祭り(1)
街は三日後に行われる祭に向けて、いつも以上に活気づいていた。
毎年行われている祭ではあったが、今年は十年に一度の催しもあり、他国からの賓客も招くために行商の規模もいつもよりも多いのだ。
祭りは三日後だというのに、すでに王都の中心には市や屋台が並び、そこかしこで客寄せの声が響いている。
周辺の国の中でも、このラストラは一番大きな国家である。人の流れも多く、有力者も多い。有力者が多ければ、それだけ金の巡りも良く、物流はそれに向かって流れていくものだ。ましてや、他国からの賓客を招いての大々的な祭ともあれば、商人達はこぞって集まってくる。あらかじめ店を出すには申請が必要だが、無許可で店を出す者も多く、また詐欺まがいの店も出る。そういう者を取り締まり、諍い(いさかい)を抑制するという意味でも王都の警備が巡回することは必要な事だった。
(憂鬱だ)
カルスは周囲を確認しつつ、こっそりと息を吐いた。
自分のため息など誰も気にしていないと思いたいが、残念ながら、街を歩けばちらちらと視線を感じる。その視線を否定したところでなくなりはしないので、気付かれないようにするしかない。
自分の本来の職は、街の警備ではない。養父の補佐をする一書記官、あるいは管理長である。いくら警備の手が足りないからと言って、王宮直属の衣装を着て街を歩かねばならぬのか。
再びため息をつきそうになって、カルスは首を振った。不意に視界に影が過ぎ、南中に上がる太陽の空を見上げた。雲一つない晴天の空に、ツバメが過ぎた。
遮るもののない陽がギラギラと音すら立てて、大地を照らしていた。北から来る賓客にはこの太陽はキツイだろなと思う。
(…仕方ない)
北からの賓客が好き好んで炎天下のラストラに来ているかは別にして、自分が気の乗らない仕事をしなければならないのは、仕方がない事だ。断れば、自分を育ててくれた養父に多大な迷惑がかかる。それだけは避けなければならない。
「―――…っ」
空を見上げていたカルスにぶつかる者がいた。
ぼんやりしていたことに気付き、慌てて視線を向ける。勢い余ってぶつかったというよりは、ふらついたような身体がそのまま崩れた。
「おいっ!」
慌ててその腕を掴む。視界に赤紫が揺れ、カルスは目を見開いた。
女かと一瞬思う。が、すぐに違うとカルスは思った。線は細いが掴んだ腕は女性のものではない。男にしては白い項に、目に鮮やかな赤紫の髪は短かった。
ぐったりとした様子の人物は、支えられたことに気付いたのか、ゆっくりと表を上げた。
「―――…」
その唇が何かを呟いたような気がしたが、カルスには聴こえなかった。
見上げた人物の双眸には、目隠しのように布が当てられていた。
今でこそ大国と言われているラストラも、二十年前は数ある国の一国でしかなかった。元々国土は大きかったが、王都から離れてしまえば、大半は緩衝地帯だった。
多くは乾燥した大地であり、玉や鉄などが埋まっているとは言われていたが、誰も好き好んで手を出そうとはしなかった。乾燥しているがために、作物の出来もお世辞にも良いとは言えない。
「何」との緩衝地帯かと言えば、魔族との。
人とは違う容を持ち、人よりも強力な魔力を操った。人が十人がかりで放つであろう魔法を、一個体で放たれては、人に勝ち目などないように思われていた。
しかし、19年前、このラストラは他国と協力し、魔族を滅ぼすことに成功した。お陰で、資源を手にし、今では大国として不動の地位を築いている。
魔族との戦争の英雄が、現在ラストラで帝位についているザイアである。
ラストラは大国であると同時に、他国にない特殊な国でもあった。皇帝は世襲制ではなく、その能力により民と七の皇家の推薦で選ばれる。一歩間違えれば、国土を巻き込む帝位争いになるが、逆に言えば、常に優秀な人材が帝位につくため、国は安定発展していく。
もちろん、裏で行われる駆け引きは他国に引けを取らない泥沼であることは言うまでもないが。
「十九年になるか」
魔族との大戦からの年月を口にし、彼は手に持つ器をゆっくりと動かした。杯にある赤紫の液体がゆっくりと揺らいだ。
その色は鉄錆のような臭いを脳裏に蘇らせた。
初老に差し掛かる男の目が細くなる。
殺戮を是とした。
『お前の欲の為に死んでやる気はないなぁ』
そう言ってニヤリと笑んだ男の口角。その瞳に、死への恐怖も、憎悪もなく、ただただいつもの飄々とした様子だった。
『だから、お前は聖剣に選ばれないんだ』
否、と思った。今思い出しても憎たらしい。どこか人を馬鹿にしたような、からかうような色をしていた。
だが、あの男は死んだ。
自分が殺したのだ。
その功績により、帝位についた。今の自分を見て、まだその眼が出来るかと男は鼻を鳴らす。しかし、それは数年後に脅かされる事になった。
少年は小さく息を吐いた。
安堵の類のそれは、周囲に未だに余裕のある事を示していた。
毎年行われる武術大会には、十年に一度の慣例行事が加わる。ラストラの建国の王が天の竜より授かったという聖剣。それを大会の優勝者は引き抜く権利を得る。
それを引き抜く事が出来た者は、民の意も七の皇家の選別も必要ない。天より王たると啓示を受けたと同意であり、そのまま帝位につく事になっていた。
古い記録によれば、建国の王の崩御後から延々と続く慣例で、剣を引き抜いた者は三名いる。そのどれもが歴史に名を残す名君であるが、近々の王で二百八十年も前である。魔法による記述であるから疑い様はないのであるが、しかし眉唾であることも確かだった。
それでも、我こそはと文武共に自身のある者達は、この十年に一度の機会にこぞって群がる。
「ロス家の養子です」
傍らに控えていた官が耳打ちをした。その家の名に、ピクリと反応してしまう。
決勝戦までは庶民の娯楽の意味もあり、賭けに乗ずる者もいたが、その年の決勝戦は静まり返っていた。他国からの賓客を迎えての観戦になるため、ある一定の教養のある人間しか会場には入れない。それでも、毎年熱気に覆われているはずだった。
皆、息を飲んでいた。
いかにも武に秀でていると見て取れる男の前に佇むのは、まだ幼いとすら言えてしまう小柄な少年だったのだ。手には自分の身長よりも長い長棒を持つが、武人の体格を見るに、それはあまりに貧相な武器に思えた。
しかし、誰もその様を嘲笑などしなかった。
それまでの試合が、それをさせなかった。
開始の合図と共に武人の斬撃が空気を唸らせる。そこにいるのが、普通の少年ならば、恐らくすでに息絶えていたであろう。しかし、そんな当たり前の事は起こらなかったのだ。
まるで舞でも舞うような軽い足取りで全てを躱しながら、少年は跳躍した。空中は相手の意を突くには良いが、一度上がってしまえば羽でもない限り、身動きが取れない。武人は空中の少年へ得物を振るった。
誰もが、それで決着がついたと思った。
ある者は、少年が蛙のように潰れる様を予想して目を逸らした。ある者は、血糊が大地に広がるだろうと思った。
しかし、一拍後に地響きを上げて倒れたのは、武人の方だった。
くるぅりと少年の得物がその手の中で弧を描く。
静まり返った会場の中心で、少年はもう一度、小さく息を吐いた。
少年の幼すぎる手が、柄に触れるのを、ただ見ていた。
どうでもいい、と正直思っていた。
養父が勧めたから参加したに過ぎず、躍起になって勝ち上がったつもりもない。
養父はこうなる事は分かっていたかのように、観客席の隅でいつもと変わらず笑っていた。
辞退すれば良かったのだろうが、その催しの意味を十分に理解もしていなかった。
どうでも良いと、思っていた―――それが目の前に現れるまでは。
呼ばれた。
そう表現する以外に、その時の感覚を表現できない。―――今でも。
触れたソレは、遥か昔から自分のモノであったように、手に吸い付くように馴染んだ。その時の高揚は、大会中もそれ以前でも感じたことがない。
自分の心拍に似た拍動を聞いていた。