頭脳担当だって? なら、猫屋敷は何の担当だよ?」

「わたしは、犯人を見つけるわ」


どこにそんな自信があるのか、猫屋敷は断言するようにそう言った。


「……犯人を見つけるね。でも、どうやって見つけるんだ?」

「その人を見れば、分かるの。この目が教えてくれる」

「分かるって何が?」

「わたし、感情の色が見えるの。感情の色が赤とか青に見えるの。色んな色が見えるわ」


 猫屋敷は自分の瞳をパチパチする。見てくれとでも言っているのだろうか。


「信じた?」

「信じる奴はただのバカだ」


 光の加減によっては、少し赤茶色に見えるけど、それでも日本人らしい黒目だった。

 それに、そんな簡単に犯人が分かれば探偵はいらない。感情の色が見えるだって? 笑わせないでくれ。それはもう漫画の世界の話だ。

 さすがにこれ以上は、彼女の妄想話に付き合ってられない。


「今の話を聞いて確信した。やっぱり僕は探偵部に入らない」

「どうして?」

「時間の無駄だ。それに僕は一人でいるのが好きだから、部活なんて最初から興味がないんだ」

「嘘つき」

「嘘なんて言ってないよ。僕は事実を言ったまでで」

「嘘よ。わたし、分かるの」


 彼女は半眼になって、僕をジトっと見つめてくる。嘘なんて言ってないのに。

 だけど彼女は確信したような目で、僕の顔を覗き込む。


「分かったわ。放課後、探偵部に来て。わたし、証明するわ」

「証明? そんなのどうやってするのさ?」


 その時、チャイムが鳴った。あと五分で授業が始まる。猫屋敷は意外にもすんなりと壁ドンを解除して、階段を下りて行った。

 そして踊り場でくるりと振り返る。


「放課後、また会いに行くわ」


 彼女は最後にそう言い残した。

 そう言えば、三つ目の理由は何だったんだろ……。

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