姫と騎士【前編】
『………。』
『起きて……いや起こさなくてもいい……かな。いや、起こした方がいいよね。起きて、起きてください。』
『ん、何じゃ……?余が起きるのにはまだ早い……むにゃむに……。』
『確か、ラヴィちゃんは駄目だったよね。じゃあラヴィ様?うーん。やっぱり可愛いしなぁ……。じゃあラヴィ、起きて。』
『む、むむむ。ここは…?貴様は……?』
『ここは私の家、私はレンです。』
『把握した。寝るところを用意してもらって悪かったな。』
『いいですよ、ラヴィちゃんにはゆっくり休んで欲しかったですから。』
重たいまぶたをこすり、目を開ける。目の前には桃色の髪を下ろした少女。昨日はレンにベッドを譲ってもらうことになったのだ。
『だから、ちゃんは辞めろと……まぁよい。もう、出るのか?』
『はい。今日は朝から街に降りてクエスト達成の報告に行きますから。』
『うむ。衣食住の世話を受けている以上、何か手伝える事があればしておきたいからな。』
『うん、ありがとう。じゃあ、着替えてくださいねー。』
『昨日の服、取ってくれぬか。』
『昨日と同じ服でいいの?私の服なら何枚か他にもあるよ?』
『いやいや、貴様のではないわ。余が着ていたあれ、あの……ゴシックドレスとかいうやつだ。』
『これ?一応洗ったけど、まだ乾いてない……あれ、乾いてる?』
『ふっふっふ。余のドレスは特別製だからな。伸縮自在、速乾性も備えておる。』
『へぇー便利だね。私も欲しいな。』
『今は無理だが、いずれ、な。』
『楽しみにしとくね、約束。』
『うむ、約束だ。』
そそくさと着替え、二人して家を出る。朝の森は静かで魔物の気配も少ない。いや、これは少ないというより───
『これ、食べる?』
『これは……?』
『トミト。初めて見た?』
『う、うむ。魔王城で育てておったのは禍々しいものばかりであったからな。真紅の果実、悪くない。』
手のひらサイズのそれを口に運ぶ。柔らかい感触、甘みと共に広がる仄かな酸味。どれも魔王城で育てていたものに勝っている。
『美味いな。』
『そうでしょ。私も好きなんだ、これ。それにこれを………ううん、何でもない。』
『む?そうか、なら良いが。』
何か言いかけたレンの顔が少し曇ったように見えたのは気のせいだったのだろうか。我の思考は街に着いたことで終わりを告げる。
『ここです。始まりの街メルサドール。』
『始まりの街?』
『この辺りは魔物もそこまで強くないですし、新米冒険者が経験を積む場所に適してるんです。』
『そういうものか。確かに人間のレベルは高くなさそうだな。』
余の世界にも冒険者が集まる街があった気がする。こうした街が世界中にあるから冒険者は増え続けるのか。レンの言うとおり、周りの人間の魔力はそこまで高くない。
そうしている内にレンは街の中でも一際大きな建物の前で足を止めた。
『ここが冒険者ギルドです。私は冒険者というか、賞金稼ぎに近いことをしてる。ラヴィちゃんも着いてくる?』
『こうした建物には入った事が無いからな。当然、我も行くぞ。』
余の言葉に頷くと、レンは重い木の扉を開けた。聞こえてくるのは賑やかな声、皆が笑い、騒ぎあっている。何じゃ、こ奴ら品のない。
酒盛りをする男や女の集まりを抜けて、レンは受付へと歩く。
『よっ、レンちゃん。っとあれ?何だその金髪の嬢ちゃんは?』
『レンちゃん、パーティー加入の話考えてくれたー?……って何この可愛い娘!』
『おい、みんな!レンさんがちびっ子連れてるぞ!!』
『な、誰じゃ今、ちびっ子とか言ったやつは!!こやつが高いだけで余が低い訳ではないわ!』
受付へと辿り着くまで、老若男女あらゆる人間に絡まれた。どうやら、レンはこの街の人間に好かれているらしい。聞けば、レンは森の魔物をを警戒し、街を守る防衛者のような仕事をしていると。お陰で森からの魔物の侵入は減り、パーティーの引く手あまただが、本人はソロで活動したがるという。
『おはようございます、レンさん。クエスト達成のご報告ですか?』
『はい。最近被害が報告されていたデビルタイガーの討伐、完了しました。毛皮の方がこの袋の中に。』
『………はい、大丈夫です。では、報酬の方がこちらになります。』
『ありがとうございます。』
『それで……その。そちらのお嬢さんはどなたでしょう?』
慣れた会話を終えると、受付の女は余の方に目を向けた。ソロのレンがいきなり少女を連れてきたとなると気にするのが当然か。
『ええと……。この娘は……。』
『……?』
レンはこちらを見て考え込む。「魔王です。」とも紹介できぬだろうし、そもそもこやつが信じているかも怪しい。ここは一つ、我が助け舟を────
『パ、パーティーメンバーです!そうですよね、ラヴィ!』
『そ、そうだな。』
急に呼び捨てたのは仲間らしさを強調する為か。まぁ、ちゃん付けよりはマシであるな。
『わぁ、それなら安心ですね。みんな、レンさんが一人で大丈夫か心配だったんです。ということは近々、この街を出て行かれるんですか?』
『えっと……。それはまだ……です。それじゃ、行きますね。』
『はい、ありがとうございました。』
目を泳がせるレンはそのまま、足早に冒険者ギルドから出ていった。
ギルドを出た後は市場で買い物をして帰った。市場でも顔見知りの多いレンはよく声をかけられ、色んな物をおまけされていた。横にいた余も色んな物を与えられた………菓子ばかりだが。
帰り道、荷物の詰まった紙袋を抱えながら、レンが口を開く。
『ふぅ、どうしようかと思ったよ。』
『まぁ、冒険者なぞ身分の怪しい者ばかりだからな。言い訳には丁度よかろう。』
『でも、今までそんなの出来たこと無かったし……。』
『このまま、冒険に出るのも良かろう。』
『………っ。それは…………いや、そう出来たら良いね。』
そう言ったレンの顔にはまるで有り得ざる未来を見るように憂いのある笑みが浮かんでいた。