その35 敢えて「引く」のも選択肢
「いや~……
サイコダイブの本来の目的って、あたしたちのミス改善だったんじゃないの?
それがこんなことになっちゃうなんて」
「自分もビックリです。
まさか葉子さんが……」
葉子を一人管理局に残し、帰宅せざるを得なかった悠季たち3人。
いつもは朗らかに夕食を盛り上げるみなとや沙織も、今晩はさすがに浮かぬ顔だった。
しかし悠季自身はこの時にはもう、すっかり落ち着いていた。
逼迫する事態に対し、逆に腹が決まったとも言える。
「俺と葉子のことはもういいだろ。やることは決まってるんだ」
「けど、兄さん……」
煮え切らないみなとを前に、悠季は焼き鳥に思い切りぱくついた。
ちなみに今日は、珍しく沙織が気をきかせて食事当番をしている。
スーパーで大量に売っている冷凍焼き鳥をフライパンで焼いただけのものだが、悠季はそういう若干雑めな食事も決して嫌いではなかった。少なくとも管理局から支給された栄養剤よりは、間違いなく美味しい。
とはいえ今日は、葉子が焼きそばを作る予定だったはずだ。
彼女の豚汁もうまかったが、葉子の作る焼きそばも悠季にとって、これ以上ないご馳走だった。なのに――
そんな思いを振り切るように、悠季は逆に尋ねる。
「お前らはどーなんだよ?
サイコダイブ、続けるのか?」
「へ?
わ、私ら、ですか。えぇと……」
みなとは少々口をモゴモゴさせながら、沙織と顔を見合わせる。
しかし沙織はきっぱりと言った。
「さっき、みなととも相談したんだけどね。
あたしたちは、今回で止めておこうと思う」
「えっ?」
悠季は思わず、みなとを凝視してしまう。
「あ、別に葉子さんがこうなったから、というわけではないッスよ。
サイコダイブを始めた当初から、二人で話していたことなんス。
お互い、踏み越えてはいけない領域に入りそうになったら、引くのも選択肢だって」
「相棒なら、相手のことをある程度深く知る必要はあると思うけど。
全てを知らなきゃいけない、ってわけでもないと思うの。
お互いに踏み越えちゃいけない領域があるなら、そのラインを分かっておくだけでも十分じゃないかって、あたしは思う」
「その領域を越えたら相手が壊れる危険性があるなら、なおさらッス」
申し訳なさそうに話すみなとだが、沙織の口調はだいぶ優しめだ。
「葉子の事態に隠れて目立たないけどさ。
みなとだって実は、相当ヤバかったらしいのよ?」
「マジッス。ガチのマジで、死ぬと思いました。
自分だけじゃなく、沙織さんも……
こっちにまでベレトさんが入り込んでいるんじゃないかって、思ったくらいッス」
えいやと思い切り焼き鳥にかぶりつきつつも、みなとは言った。
「こればっかりは、兄さんにもそこまで詳しくは言えませんや……
悩みは誰かに打ち明けてみんなで相談するのが基本原則ですが、それが出来んことも世の中にはあるんスよ。兄さんなら分かるでしょう?」
そんなみなとの言葉には、奇妙な説得力があった。
沙織の中でどれほどのことが起こったのか、何となく悠季にも読めてしまう。
沙織自身も、それ以上みなとに聞くつもりはないようだ。
三枝の厳重な注意があるからというのもそうだが、沙織自身もあまり積極的に聞きたくはないのだろう。
「しかし、今回の兄さんの場合……
それでも、踏み越えなきゃならんのですよね」
確かにそうだ――悠季は思う。
ベレトの件がなく、葉子がごく普通に戻ってきたなら、悠季もここでサイコダイブをやめていたかも知れない。
そもそも、みなとの言う「踏み越えてはいけない領域」は、炎の魔女に出会った時点で超えてしまっていたのかも知れない。
三枝の言う通り、本来なら悠季は炎の魔女には決して近づけないだろう。それどころか、闇の魔女や水の魔女に会えるかどうかも怪しい。
普通にサイコダイブをしたとしたら、せいぜい土と風の魔女の喧嘩を見るぐらいが精一杯。
それすら、耐えられるかどうか分からないが。
「だけどさ、俺はやるぜ。もうとっくに、腹は決めてる。
葉子の本心を見るのは勿論――俺自身を曝すのも」
「けど、兄さん……」
「どれほど弁解したところで、俺が昔ベレトにやったことは事実だ。
ベレトのことも……『奴』のことも。
自分の全てを曝す気でやらねぇ限り、葉子は戻ってこない。
ベレトが何を企んでるかはまだ分かんねぇけど――」
悠季もみなとに負けじと、勢いよく焼き鳥にかぶりつく。
「絶対、葉子は取り戻す。
例え、俺が逆に葉子の心に閉じ込められることになってもな」
「ちょ……!」
そんな悠季の言葉に、沙織もみなとも仰天した。
「や、やめてよね! 冗談じゃない……
神城君がそんなことになったら、葉子がどうなるか。
分からないわけじゃないわよね!?」
「兄さん。
まーた私に頼るつもりじゃないスよね?
ケイオスビーストの時は何とかなっても、さすがに今回は何も思いつきませんぜ?」
しかしそんな二人の言葉にも、悠季は落ち着いたものだ。
「サイコダイブを始める時、俺は言ったんだ。
葉子の中なら、どんだけ閉じ込められたって平気だって。それは今も変わんねぇよ」
「ですけど……」
「それに――真っ向からぶつかるわけじゃねぇ。
一応、作戦がないわけじゃねぇからな」
「へ?
兄さんの策……ですかい」
思わず糸目を見開き、ぱちくり瞬きをするみなと。
何だか久しぶりにその面積の広い白目と小さな黒目を見た気がして、悠季はつい噴き出してしまった。
「ハルマ……お前なら少しは知ってるだろ。
俺が昔から、どんだけヤバイことやってたかぐらい」
「ま、まぁ。そりゃ、ある程度は」
「葉子の心で何があったかは、お前らにもあまり話せないけどさ。
葉子が抱えてるものって、よくよく考えたら大概の人間は抱えてるもんだ。
俺の出会ってきた奴らは勿論――俺自身だって」
真っ白な人間など、いない。
それは悠季自身、嫌というほど思い知らされてきたことだ。
葉子は炎の魔女の存在を、他人には――特に俺には、絶対知られたくないのかも知れない。
だがそれは、悠季だって同じことだ。
――俺にだって、どれほどの黒い部分があるか。
どれほど身も心も汚れているか。
炎の魔女が俺を踏みにじったと同じように、過去どれだけ踏みにじられたか分からないし。
それ以上に、どれだけ他人を蹂躙し傷つけたか分からない。
「魔女たちの本性を知った時は、さすがにビックリしたけどさ。
よくよく考えたら、今まで出会った人間たちはどいつもこいつも、似たような性質を持ってた。
それが表に出るか否かの違いでしかない。
葉子は決して、どこまでも清らかな女神でも聖女でもない。当たり前に人間なんだ。
俺もちょっと、そこが分かってなかったかも知れねぇな」
それを聞いて、みなとも沙織をほんの少し横目でチラリと見据えた。
「あぁ……そうかも知れないッス。
私も沙織さんの中を覗いた時、これほどまでに荒れ果ててたのかって仰天しましたからね。いつかの沙織さんの部屋の状態がマシに見えるほどだったッスよ……」
「えっ?
そこまでだったの、あたしの心?」
思わず沙織が振り返ると、慌ててみなとは口をつぐんだ。
「あ、あぁ! ちょっとそれ以上はご本人には言えませんが。
私、サイコダイブに至るまで、ちゃんとは分かってなかったんス……
沙織さんもやっぱり、何だかんだで脆い女性だってことを」
「まぁ、そりゃそうよ。
脆い部分を必死に隠して、真面目さ装って生きてきたようなもんだからね――あたしは。
言ったでしょ。あたしは限界に達するのが人より早くて。
人の3倍は努力しないと、普通に生きられない人間なんだって」
みなとを殊更に責めはしないものの、どことなく諦めたようにため息をつく沙織。
「みなとに大分助けられてはきたけど――
今でもその性質は、大して変わってないとあたしは思う」
そう言われて、悠季も思い出す。
みなとのサポートで最近は大分目立たなくなっていたが、沙織も最初は葉子以上に仕事が出来ない人間だったっけ。
勉強は出来ても、仕事となると何故かうまくいかない。沙織自身、何度もそう言っていた気がする。
みなとが見た沙織の精神世界は、それでも社会に出て生きていかざるを得なかった彼女の積もり積もった鬱屈が、ヘドロのような大渦を巻いていたのだろう。
「口は悪いし整理整頓も出来ないけど、いざという時頼りになる姐さん肌の女性。
何やかんやでずっとそんなイメージを、自分は沙織さんに抱いてたんだって……
サイコダイブで初めて自覚しましたからね。私にとっても、あの沙織さんの精神世界は結構ショック大きかったッス」
「ケイオスビーストの時、葉子やあんたらと一緒にあたしも、頑張っちゃったからねー。
でもさ」
そう言いながら、沙織は身を乗り出した。
「脆いあたしも確かに本当だけど。
ケイオスビーストの時のあたしだって、あたしには違いない。
それは葉子だって一緒だと思うの」
そんな沙織の言葉で、悠季はふと思い出す。
熱風に巻かれかけた時に響いた、風の魔女の声を。
――あたしが本当にそんな性格だったら、そもそもイーグルを助け出そうとするわけ、ないじゃん!!
やさぐれた感のある『風の魔女』の姿は、同時に何故かどことなく沙織を彷彿とさせるものがあった。
そういえばあの魔女は、他の魔女にはない姐御肌的な雰囲気もあったような気もする。
沙織のイメージが、葉子の中で無意識にあの魔女に投影されたのだろうか。
あの『風の魔女』――
最初は名前の割に不潔感のある奴だと思ったが、今では数少ない希望のように思える。
実際、最後に悠季を救ったのも彼女だった。
そんな彼女を思い出させる沙織は、食事を終えるとひとつパンと手を叩いた。
「さぁ、悩むのはこれでおしまい!
広瀬さんも言ってたでしょ。今日は神城君、早く寝ないと。
明日はちゃんと葉子と一緒に、戻ってくるのよ!」




