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ゼロの魔女騎士《ウィッチナイト》  作者: 鴨志田千紘
終章 最後の勝利者は誰か?
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ゼロに還る物語

 機械龍は爆発四散し、屑鉄が周囲に転がり落ちた。この状況を見るに、普通の人間であるハワードが生きていることはまずないだろう。

 安心した俺は翼の魔法を解いた。


「終わったわね」


 愛梨彩がほっとつぶやきながら、おもむろに先を歩いていく。

 その言葉が酷く満足げに聴こえてしまう。思い残すことはなにもないと言うように。

 気持ちはわからなくない。俺たちの完全勝利。もうこれ以上、戦うことはないんだ。


「どういうつもりだよ……愛梨彩?」


 ——けど彼女の安堵は違かった。


 歩みを進めた愛梨彩が振り返る。その手に握られていたのは……魔札スペルカード。標的を定めるように彼女の目が俺を射抜く。


「なんで俺に魔札スペルカードを向けるんだよ!?」

「私がわからないと思っているの?」


 その一言でハッとする。そりゃそうだよな……この半年近く隣で戦い続けた相棒の気持ちがわからないわけないよな。

 あんな俺の想い丸出しの魔札スペルカードを目の当たりにして気づかない方がおかしい。


「そうか……そういうことか」

「ここで主従は解消よ。だってこうでもしないとあなたは私を殺さない。そうでしょう?」

「そうだよ。俺は死ぬことで君が救われるなんて思えない。死んだらなにもないんだ。辛くても苦しくても生きてなきゃ……この世界で生きて、足掻かなきゃ意味がないんだ!! それが人生ってものだから!」

「私は魔女よ。魔女は長く生きれば生きるほど狂っていく。それはわかっているでしょう? だから……おかしくなる前に私を殺してもらうわ」


 相棒の魔女は冷淡に言葉を吐く。緩み一つない思い詰めた表情。愛梨彩は本気だ。本気で俺と殺し合いをしようとしている。


「いやだ! 俺にはできない! 俺は君の騎士だ。俺は君を守るために剣を取ったんだ!」


 言葉の代わりに返ってきたのは一枚の魔札スペルカードだった。カードは氷弾へと変わり、直進してくる。俺は反射的に『|調和した二つの意思のツイン・バスタード』を手に取ってしまう。

 片手から……賢者の石が転げ落ちる。床にからんと響く音。それが戦闘開始の合図となった。愛梨彩は容赦なく魔札スペルカードを乱射し始める!

 やっぱりこうなる運命だったのか。俺が君を生かそうとすれば、戦うしかなくなるのか。意思と意思をぶつけ合うために。

 言葉を交わすことなく、淡々と攻防が続いていく。


 ——どうすればいい!? どうしたら!?


 剣を振るうのを絶やさず、思考を駆け巡らせる。言葉は届かない。遮断されている。

 剣を振るわなければ俺が死ぬ。この戦いで生き残るのはどちらか一人。


 ——違う。これが彼女の望みじゃない。


 戦闘の最中、悲しいことに愛梨彩の気持ちが痛いほど伝わってくる。死への悲哀、後悔、畏怖。頬を伝う涙から彼女の内に隠した心情が響いてくる。


「本気でかかってきなさいよ……!! 本気で!!」


 痺れを切らした愛梨彩が声を荒げる。涙交じりの咆哮が虚しくこだまする。それでも……俺は攻撃に転じられない。

 仲間がいれば、彼女は悪い魔女にならないと思っていた。だけどみんな愛梨彩よりも先に消える。俺や緋色だけじゃなく、咲久来もフィーラも。

 魔女は魔術式を継承して死んでいくものだ。彼女たちだって生涯を添い遂げるパートナーを見つけ、死期を決めてしまうかもしれない。自身と同じ悲しみを背負わせたくないと願う愛梨彩とは違うんだ。そうなれば……誰も残らない。


 ——ただそばにいてくれる人が欲しい。生涯、私と添い遂げてくれる人が欲しい。そんな些細な願いさえ魔女は叶えられない。こんな呪いがあるせいで。


 愛梨彩の声が脳裏を過ぎる。俺と言葉を交わすことを拒絶しても、伝わるものは伝わってしまうんだ。だって俺たちはパートナーだったから。

 あの時こぼした「看取られたい」という言葉もそういうことなのだろう。君が欲しているのはずっと変わらずそばにいてくれる人間。文字通り永遠の愛を誓う者だ。

 なら救える。なにより君は今、泣いている。俺に敵意を向けているはずなのに……死ぬのが怖くて、悲しくて、悔しくて泣いているんだ。


 ——君がいくら話を拒もうが構わない! 俺は《《それでも》》と言い続ける!


「最後になるんだろうな、こうして話すの。だからさ、話させてくれないか。これまで思ってたこと、全部」


 剣戟の手を止め、おもむろに呟く。剣で弾き損じた魔弾が肩をかすめ、ローブを抉っていた。


「バカなこと言わないで! ここで死にたいの!? 死にたいのかって聞いてるのよ! 太刀川黎!!」


 怒号を轟かせながら、彼女は魔札スペルカードを放る。


 ——《《それでも俺たちは話し合わなきゃいけない》》。


 身動き一つしない俺を素通りし、カードが虚空を射抜く。そうだと……思っていたよ。

 遊園地の時のようにタイミングを逃しちゃいけないんだ。これが愛梨彩に想いを告げられる《《最後のチャンス》》。このまま戦いを続けるなんて死んでもごめんだ。


「相変わらずつれないな。遺言くらい言わせてくれてもいいと思うけど?」

「いいわ、元主従のよしみで聞いてあげる。それで思い残すことなく、遠慮なく殺し合いができるならね」


 『遺言』。その言葉を聞くと、彼女の攻撃の手が止まった。あんなに頑なに会話を拒絶していたのに……やっぱりお人好しだよ、君も。どんなに悪者ぶって狂ったように見せても君は優しい人間のままだ。魔札スペルカードを外したのもそうだ。


 ——ごめん、また嘘をついた。遺言にするつもりはない。戦いを続ければ悔いが残るから止めたかったんだ。


 咲久来と悔いの残らない選択をすると約束した。なによりみんなが幸せになれる結末を手にしたいと俺自身が一番願っている。

 だから君を納得させるまで言葉を紡ぎ続けるよ。君が与えてくれた特別な『俺』ではなく、ただの太刀川黎として。『僕』として。


「僕が君に伝えたい気持ちは……それは『君とこれからも添い遂げたい』ってことだ。この想いだけはやっぱり譲れない」


 刹那、世界が静寂に包まれる。

 これが俺の折れない意思。ずっと抱いてきたものだ。

 まなじりを決していた愛梨彩が、歯噛みして苦悶の表情を浮かべる。


「最後までそんなことを言って!! 生きられるなら私だって生きたいわよ! 好き好んで死にたいわけないじゃない! だけど魔女がいき着く先にあるのは永遠の孤独なの! 私はその孤独に耐えられない!」

「孤独になんてさせないよ。だって約束しただろ。『僕はずっと君の隣にいるよ』って」

「それは……!」


 僕は君との約束を一つ破る。けどね、愛梨彩。僕たちはその約束よりもずっと前に大事な約束をしていたんだ。


 ——「僕はずっと君の隣にいるよ。もし愛梨彩が悪いことをしても見放したりなんかするもんか。そばで、一番最初に叱ってやる。君を悪い魔女になんかさせない」。


 観覧車での約束ではなく、学校の屋上で交わした約束。本心に近い方を優先しようと思った。自分を偽って悔いは残したくない。


「魔女とか人間とか関係ない!! 僕が必要としているのは君なんだ! ただの九条愛梨彩なんだよ!! 愛梨彩、君のことが好きだ! 僕と一緒に生きよう!! これからもずっと!!」


 君のことが好きだ。普通で、ありふれた表情を見せる九条愛梨彩が好きだ。

 愛の告白をするのにこんなにも時間がかかってしまった。これが君を救う言葉だって……ずっとわかっていたのにな。


「なにを言ってるの……そんな言葉を口にするなんて卑怯よ! あなたの想いに応えたい! 応えたいのに……私には選択肢がないのよ。永遠の孤独を逃れる方法はこれしかないの……これしか!」


 愛梨彩は自分に言い聞かせるように言葉を反芻する。それは彼女の心の葛藤そのものだった。

 その様子を見て、僕はほっと胸を撫で下ろした。「応えたい」と愛梨彩は言ってくれた。その言葉を聞けた今なら……決意を伝えられる。


「愛梨彩になくても僕にはあるんだよ。愛梨彩と一緒にこれからも生きる方法が。永遠の時間を持つもの同士なら……一緒に生きられるでしょ?」

「まさか……あなた!」


 傍らに転げ落ちた賢者の石を拾い上げる。

 皮肉なことに唯一の救いだと宣っていたハワードが教えてくれたのだ。愛梨彩を呪いから解放するのではなく、ともに添い遂げる方法を。


「僕は《《魔女》》になる。永遠という時の牢獄で……君に寄り添うために」


 昨夜、咲久来とともに決めたこと。それはこの戦いの最後にブルームの魔術式と賢者の石を使い、完全な魔女になることだった。

 そして今、必要なものは全てここに揃っている。所持者に無限の魔力を与える紛い物の賢者の石。期せずして得た太刀川の魔術式。

 予定とは少し違うが、継承には変わりない。僕の体は今の状態でロックされ、老いることはなくなる。魔術式を継承するまで……死ねなくなる。君と同じだ。


 ——それが僕が提示できる救い。君を一人にしないという誓いだ。


「ダメ……! それだけはダメ! あなたが私にそこまでする必要はないの!!」


 カードを投げ捨てた愛梨彩が泣きながら駆け寄ってきた。引き止めるように僕にすがりつく。戦闘を継続する意思は……もうなかった。


「いいんだよ、これが僕の意思だから。君が死ぬよりはるかにいい」

「でも……! でも……!」


 子供が駄々をこねるように彼女はかぶりを振っていた。溢れる大粒の涙がこぼれ落ち、服を濡らす。

 魔女になると言えば君が反対するであろうことは最初からわかっていた。最後の最後まで言えなかったのはそのためだ。言えるとしたら全てが終わったその時だと心に決めていた。

 僕はなにも言わずに、空いた手で愛梨彩を抱き寄せる。


「大丈夫、僕を信じて。二人でいれば怖くないって。寂しいことも悲しいこと恐ろしいことも全部、隣にいる僕が斬り払う。孤独な魔女にはならない。狂った魔女は生まれない。二人で笑い合ったり楽しんだりする日々がこれからも続くんだ」

「それじゃあ私は……」

「君は《《人間》》として生きていけるよ。終着駅はないけど、それでも生きていればたくさんの幸せに巡り合える。それは魔女も人間も変わらないはずだって僕は思うから」

「ああ……! ああ……!」


 愛梨彩が胸にうずくまりながら、呻いていた。言葉にならない呻きだけど、僕にはわかる。これは……悲しみの呻きじゃない。


「私の……私の願いが叶うのね。本当に」

「ああ、そうだよ」


 上目遣いで彼女が僕の顔を覗きこむ。その顔は確かに泣いていたが、目尻が垂れていた。安堵し、喜んでいるのだろう。これでようやく愛梨彩は救われるんだから。

 最後に問おう。


「じゃあ……僕を生涯のパートナーとして認めてくれますか? 永遠にそばにいてもいいですか?」

「はい。あなたが私の生涯ただ一人の伴侶です。どこかにふらっと消えたら……本当に許さないんだから」


 笑みに惹き寄せられるようにお互いの顔が自然に近づいていく。体をしっかりと抱き寄せ、僕らは口づけを交わす。どこにもいかないと、離さないと誓うように。

 二人きりの世界、永遠の二人ぼっち。僕たちが進む先の世界はそんな場所だ。それでも……二人ならどんな苦しみもわかち合える。

 さて、残るは仕上げのみ。僕は体を離し、賢者の石を胸前へと持ってくる。


「たとえ紛い物でも、お前が賢者の石を名乗るなら……僕の願いを叶えてみせろ。ゼロの僕に無限の魔力を授けてくれ」


 食らうように石を目一杯、胸へと押しこんでいく。体のうちでマグマのように熱が迸った。けど耐えられる。これくらい平気だ。愛梨彩がいなくなる恐怖なんかよりも全然マシだ。

 やがて熱は体温に溶け合い、腕へと浸透していく。


 ——ここまで読んでいた……わけないよな、父さん?


 魔術式の記憶が流れこみ、脳裏で父を幻視する。無言だったが、祝福するように笑っていた。僕の選択を見守ってくれているんだ。


 ——存在しないはず(ゼロ)の魔女が今ここに生誕した。


「いこう、愛梨彩。この先の未来へ」


 隣にいる彼女に手を差し伸べる。君をこの先のまだ見ぬ世界へと連れていく。二人でいこう。


「ええ!」


 愛梨彩が固く握り返してくる。彼女の顔にもう憂いはない。未来に期待を膨らませ、目を輝かせていた。

 開けた天井から顔を覗かせる晴れ間を二人で仰ぎ見る。淀んだ暗雲は姿を消し、際限なく青い空が広がっている。

 この果てない空のように僕たちも際限なく生きていく。どこまでもどこまでも。遠くにいっても怖くない。だって隣にはずっと彼女がいるんだから。

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