再会/インターリュード
*interlude*
兄が死んだ。本当の兄のように慕い、大好きだった太刀川黎が。
唯一手元に残った兄の遺品はレンズの割れたメガネだった。それを見るたびに思い出す。あの日のことを。瓦礫で溢れた教会の景色を。
私が帰った時にはもう遅かった。戦闘は終わっていて、礼拝堂の中心にはおびただしい量の血が滲んでいた。その近くに魔導教会から派遣された魔女、アイン・アルペンハイムという男が立ち尽くしている。傍らには父の姿も見える。
アイン・アルペンハイムという男が派遣されてくるのは何日も前から知っていた。この街で賢者の石争奪戦が始まることも。魔女狩りが起きることも。相手はおそらく九条愛梨彩だろう。この街の魔女といえば彼女だ。
争奪戦による戦火の跡や犠牲者も、この時まで実感がなかった。経験したことがない以上、想像することしかできない。けれど、私は想像することすら放棄していたのかもしれない。
「すまないことをした。私が殺した男は君にとって兄のような存在だったのだろう」
アインさんの第一声は謝罪だった。心の底から悔いていたのを私は覚えている。
兄の死を示すようにひひ割れたメガネを手渡された。
「いえ……魔術師になった時から覚悟はしていました。身内から死人が出るかもしれないということは……わかっている……つもりでした」
溢れ出そうになる涙を堪える。鼻の奥がつん裂かれるように痛い。
私の知っている兄はもういない。当たり前のようにこの先もいると思っていた存在がこの世界からなくなった。もう彼の声も、笑顔も、暖かな温もりも感じ取ることはない。
私は魔術師なんだと気丈に振る舞おうとすればするほど、声は震えて言葉に詰まる。辛いと言えたらどんなに楽だろうか。
「そうか」
それ以上の言葉はなく、彼は礼拝堂を後にしようとする。私はメガネを兄の亡骸のように抱きしめ、嗚咽を漏らすしかなかった。
慰めの言葉なんていらない。彼は教会の魔女として任務を遂行しただけ。魔導教会に所属している以上、命令に私情は挟めない。
けどやるせない気持ちが胸の中で渦巻き、ドロドロと心を溶かしていく。溶けて、形作られた自分の姿を忘れたチョコレートのようにぐしゃぐしゃで滅茶苦茶だ。
——なんでこんなことになってしまったのだろう。
形を失った心の中でその疑問だけが溶けずに残った。
なにが悪かったのだろう。誰が悪かったのだろう。私はどうするべきだったのだろう。
止まっていた思考に再び火がつき、回りだす。
悪かったのは——この教会が襲撃されたこと。
悪かったやつは——この教会を襲撃したやつ。
私は——襲撃される前に手を下しておくべきだったんだ。
点は線となってつながり、次に私がするべきことを導き出す。私がするべきことは……
九条愛梨彩だ。九条愛梨彩を殺すしかない。
九条愛梨彩がいなければこんなことにはならなかった。九条愛梨彩を殺せば仇討ちができる。そうだ、全部あの女が悪いんだ。九条愛梨彩が憎い。消えてなくなればいい。あの女さえいなければ、お兄ちゃんは——
「九条愛梨彩は……殺すんですよね?」
吐いて出た言葉はどすの利いた、醜い声だった。今の私を形成しているのは憎悪と狂気に満ちた完全なる殺意。清らかな感情など微塵も含まれてはいなかった。
「九条愛梨彩は依然として狩る対象だ。教会を襲撃してくる以上、やつを野放しにはできない。殺すことになるだろう」
アインは事務報告のように淡々と喋る。そこには一切の私情が挟まれてなく、やるべき任務にほかならなかった。
でも、私は……私は違う。
「私も魔女狩りに参加させてください」
「咲久来……お前! 自分がなにを言っているのかわかっているのか?」
「教会の一般魔術師の過程は全て修了しています。ほかの魔術師に劣るところはありません。加えて私にはこの秋葉の土地鑑があります。むしろ同伴魔術師としては有用かと」
『父』としては止めるのが普通だ。「お前はまだ学生で子供だ。魔術師の仕事はまだ早い。早まるな」なんて口を酸っぱくして言うのだ。子供の身を案じるのは親の務めだと言わんばかりに。
けど私は『父』に話しているのではない。アインと……八神教会の『神父』と話をしているのだ。
「敵の魔女は人型スレイヴを有している。未熟だったが脅威となる可能性が高い。戦闘は熾烈を極めることになる」
「構いません。覚悟の上です」
「そのスレイヴが太刀川黎の姿、形をしていてもか?」
アインの言葉を聞いて、肌が粟立った。言葉が出ない。
九条愛梨彩のスレイヴがお兄ちゃん……? それは一体どういうことなの? お兄ちゃんは死んだんじゃないの?
「アルペンハイム殿、それは口外しない取り決めだったでしょう」
「遅かれ早かれ、お前の娘は気づくぞ。時間の問題だったのならば、真実を伝えるのは早い方がいい。取り返しがつかなくなる……前にな」
「どういうこと……なんですか」
「太刀川黎は『人』として死んだ。だがやつは、九条愛梨彩の魔術式によって死体のまま眷属として使役されている。レイスといえばわかるだろう。死霊魔術や復元魔法の類だ」
レイス——魔力によって無理矢理動かされている屍の総称だ。つまり九条愛梨彩がお兄ちゃんの死体を弄んでいる。魔術の世界に関わるはずのなかったお兄ちゃんを巻きこんでいる。
なにより、私のお兄ちゃんを自分のものとして所持している。
「——許せない」メガネを握る手の力が強くなり、震える。「ならなおさら戦うしかないですね」
私の言葉を聞いて父はどう思っただろう。私はこの時の父の顔を覚えていない。
「九条愛梨彩と戦うということは君自身の手で太刀川黎を無に還すということだ。君はそれで構わないと?」
「賢者の石……使えますよね?」
私が口にした言葉はとても不躾で図々しいものだったと思う。それは「私をスレイヴにして、賢者の石を使う権利を与えてくれ」と一方的に言っているようなものだった。
賢者の石は願いを叶える代物だ。だから野良の魔女は喉から手が出るほど欲している。だがそれは教会の魔女も同じだ。
今回の争奪戦も賢者の石が魔力を蓄えるまで努めて働いた魔女やそのスレイヴに功労賞が出る。それが賢者の石へ願いをかける権利だ。「教会の理念に賛同してはいるが、本当は自分の願いも叶えたい」。そんな魔女への救済措置といったところだ。
万能の魔術式は数名の願いならたやすく叶えてくれる。願いを叶える権利を得る者が一人、二人増えても問題はない。
なら、私が勝ち残ればいい。九条愛梨彩だけじゃない。野良の魔女をみんな根絶やしにしてしまえばいい。
——大好きなお兄ちゃんを生者に戻す。
私が魔術を嗜んできたのはそのためだ。か弱い一般人である兄を守護するためだ。そのためなら私は茨の道でも進んでいける。
鋭くアインの顔を見据える。吐いた唾は飲みこめない。軽い気持ちで大口を叩いたわけじゃない。私にはその覚悟があるのだと目で訴えかける。
「いいだろう。私には賢者の石にかける願いがなかったからちょうどいい。では、今日から君は私のスレイヴだ。『稀代の魔女になる素養を持った魔術師』の戦いぶりを期待している」
それだけ言うとアインさんはふらりと消えてしまった。
私の覚悟は彼に届いた。どんなに困難でもやり遂げる覚悟。私はどんな魔女だって殺してみせる。例え大好きだった兄の写し身と対峙することになろうとも、必ず。
待っててね、お兄ちゃん。咲久来が必ず、黎お兄ちゃんを蘇らせてあげるから。
*interlude out*




