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解雇寸前だけど、推しに補佐されながら立ち直ります!  作者: kayako
第2章・モラハラ男から「脱出」せよ!
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その3 クソ王子様に縛られて

 傾く太陽を見上げながら、悠季ははーっと大きなため息をつく。

 そして、その口から吐き出された怒涛のような言葉は。


「昼飯食べた後、洗濯物片づけて。靴下のたたみ方がおかしいと何度も修正されて。

 その後コーヒー淹れてやったのに、インスタントじゃ不味いと言われてコーヒー豆からの挽き直しを要求されて。

 お望み通りのコーヒーを淹れて差し上げた後も、あんたはテレビもスマホもろくに見られず、勉強用のファイルをひたすら綴じながら愚痴聞き係。

 そしてあのクソ王子様は、勉強が分からないとたびたび叫んではあんたにすり寄り、他の女の話しながらあんたの太もも撫でまわす。これで合ってる?」

「……全部見てたのね」

「何度ぶん殴ってやろうと思ったか知れねぇけどな。

 葉子との約束だから──どうにか我慢した。

 だけどさ、もう限界だ。今すぐあんたを連れ帰っていいか?」


 その瞳は全く笑っておらず、激しい怒りすら湛えながら私を見つめていた。

 悠季の視線を目の当たりにした瞬間、胸の奥で何かが疼きだす。


 ──お願い、悠季。

 早く、私を家に連れ帰って。

 ううん、家も嫌。早く私を、家でもここでもない、どこか遠くへ──

 それこそ貴方の育ったマイスの地下水路でもいい。どこかへ──


 思わずその想いが口から溢れ出そうになり、私は慌てて首を振った。

 しかし悠季はそれでも引かず、私に問いかける。

 視線を逸らそうとした私の手首を、逃がすまいと捕らえながら。


「葉子が駄目って言う限り、俺は手出しするつもりなかったけど。

 なぁ……教えてくれないか。

 あんたの彼氏と、あんたの家のこと。

 どうしてあいつと結婚しないと、あんたは親から見捨てられるんだ?」



 そして──私は話した。

 母の知人の紹介で、毅と出会ったこと。

 大学を出て働いてはいたが、医師を目指して医大に入り直したと聞き、父も母も毅をいたく気に入ったことを。

 さらに──


「私の家って……実は、結構貧乏なの」

「え?

 葉子ん家、そこそこいい感じの一戸建てだったろ。

 居間も広かったし、ソファの寝心地も最高だったぜ?」

「それは見かけだけ。

 あの家を買う為に、父は凄い借金をしてしまって。

 ギリギリ返済だけは出来そうなんだけど、全然貯金が出来なくて、今もウチの家計は大変なことになってる。

 それでも何とか、私を大学には行かせてくれて。だからどうにかいいところに就職して、少しでも家計を助けなきゃって思ったんだけど……」

「だけど?」

「私……こういう性格だから。就職活動、全然うまくいかなくて。

 学校を出ても結局就職が決まらなくて、派遣やバイトを転々としてた。

 それでも出来る仕事は少なくて……私の稼ぎだけじゃ、家計を支えられなくて。仕事がない期間も長くなって……

 父も母も、私にだんだん冷たくなって。そりゃそうよね、大学まで出した娘が、全然稼げないばかりかごく潰しに近い状態になっていくんだから。

 ……どんどん、家に居づらくなった」

「じゃあ、一人暮らしでも何でも……」

「元手もないし、出来なかった。

 そもそも父も母も、私みたいな無能に一人暮らしなんか出来るわけがないって、どうやっても家から出してくれなかったの」

「……だから今でも、実家からあれだけ時間かけて必死で通勤してるってわけか。

 それでも何とか正社員として就職出来たのが……あのクソブラックってわけかい」


 吐き捨てるような悠季の言葉に、私は思わず苦笑いしてしまった。笑いながら、泣きそうになってしまった。


「あの会社に就職しても、私はどの部署行っても駄目で。お給料も下がる一方で。

 悠季だって知ってるでしょ。今じゃ派遣で働いた方がマシってレベルなのよ?」

「……知ってるよ。酷いもんだよな」

「あの会社に入るちょっと前に紹介されたのが、毅だった。

 母は滅茶苦茶喜んだのよ──医者の卵なら、葉子も将来安泰だって。

 お医者さんの奥さんになれるなら、どんな駄目な娘でも一発逆転、幸せになれるからって……」


 悠季はじっと私の手首を掴みながら、話を聞いてくれている。

 こんな情けない話を。


「仕事じゃ何をやっても駄目なら、誰かの奥さんになるしかない。

 それも将来有望な医者なら、経済的にも随分楽が出来るだろうからって……

 母は顔を合わせるたび、言ってくるの。絶対毅ちゃんを手離しちゃいけないよって。

 あんたは宝くじを当てたようなもんなんだからって」

「アレが宝くじ? 冗談じゃねぇや。

 地獄への片道切符だろが」

「でも……

 最初はすごく一生懸命で、腰が低くて優しい人だと思ったの」

「腰が低いのと優しいのは別モンだぜ、葉子」

「うん……分かってる。今なら分かる。

 あいつ、たまのデートの時さえ手も繋いでくれない。それどころか、一緒に歩いてもくれないの。

 私はそれを──すごく優しいが故の恥ずかしがり屋なんだって、思ってた」

「えぇ……? マジか」


 私の言葉に、目を見張る悠季。

 そうか。悠季の世界でもやっぱり、カップルが一緒に歩くなんて当たり前だよね。

 後ろに彼女を一人残して自分はさっさと先を歩くなんて、男尊女卑の時代にしかありえないよね。ましてや、道で友達と会ったら私なんていなかったかのような素振りして私を紹介もせず、友達と楽しそうに談笑して歩きだすなんてこと──


 その光景を思い出し。

 どういうわけか私の中で、感情と共に言葉が溢れだしてくる。

 悠季に会うまで、ずっと誰にも言えなかった言葉が。


「私がどれだけクリスマスや誕生日のプレゼントを選んでも、センスが悪いとか言われて使ってもくれなかった。

 甘いものが大嫌いだから、バレンタインのチョコも突き返された。チョコなんて、人間の食べるものじゃないって……」

「……葉子?」

「その癖私には、何もくれないの。

 苦学生みたいなものだから、私には何もくれなくて当たり前。食事代も割り勘どころか私持ちで当たり前。お金のかかる遊園地デートなんかとんでもない。

 私の家には滅多に近寄らない癖に、私がどんなに疲れてても彼の自宅に毎週ご飯作りに行くのは当たり前で──!」

「葉子!」

「そうよ……どんな時でも、私が土日に彼のところに行くのは、何故か知らないけどいつのまにか当然になってた。

 夏場に熱中症で倒れそうになっても、真冬で下半身冷やして生理不順になっても、あいつは私がお弁当を買ってきて愚痴をきいて世話してくれるのを待ってる!」

「葉……」

「休日にやりたかったことは、ほぼ全部出来なくなった。ゲームやるのもケーキ食べるのも友達と出かけるのも、ぐっすり眠ることさえもね!

 疲労と貧血で倒れても、そんなの全然大丈夫だから来いって言われて。

 どれほどお医者さんから安静にしてなさいって言われても、その先生はヤブだからって主張して強引に私を呼びつける!

 医学知識込みの理詰めでそう言われたら、どれほどキツくても行かないわけにいかないの。付き合いやめるって言われたら私、父や母にどんな目で見られるか!!」


 走り出した感情が、止まらない。

 悠季に向かって叫びだした声が、止められない。

 それでも悠季はじっと私から目を逸らさず、私の声を受け止めていた。

 だからなのか。私の感情はさらに暴れだす。


「分かる!? 私には彼氏も仕事もお金もなかった間、ウチの食卓がどんなだったか! 親にまで蔑まれて疎まれて毎日泣かれながら、無理矢理ご飯を一緒に食べさせられる時の気持ち!!

 あんな地獄、もう二度と見たくないの!!」


 親のいない悠季にこんなことを言ったって、分かるわけがない。

 私よりよほど酷い環境で育っただろう悠季──イーグルにしてみれば、私の苦しみなんて鼻で笑い飛ばせる程度のものだろう。

 イーグルは天涯孤独でも、大勢の仲間たちと共に生きていける。それは有能で、雑草みたいに逞しいから。私なんかより、ずっと。

 そう考えたら、一心に私を見つめているだけの紫の瞳にすら、怒りが湧いてくる。


「なのに……

 どれだけ我慢しても、結婚の約束となると何度もはぐらかされて。

 父や母に急かされて、結婚について何回か聞いてはみたの。でも、そのたびに──

『そんなことどうでもいいから楽しい話してよ』とか『今は勉強で忙しいから考えられない』とか、ごまかされるばかりで。

 勉強で精一杯なのは分かるから私だって結婚の話なんかしたくなかったけど、家に帰ればいつだって母が聞いてくるんだもの! 毅ちゃんとの結婚どうなったって!!

 父は父で、不動産屋で物件探してきて見せてくるし、もう……!」


 もう私に、逃げ場なんてない。

 私には、毅と結婚する以外に生きる道なんかない。

 だから私は、自分に言い聞かせるように声を振り絞る。


「でも……うん。

 毅は、優しかったの。

 父にも母にも礼儀正しかったし。タバコやパチンコは勿論、お酒だって一切飲まないし。

 唯一の取り柄だった勉強が何もかもうまくいかなくなってるから、今ちょっと荒れてるだけ。

 ずっとあのままだったら、私の一生って真っ暗どころか真っ黒になっちゃうかなって思うこともあるけど……

 でも、きっと、お医者さんになれば毅は元に戻って……

 きっと、絶対、常識的な社会人に、なって……きっと、親だって私を認めて……」

「……葉子、泣くな!!」


 その先を、私はそれ以上続けることが出来なかった。

 悠季の両腕が、咄嗟に私を、私の言葉ごと抱きしめてきたから。

 細いけれど、しっかり引き締まった両腕の筋肉。それが、強く──

 とても強く、私の背中を抱きしめる。

 そこで初めて、私は気づいた──


 自分がいつの間にか、感情に任せてぼろぼろ涙をこぼしていたことに。

 悠季に言われるまで、気づかなかった。


「そりゃ……そうだよな。

 真っ黒に塗り潰された道しかないって分かってる場所を歩かされるよりは。

 何があるか分からない真っ暗闇の方が、どんだけマシか分からんぜ」


 悠季の心音が、頬を伝わってくる。

 流れ続ける涙が、悠季のシャツをじわりと濡らした。

 異世界人たる悠季にも、ちゃんと左胸に心臓がある。そんな当たり前のことを、私は改めて認識した。

 悠季と私の腕から外れた買い物袋が、音をたてて道路に落ちる。

 買ったばかりのノートや人参が、なだらかな坂道に転がった。

 反射的にそれを拾おうとする私を押しとどめながら、悠季は呟いた。


「俺には……正直、家族ってどういうもんか、分からない。

 葉子が話してくれた食卓の地獄ってのも……多分、想像するしか出来ない。

 でも、葉子の今の状態が良くないってことだけは分かる。

 あいつは、あんたの家族にしちゃいけない奴だってことも」

「……」

「借金のかたに親に売られる娘なら、マイスでもどんだけ見たか知れないけどさ。

 ろくでもない場所に連れられてった娘たちの末路は、本当に悲惨だったんだ。

 それこそ、真っ黒なカビに塗れた下水道を裸で歩かされているような人生だったと思うよ──あの娘ら。

 助けたくても、助けられなかった。その時の俺も、ろくな力、なかったから。

 だから俺……葉子には、そうなってほしくない」


 つらい記憶を押し隠すかのように、悠季は私を抱きしめた腕にぎゅっと力をこめる。


「俺は親の顔を知らない。そもそも親なんてもんが俺にいたのかどうかすら、分からない。

 だけど……だからこそ、親がいたなら。家族がいたならって思う時がある。

 親子の情とか、家族の絆ってものを……

 俺が決して持てなかったものを、信じたくなる時もあるんだ」


 だから、どうしろっていうの。

 今更私に、ここから逃げ出せっていうの。

 今更私に、親と話せっていうの。

 そう叫びたかったが、喉がつまって言葉にならない。

 しかしそんな私の思考を見透かしたかのように、悠季は耳元でそっと言ってくれた。


「そりゃ、今すぐ葉子がこのことを親に話すのは無理かも知れない。

 だけど──俺に考えがある」

「え?」

「あんたには、もうちょいだけ我慢してもらうことになるが──

 それも今日の夜までだ。

 今夜、終電の少し前のタイミングで、今日は帰るってあいつに言ってみろ」


 そりゃ、私だってそうしたいよ。私だって出来るならすぐにでも家に帰って、一人でゆっくり眠りたいよ。

 でも、無理なの。あいつは何度言ったって絶対に土曜の夜は私を離してくれないし、どうしても帰るって言ったら暴れて、別れるって言いだして──

 そんな私の心情を汲み取ったのか、悠季は自信に満ちた微笑みと共にぽんと肩を叩いてくれた。


「大丈夫。葉子が危なくなったら、必ず助ける。

 だからあんたは今夜、何が何でも帰るって言うんだ。

 ただ──親が倒れただのの変な小手先の嘘は言わずに、あんたの本音を言うんだぜ?

 一人になりたい、疲れたから帰りたい──理由は何でもいい。嘘じゃないなら。

 とにかく、今夜は這ってでも帰るって覚悟を決めろ」


 そう言いながら、悠季はスマホを取り出した。

 しかしそれは彼のスマホではなく──私のスマホ。

 悠季の──つまりはイーグルの不敵な笑みを待ち受け画面にしている、私のスマホだった。


「え?

 ちょ、悠季、何して……返して、それは!!」


 スマホを取られたことより、待ち受け画面を「推し本人に」見られたのが恥ずかしく、私は慌ててスマホを奪い返そうとする。

 しかしそんな私の手を悠季は巧みに躱し、その間に──

 彼の指先から青白い光が迸り、一瞬だけスマホがほわっと輝いた。

 多分、術か何かをかけたのだろうけど──私にはその術が何なのか、皆目分からない。


「これでよし……っと。

 さて。後は奴の出方を待つだけだ」


 私にスマホを返すと、飄々と口笛まで吹いてみせる悠季。

「それにしても、嬉しいねぇ。

 ゲームやめてもずーっと俺のこと、待ち受けにしてくれてたんだ」

「べ、別に……ずーっとってわけじゃ……」

「いーや。ちょっと内部情報さらってみただけで分かったぜ?

 葉子のスマホ、もう何年も同じ待ち受け画面から変わってないって。

 ありがとな」


 推しに笑顔でそう言われ。

 恥ずかしいやら泣きたいやら嬉しいやらで、私の感情も顔も最早ぐちゃぐちゃになっていた。

 それでも──

 悠季の言う通り、覚悟を決めなければ。

 大丈夫。会社でも悠季はあれだけ、私を助けてくれた。


 ──私も、負けないよ。

 貴方が決して、負けなかったように。


 悠季に返してもらったスマホを抱きしめながら、あの時エレベーターホールで誓った言葉を、もう一度心で繰り返す。

 今までは、誰も何もしてくれなかった。だから、何の抵抗も出来なかったけど──

 今は、悠季がいてくれる。

 大丈夫──私は、一人じゃない。




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