その38 『分からなければ聞け』と言った口で『少しは自分で考えろ』というヤツ
「昔からあたしは引っ込み思案で、おどおどしてて、人間関係もうまくいかないことが多くてさ。
だけどそのかわり、真面目に勉強していい点とれば、絶対にうまく生きられるって思ってた。
親からも先生からも、何度も言われたよ。お前は真面目だけが取り柄なんだから、ちゃんと勉強しなさいって。
その言葉通り、あたしはがむしゃらに勉強した。部活だの交友関係だの、面倒な人間関係は殆ど放り出して。
おかげで何とか大学まで出させてもらって、無事卒業も出来た。
あたしの努力が実って、何とか普通の人間になれる。そう思った。
だけど……」
そこで一旦、風の魔女は口をつぐむ。
悠季にも分かった。恐らく葉子も――この魔女も、学校から社会に出た段階で、大きな挫折を経験したのだろう。
「……もう分かるでしょ? あとはだいたい、さお姐と一緒」
「さお姐?
あぁ、沙織のことか」
全く聞きなれない呼び名だが、葉子は心のどこかで沙織をそう呼んでいたのか。
そう考えると、何故か微笑ましく思えてくる。
「真面目に数学のドリルだけ集中していれば良かった学生時代とは、会社は全然違ってた。
例えば学生の時は、テスト中に電話を取らなきゃいけないなんてありえなかったけどさ。
会社じゃそれが当たり前なんだもんね」
悠季は思い出す――
いつか葉子は、沙織と似たような会話をしていたな。
「電話がうまく取れないし、伝言すらうまくいかないし。
電話に集中したらしたで、そこまでやってた仕事はミスるしの連続。
新人のうちはそれでも良かったけど、3か月もしたら呆れられるようになった。
一番良くなかったのは、仕事上で分からないことが多すぎたってことだね」
分からないこと。
そういえば、そもそもこのサイコダイブを始めたきっかけもそうだったな。
葉子の失敗。あれも葉子が、分からないことを分からないまま判断して突っ走ったのが原因だった。
「それなのに……あたし、なかなか人に質問とか、できなくてさ。
分からないことがあれば聞けばいい。分からないことをそのままにするな。
何度そう言われたか分からないけど……」
魔女の片翼が、ほんの少しぶるっと震えた。
唇がきゅっと引き締められている。
「あたし、『誰かに何かを聞きにいく』っていうのが本当に苦手なんだよ。
いつからそうなったのかは、よく分からないけど……
人にものを聞く前に、自分で考えなきゃいけない。
人に頼る前に、自分でやらなきゃいけない。
何故かいつのまにか、そう考えるようになっちゃってさ」
「それは……
お前自身にも、分からないのか? 原因は」
それこそがまさに、葉子のミスが発生した原因じゃないのか。
『自分一人で何とかしなきゃいけない』――確かに葉子は、いつもそう考えているようなふしがある。
しかし風の魔女はゆっくり頭を振った。
「分からない。
だけどそういう性質が、えんちゃんや石の巫女を今みたいな風にしたのも事実。
あたしがこうなったかわりにね」
そう呟きながら、風の魔女は再びゲーム画面に没頭してしまう。
「その上、『分からないことがあれば聞け』と言ってくる奴は決まって、二言目には
『少しは自分で考えろ』って言うんだよね。
あのクソ先輩なんかその最たる奴で」
「クソ先輩? ……あぁ、礼野のことか。
あいつは実際、葉子に毎日のようにそーいうこと言ってやがるしな。自分の言葉の矛盾点に気づかねぇのかって」
「あいつはもう、あたしにとっちゃ悪鬼そのもの。
最初は笑顔で『何でも聞きにきてちょうだいね』って言う癖に、3か月後には『前に教えたはずですよ』『これ聞かれるの10回目です』って当然のように言い放った。
しかも、全く教わった覚えのないことを、だよ?」
悠季は礼野の態度を思い出す。
――自分は決して間違っていないと言いたげに、大勢の社員の前で葉子を見下したあの女。
最初の印象からして最低だったが、あの後少しでもその状況が変わったのかというと、残念ながら殆ど変化はないと言っていいだろう。
悠季が来てからろくに葉子への嫌がらせができなくなったせいか知らないが、田中や他の社員への暴言も増えている気がする。
「でも、あたしがこれまで仕事を教わった奴らってさ……
多かれ少なかれ、あのクソ先輩みたいな部分、あったんだよ。関係が最悪になりかけるたびにあたしが別の部署に飛ばされたってだけ。
そのたびに――あたしの自信は打ち砕かれてきた」
そう言われて思い出すのは、現実世界に来て初めて出会った葉子。
彼女はおどおどしながらも懸命に仕事に打ち込み、教わったことは全て逐一メモしていた。それもすぐ項目を検索できるよう、パソコンに。
そのメモの膨大さに心底驚いたのを、悠季は今でも覚えている。
恐らく、度重なった苦い経験が、彼女にそうさせていたのだろう。似たようなことはそれまで何度もあり、そのたびに挫折し、何とか改善しようと必死で努力し続けた結果だ。
普通の職場で、普通の上司や先輩に恵まれていれば、今の葉子ならきっとうまくいったはずだ。
壊れた自信も、きっと取り戻せたはずなのに
――艱難辛苦の果てにたどりついた職場が、最悪中の最悪だったとは。
「そんなこんながずっと続いて。
あたし、すっかり駄目になっちゃった」
かつては両翼を力いっぱい羽ばたかせ、この世界でもキラキラ輝いていたであろう、風の魔女。
しかし今その翼は片側が完全に消失し、もう片方も羽ばたく意思をほぼ失っているように見える。
口調自体は軽めに聞こえる。だが彼女の絶望は非常に大きかったのだろう。
何でもできる。何にでもなれる――
そう信じていたはずなのに、何も成せぬうちに限界を悟ってしまった時の絶望。
――それは、最初から希望なんてないと割り切って生きていた俺より、キツイのかも知れない。
「努力さえすれば自分は何にでもなれるなんて、嘘っぱちだった。
それどころか、普通の人間として生きられるかどうかも怪しいレベル。
それほど自分は駄目駄目なんだって、社会に出て初めて理解してさ……」
天井を見上げながらカラカラと笑う、風の魔女。
「気がついたら、ゲームに夢中になってた。
ゲーム自体は昔から好きだったけど、社会人になってからはむしろ、異常なくらいのめりこんだね。
ゲームはあたしを絶対裏切らない。よほどのクソゲーじゃない限り、苦労すればそのぶん、答えは返ってくるから。
そんな時に出会ったのが――」
彼女は顔を上に向けたまま、チラリと悪戯っぽく悠季を見つめた。
「『エンパイア・ストーリーズ』であり、イーグル――
俺だった、ってわけか」
「御明算。
あんたと出会ってから、あたしの力はほぼ全てあんたに注がれたって言ってもいい」




