肆
ビクッと跳ねるような体の反射に驚き目を覚ますと、すでに電車は駅に着いていた。目をぐしぐしと擦って確認すれば、そこは目的地である終点の駅だった。折り返し運転のために、少しの間そのまま停車しているのだ。
上り電車の出発を待つ乗客が次々に乗り込んで来る中を逆走して、転がるように開きっ放しのドアから降りると、ホームには東京方面に向けて長い鼻を伸ばした巨大な天狗の顔が、彼方を睨み付けるかのように鎮座していた。
大丈夫。ここは私の知っているいつもの世界のいつもの駅だ。まだドキドキと大きく脈打つ心臓の辺りをギュッと握り、ハアハアと荒い呼吸を整える。ぞわりと背筋を走る不気味な感覚に思わず電車を振り返るが、金属質な箱に押し込められた帰宅途中の人々が平然と日常を繰り返す姿が見えるだけ。それでも、ほぼ全員の顔を覆い隠しているマスクの存在感が「毒が飛んでいる」という言葉を連想させて、嫌な汗を拭いながら、怖い夢を見ちゃったと体を震わせた。
「天狗様……。私に怖い夢見せた? 忠告されちゃったのかな……」
目に見えない毒が飛んでいる世界の夢。ちょっぴりのうたた寝のつもりがめちゃめちゃ怖かった。今も鳴り響くサイレンの音が耳の奥にこびり付いている。
遊びに行けないとイライラして、親に当たって。どこか他人事のように警戒心が薄れてきていた私を戒めた? お山の天狗様は何でも知ってる。悪い子を見てるよ、なんて子供の頃のおばあちゃんの言葉が思い浮かぶ。
「まさか、ね」
気がつけば夕立ちはとっくに上がっていて、九月のまだ暑いはずの夕方の空気は、洗い流されたかのように清涼感に包まれていた。綺麗に見えても、この空気の中にもウイルスが漂っているのかもしれない。そんなことを考えると、なんだかまだ目が痛いような気がしたけど、
「気のせい、気のせい。目を擦ったからだね」
怖かった夢ごと頭から追いやって私は駅を出て歩き出した。この駅からでも三十分ちょっと歩けば家に帰れる。
「遊びに行くのは自粛するから、帰りにちょっと買い物くらいなら天狗様も許してくれるよね? ヤオコー、……ううん、まだ六時過ぎだからアジアドにギリギリ間に合うかな?」
自宅近くのスーパー、ヤオコーは遅くまで開いていて便利だけど、お母さんが高校生の頃からすでにあったというアジアドは安くて美味いお惣菜パンが今も昔も学生に大人気のパン屋さん。私も大好きなのだ。
気分転換に鼻歌交じりで楽しいことを考える。
「遅い時間だけどお惣菜パンが残っていればいいなあ」とか、「夕飯前だから食べたら怒られるだろうな」とか、「そうだ、お母さんにお土産に買って帰ってあげよう」なんて考えながら、薄闇の甲州街道を急ぎ気味に歩いて帰った。
そうやって余所事でも考えてないと、あの言いようもない、もう家に帰れないかもしれないと思った恐怖が蘇ってきそうで怖かったから。