その1 彼女の問題
イーグルこと神城悠季が、私の「異世界PIP」担当としてこの現実世界に召喚され、1週間が経過した。
悠季があれほど派手に礼野先輩と激突した影響か、ここ数日は先輩から私への風当たりも、やや落ち着いてきた。
悠季の発言をきっかけに、上司が先輩やその他のチームメンバーと面談したとも聞く。勿論、悠季と私も呼び出された。
何を言われるのか内心ビクビクだったが、悠季が問題に挙げていた業務内容についての上司の回答は、要約すると──
「現状維持」。
つまり、様子を見るとのことらしい。私の業務も、周囲の状況についても。
帰りの電車内。吊革に捕まって身体を揺らしながら、悠季は唇を尖らせる。
「あのチーム、業務の進め方自体が問題大ありなんだっての。
葉子が出来る出来ないの問題じゃねぇんだって。何度言ったら分かるんだよ、あのクソ上司」
悠季の前の座席に座りながら、私はため息をついた。
「それでも、私以外はみんな出来てるんだから……仕方がないよ。
出来なかったの、私だけ。私ののみこみが悪かったから……」
「違う。礼野の教え方が最悪だったんだよ。
ちょっと小耳に挟んだんだけどさ。礼野がトレーナーになったの、ごく最近らしいぜ?」
「……そうなの?」
「トレーナーを担当したのは、田中が最初で葉子が二人目だってさ。
田中の奴は業務外でも積極的に礼野と飲みに行ってたみたいだし、そこで仕事について色々聞く機会もあったんじゃねぇか? 効率的に書類を見るコツとか、上司の前で喋れないような秘密まで。それでたまたま、うまく行ったんだろ」
「私、仕事以外ではなるべく人と会いたくないから……
勿論、飲み会は大の苦手だし。お酒も苦手だしお酒つぐのも苦手」
「だろうねぇ。
それに同性同士じゃ、カラダで理解し合うってのも難しいしなぁ」
「ちょ……悠季!」
私は思わず目を丸くして、きょろきょろと車内を確認した。
こんなことをもしチームの誰かに聞かれていたらタダじゃすまない。それでも悠季は悪戯っぽい笑みを崩さなかった。
「ま、今のは完全に俺の推測だけどさ。
そう的外れとも思えないぜ。礼野のヤツ、どこ行くにしてもだいたい田中を引き連れてやがるし。見合いまでしてる癖に、どーいう関係なんだか」
そう笑いながら、悠季は腰を屈めてずいと私に顔を寄せる。
身体のどこかから、ほのかにミントにも似た香りがした。これは──
悠季──イーグルの故郷・マイス。その街の香りだろうか。
「葉子が調べてほしいなら、調べるけど?」
「やめて。必要ないから、そんなこと。
悠季が考えてるようなこと、あるわけないでしょ。ただの仕事仲間だから、あの二人は」
思わず顔を背けながら、私は逆に尋ねてみた。
「っていうか……
悠季。なんで貴方、私について帰ってきてるの?
昨日まではずっと、帰りは別方向だったじゃない」
そう。何故か今日悠季は、当たり前のように私と一緒に会社を出て。
当たり前のように一緒の電車に乗り、一つだけ余っていた座席に私を座らせてさえいる。
私の疑問に、悠季は嬉しそうに鼻の下をこすった。
「へへ。よーやく、次元通行管理局の許可が下りてさ。
俺、今日からあんたと一緒に暮らせるようになったから。よろしくな」
しばらく、状況が掴めず首を傾げていたが──
その意味を理解した瞬間、私は電車内の人間が一斉に振り返るほどの叫びを上げていた。
「てかさ。通勤時間往復3時間とか……
あんた、よく何年もこれやってんな。あの満員電車に毎朝って、それだけでマジ賞賛に値するぜ」
「仕方ないでしょ。日本のサラリーマンは昔からずっとそうだし」
「仕方ないで済ませてるから、いつまで経っても状況が変わんねぇんだろうなぁ」
「じゃあどうするの。闇ギルドのアサシン達がやりかけてたみたいに、地下道に毒でも撒いて人の流れを止める?
ああいうやり方、貴方は一番毛嫌いしてたじゃない」
「……それ言われると、何も言えない」
家に着くまでの1時間半、そんな風に他愛もない会話をしながら悠季と歩いていたが──
いよいよ自宅が近づいてきた時、彼は朗らかに言い放った。
「まぁいいさ。今日は金曜だし、明日明後日は晴れて俺たちは休みだ!
な、葉子。ちょーどいいからあんたもゆっくり休んで、ゲームでもやろうぜ!
俺、楽しみなんだ。葉子から俺らの世界がどう見えてるのか、自分で見るの!」
白い歯を見せながら無邪気に笑う悠季は、まるで子供みたいだ。
ゲーム内での年齢ははっきりと設定されてはいなかったし、生まれた場所も親の顔も知らず、自分ですら自分の年齢が分からないという台詞もあった気がする。多分、実年齢は二十歳前後か、もしかしたらそれより下かも知れない。
でも──
私はそんな悠季から目を背けながら、言った。言わねばならなかった。
「……ごめん。
駄目なの。私、明日は……」
「へ?」
「もっと言うと、土日は全部駄目。
基本、休みの日は貴方とは遊べない。ゲームも出来ない」
「何で?」
当たり前の疑問だ。
でも、その答えを悠季に言ってしまうのは、大分躊躇われた。私の推したる悠季──
イーグルに。
そんな私の顔色から察したのか。悠季は小声で確認してきた。
「ひょっとして……彼氏ってヤツか?」
うん。多分、「アレ」は私にとってはそういう存在なんだろう。
手足が急激に冷えていくのを感じながら、私はこくりと頷き、足を早めた。
会社から出た時はまだ夕陽が見えたのに、家に着くころにはもう、あたりはすっかり暗かった。
帰った時家にいたのは、両親二人だった。
娘が男を連れて帰ってきた。そんな状況であるにも関わらず、悠季の存在はこれといって見咎められず、父も母も形式的な挨拶だけして悠季を奥へ通していく。
やはり、悠季の「擬態」が効いているのか。いつもなら来客の時はとりあえずのもてなしをする父も母も、黙って奥の部屋へ引っ込んでしまった。
両親が自室に戻るのを確認しながら、私は冷蔵庫から自分の夕食を取り出す。母があらかじめ作ってくれたものだ。
「そうだ……悠季の分、どうしよう?」
「いいって。さっきも話したろ、俺たち異世界人は管理局から貰った栄養剤さえ定期的に摂取してりゃ、最低限死なない程度には生きてけるから。
ていうか俺、元々、1週間ぐらい食わなくても平気な身体だし」
「だからヒョロヒョロで小柄だし、体力もなかったのね」
「う。それを言うな……」
コンロに置いてあった、鶏肉と野菜の鍋。冷凍庫にあったご飯。
それらを温めて取り分けると、私はテーブルに二人分の食事を出した。
「はい。
いくら異世界人だからって、ちゃんと食べないと。栄養つかないでしょ」
「へへ、サンキュー♪
実を言うと、栄養剤だけじゃちびっと物足りなかったんだ」
早速、ほかほかのご飯を勢いよく頬張りながら、満面の笑みを見せる悠季。
その姿を見て、私は気づいた。彼は背広を脱ぎ、ワイシャツ姿になっていたが──
「そういえば……貴方の着替え、どうしよう?
私のでいいなら、あるけど」
「あ。それなら、心配ご無用♪」
ご飯粒を頬にくっつけたまま、悠季は素早く立ち上がる。そして一つ指を鳴らすと──
カメラのフラッシュにも似た閃光が部屋を満たし、その直後には。
「へへへ~。これでどうだ?」
そこにいたのは、ワイシャツ姿の神城悠季ではなく。
草色のパーカーを羽織り、細いジーンズを着用した、「イーグル」そのものの少年だった。
パーカーの色がイーグルの着ていた上着とあまりにも似ていて、イーグルがそのままゲーム画面から飛び出してきたのかと錯覚した。実際、彼は画面から飛び出してきているようなものなんだけど。
少しダボついたパーカーの襟から細い首筋や鎖骨が覗き、左肩が少しはだけている。そんなところまで丁寧に再現されている──
「やっぱスーツとかいう重たいモンより、こーいうのの方が性に合ってるな、俺!
なぁ。せっかくだから葉子も着替えて、一緒に食おうぜ!!」
にっこり笑って再びご飯にありつく悠季。
しかし──
その時不意に、私のスマホが鳴った。
着信画面を確認すると……やっぱり、案の定だ。
こちらを急かすように震え続けるスマホ。何十秒放置したところで、向こうは諦めそうにない。
そんな私の様子を、不審げに見守っている悠季。
放っておくと余計に面倒くさい。私は大きくため息をつきながら、電話に出る。
私が出た瞬間──
《なんですぐに出てくれないんだよぉ!!?》
開口一番、怒鳴りつけられた。
──いつものことだ。
「ごめん。ちょっと、スマホを置いたままトイレ行ってて……
出るのが遅れたの」
《だから家の中でも、スマホは肌身離さず身に着けてろって言ってるだろ!?
どうして君は毎回毎回そうなんだ!?》
「……仕事で疲れたのもあって。
ちょっと今日は、短めにしてくれないかな」
《そんなことより聞いてくれよぉ!
国家試験の勉強、思ったよりホント大変でさぁ! 周りのレベルが高すぎるよぉ! 若い子たちについていけない!!
このクラスで勉強してて、僕ホントに試験大丈夫なのかって不安に》
……そんな愚痴から始まった電話は、その後延々と続いた。
内容は恒例の──
勉強内容が頭に入らない。周りの、つまり自分より若い学生たちのレベルが高い。
卒業、そして国家試験への不安──それらが飽きることなくループを繰り返す。
悠季がじっとこちらを見据えているのにも気づいていたが、私はそのまま電話を切ることも出来ず──
ずっと、『彼氏』からの愚痴を聞きながら、ろくにご飯も食べられず。
いつ終わるか分からない愚痴をスマホから垂れ流しながら、いつの間にかソファで横になってしまっていた。




