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25 それはおそらくパワハラです

 ドラゴンと落ち武者を創世神話の一対に例える騒ぎは、さほど長続きせずに収束しそうで、ヴィンセンテは椅子に身を投げ出して安堵の息をもらす。だが、部屋にいるもう一人の男はそこまで楽観視していないようで、眉間の皺は未だ深く刻まれている状態だ。

 細かいところにまで気がまわる、心配性の男――アドレー・グリーブスに、ヴィンセンテは焼き菓子が盛られたカゴを押しやった。


「いらねーよ」

「そう言うな。糖分を補給しろ」

「なんでだよ」

 おまえがイライラしてるからだよ――とは言わず、今度は茶を勧める。

 ドラゴンフルーツの香りが楽しめるフレーバーティーは「ユカリ様のおすすめ品です」とグラハムが持参したものである。

 カゴの中からひとつ菓子を取り出すと、そのままガブリとかじりつくヴィンセンテに、アドレーは呆れた顔を見せつつも、自分もそれに倣って手に取った。

 プレーンとカカオの生地が混ざり合ったパウンドケーキだ。完全に融けきってはおらず、わざと中途半端に二種類の色を残す断面は、まるで黒毛の落ち武者の立場を表現しているように感じられた。


 落ち武者が生きる世界と、アドレー達の生きる世界。

 それぞれの世界に住まう人間は、相手の世界に完全に融けこむことは、きっとできない。

 この先ずっと異分子であるしかない落ち武者は、けれど己の世界に帰還することもおそらく叶わない。

 誰もその術を知らない。

 落ち武者はただ「落ちて」くるだけだった。


 神がどこから現れたのかと考えた時、彼らもまた別の世界からやって来たと考えてもおかしくはない。

 落ち武者神様説は「もしかしたらそうかもしれない」と人々に思わせる要素があるものだったのだ。



「かつての神が別世界の者であったとしても、彼女がそれと同一であるはずがない。皆、そんなことはわかっているのだ。ただ、それを笠にして、人々を誘導したい連中が多いというだけだ」

「権力者の考えなんて、理解したくもない」

「――すまんな」

「いや、おまえが悪いわけじゃない……」

 ヴィンセンテは国で一番の権力を持つ王族の一員ではあるが、彼自身はそれを振りかざす人間ではないことを、アドレーはよく知っている。王族とて一枚岩ではないだろうが、少なくともヴィンセンテはそうではないと信じている。

 アドレーが幼い頃――、竜の巣で迷い、取り替え子ではないかと噂された時、率先して笑い飛ばしたのは、ヴィンセンテだ。ドラゴンの感情を察することができると打ち明けた時も、目を輝かせてうらやましがっていた。

 ヴィンセンテがライセムを任地として選んだ理由は、アドレーが住む地であり、竜騎士団があるからなのである。

 彼もまた、ドラゴン馬鹿の一人であった。



「落ち武者の様子はどうだ?」

「特に変わりはないと思うが」

 彼女曰くの「漢字」とやらは理解できなかったものの、始祖神を連想させる名前であることは、一同皆が理解した。

 偉人にあやかった名を付けるのはガルセスでもよくあることで、竜騎士団の中にも、外国の著名人から名付けられたという人物がいる。彼は己の名前があまり好きではないらしく、ゆかりに対してもひどく同情的であった。

「そもそも、あいつの名前が神の瞳の色と同じだとか、言われないとわからないんだ。そこまで心配することないと思うけどな」

「ドラゴンにとっては大事でも、我々にとっては黒毛であることの方が重要だ」

「髪の毛はベールで隠せるから、平気じゃないのか?」

 アドレーは思ったが、ヴィンセンテは否定する。

「顔を知らぬ者はともかく、城にいる者にとっては、ベールなど今更だろう」

「それこそ、今更じゃないか。城の中を顔を晒して歩いておいて、今になって黒髪が危険だのなんだのって」

「ならば、最初から閉じ込めておけばよかったと、おまえは思うのか?」

「……それは――」


 問い返され、アドレーは口をつぐんだ。

 自堕落に暮らすのはいやだと仕事を求め、そんなゆかりを案内してまわったのはアドレーだ。あの時間がなければ、今こうやって竜と意思疎通を図ることもなく、すれ違った心のまま暮らしていたことだろう。竜が人語を解し、こちらの話すことをすべて聞いたうえで応えてくれているだなんて、想像もしていなかったに違いない。

 奇異な眼差しを向けられるからという理由で、落ち武者を隔離することは簡単なことだったはずだ。

 むしろ、初手の段階でそうしておくべきだったはずなのに、ヴィンセンテは逆に自由を与えた。

 いとわれることがどれほど苦しいかを知っているから、彼は束縛を誰よりも嫌っている。


「御三家はここぞとばかりに、話を蒸し返してくるやもしれん」

「なんの話だよ」

「婚姻だ」

「誰の」

「私のだ」

「それと黒毛になんの関係が?」

「私の相手が落ち武者だ」

「――は?」

「そう驚く話でもなかろう。希少な黒い髪の落ち武者だぞ。しかも年若い女性となれば、婚姻で身の内に取り込んでしまえと考えるのが普通だ」

 勇者と姫が結婚したり、女神が王様と結婚したり。

 そうやって次代を繋いでいく物語にならって、落ち武者の血を王家に入れようと考えてもおかしくない。

 白石ゆかり本人を知っていると、彼女と「結婚」という言葉がなかなか結びつかないが――。

「安心しろ。とっくに断られている」

「断る?」

「周囲からの圧力がかかる前に、私から本人に打診したところ、無理だと言われた」

「そうか」

「自分は子どもが産めないからやめたほうがいい、とな、そう言われた」


 求めているのは、落ち武者本人ではなく、突き詰めると血筋。

 未来のガルセス王家に、落ち武者の子孫という箔をつけることが目的であれば、自分はその役割はになえない。

 ヴィンセンテに打診された際、ゆかりはあっさりとそう答えた。

 無理強いするつもりはもとからなかったし、ヴィンセンテとしても「断れないように追い詰められるより前に、本人に確認しておこう」という程度の気持ちだった。そして、いざ周囲から打診された時には「とっくにフラれている」と流せるように準備しておきたかっただけだった。

 断る理由が「子どもが産めないから」というのは驚いたが、それは彼女なりの誠意だろう。身体的な欠落なのか、病に起因しているのかはわからないが、言い切ったゆかりに対し、深く問うことをヴィンセンテは避けたし、誰にも告げてはいない。

 誰にも知られていないからこそ、落ち武者の血筋を求めて、彼女を取り込もうとする家が出てくるかもしれない。

 そこが問題だった。


「おまえが相手になってくれればいいと思っていたのに、まったく不甲斐ない男だな」

「ちょっと待て、どういうことだ」

 とんでもないことを言い出したヴィンセンテに、アドレーは待ったをかける。

 すると眼前の男は、心底不思議そうな顔で問い返した。

「あの者が最初に相手を探していると言った時、何故おまえを会場に送りこんだと思っていたんだ」

「知るか」

「なにが不満なんだ」

「不満しかねーよ」

「そうか、嫌いか」

「いや、そういう問題じゃないだろ」

 案内役を押しつけたり、傍で護衛しろとせっついた理由がそれなのか――。

 アドレーは呆れるとともに、脱力する。

 恋は芽生えたのかといそいそと訊ねる筋肉男子の姿は、ちょっと気持ち悪かった。

「黒毛は承知しているのか、このこと」と訊ねると「口にするほど野暮じゃないぞ」と返ってくる。

「違う世界から現れた女性と、それを出迎える男。物語の序曲じゃないか」

「物語は物語だ。現実と混同するなよ」

「出会いのキッカケにロマンがあるほうがいいじゃないか」


 なにやら嬉しそうに語っているが、あれ(・・)にロマンなんてものがあっただろうか。

 アドレーはあの夏の一日を思い出す。

 照りつく太陽の下、普段とは違う生温かい風が吹いた。飛翔中のノエルがバランスを崩してしまうほどの風は、吹き抜けるわけでもなく、その周囲をぬるりと舐めるように対流していたのが異様だった。

 思えばあれが、空間と空間が繋がり、異なる世界のモノが侵入した時だったのだろう。

 ヴィンセンテに命じられ、ドキドキしながら向かった先にいたのは、美しい黒毛が神々しさを放っている存在で、けれどそれを覆すほどに能天気な女だった。


 第一声は「これドラゴンですか?」

 とどめの言葉が「ドラゴンのお肉って食べられるんですか?」だった。

 こんな相手に好意を向ける人物がいたらお目にかかりたいものである。アドレーでなくとも、ドラゴンを愛する竜騎士団なら「なに言ってんだこいつ」となるに違いない。

 とはいえ彼女は悪人ではなかったし、ただひたすら無知なだけだった。見知らぬ世界に連れていかれたら、自分だってそうなるだろう。幼い頃、少しの間だけライセムを離れ、華やかな王都の城で過ごした時は、夢の世界のようだった。あれと同じだと思えば、まあ仕方ないかと納得もできた。

(だが、それと結婚がどーとかは全然まったく違う話だろーが)

 共に生きる相手を、己の感情だけで決められない立場にあるヴィンセンテは、他人の恋バナを聞くのが好きだった。彼は、ドラゴンを理由に振られてばかりいるアドレーの女性遍歴を、完璧に把握している。

 ちゃんとした相手を見つけてやらなければ。

 ヴィンセンテは勝手に使命に燃えていた。

 いい迷惑である。

 とにかく暴走するなと言いつけて、アドレーは領主の執務室を出たあと、竜騎士団の詰所へと戻った。

 数名の団員に挟まれるように黒い長髪の背中が見える。扉の開閉に気づいた一人がアドレーに声をかけ、小さな背中がくるりと反転した。


「殿下とのお話、おわったんですか?」

「まあな」

「面倒そうな話ですか?」

「どうしてそう思うんだ」

「なんか、しかめっ面してるから、ヤなこと言われたのかなーって思いまして」

「殿下の話は大体面倒だけどな」

「あれは面倒っていうか、断りきれないから困るっていう方向だろ」

 ゆかりの隣と正面に座っていた団員が苦笑気味に答える。

「パワハラですか」とゆかりは訊いた。

「なんだい、それ」

「上司とか、そういう上に立つ人が言うと、下っ端は断れないじゃないですか。私の国にある社会問題のひとつです」

 まさにそれ(・・)が、仕事を辞める原因となっているゆかりである。

「殿下はまだかわいいほうだと思いますよ。本当のパワハラは、もっとネチネチいやみったらしいかんじですから」

「たまにいるな、そういうヤツ」

「結局はですね、人間性の問題なんですよ」

 そして、惜しまれる人ほど職場を去り、とっとと辞めて欲しい人ほど居座るのが世の常である。

「ユカリちゃんの国では、そういう時はどうするんだい?」

「司法に訴えることもできますけど、そこまで大袈裟にする人は少数ですね」

「訴えるのかよ」

 驚いたフェイムに、ゆかりは重々しく告げる。

「パワハラには色々あるんですよ。精神的なものだけではなく、暴力を伴う場合もあるわけです」

「黙って殴られるヤツなんていねーだろ」

「職場の上司を殴り返したら、仕事を辞めさせられるかもしれないんですよ。大きな会社だと、ちゃんと調査して上司を解雇してくれるかもしれないけど、そういう上司はきっと逆恨みとかするタイプなので、報復が怖いじゃないですか。そうなると、後々のことを考えておとなしくして、その場をしのぐ人が多いんです」

「……おまえの国、怖ぇな」

「これでも治安のよい国で有名なんですけどね」

 なんとなく静まった詰所の空気をやぶるように、ゆかりはアドレーに言った。

「ということで、それは殿下のパワハラです。グラハムさんとかに言いつけて、叱ってもらいましょう」

「ノーソルデル氏がヴィンを叱るのか」

「ヴィンセンテ殿下はわりと単純思考っぽいので、怒られたら怒られたで、そうか、悪かったな、とか言いそうじゃないですか」

「自分の非を認めるから偉いよな、殿下は」

「だから憎めないんだよなー、押しは強いけど」


 王子に対して散々な言いようである。

 すっかり毒気を抜かれたアドレーは「まあ、いいか」と考えを放棄した。ゆかり本人にも伝えていない、ヴィンセンテが勝手に脳内で決めただけの関係を、本物にする必要はカケラもないのだから、悩むだけ無駄というものだろう。



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