その12 降ってわいた修羅場の結末
午後の、やや傾きかけた日射し。
その柔らかな光に照らされた公園で――
まさかの人物の登場に、岩尾君は思わずブランコから立ち上がっていた。
そんな彼とは対照的に、悠季はじっと彼女を見据えている。
まるで、彼女――河澄さんがここに来るのは、当然だったとでも言いたげに。
スマホごしにその光景を見つめたまま、目を丸くするしかない私。
沙織さんもビックリ仰天でみなと君に尋ねる。
「ど、どういうことよみなと……
あんたたち最初から仕組んでたでしょ」
「いやぁ、驚きっすねぇ。
まさかここで噂の彼女の登場とは~
さてさて、皆様お立合いってところっすね♪」
若干青ざめている沙織さんとは対照的に、みなと君は憎たらしいくらい余裕綽々ではぐらかす。
「ま、見ててくださいよ。
兄さんも私も、この程度の修羅場は何度も潜ってきましたんでねぇ」
みなと君はそう言うけど、本当に大丈夫だろうか。
固唾を呑んでスマホを見つめていると、やがて画面の中で悠季が動いた。
無感情のまま、岩尾君をじっと見据えている河澄さん。そんな彼女の視線から岩尾君を守るように、間に割って入る。
3人の間で一瞬、バチバチと高まる不気味な緊張。
だが――
最初に口火を切ったのは、意外にも岩尾君だった。
『か、河澄さん……
もしかして、ずっとついてきたんですか』
声を震わせる岩尾君。
それに対し、河澄さんは何を思うか。
「ユウちゃん」となった悠季と、その隣にいる岩尾君を見据えながら、彼女の表情は能面のように動かない。
仕事で入力中だったデータに、原因不明の小さなミスを発見した。そんな時に一瞬手を止めてしまった瞬間のような表情。
――どうしよう。河澄さんの感情が、全く読めない。
何故ここに来たんだろう。何をしようというんだろう。
こんな風に無感情でずっと追いかけられてきたら、岩尾君だって相当怖いに違いない。
いっそのこと、ホラー映画みたいにゲタゲタ笑いながら包丁でも振り回してくれた方が、まだマシだと思えるレベル。
不気味な沈黙。
だけど河澄さんはやがて、静かに答えた。
『こんにちは、岩尾君。
いつも資格学校の帰りに散歩していた場所だから、たまたま寄ったの。
まさか貴方が来てるとは思ってなかった』
彼女は殆ど動揺も見せない。
休日にたまたまふらりと公園に寄ったら、同僚がいた。ただそれだけのことのように振る舞っている。
正直、男女関係なく個人的には絶対イヤなシチュエーションだけど。悠季と一緒にショッピングしてたら礼野先輩と出くわすようなもんだ。冗談じゃない。
それでも河澄さんは逃げるそぶりすら見せず、岩尾君をまっすぐに見据えている。
真っ直ぐに自分を見つめる彼女の視線に耐えられず、つい目を逸らしてしまう岩尾君。
そんな二人を交互に眺めながら、ふと悠季が河澄さんに尋ねた。
『なぁ、アンタか?
こいつのこと、ずっと追いかけてるのって』
髪をかきあげ、さりげない風を装っているが。
それでも何となく分かる。悠季は地雷を踏まないよう、慎重に言葉を選んでいる。
河澄さんはゆっくりと頭を振った。
『いいえ。今日はたまたま、ここに寄っただけ。
でも、岩尾君に聞きたいことがあって、一度話をしたいと思っていたのは本当。
会社じゃ誰が聞いているか分からないし、岩尾君はずっと逃げてばかりだったしね。
だから、ちょうど良かった』
一片も感情の揺るぎを見せない、河澄さんの声。
『逃げてばかり』の部分が若干強調されたのが、心に引っかかった。
そして、そんな彼女の言葉に。
遂に岩尾君は一歩、前に進み出る。
『あ、あの……河澄さん!
ごめんなさい。僕には……』
そう言いながら彼は、隣にいた悠季の左手首を思いきり、両手でぎゅっと掴んだ。
あ。ちょっと、またライン越えたよ岩尾君!
そんな私の心の叫びにも構わず、彼は大きく息を吸い込み、言い放った。
『僕にはもう、こうして想っている人がいます!
だから……すみません。本当にごめんなさい。
諦めてください!!』
公園だけでなく、私たちの間でさえもその瞬間、沈黙が流れた。
悠季のことを「彼女」だと言わなかったのは、岩尾君の良心だろうか。
さすがの悠季も、ぐいっと握られた手首を振り払えず、ちょっと不機嫌そうな表情でそのままにしている。
『だから、僕の気持ちが貴方に向くことは、ありません。
ですから……その……!』
はっきりとした決別の言葉を、やっと言えた岩尾君。
その時、ふと思った――
告白をするのと、それを断るのって、どっちがどれくらい難しいんだろう。
告白された経験がないから、正直よく分からないけれど――
告白する側の真摯な想いを分かっているのなら、それを断るのだって同じくらい難しいんじゃないだろうか。
岩尾君は今までずっとその困難から逃げ続け、結果、河澄さんにストーカーまがいの真似をさせるに至ってしまった。
でも――
今やっと、彼女にこうして、自分の想いを告げることが出来た。
自分の正直な気持ちを。
何べんも謝りながらの不器用な断り方ではあるものの、やっと。
そんな岩尾君の言葉に。
河澄さんの広い額にかかっていた数本の髪が、風でほんの少し、乱れた。
『――そう。
最初から、はっきりそう言ってくれれば良かったのに。
何故あんな回りくどい真似をしたのか、私は今でも分からない』
その呟きには、どこかほっとしたような響きが混じっている。
さりげなく髪を直しながら、河澄さんは大きくため息をついた。
彼女を前に、肩を縮ませるしかない岩尾君。
それでも、ちゃんと前に一歩出て、深々と頭を下げる。
『ほ……本当に、すみませんでした!』
腰をきれいに90度近く曲げながら、大声で謝る岩尾君。
でも河澄さんは、どこまでも冷静だった。
『貴方は、私のことをストーカーだと思っていたかも知れない。
実際、殆どそういう状態になっていたかも知れない。
でもそれは、貴方の本心がずっと分からなかったから――
返事がイエスであれノーであれ、答えを知りたいと思うのは当然でしょう?』
『でも……
あの職場の状況じゃ、それも……』
『確かにあの女性だらけの職場、正直私も辟易してる。
貴方を取り巻く環境が普通じゃないというのは、多くの人が気づいてる。
というか、あの会社自体が色々おかしいの。みんな言わないけどね。
だけど、だからといって人の気持ちを傷つけていい理由にはならない』
理路整然とした口調で、岩尾君を圧倒する河澄さん。
その言葉に、彼は勿論、悠季ですらもほぼ口を挟めなかった。
私たちも何も言えない。河澄さんの一言一言は、何故か強く心に響いてくる。
――あの会社自体が、色々おかしい。
それは私も沙織さんもみなと君も、勿論悠季だって気づいている。
ずっと長年淡々と勤め上げてきた河澄さんでも、そう感じていたのか。
『あのホワイトデーの後、思ったの。
これほどの真似をする男性であれば、いずれにせよ、うまくいくはずがないって。
冷静に考えれば誰もがそう思うだろうし、私も頭ではそう思った。
だけど、人の感情っていうのは、そう理論的に片づけられるものじゃない。
復讐は何も生まないなんて頭じゃ分かっているけれど、復讐者は止まれないものでしょ。
同じことよ』
『……です、よね』
ただただ頭を下げる以外、何も出来ない岩尾君。
『まぁ――いいや。
これで私も、ちょっとほっとしたから。
貴方に言いたいことも言えて、色々踏ん切りがついた気がする』
じっと頭を下げたまま、視線だけを少し上げた岩尾君。
しかし、そんな彼に答えることなく――
河澄さんは颯爽と髪を直し、くるりと踵を返して公園から立ち去って行った。




