その1 糸目小僧と謎の美女
「確かに、天木さんのパフォーマンスは少しずつ上昇していますね。神城がいる限り、特に目立ったミスはない。
これも、チームの業務内容そのものの見直し。そして、彼女の周辺環境改善による処が大きいのでしょう」
毅と別れて、2週間。
私は悠季と共に、PIP進行状況の定期報告の為、会社ではなく次元通行管理局にいた。
海沿いに建設されたビル街。小洒落たレストランが立ち並び、爽やかな潮風が駆け抜ける。その中でも最も大きな、ガラス張りのオフィスタワー──
しかし外観とは対照的に、窓がなく締め切られた一室で、私と悠季は一通りの報告を終えていた。
次元通行管理官(名刺には「広瀬昴」とあった)は、フレームのない眼鏡を光らせ書類を眺めた後、切れ長の目をそっと私に向ける。
悠季が「頭クソ固い偏屈野郎」といつも言っている、次元通行管理官の姿。
「異世界」と現実世界を結び、人員の仲介・斡旋を行なう者──
どんな異形がそんな業務に携わっているのか常々疑問ではあったけど、実際会ってみると何のことはない。少し神経質そうなのが気になる程度の、ごく普通の痩せぎすの男性だった。
金に染めた短髪をかき上げ、広瀬管理官は言ってくれた。
「しかし、召喚された『バディ』がPIP対象者の『推し』とはねぇ。
こういうケース、なかなか珍しいんですよ」
「バディ?」
唐突に現れたその単語に、私は首を傾げる。
「あぁ、失礼。
PIP対象者に対する担当者のことを、我々はそう呼んでいます。また、対象者と担当者のコンビをそう呼称することもある。
天木さん。貴方は最もラッキーな部類と言えるでしょうね」
そんな広瀬管理官の言葉に、悠季がすかさず嬉しそうに口を挟んだ。
「俺だってラッキーだったぜ。葉子に会いたいって願いがこうして叶うなんて、ホント奇跡だったもんな!」
「神城。君はちょっと黙ってくれないか」
管理官に言われ、悠季の笑顔は瞬く間に膨れっ面に変わる。
こういう変化が良い意味で子供らしくて、そこがまた──
しかしそんな悠季に構わず、管理官の言葉は続いた。
「元々、バディは対象者の性格・特性・思考などを考慮し、無数に存在する異世界から選定されるものですが──
対象者のお気に入り、いわゆる『推し』が選ばれるのは非常に珍しいんです。
神城悠季が元々いた世界は、国際的にも人気のゲーム。その中のキャラにいくら『推し』がいたとしても、人気キャラであればその有能さゆえ、他の対象者に持っていかれることが殆どです」
「えーえー分かってますよ、俺ぁ無能の不人気キャラでございますよって!!
何度目だその嫌味、このタラコ唇野郎」
完全にヘソを曲げ、大げさに足を組み換えながら椅子をギィギイ揺らす悠季。
その言葉に、私は思わず吹き出しかけた。確かに広瀬さんの唇は結構分厚い。
悠季の開き直りを否定しないまま、広瀬さんはにこやかに笑った。悠季には多分、皮肉の嘲笑と受け取られるであろう笑みで。
「だがそれ故に、君は天木さんに選ばれた。
君は言っていたな。彼女の血が、俺を選んだって──
今は素直に、その幸運を受け取ることだね」
「そーいうこと。
世界中にPIP対象者はごまんといる。異世界の数だって無限だが、召喚可能なキャラは限られ、その中でも有能キャラとなるとさらに限られる。
俺みたいな不人気無能キャラが宛がわれて、トラブルになるケースもしょっちゅうだって言うぜ?」
「だから、いつまでもヘソ曲げないの。
悠季はちゃあんと、私の中ではダントツトップの有能人気キャラだよ?」
管理官との面談が終わり、私と悠季はビルの外に出た。
既に16時を回っている。会社に一応連絡してみると、そのまま帰宅していいとのそっけない返事があった。
「一応、礼野たちとは別部署の仕事を兼務させてもらえるようにはなったけどさ。
やっぱり葉子に振られる仕事、少ないよなぁ」
「それでも、少ない業務の中で少しずつ成果を出せるなら、それでいいと思ってる。
第一、今から会社に戻って仕事なんて、絶対嫌だもの」
「はは、そりゃそうだ。
この街、潮風が気持ちいいもんな! オケアーノの港を思い出すぜ」
湾岸のなだらかな道沿いに、レンガ造りの瀟洒な街並みが見える。緑の街路樹がまぶしかった。もうすぐ夕方か、街灯には光が灯り始めている。
こういう街で、彼氏とデート出来たら──いつもそう思いながら、ずっと叶わなかった夢。
それが今、私は──『推し』たるイーグルと、一緒に肩を並べて歩いている。
その現実に気づき、思わず真っ赤になって俯いた瞬間。
唐突に、悠季が言った。
「なぁ、葉子──
俺たち、一緒に暮らさないか?」
え。
何を言われたのか一瞬理解出来ず、私は思わず悠季の横顔を凝視してしまった。
アメジストの瞳は笑っておらず、ひどく真面目に思慮に沈んでいる。
「勿論、葉子の実家で過ごしてる今だって楽しい。
だけど、実家の借金、まだ残ってるだろ。あんただって、自立したいだろうし──」
ちょっと待って。これ、もしかして。
悠季の頬はほんの少し赤く染まっている。その視線は照れくさげに、空の向こうに投げかけられていた。
「俺、管理局から結構給料もらってるしさ。
シーフ時代に稼いだ分もこっちで両替すれば、会社近くにマンション借りても十分やってけると思うんだ。
ほら、葉子の通勤ってキツイだろ? あの満員電車に揺られる時間が少しでも短くなりゃ、もっとあんたも楽になるんじゃねぇかって」
いつになく早口で、かつ言葉を選びながら喋り続ける悠季。
「そ、そうだ。俺、葉子んちの借金だって、手助けしてもいいぜ。
いや、手助けさせてくれ!」
「え?! ちょっと待って、突然そんな……」
「俺、前から考えてたんだ。
借金ってのは、マジで人の心を弱くさせちまう。葉子だってそうだったろ?
俺、葉子になら、シーフ時代の貯金全部はたいてもいい。だから……
俺、お前とっ……!!」
その先をどうしても言えないのか、言えない自分に恥じ入っているのか。悠季は思わず片手でぐちゃぐちゃと前髪をかきむしる。
こ、これは……つまり、もしかして、まさか!?
一瞬で、脳みそが沸騰寸前の状況に追い込まれる私。
でも──そんなこと、可能なんだろうか。
異世界人と、現実の人間が、そんな──
しかし頭の片隅に、そんな思考がちらとよぎった瞬間。
突然、甲高い女の怒声が空に響き渡った。
「これ以上つきまとわないで!
いい加減にしないと、労基呼ぶわよあんた!!」
反射的に振り返ると。
今私たちが出てきたのと同じビルの出口付近で、一組の男女が激しく言い争っていた。
男女とはいえ、男の方は小学生かと見まがうほど小さく、ダボダボのスーツを何とか小さめに仕立てて着ている感じ。そして、かなりの遠距離から見ても分かるほどの細い目を、逆ハの字に吊り上げながら怒っていた。
「そーはいきませんね! 業務後の総括と翌営業日のスケジュール管理は必ずやってくれって、上司さんから何度も頼まれてるんですってば!
でないと貴方、まーた業務を家に持ち帰るじゃないですか!!」
対する女性の方は──見覚えがある。
ウチの会社の社員だ。それも、結構近くの部署の。
彼女は──確か、須皇さんって言ったっけ。ストレートの髪を紅く染め、口数が少なくてどこか近寄りがたい感じの人。すごく頭のいい人という噂も聞いたことがある。
やや長身の為か、余計に相手の小ささが目立った。
「持ち帰りをしなきゃいけなくなってるのは全部、残業規制のせいでしょ!?
どうしてチームの中で私だけ、毎日毎日これだけ仕事内容について詰問されなきゃなんないのよ!? 挙句の果てにはPIPさせられて、召喚されたのがあんたみたいな……!」
「あんたみたいなとは何スか。私しゃこれでも、貴方の為にやってきてるんですよ沙織さん!」
「気安く沙織だなんて呼ぶな、この糸目!
私、先に帰るから!!」
そう言い捨てるが早いか、沙織さんと呼ばれたその女性は振り返りもせずに駅へと歩き出してしまう。早足でしかも脚も長い為か、走るのとほぼ変わらない速度で。
対して男性の方はどうやら足の短さが災いして、追いかけようとしてもとても追いつけない。数歩で諦めてしまい、大きく肩を落としていた。脚のコンパスの長短はこういう時に不利だ。
──っていうか……
あの人。あの、狐を思わせる糸目。もしかして。
私がそう思った時。
何故か悠季は彼の姿を見て、その場から数歩後ずさっていた。
さっきとはうってかわって、顔色が妙に青い。
「や、やべぇ……
葉子、マジごめん……俺、トイレ!!」
へ?
トイレって、悠季はこの世界では滅多にトイレなんか行かなかったはずじゃ。
そんな私の疑問もよそに、悠季は脱兎のごとくその場から駆け出した。
幸か不幸か、糸目の小男もふとこちらを振り返る──
瞬間、彼はその糸目を、カッと音が出そうなほどに真ん丸に見開いた。
白目のど真ん中、やや細長い緑の瞳が、明らかに悠季の背中を捉えている。
響く絶叫。
「に、にににに兄さん!!?
あんた、まさかここで出会うとは!!」
兄さん?
イーグルに弟はいなかったはず。少なくとも、弟と設定されたキャラはいなかった。
しかし弟分に相当する存在なら、いた。
彼は──もしかして。
街路樹の生い茂る街並みを、姿勢を低くして影の如く駆け抜ける悠季。擬態の巧さも手伝ってか、周囲の誰も気づかぬほど敏捷な動き。私も当然、一瞬にして彼を見失ってしまった。
でも──
「逃がしませんよ、兄さんの行動パターンは全て予測済みです!
ここで会ったが百年目! 水妖陣・遠隔術式・起動!!」
小男はそう叫ぶが早いか、道路にバンっと音をたてて両の掌を叩きつけた。
瞬間、敷き詰められていた石のタイルがふわりと浮き上がり──
雷にも似た金色の閃光が、道の向こうへ駆け抜けていく。向かう先にあるものは、少し開けた広場──その中心で、夕陽を反射して美しい飛沫を上げ続けている噴水。
その飛沫の一端が、雷を帯びた瞬間、大きく膨れ上がり。
明らかに不自然なゼリー状の触手と化して、宙へと伸びあがった。
半透明の触手は何かを探し求めるかのように噴水からその先端を飛び出させ、広場を時計回りにぐるりと半周する。周囲の人々から軽い悲鳴が上がったが、幸い誰にも被害が出た様子はない。
やがてその触手は、広場から駆け去ろうとする影を捕らえ──
影と触手が接触した。ように見えた瞬間、激しい水飛沫と共に閃光があたりを包んだ。
何が起こったのかさっぱり分からないまま、私が広場へ駆けていくと。
噴水を中心として、大きな水の柱が天に向かってそそり立っていた。
陽光を反射してキラキラ輝く飛沫。その頂で、ゼリー状の水柱から頭だけ出してガボガボと水を吐き出してもがいている、スーツ姿の男は──間違いなく悠季だった。
「てめ、この……離せ、コラァア!!!」
手足を見えない触手か何かで縛られているのか。ろくに身動きも出来ず、喉元を押さえながらじたばた暴れるしかない悠季。一体、これは──?
呆気にとられて私がこの光景を見つめていると、後ろから追いついてきた糸目の小男が、得意げに鼻を鳴らした。
「無駄ですぜ、イーグル兄さん。
あんたがぶっ壊した朱炎雀と碧の諸刃と氷河剣の代金、今こそ支払って頂きますからね!!」
そう言い放って、水柱の中でもがく悠季を指さす小男。
間違いない──彼は。
そう確信した瞬間、私は叫んでいた。
「お願い、やめて。悠季は──
イーグルは、私のバディなの!!」
「へ?」
彼は一瞬不思議そうに、その糸目を私に向ける。
改めてその顔を見つめながら、私は訴えた。
「ハルマ君。ハルマ君なんでしょ?
今すぐ悠季を離して!!」




