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指輪

小説の練習も兼ね、会話は極力少なめ、主に情景を主として描いています。

既に最後まで書き上げてありますので、エタらず安心してお読み頂けます。既に隔日で予約投稿しており12話で完結します。

時代に合わないストーリーなのでは?と思いますが、小説を始めて間もない人間故ご容赦ください。

ちょうど現実でいろいろな事象が重なった時期に書き上げた物です。眠らせておいてもしょうが無いので、試しに公開してみました。読んで頂ければ幸いです。

 日差しが西へ傾き始めた午後五時の都市。春とは名ばかりの、まだ肌寒い風が高層ビルの谷間を抜けていく。ビジネス街の一角、無機質なオフィスビルに囲まれたその場所で、吉川(よしかわ)(あきら)は端末を見つめていた。


 背筋を伸ばし、口を結ぶ彼の表情は、緊張と疲労を混ぜたような曖昧な色を浮かべていた。数字を追いかける眼差しは、冷たく鋭い。それでも、かつては朗らかであったであろう面影が、ふとした瞬間に顔を覗かせた。


 営業職として数字を追う日々。誰かと競うことに疲れ、誰かに褒められることも望まなくなって久しい。定時が過ぎ、デスクの周囲からは同僚たちの足音が減っていく。背筋を伸ばし大きくため息をつくとPCをシャットダウンし、背広の上着を手に取り静かにオフィスを出た。


「やれやれ、また俺が最後か……」


 とぼとぼと歩き駅へと向かう道、ふと歩道橋の下で足を止めた。いつもであればこのような場所で立ち止まることはないのだが、今日に限っては違和感を感じた。視線の先、小さな白い点がコンクリートの上をゆっくりと動いていた。真っ白で、まるで染み一つ無い雪のような蜘蛛であった。誰かが捨てた菓子の包み紙に脚を絡ませ、もがいているのが見えた。


 普段であれば気に留めることのない存在。しかし、吉川はしゃがみ込んで、その細い脚をそっと包み込んだ。包み紙を外し、蜘蛛を掌に乗せると、それは驚くほど軽やかに指の腹を登ってきた。小さな命のぬくもりが、忘れかけていた感情を胸の奥でかすかに灯した。


「すまんな、こんなところで……」


 脇にある草むらにその指を置くと、小さなその身体はゆっくりと葉に乗り移り、吉川の方を少し見ると小さくお辞儀をしたように思えた。


――


 翌日、吉川は朝から落ち着かなかった。預金を解約し、手元に封筒を握りしめていた。彼の足は自然と、彩我(さいが)鈴音(すずね)と訪れた宝飾店の前に立っていた。


 無数の光を反射するショーウィンドウ、そこには整然と指輪が並んでいた。


 目を凝らしショーウインドウを眺める彼の目は、真珠のように淡く輝くシンプルなリングに止まった。これがいい、そう思えた。だが、その瞬間であった。内ポケットに入れていたはずの封筒が無いことに気づいた。

 慌てて周囲を探し回った。道を戻り、交番へも足を運んだ。だが、封筒は見つからなかった。


 肩を落とし、足元ばかりを見ながら帰路に着いた。夕暮れの街、帰宅を急ぐ人波の中を逆行するように歩いていると、ぽつりぽつりと雨が落ち、その感触が頬を伝った。涙か雨か分からないくらい酷い顔だったのだろう。過ぎ行く人々が吉川を憐れんでいるように思えた。


 傘もささず歩いていると、視界の端に見慣れぬ小さな店が映った。かつてこの通りには無かったはずの古めかしい店構えであった。木製の扉、鈍く光る真鍮の取っ手。何かに引き寄せられるように、その扉を押した。


――ちりん……


 乾いた鈴の音が鳴った。扉をくぐると一人の女性が立っていた。いや、女性と呼ぶにはどこか人間離れした空気を纏っていた。白く透き通るような肌、瞳はまるで蜘蛛の複眼のように不思議な光を宿していた。


 店内は薄暗く静まり返っていた。客もいなければ商品の陳列はなく、ただ中央のテーブルに一つだけ、白い指輪が置かれていた。吉川の目は自然とその指輪へ吸い寄せられた。


「それは、あなたが無くした大切な物……そして全てを分かち合うべき存在……」


 女性の口は動いていない。声は頭の中に直接響いた。指輪はまるで呼吸をしているように淡く光を放っていた。何も言わず、何も問わず、吉川はそっと指輪を手に取った。重さは明らかに金属の“それ”であるのに、金属とは思えないほど暖かく、そして無数の白い糸が折り重なっているような精巧な装飾であった。

 吉川が指輪の値段を尋ねようと女性の方に視線を向けると、女性も店も無く、ただただ空き地に佇んでいるだけであった。手の中には指輪だけが残されており、先ほどまで降っていた雨は止み、星空が瞬いていた。


――


 それから数日後。晴れ渡る夜空の下、公園のベンチに鈴音(すずね)が座っていた。かつて二人で語り合った思い出の場所。吉川は彼女の前に立ち、震える手でそっと彼女の手を取った。鈴音は小さく頷き、そのリングを受け入れた。


 最悪はその時訪れた。公園へと向かう族が居た。彼らはその神聖な領域に土足で踏み込んできたのだ。バイクの唸る音は辺りに響き渡り、狂気に満ちた笑い声が周囲を包んだ。地面を引きずる鉄パイプは、チリチリと火花を立て、鈴音を目掛けて振り下ろされた。


 鈴音を守る――。


 ただそれだけであった。咄嗟に出した右腕は鈴音を守ることに成功した――。


 だが、それとは別の金属音がした。それに気づいた鈴音がふと何かを見上げた。宙を舞う金属片。それは一瞬の出来事であった。

 鈴音は吉川の胸を突くようにして彼を弾く。周囲には鈍い衝撃が走り、上から落下してきた鉄骨が鈴音の身体を包み込むと、彼女の姿が視界から掻き消えた。


 族達は気まずくなったのか、その惨状を見ることもなく宵闇に消えていった。あざ笑う声と、悲鳴が響き渡った。けたたましいサイレンの音とともに……。


 吉川の足元にはただひとつ、真っ二つに分かれた指輪の片割れが、転がってきた。震える手で指輪を取るとそれを胸に抱き、そして、声にならない声で喚いた。


 彼女の痕跡はどこにもなかった。鉄骨の回りも見渡した。警察の捜索も、ニュースの報道も、すべてが空虚だった。彼女は、この世界から「消えた」のだった。


 いつか帰ってくる――そう思い鎖で外れないように指輪を繋ぐと、肌身離さず持ち歩くことにした。


 指輪を見るたび喪失感が強くなっていく。それは日増しに強くなり心を蝕んでいった。


 吉川は、まるで生きながら幽霊になったかのようであった。日々の意味を失い、声を失い、職も住まいもすべてを手放した。やがて薄汚い段ボールの中に身を沈め、繁華街の橋の下に居を移した。


 時間だけが過ぎた。幾度となく季節が巡っても、彼女の姿は戻らなかった。毎日のように公園に通い、鉄骨の落ちた場所を朝から晩まで探したが何も見つけられなかった。


 ある朝、公園は再開発にのためフェンスが貼られ工事が進められていた。フェンスの傍で毎日毎日ただひたすらその様子を眺めた。だが何が変わるわけでもなかった。

 そして、それから程なくしてビルが建ち、吉川は近寄ることすらしなくなった。まるで現実から目を背けるように。


 再び時が流過ぎた。誰に気づかれず、誰に名を呼ばれない。もう彼は時間の概念や、今日が何時で自身の誕生日であることすら分かっていない。八十八歳となった夜、吉川は繁華街のゴミ箱の中から潰れたケーキを見つけると、貪るようにかぶりついた。


 あの時に呼び出していなければ……、あの場所に立たなければ……、いや、好きになっていなければ……何度も悔いた、悔いしか残っていなかった。


 ――胸に空いた穴を埋めるように、渇いた喉を潤すように……。そして、呼吸を止めた。


 彼の命は、音もなく、静かにその夜に終わりを迎えると、首に掛かっていた白い指輪が、かすかに光った。


 物語は、ここから始まる。


――――

――

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