その36 覚えのない、懐かしの音色
翌朝――
悠季は再び、みなとたちを伴って次元管理局にやってきた。
こじんまりとしているが清潔な診察室で、昨日と同じく、三枝の監視の元こんこんと眠り続ける葉子。
その様子は、自分の部屋でぐっすりと寝ている時と何も変わらないように見える。
依然として、サイコダイブ用のヘッドホンが装着されている点以外は。
「……早くしろよ。
俺はこれでも、面倒事はちゃっちゃと片づけたいタイプだからさ」
診察室に入るなり、当然のように彼女の隣のベッドに腰かける悠季。
その態度はいかにも飄々としていたが、それが強がりだということぐらい、悠季自身にも分かっている。
その強がりが、見守る三枝にも広瀬にも、みなとたちにさえもモロバレだということも。
「兄さん……この期に及んでまだ……」
と、ため息をつくみなと。しかし三枝はニンマリ笑う。
「ま、やたら肩肘張るよりは、そのくらいの方が逆にいいだろうぜ」
そう言いながらも三枝はきびきびと動き、悠季が横になると同時にサイコダイブ用のモニターを弄り始める。
その横から、広瀬がそっと忠告してきた。
「昨日とほぼ同じ状況から、ダイブは再開されるだろうが――
ただ、今の天木さんの精神はかなり混沌としている。
昨日と全く同じ場所から始まるとは限らない上、ベレトというイレギュラーな要素も入っているから、精神世界自体がどうなっているかも不明瞭だ。
それだけは一応、注意しておいた方がいいだろう」
そう言われて、悠季は思い出す。
昨日と同じ場所――そもそも最後にダイブを終えた場所は、どこだったか。
光の聖女に通じる、輝く剣。それが刺さっていた森。
だが炎の魔女に襲われ、風の魔女に救出された。その後は――
悠季の思考を中断させるように、三枝の声が響いた。
「ほい、準備完了っと。
そんなちっこいトサカ頭だけで、ごちゃごちゃ考えてても始まらないぜ?
全ては、天木葉子の心に答えがある。お前が飛び込まない限り、解決はしないんだ」
その言葉を聞きながら、悠季は静かにヘッドホンを装着する。
やがて昨日までと同様、心地よい音楽が流れ――
同時にふんわりとした眠気も襲ってきた。
「とりあえず、天木葉子が戻ってきたらピザぐらいは奢ってやるぜ。
それじゃあ、い~ってらっしゃあ~い♪♪」
昨日までと同じ、いや昨日まで以上に呑気な三枝の声。
恐らくここからの戦いが熾烈になるがゆえの、三枝の演技だろう――
それぐらいは悠季にももう分かっていたが、襲いかかる眠気には勝てず。
やがて彼の意識は、するりと闇に紛れていった。
******
悠季が再び目を覚ました時、最初に見えたものは――
どういうわけか、山のように積み上げられた本、雑誌、ノート、新聞、そして古びたダンボールだった。
横たわる悠季の周囲を埋め尽くすように、天井まで積み上げられている本。
乱雑に積み上がり、今にも悠季の上に崩れ落ちそうなダンボール。
何年前のものだかさっぱり分からず、茶に変色している新聞。
本やダンボールの間に挟まれ、端がボロボロになったまま放置されているノート。
古びた紙が放つ独特の臭いと、部屋全体の埃っぽさに、悠季はちょっとだけむせてしまった。
まさに、森のように鬱蒼とした書類の山。
葉子が最初に見せたオフィスの乱雑さも酷かったが、まだ床には書類が散らばるだけのスペースがあった。こっちは床にろくな空白すらない――
これは多分、俺が横になるだけの余白をとるだけでも精一杯だったろう。俺をここに寝かせようとするヤツがいるとすれば、だが。
――悠季は慎重にあたりを見渡した。
幾重にも積み上げられたダンボールの向こうから、わずかに光が漏れている。同時に、何故か懐かしく感じる音楽も聞こえてきた。
その音楽は何故か、平和そうな笛の音を奏でていると思ったら不意に激しいドラムになったり、かと思えば豪快なファンファーレと共に再び笛の音に戻ったり、かと思えばどことなく不安を煽る仄暗いメロディーに変化したりする。
――だがそれらの音のほぼ全てに、悠季はどういうわけか、懐かしさを覚えていた。
音色に惹かれた悠季は思わず身体を起こし、ダンボールの隙間からそっと外を覗きこむ――
そこに見えたものは、一人の女性の後ろ姿。
ろくにまとめられてもいない、緑色のボサボサ頭。
髪より少し薄目のパステルグリーンのブラウス。
そして――右側にしかない、半透明の白い翼。
――間違いない。
あれは『ふうちゃん』こと、風の魔女。そしてここは彼女のテリトリーだ。
完全に背中をこっちに見せびらかしたまま、目の前の何かに夢中になっている。
薄暗い部屋の中で、彼女がじっと食い入るように見つめているものは――
それを確認する為、悠季が身を乗り出しかけたその時。
「……ねぇ」
不意に背後からかけられた声。
しかもぬるりとした冷たい感触と共に、背中に直接触れられた。
腐ってもシーフの自分が、気配すら感じ取れずに背後を取られるとは――
一瞬動揺したものの、すぐに悠季は思い直す。
ここは葉子の精神世界だ。
ほぼ全ての事象が、葉子によって自由に書き換えられてしまう世界。
だとしたら、都合よく俺が背後を取られたとしても何ら不思議はない。
――そう考え、悠季は思わず自分を笑ってしまった。
俺もいい加減慣れてきたってことか。この、精神世界ってヤツに。
悠季はほうっと呼吸を整えつつ、背後を振り返る。
少なくとも今の感触に、敵意は感じなかった。むしろ申し訳なさそうに、ちょんちょんと背中をつつかれた、そんな感じだ。
――そこにいたのは。
「あ、あの。
ず、ずっと……心配してたよ。
……悠季、なかなか起きなかったから」
それはこの精神世界に入って、一番最初に出会った『魔女』。
一番最初に悠季が出会い――そして、出会った瞬間に襲われた『葉子』。
サイコダイブの恐怖を、嫌でも味わわされた相手
――水の魔女。
「お前は……っ!」
「ひゃ、ひゃああぁっ!?
ご、ごめんなさい、ごめんなさぁいっ!!」
しかし彼女の様子は、初めて会った時とはまるで違う。
水の魔女らしく、全身がスライムのように半透明ではあったものの、その肌は綺麗な水色だ。血を思わせる赤黒さはどこにもない。
ちゃんと人間の女性の姿を保っており、簡素なワンピースを身にまとっている。
表情も、最初の時の発狂ぶりはほぼ消え去っている。ただそのかわり、目つきも仕草も、かなりおどおどしたものに変わっていたが。
悠季が少し強めの口調で声をかけただけで、『水の魔女』は酷く怯えて顔を伏せてしまった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……
悠季にあんなことするつもりは、全然なかったの!
私、ただ、その……えっと……うぅ……」
水の魔女はひたすら謝罪を続けている。
そのさまはまるで、現実世界で初めて出会った時の葉子そのものだった。
周りのもの全てに怯え、何かあればひたすら謝りに謝る。
『すみません』が条件反射の如く口をついて出てしまう、あの時の葉子そのもの。
そんな彼女の肩に、悠季はそっと触れた。
じっと目を覗き込みたかったが、魔女は顔を背けようと必死でろくに視線を合わせようとしない。
それでも悠季は、一言一言はっきりと口にした。自分の、ありのままの本心を。
「もう、いいんだって。俺は何も気にしてない。
むしろ、嬉しかったんだぜ? あそこまで俺が葉子に求められてたって分かってさ」
「……あ、あの、私、乗っ取られてて……
変なこと、たくさん言っちゃって……だから、その」
完全にもじもじしながら、消え入るような声で呟く魔女。
半透明の青い肌であっても、明らかに真っ赤になっていると分かる顔だ。
それでも悠季は彼女を離さない。
「今更アレが本音じゃないなんて、言わないでくれよ?
俺、逆にガッカリしちまうから」
その瞬間、ゴボゴボと音をたてて魔女の体内が泡立った。
半透明の身体の中で、大量の泡が沸き上がって身体中を突き抜けていくのが、見た目だけでよく分かる。よく見ると頭から湯気まで出ていた。
なるほど。全身が沸騰するというのはまさにこんな感覚なのか。
「ふ、ふ、ふわぁああぁ~!?」
興奮のあまりか、卒倒しかける水の魔女。
その時部屋の反対側から、いかにも面倒と言いたげな声が飛んできた。
「ちょっと~。
すいちゃんからかうの、やめてくんない?
あんまりヤリ過ぎると、マジですいちゃん蒸発しちゃうからさ」




