4:魔王の定義
謁見が始まってから微動だにしなかった男、イグル。
国王が形式的な謝罪の言葉を終えたところで初めて口を開いた彼の言葉に、謁見の間の時間はしばらく固まった。
まさかこのタイミングで魔王のことを聞かれているとは全く予想していなかったからである。
関係者全員の拷問、シゲルの血縁の処刑、王の地位、国中の美女を集めたハーレム。
この謁見の間にいる者達全員がそういった要求を突きつけられるに違いないと思っていたため、イグルの言葉に対して即座に反応することが出来なかった。
多少の静寂の後でようやく言葉の意味を理解したカイゼル達の顔に、安堵と希望の色が浮かぶ。
――魔王と戦う気になってくれたのか、と。
「報告では前回の魔王と違い人型だそうです。スカルフェイスに黒いローブを身に着け、特大の大鎌を使うとか。身のこなしも素早く、いきなり人里に現れては住人を皆殺しにしていきます。しかしすぐに姿を消すために居場所を捉えきれておりません」
宰相が嬉々として手元の書類を読み上げた。
魔王の脅威は前回よりも遥かに深刻なはずなのだが、今はイグルがその気になってくれたという希望の方が勝っている。
相当に無茶な要求が来るだろうと覚悟していたところに、いきなり前向きな発言が飛び出してきたのだから喜ぶのも無理はない。
(場合によっては、ロゼにもう一人産んで貰わねばならんかもしれんな)
カイゼルはもうじき四十路となる一人娘のことを考えた。
問題はロゼとシゲルの子をイグルがどうみるかだ。
シゲルの子を玉座に座らせたくないと言われれば、もう一人後継者が必要になる。
しかしカイゼルは子供が出来にくい体質である上、王族の女性は現在ロゼ一人だけ。
よって、イグルが王座を欲しがるのならば彼の子を、そうでなければ誰か別の男の子供をロゼには産んで貰わねばならない。
四十路では少々厳しいが、残っている可能性に賭けるしかないだろう。
「聖剣はどこにある?」
舞い上がる謁見の間の雰囲気に水を差すようなイグルの声。
周囲はそれで我に返った。
カイゼルも慌てて気持ちの緩んだ自分を戒めた。
状況は決して楽観視できる段階ではない。
魔王は未だ健在で、全ては勇者イグルの気分次第である事実は変わっていないのだ。
「し、失礼しました。おい、すぐに聖剣をイグル殿に」
宰相もまた気を引き締めなおすと、回収された聖剣をイグルの前に用意させた。
先日まではシゲルが使っていた物だ。
勇者以外の者にとっては触れると体の力が抜けていく代物だが、勇者が使えばその刀身にオーラを纏わせると同時に強力な専用スキルを使うことが出来る。
(剣を抜いてオーラを纏えばそれが勇者の証。果たして……)
カイゼル達が見守る中、イグルは一切の感慨もなく聖剣を抜いた。
鈍い振動音と共に刀身がオーラを纏う。
「おおっ!」
「こ、これは……!」
聖剣が纏ったオーラの色を見たカイゼル達は息を飲んだ。
それは勇者自身が抱く希望、そして未来への意志を反映しているとされる。
より強い希望を持ち、明るい未来を手にしようとするほどに強く白く輝くのだ。
では今回は?
新たな勇者となったイグルが抜いた聖剣が纏ったオーラの色、それは――。
(黒い……)
漆黒。
聖剣が纏ったオーラは一切の輝きを放つこと無く、逆に周囲の光を飲み込もうとしているかのように黒かった。
オーラの色は勇者の力の強さそのものには一切関係がないとされてはいるが、先代勇者のシゲルの時は直視が困難なほどに光り輝いていたのとはあまりにも対照的だ。
そしてそれは魔王討伐以外の問題を解決することが如何に困難であるかを示唆していた。
先程ぬか喜びしていた者達に絶望が突きつけられる。
「そ、そうだ、勇者の鎧をお見せ頂けませんか? ”聖鎧発動”と言えばいいはずです」
場の雰囲気に耐えかねて勇者の鎧の確認も促した宰相だったが、それを聞いたカイゼルはイグルの機嫌を損ねるのではないかと思いヒヤリとした。
もう二十年前とはいえ、イグルもまたシゲルと同じパーティで戦っていたのだ。
となれば勇者の鎧の発動方法について知っていてもおかしくはない。
シゲルがそれを使うのを幾度なく近くで見ているはずだからだ。
見方によっては、まるで自分達が相対的にイグルよりもシゲルの側にいるように見えてしまうではないか。
たとえこの二十年の事実がどうであれ、今後のためには間違ってもここで彼に”シゲルの肩を持っている”と受け取られるわけにはいかないのである。
「聖鎧発動」
そんなカイゼルの心配を余所に、イグルは相変わらずの冷めた声で勇者の鎧を発動した。
何もない空間からオーラで構成された鎧が現れ、イグルの全身を包み込んでいく。
それを見たカイゼル達は再び息を飲んだ。
聖剣と同様に勇者の内面が反映されると言われる勇者の鎧。
その色もまた、病的なまでに黒かったからである。
漆黒の塊となったイグルを見た宰相の血の気が引く。
「魔王……」
壁際に立っていた兵士の一人が思わず呟き、直後に慌てて両手で自分の口を押さえた。
しかしイグル本人を除き、この謁見の間にいた全員が彼と同じことを考えていたのは事実だ。
漆黒の剣と鎧。
この世界の未来を左右する力で武装したその姿は、正に魔王と呼ぶに相応しい風貌だった。