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独立した場所があるという利点は、そこでのカラーや意識が統一しやすい点にあると思う。区切られた場所では違う思想は入り辛い。その空間が頑強であればあるほど、その空間での価値観は固定されやすくなる。例えば、感想欄で、肯定的な意見が、全体の8割を占めていたとしよう。あっという間にその場での力関係は、肯定派の圧勝に傾く。……これは数だけの話ではない。意見を補強されやすいという意味で、肯定された意見がより強く支持されているように見え、その意見に肯定派の言葉の力を借りた意見の大本が、自分の意見に自信を持ち始める。……はっきり言って、このような傾向が見えた場合、私は、その意見の大本が自身の意見に根拠を持ち始めたと見えた時点で、こいつあほやな。と馬鹿にする。実際はどうかは知らないが、まんま、お山の大将にしか見えんからだ。肯定派の意見がすっかすかだった場合、そのお山の大将具合はより浮き上がり、まるで猿山の猿にしか見えん。
そう考え、感想欄に意見の片寄りが出ることを私は何より怖がる傾向がある為、私自身は、肯定的な意見を感想欄で頂いた場合は、出来るだけ同じ意見にならぬように、否定的な意見を頂いた場合は、もう少し違う視点が出来ないかを思考しながら、感想欄のバランスを見て、あまり感想欄の中で片寄りが出ないように調節しようと思考する。場合によっては、途中で感想欄を閉じることもある。これは、何も辛いことを言われる可能性があるから感情的に閉めるとか、感想欄に感想を書かれると不都合なことがあるから、というような理由ではなく、感想欄があった方がよい場合と、無い場合があることをあらかじめ想定しているからだ。勿論、感想を返さない方がよい場合、敢えて、返した方がよい場合など、考えながらその都度思考し、感想欄を開けるか開けないか、どの程度開けるかは、作者の方針によって変更されていく。