その28 どんな貴方も、受け入れるよ?
――これは、あの時の。
俺以外の仲間が……全員、ベレトに……
間違いなく、見覚えがある。忘れるわけがない。
この光景は――俺が、あいつを、手にかけた時の。
そんな悠季の動揺に反応するかのように、地下道のさらに奥深くで、一つの影が揺らめいた。
それはまだ若さより幼さの目立つ、痩せこけた少年の背中。
長い栗色の髪が首筋あたりでまとめられている。幾つも輪になって重なる金の耳飾りがチリチリ鳴り、血まみれの空間に音を響かせていた。
真っすぐに構えられた短刀。柄には紅の宝石が嵌められ、膨大な術力によりギラギラ輝いていた。
表情は分からないが、砕けるほどに歯が噛みしめられる音が聞こえる。
青い東国風の着物をつけていたが、全身が魔物の黒い血に塗れていた。身体の至るところに傷を負い、裾や袖はあちこちが破られ、ぜいぜいと息を切らしている。
――俺だ。イーグルだった頃の。
そう確信しながらも、全身の震えが止まらない悠季。
こんなものは幻影だ。魔女の見せている幻影――
必死で自分に言い聞かせようとしても、心の底から湧き上がる恐怖は止まらない。
何故、葉子が知っている。ここまで詳しい光景なんて、葉子は勿論、アガタやハルマにさえ話していないはずなのに。
あの時、そばにいた仲間はみんな死んじまった。魔に染まったベレトに殺されて。
生き残っていたのは俺だけだ。
だから俺は――
追い打ちをかけるように、魔女は悠季に囁いた。
「大丈夫だよ、悠季。
私、どんな悠季でも受け入れるから。
だから――」
そのさらに奥。
手負いの少年が目にしているものは――
巨大な黒蜘蛛の形をした、魔物だった。
否、ただの魔物ではない。腹に当たる部分から、粘液まみれの何かがにょきっと突き出している。
それは首だった。血の気のない、真っ白な人間の頭部。
気弱そうな垂れ目に、ちぢれた赤毛。
その眦からは、粘液に混じって大量の涙が溢れだしている。
乾ききった唇から漏れる呟きは誰にも聞こえなかったが、明らかにその口はいくつかの言葉を交互に連呼していた。
『助けて』『痛い』『イーグル』……と。
――ベレト!
見た瞬間、悠季は絶叫していた。
その叫びに呼応するかのように、刃を手にした少年は真っすぐに駆け出す。
――そして。
一瞬の後に噴き出したものは、赤と黒の混じった鮮血。
人間と魔物の血が不規則に混じりあった、どす黒い血液。
俺は、ベレトを、殺した。
最期の最期まで、あいつは泣いていたのに。
助けを求めて、痛みに呻いて、仲間を殺しながら、泣いていたのに。
あの時、ベレトが魔に侵されたと知ってからも。
俺は認められなくて、何とかあいつを助ける手段を探そうとして。
でもそうやって手をこまねいている間に、仲間が大勢ベレトに殺された。俺に出来たのは、アガタや他の仲間を逃がす時間を稼ぐ程度のものだった。
あいつはアジトを壊して、まだ小さかった子供たちまで手にかけて。
だから俺は――
全てが血に、黒い霧に、包まれていく。
その場に響きわたる絶叫が自分のものかベレトのものか、それさえもう分からない。
それでも魔女の囁きだけは、はっきりと悠季の耳に響いた。
「悠季だって、とても頑張っていた。
仲間を守る為に、生きる為に、ずっと頑張っていた。
でも――導かれた結果は、何故かこんな酷いことになってしまった。
理不尽だよね? 不公平だよね?
少しぐらい報われたっていいのにって、そう思うよね?
だから――
私の気持ちだって、分かってくれるでしょう?」
そうだ。あの時だって、どれほど理不尽を感じたか分からない。
いや。それよりずっと前から、俺の人生なんて理不尽そのものだった。
助けようとしても、守ろうとしても、全てが無駄に終わった。
だが――
悪夢の光景の中、ふっと思い浮かんだ疑問。
それは一つの閃きのように、悠季の頭をほんのわずかに冷静にさせた。
何でそこまで、葉子が、知っている?
いずれは詳しく話さなければならない時も来るだろう。そう思っていた。
だけど、ずっと迷っていた。いきなり詳細を話せば、例え葉子であっても受け入れがたいだろうから。
段階を経て、ゆっくり少しずつ話していければいい。すぐにではなくとも、少しずつ。
――そう、思っていたのに。
それでも魔女は悠季をぎゅっと抱きしめながら、微笑む。
「ずっと心配だったんでしょ? 私が悠季の過去を受け入れられるかどうか。
だから今まで、殆ど何も言ってくれなかったんでしょ? 悠季、とても優しいから。
でも大丈夫。私、どんな悠季だって受け入れるよ。
だって悠季は――ずっと、私の味方でいてくれるもの!」
その笑顔は全く邪気がなく、瞳はきらきら輝いている。
「だって悠季は、私をどこまでも元気づけてくれる。
私がどんなになっても、励ましてくれる。
私がどんなにダメなヤツだって、悠季は私の味方でいてくれるでしょ?」
朗らかにそう言い放つと、魔女は悠季を抱いた両腕をそっと緩めた。
すると、涼しい風が頬を撫ぜる。明らかに、先ほどまでいた部屋とは空気が違った。
身体も幾分か軽くなっている。思わずきょろきょろと周囲を見回すと。
「――ここは!?」
悠季と魔女の眼前にあったものは、光を帯びて台座に突き刺さっている、巨大な剣。
二人はいつの間にか魔女の小屋を飛び出し、森へと飛んできていたのだ。
葉子の深層たる森――『光の聖女』に繋がると言われる剣のある場所へ。
これも恐らく、魔女の術によるものだろう。
一瞬茫然としてしまった悠季の耳元に、魔女が優しく囁いた。
「ねぇ、悠季――お願いがあるの。
この剣を、悠季に、抜いてほしい」




