魔女からのご褒美
「流石ね。半日で魔力コントロールができるようになるなんて」
一七時半。一分のズレもなく、愛梨彩が地下室に降りてきた。
「それ褒めてる?」
「ええ、もちろん。不服かしら」
淡々とした言葉遣い。表情も半日前と寸分違わぬ無愛想なものだった。正直不服と言えば不服だ。
「わかりづらいよ! もっと声音を変えてみるとかさぁ!」
「じゃあ、態度で示せばいいのかしら?」
——態度で示す。
怪しくも甘美な、そして蠱惑に満ちたワードに聴こえてしまう。長身の美人でスタイルもグラマラスな愛梨彩が……あんなことやこんなことで労ってくれる。と妄想は尽きないが、相手が魔女なのであまり期待しない方が身のためだ。
だが悲しきかな思春期男子。……僕は固唾を飲み、「ま、まあ」と曖昧な返事をしてしまう。
「ついてきて。褒美をあげるわ」
褒美。どうしたのだろう。なにか変な薬草でも食べたんじゃないか。表情こそ変わらないが、僕に対する扱いが今までの比にならないぐらいよくなっている。これが飴と鞭という教育か。
とりあえず僕は黙って地下室を後にした。いくら相手が魔女とはいえ、褒美という響きを疑って身構えることもないだろう。
愛梨彩についていくと、たどり着いた場所はダイニングであった。長いテーブルが部屋の大半を占拠した、ザ・洋館のダイニングという部屋であった。
「あの……僕はここでなにをすればいいんでしょうか」
想像していたこととかけ離れており、身構えてしまう。愛梨彩がくれる褒美なんて実用的なことを教えたり、役立つ魔道具を渡したりってところだろうと想像して高を括っていた。けど、これは予想外だ。
「なにって……待っていればいいのよ?」
どうも彼女は僕が恐縮している理由がわからないようだ。いやいやこんな広いダイニングルームに一人、お誕生日席で待たされたら緊張するに決まっている。確かに万が一、心ときめく展開になったらと考えはしたけども。
「あの……つかぬことお伺いしますが……褒美って一体?」
「ああ、言ってなかったわね。でもダイニングにきたら答えは決まっていると思うけど?」
「すいません、わからないです。魔女がダイニングですることわからないです」
「食事に決まってるでしょ。魔女だって食事はしますから。それに死体とはいえ肉体の維持は生きている人間と変わらないのよ。魔力を使わないで維持できる部分は使わないに越したことはないからね。作ってくるからそこで待ってなさい」
食事!? 魔女の食事って紫色したスープの闇鍋とかおよそ一般人が食べないような爬虫類や両生類の丸焼きとかでは!?
「ちょ、それ褒美じゃない!!」
なんて言葉は彼女に届かず、愛梨彩は部屋の外に出ていってしまった。キッチンは外にあるようだが……
「追いかけても仕方ないか。闇鍋と丸焼きって決まったわけじゃないし」
腹を決める。舞い降りてきた異性の手料理を食べるチャンス。逃すわけにはいかない! どんなものでも食ってみせますとも!
そして、二、三◯分が過ぎた頃。部屋の外からなにやら香ばしい匂いが漂ってくる。
「これはもしかして……もしかするぞ」
期待感を募らせて、その瞬間を待つ。
「待たせたわね。さあ、食事にしましょう」
ウェイトレスさながら両手に二枚ずつ皿を腕に乗せ、食事をテーブルに運んできた愛梨彩。どんな平衡感覚してるんだ。半分を僕の目の前に起き、もう半分は遠くへ運んでいく。
出された料理を見た時、僕は目をしばたたかせずにはいられなかった。
ステーキである。
濃褐色に焼かれた肉は紛れもなくステーキである。ただ焼いた肉を置いただけでなく、コーンやポテト、人参などつけ合わせまで盛られている。
「先に言っておくけど、牛肉だから」
素材を疑うのを見抜いたのか、愛梨彩は僕の言葉を封殺する。
愛梨彩の準備が整うまで呆然と配膳されたステーキを眺める。木製のプレートの上に鉄板が置かれた、いわゆるステーキ用の皿に盛りつけれている。専門店ならいざ知らず、一般家庭で出されることは珍しいだろう。もう一つのライスの皿も白の平皿で配膳されており、食べる前から並々ならぬこだわりが見て取れる。
「それじゃいただきましょうか」
対面の席から、か細く声が聞こえた。
「いや、遠くない!?」
そう、愛梨彩は対面の席に座ったのである。つまり長いテーブルの端と端で二人で食事を開始しようとしたのである。
「そうかしら?」
「いや、そうだよ!食事はもっと和気藹々とするべきでしょ!」
「ごめんなさい。誰かと食事をともにするのが久しぶりだったから。男の子とどんなふうに食事を一緒にしたらいいかわからなくて」
たまらずツッコミを入れると、愛梨彩は俯いてしまった。
しまった。突いてはいけない藪を突いてしまった。彼女は魔女で、この屋敷に何年も一人で暮らしているんだ。わからないのは無理もないことだったかもしれない。
「そう……なんだ。じゃあさ、僕がそっちいくよ」
「え?」
二枚の皿を両手で持ち、愛梨彩の左前の席へと移動する。
有無は言わせない。今までずっと一人で食べてきてわからなくなっていたとしても今は僕がいる。
ここには二人いる。
なら、僕は物怖じせずに教えるべきなんだ。普通の家庭の暖かさとか、一緒に食べるごはんのおいしさとか。そういう小さいけれど積もり積もっていく幸せを。普通の僕だからこそ、魔女に教えられるはずなんだ。
「これで喋りながら食事ができるでしょ?」
僕が白い歯を見せると、愛梨彩が顔を背けた。
「どうしたの?」
たまらず問うてみるが、「なんでもないわ。さあ、冷めないうちに食べましょ」とはぐらかされてしまった。表情はけろりとした普段の愛想のない顔に戻っている。
「そうだね」
二人揃って「いただきます」と斉唱する。ミディアムで焼かれたステーキはほんのりと赤みが残り、紅潮している頰を想起させる。せっかくのご褒美だ。賞味しなくてはもったいない。ナイフで軽く圧をかけただけで切れる肉を口元に運ぶ。
「うん、おいしいよ。ステーキ屋さんで食べてるみたい」
「当然。私が焼いたんですから」
ふんと鼻を鳴らし、ステーキを誇らしげに語る愛梨彩。彼女の姿を見て、思わず笑みがこぼれる。
いつか面と向かって食事ができるようになるその日まで……僕は『普通』の世界を彼女に教えていこう。それが『普通』だった僕を助けてくれた彼女への恩返しになるはずだから。