その32 目覚めない
悠季の全身を爽やかに包む、涼風。
炎熱に煽られ腫れかけていた頬が、少しずつ癒されていく。
思いがけず悠季を救い出したのは、「ふうちゃん」こと、風の魔女。
上空から彼女は音もなく飛来して、炎をものともせず彼を抱え込み、悠然と空中に浮かんでいた。
その姿は土の魔女と大喧嘩した時と全く同じ、薄いグリーンのブラウス一枚。おまけにボタンも幾つかだらしなく外れたままで、目のやり場に非常に困る。
よくよく見ると、彼女の背中からはうっすらと白く光の翼が映えている。しかしその翼は何故か、右側にしかない。
いかにも面倒そうに片腕で悠季を抱え込みながら、それでも風の魔女は炎の魔女を見降ろした。やや怒りのこもった、深緑の瞳で。
「いー加減にしな~。
今イーグルがいなくなったら、自分たちがどうなるか。分からないあんたじゃないでしょ?」
それでも炎の魔女は、瞳をギラつかせてくってかかる。
「悠季は、いなくなるわけじゃない。私の一部になるの。
私の心を覗くだけ覗いたくせに、私を助けてくれないんだもの。当たり前だよね?」
「気持ちは分かるけどさー。
イーグルは『あんた』の心は覗いたかも知れないけど、『天木葉子』の全部を覗いたわけじゃないよ?」
「関係ない貴方は黙ってて。
悠季にはこの剣を抜いてもらわないといけないの。私をどこまでも強くしてくれなきゃいけないの。
それが出来ないっていうなら、私の一部になってもらうだけ」
「はぁ……
このテの口論、苦手なんだよな~」
ぐしゃぐしゃになった緑の髪をさらにかきむしりながら、風の魔女はそれでも告げた。
「んなワガママばっか言ってたら、今度はもーっと怖いヤツが来るよ?
すいちゃんも泣いてたし、何より……
石の巫女を怒らせたら、面倒でしょ?」
その言葉に、さしもの炎の魔女も一瞬言葉に詰まった。
それを隙アリと見たか。風の魔女は素早く悠季を抱え込むと、一気に竜巻を起こして空へと急上昇する。
彼女の腕の中で、悠季はじっと考え込むことしか出来なかった。
――石の巫女。つまり、土の魔女か。
炎の魔女さえ黙らせる力があるのか、あいつには。
だとすると……
炎を浴びせ続けられたせいか、うまく頭が回らない。
眼下では炎の魔女が、怒りの眼もそのままにじっとこちらを見据えている。
そのすぐ横では、光り輝く剣が、静かに大地に突き刺さっていた。
『光の聖女』に繋がるはずの剣。
あれを抜くことで、葉子は一体どうなるのか。
剣に触れた時、響いた悲鳴。あれは間違いなく葉子の声だった。
あの反応からして葉子自身は間違いなく、剣を抜かれることを拒絶している。
しかし魔女たちは、剣を抜くことを望んで――
あぁ。もう、何も分かんねぇ。
ごめん、葉子。誰かを救うなんて、やっぱり俺には、荷が……
そう思った瞬間、悠季の意識は羽毛のように軽くなり、薄れていった。
******
「――兄さん。
兄さんってば。ちょっと、早く起きてくださいよ!!」
聞きなれたキンキン声。自分が現実に戻ってくる感覚がする。
目覚めた時悠季が最初に見たものは、すぐ上から彼を覗き込んでくるみなとの糸目だった。
「よ、良かったぁ……
兄さんまで目が覚めなかったら、どうしようかと」
悠季の目覚めと同時に、みなとは糸目の目尻を思い切り下げてヘナヘナとベッド脇に座りこんでしまう。
悠季自身はといえば――
この前のサイコダイブ以上に、頭痛が酷いし身体もろくに動かない。
それでも、軽口を叩く元気ぐらいはあったが。
「ったく……
目ぇ覚ましたら目の前が妖怪糸目かよ。脅かすんじゃねぇ」
何とか身体を起こし、周囲を見回してみる。
真っ先に確認したのは勿論、隣の葉子。まだ目を覚ましておらず、昏々と眠ったままだ。
しかし――
ちょっと待て。みなとは今、何と言った?
兄さん「まで」?
嫌な予感がして、思わず三枝の姿を探す悠季。
三枝は丸めた背を彼らに向けながら、診察室の隅でモニターを凝視していた。
「神城。何とか起きたか――
ヤバイ速さで一気に異常な深度まで引きずり込まれてたから、俺の追跡も間に合わなかった。
だから、比較的無難な深度から天木葉子自身を強引に呼んで、お前を助けに行かせたんだよ」
それで、三枝による強制介入も出来なかったわけか。
強制介入が出来ないかわりに、葉子を無理にでも呼び起こした。それがあの、不意に現れた「風の魔女」ということか。
みなとも涙を袖で拭っている。
「先生の言う通りッス……
私たちのダイブがとっくに終わっても、兄さんたちが一向に起きないからどうなるかと」
その言葉に、戦慄が走った。
兄さん『たち』が起きない?
俺は起きられた。何とか「風の魔女」に助けられて
――まさか。
もう一度、葉子を振り返る悠季。
彼女の眼も唇も固く閉じられたまま、死んだように動かない。
「……葉子」
声をかけてみる。
だが、反応はない。
「葉子?
おい……葉子。葉子!!」
何度も声をかけ、肩を掴んで揺さぶってみる。
だが、髪がわずかに揺れるだけ。葉子は全く目を覚まそうとしなかった。




