あれから
学園祭から二週間が過ぎた。
あの一件以来、愛梨彩の魔術式はオーバーヒートして一時的に使い物にならなくなってしまった。彼女はうちの陣営の要だ。再び魔法が使用できるようになるまで静養を要したというわけだ。
「学校も生徒も平穏無事。教会の魔術はしっかり働いているようね」
学校からの帰り道、フィーラがそんなことをぼやいた。
愛梨彩がいない以上、不用意に教会を攻めることはできない。できることは調査という名目の登校くらいだ。賢者の石が最後に運びこまれる地——成石学園の様子を見る。ついでに学園祭の被害状況を把握もする。ここ数週間はそんな感じだった。
「一乗寺も本宮も相変わらずだったしなー。それもこれも全部九条のおかげかぁ」
その愛梨彩は一日の大半を眠りに費やしている。魔術式の暴走。払った代償はあまりにも大きい。
「暴走ってさ……どういうことなの?」
屋敷の目の前だというのに自然と足が止まってしまった。
愛梨彩の「大丈夫」という言葉を信じている。けど今彼女がどういう状況なのか、僕はよく把握できていない。せめて彼女の状態を知っておきたいと思った。
「魔女が魔力の生成量以上に消費することができないのは知っているでしょう?」
「うん」
「それはただ単に自制してるだけなのだわ。実際はやろうと思えば全身の魔力を消費することができる。けどやったら最後。機能が著しく低下して、最悪の場合長い間起動しなくなる。争奪戦に身を投じている魔女にとっては諸刃の剣だからやることはまずあり得ないんだけどね」
「それなら! 魔術式の放棄につながるんじゃないのか!?」
もし……暴走させて魔術式が崩壊するのなら。そんなことが起こせるなら。そんな一縷の望みがつい口を突いて出てしまった。
「残念ながら無理なのだわ。魔術式は継承するために残されたものよ。そのもの自体が強固に作られているから、どんなに機能が低下しても『継承するまで魔女を生かす』という根本的な機能は崩れない。継承するか死ぬか……そのどちらかでないと魔術式は手放せないのだわ」
フィーラの回答は期待に沿うものではなく、僕はうなだれてしまう。
——魔術式を永久に放棄する。
死ぬのは論外だ。彼女に普通の人生を送ってもらいたいのだから。愛梨彩の願いを叶えるにはやはり賢者の石を手に入れるしかない。
「そうだよな。うん……わかってる」
「わかればよろしい。じゃ、屋敷に帰りましょ。ただいまー!!」
屈託のない笑みを見せたフィーラが勢いよく屋敷の扉を開ける。すると中から「おかえりなさい」との声が。見るとホールに制服姿の愛梨彩がいた。
「愛梨彩!? 起きて大丈夫なのか!?」
「ええ、かろうじてね。まだ戦闘には復帰できないでしょうけど」
「そっか。それならよかった」
彼女の顔には生気が戻っていた。血色もよく、普段通りと変わらない様子だった。完全回復するのも時間の問題。ひとまず安心した。
「あなたに頼まれていたことも済ませておいたわ」
「それって……」
奥の部屋からガチャリと音が鳴る。中から現れたのは——
「ごきげんよう、野良の皆さん」
「百合音……」
悠然とした装束と佇まい。魔女は柔らかな風に乗せられた髪をたなびかせる。その姿は初めて彼女と会った時を彷彿とさせる。
学園祭の戦いの後、百合音の亡骸は地下室にある氷の棺に安置された。直後に復活させるのは愛梨彩の負担が大き過ぎるだろうと判断したからだ。
このタイミングで蘇ったということは……『逆転再誕《リバース/リ・バース》』を行使しても問題ないくらい回復したのだろう。
「太刀川黎。あなたには感謝していますわ」
「争奪戦……降りるんだよな?」
「ええ、それはもちろん。約束ですし? なによりもこんな戦いもうこりごりですわ」
その顔は心底呆れていた。これ以上散々な目に遭いたくないというのはやっぱり本心らしい。
「二度目はないわよ。慈善事業じゃないんだから」
ぶっきらぼうに愛梨彩が言う。正直一回蘇らせるだけでも充分なお人好しなんだよなぁ。
「心得ていますわ。それじゃあ、運よく生き延びたら……また会いましょう。あなたたちに返さないといけないものがありますので」
その時初めて百合音の微笑む顔を見た。そこに傲慢さは一切なく、穏やかで普通な笑みだった。魔女だって人間なんだよな。
「よかったの? あんなの生き返らせて」
屋敷を去っていく百合音の背中を見送りながらフィーラがぼやく。
「彼女も持っている感性という意味では人畜無害な一般人よ。戻しても悪さはしないわ」
「確かに。賢者の石に富を願うなんて……一番人間らしいのだわ。ま、名誉を願おうとした私が言える言葉じゃないかもしれないけど」
「そうでしょう? ならここで貸しを作っておくのも一興だと思わない? 人間臭い彼女ならきっと律儀に返してくれるわ」
そう言って愛梨彩がいたずらに笑う。
「変わったな、愛梨彩」
「どこかの誰かのおかげでね」
自分から人間関係を広げて、さらには人の感情まで読めるようになって。意地が悪いのは相変わらずだが人間的に成長しているように思える。って保護者目線か、僕は。
「あ! 九条が回復したってことは九条が飯作んのか? いやー久しぶりに食いたかったんだよな、お前のステーキ」
「ヒイロは調子がいいわねぇ、ほんと」
「ああ!? お前だって食べたがってたじゃねーか!」
「そ、それはそうだけど……」
「そこまで言われたら作るしかないわね」
戻ってきた和やかな空気。この雰囲気を僕は守っていきたい。改めてそう思った。
みんながみんな願いを持ってこの争奪戦に臨んでいる。願いの形は様々で、それぞれの心を反映したものだ。
愛梨彩の願いは変わっていないけど、きっと以前よりも増して「人間に戻りたい」と思っているのだろう。僕はその願いを果たさなくちゃいけない。騎士として……彼女を愛する一人の男として。
そんな折だった。スマートフォンが着信を告げる。表示されていたのは父の名前。そう、太刀川正の名前である。




