脱獄魔女
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「待たせてごめんなさい。綾芽についての情報よね?」
雨に濡れたローブを脱いで客間に入る。そこにはすでに三人の人間がいた。フィーラとハワードはソファに腰掛け、緋色はフィーラの横に立っている。
「ええ。なんとか素性を調べました。それとサラサについてもです」
愛梨彩はフィーラの隣に座り、僕は彼女の横に立っていることにした。
「わかったわ。聞かせてちょうだい」
「まず先にサラサに関して。高石教会近辺で死体が確認されたそうです。魔導教会が死体を回収したのでほぼ間違いないかと」
突きつけられたサラサの死。生き長らえないだろうとわかってはいたが、改めて事実を突きつけられると考えさせられるものがある。
僕たちが戦ってきた相手がついに一人、脱落したのだ。誰かの死が避けられない戦いだとはいえ、動揺したくもなる。次の脱落者は誰か? 明日は我が身ということもあり得るのだ。
「そう……」
愛梨彩は顔色一つ変えていない。だが、僕にはわかる。顔に出してないだけで彼女も衝撃を受けている。
「……綾芽の方は? わかる範囲で構わないから情報をちょうだい」
そんなサラサを局地的なにわか雨のごとく突如襲いかかり、通り魔さながらにあっさりと殺した綾芽。あまりに唐突なできごとで、最初からサラサが狙いだったようにすら感じた。
「……はい」
そう頷いたのに、ハワードは口をなかなか開かない。まるで言うのを躊躇っているかのようだった。
「みなさんは三ヶ月近く前に起きた囚人脱獄事件をご存知ですか?」
「あ……それって都内の刑務所で起きたっていうやつだよね? 確か……新興宗教の教祖が信者を虐殺したって」
ハワードが無言で首肯した。
僕には心当たりがあった。三ヶ月近く前……忘れもしない。僕がスレイヴになった日だ。
あの日の帰り道、ふと開いたSNSの急上昇ワードにその事件の事柄が書かれていた。惨い内容を読み、脱獄囚に憤ったのを覚えている。
「まさか……その教祖って」
「その通りです。新興宗教団体『菖栄会』の教祖が彼女、二宮綾芽です。宗教団体と言っても……実態は綾芽の実験場のようなものだったらしいのですが」
客間の空気が一瞬で凍えついた。内容を聞いた誰もが言葉を発さなくなる。
「話を続けさせていただきます」ハワードが沈黙を埋めるように言葉を継ぐ。「事件が起きたのは二〇年ほど前です。当時、『菖栄会』は二宮綾芽のカリスマ性により、信者を増やし続けていました。というのも綾芽は自身が女性であることを手段に使うのも厭わない人間でして……」
「要するに信者とそういう関係にあったってことね」
フィーラが臆面もなく、要約する。
怪しくも妖艶な見た目……人間離れした神秘的な髪や目の色。そんな容姿の綾芽が蠱惑すれば、男が堕ちてしまうのも無理はない気がした。
「おっしゃる通りです。そうやって誑かした末に信者たちを実験台としていたようです。遭遇した皆さんならおわかりいただけると思いますが、綾芽の魔法は傀儡魔術です。ここからは私見ですが……綾芽は生物を操ることを目指したのでしょう。人間を操り、自分が支配する世界を作ろうと。だから多くの実験体が必要だった」
「なるほど。そう考えると宗教団体を作るのも理解できるわね。けどあの団体はそんなに長続きしなかったはず……私はそう記憶しているけど?」
愛梨彩には当時の記憶があったようだ。古いテレビがリビングにあったことを考えるとニュースで知っていたのかもしれない。
「ええ。信者の一人が正気を取り戻し、密告したのです。そして団体本部から変死体が多数見つかり、逮捕。それからすぐに『菖栄会』は瓦解しました」
「そんな大量殺人鬼がなんで生きてんだよ?」
緋色が疑問を口にする。その声音にはそこはかとなく怒りがこもっているように聞こえた。
「法廷で死刑は免れたようです。おそらく関係者の中に綾芽の息がかかった人間がいたのでしょう。それからはずっと刑務所に収監されていました」
「だから教会も把握していなかった」
自分の口から自然とそんな相槌が溢れた。
「教会といえど野良の魔女全てを把握しているわけではありません。魔法の一元管理の理念がありますからね。野良の魔女がひっそりと暮らしている場合、干渉はしないのです」
「そういう意味では刑務所はうってつけの隠れ家だったってわけね。魔女なら大人しく捕まる必要がないもの」
「ええ。国に管理されていますからね。いくら魔導教会でも刑務所に侵入して騒ぎを起こすことはできません。おそらく綾芽は収監されることも計算していたのでしょう。時がくるまで安全なところで身を潜ませようと」
「そしてその時がきた……ってことね」
「魔女である以上、脱獄自体は容易いことです。誰かが綾芽に争奪戦のことを喋り、脱獄を決意させたと見るのが妥当でしょう」
そこでハワードと愛梨彩の会話が途切れた。綾芽についてのあらましは以上のようだ。
「話はわかったわ。問題は……綾芽をどうするかね。同盟はまずありえないけど……どう対処するか」
愛梨彩が顎に手を宛てがいながら悩んでいた。
僕としては一刻も早く綾芽を倒して事件を解決したい。だがこの逸る気持ちが僕を冷静でなくしているのも自覚している。だから僕は押し黙るしかなかった。ほかのみんなも同じように思案して、閉口しているようだった。
「二宮綾芽は危険な魔女です。傀儡魔術はそれだけで一つの勢力を作れるでしょう。ですが……綾芽の敵は教会です。倒すタイミングは両者が消耗した時でよいのでは?」
「それまで街の被害は見過ごせって言うのかよ!」
ハワードの提案に声を荒げたのは緋色だった。勢いよく身を乗り出し、テーブルに平手を突きつけた。誰よりもお人好しな彼がハワードの提案を鵜呑みにできないのは無理もない。
「傀儡の襲撃は魔導教会も見過ごさないでしょう。そうなれば自ずと綾芽と教会が戦うことになります。我々野良の戦力には限りがあります。争奪戦に勝ち残るならリスクは減らすべきです」
「確かにハワードの言う通りなのだわ。この調子で毎日街のパトロールをしていれば消耗するのも時間の問題ね」
二人の意見は最もだった。毎日のように夜の街へと足を運び、戦闘を繰り返す。正直、身も心も物資も疲弊する。魔札の補充が追いつかなくなる日もそう遠くないのかもしれない。
「おい、フィーラ! お前、見過ごすつもりかよ!?」
「誰もそんなこと言ってない。やるなら元凶を潰すって言いたかったの。きっとそれが正しい魔女の姿だもの」
「フィーラ……お前」
「もしアリサたちが教会とアヤメが消耗するまで待つって言うのなら、同盟は破棄する。私たちは私たちで勝手にアヤメを討伐させてもらうのだわ」
フィーラの顔には有無を言わさない決意の影が宿っていた。
同盟を破棄してでも、名誉を取る。けど、それは以前の彼女とは全く異なっていた。名誉の意味も一八〇度違うように聞こえた。彼女は己の正義のために戦うのだと。
「待ってください、フィーラ様! それではいたずらに消耗するだけです。争奪戦を勝ち残るためには——」
「ごめんなさい、ハワード。私、賢者の石にかける願いはないの。私はただこの争奪戦を手段にしているだけ。だって名誉や誇りは賢者の石がなくても手に入るし。ね?」
あっけらかんと言ったフィーラが歳とは反比例した無邪気な笑顔を緋色に向ける。そして同意を示すように二人がハイタッチを交わす。
「二人はどうするの? このまま黙って見過ごす?」
試すようにフィーラが問いかける。
僕らはお互いに顔を見合う。僕は真剣に愛梨彩の目を見据える。同様に彼女も目を見据えていた。無言でもこの行為だけでお互いの意思がわかる。僕は愛梨彩の決断に従えると確信した。
「私たちもフィーラの意見に賛成するわ。綾芽の目的が定かでない以上、教会と共闘される恐れもある。物量を投入できる相手は早めに倒しておくべきだわ」
愛梨彩の回答を聞いたハワードはじっとこちらを見る。なにか言おうとしているようだが、反論はしない。ただ「わかりました。あなた方の意見を尊重します」という言葉が返ってきたのみだった。
そうしてハワードは屋敷を後にした。
このまま二宮綾芽を放置するわけにはいかない。第三勢力になる前に僕たちが倒す。この場にいる全員がそう決意していた。
「今日はもう休みましょう。明日もまた傀儡退治をしないとだし」
「だな。体あってのなんとやらだもんな。んじゃ風呂借りるわー」
「ちょっと! 私が先に入る! レディーファーストなのだわ!」
「レディーなんて見当たらないぜ?」
「ここ! ここにいる!!」
フィーラと緋色が言い合いをしながら客間を去っていく。そんな二人のいつも通りのやり取りを聞いて、ようやく肩の荷が降りた気がした。残されたのは僕と愛梨彩だった。
「フィーラの言う通りね。もう遅い時間だし、作戦会議は明日にしましょう。太刀川くんもお風呂に入ったら早く寝てね」
「あ、ああ」
いつになく穏やかな愛梨彩の言葉につい戸惑ってしまう。みんな非日常から日常へと戻っていた。僕だけが焦っても仕方ないことだと痛感する。
今は休んで明日に備えよう。綾芽を倒すなら全員一丸となって……だ。




