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3:希望無き男の望み

「さて、そろそろ行くか」


 国王カイゼルは緊張した面持ちでカップに残っていた紅茶を飲み干した。

 これから謁見の間に行き、新たな勇者となったイグルと会わなければならない。

 間違いなく神経を擦り減らす時間となるだろう。

 彼を連れてきた役人ジョズの話を聞く限り、とても魔王と戦ってくれるとは思えないということだ。 

 一緒に連れていった若い女性の役人には目もくれず、おまけに王都に入った時からずっと剣を抜いた状態らしい。

 王宮どころか謁見の間に入る段階になってすらイグルは剣を収めようとはせず、『ここは敵陣のど真ん中だ』と答えたそうだ。

 普段は冷静な彼が珍しく狼狽しているところを見ると、感触は相当に厳しいのだとカイゼルは理解した。


「若気の至りと言うには……、大きすぎた失敗だったな」


 自嘲めいた笑いがこみ上げてくる。

 自分が為政者としてもっと有能だったならば、あるいはこの事態は回避できていたかもしれないのだ。

 いや、きっと回避できていたことだろう。

 しかし無いものねだりをしても仕方がない。

 いくら願ったところで才能はやってこないのだから。

 あるいは勇者の力と同様に、王の力も神から与えられることがあるのだろうか?


(少なくとも私は違うか……)


 カイゼルはこれから始まる謁見に向けて考えを切り替えた。

 ジョズ達にイグルを迎えに行かせている間、彼に関する情報を片っ端から集めさせ、その全ては確認している。


(平民の出にも関わらず魔導アカデミーへの入学を許され、成績は事実上の主席。平民故に市井にも明るく、体力面も上々で性格は理知的かつ調和的。……間違いなく逸材だったな)


 結局のところ、わかったのは自分が如何に王として未熟だったかということだけだ。

 これまであまりにも勇者シゲルという存在を肯定しすぎていた。

 今ならばわかる、それが如何に割高なリスクを背負うことであったのかが。


 保険を掛けておくべきだったのだ。


 勇者シゲル達を重視するにしても、イグルの顔も最低限立てなければならなかった。

 勇者パーティに参加した事実は無かったことにするとしても、口封じと恩賞の意味を込めて上位のポストにつけるぐらいはするべきだった。


 婚約者の件もそうだ。


 メイアをシゲルの第三夫人とするためにイグルとの婚約解消を是とするのは仕方が無かったとしても、そのことを彼に詫つつ代わりとなる縁談を探さなければならなかったのだ。

 それを、あろうことか彼から全てを取り上げる形で事実上の追放にまで追い込むとは……。 

 与えた損失の埋め合わせと新たな勇者としての厚遇。

 イグルを動かすためには、最低でもこの両方をせねばならないだろうとカイゼルは考えていた。


(そうなるとロゼをシゲルに嫁がせたのも失敗だったか)


 シゲルに対しては王女ロゼの夫にすることで次期国王の地位を約束した。

 となると、当然イグルに対しても同様の処遇が必要だろう。

 でなければイグルをシゲルの下に位置づけてしまうことになるからだ。

 最低でも同等、できれば彼をシゲルよりも上に位置づける形にして誠意を強調したい。

 しかしながらロゼが産んだ子は二人共が男。

 イグルを次の国王にするための口実として嫁がせることのできる適齢期の女性は、残念ながら現在の王族には一人も存在しない。

 もっとも仮にロゼの子が女だったとして、その父親がシゲルとなれば火に油を注ぎかねないのだが。


(何かないものか……)


 イグルは既に謁見の間にいるはずだ。

 しかしこの時点になっても彼の心を掴むような、あるいは彼の心象を良くするような材料は何一つ見つかっていない。

 苦し紛れに未亡人となったシゲルの妻達を彼の妃にしてはどうかと思いついたのだが、散々シゲルの色に染め上げられた四十路前後の女を五人も引き取れと言っても歓迎されることはないだろう。

 仮にイグルが年増の女を好む男だったとしてもだ。

 それならそれで他の女を探した方が良い。

 夫を亡くし、未亡人として健気に家を守ろうと奮闘している貴族の女を当たった方がよほど好手ではないか。

 

(さて、失点をどこまで取り戻せるか……)


 開かれた扉をくぐっていよいよ謁見の間へと足を踏み入れたカイゼル。

 この謁見は非常に厳しいものになると彼は思っていた。


 ――そう、わかっていたのである。


(なんと……、いうことだ……!)


 しかし玉座の前に立っている男を見た瞬間、彼は自分の認識がそれでもまだ甘かったことを悟った。

 底無しと言えるほどに冷えきった瞳。 

 玉座を前にして跪くことなく、その右手には荒い作りの剣が予想通り抜かれた状態で握られている。 

 これが普段ならば即刻死刑にされても不思議はない。 

 つまりそれだけの敵意を相手が持っているという証拠だ。


 魔道士イグル。

 この二十年、いったい何人が彼の名を口にしただろうか?

 いったい何人が彼を魔道士として扱っただろうか?

 忘れ去られていた亡霊。

 それがかつて才能と努力、そして希望を身に秘めていた少年の今の姿だ。


 カイゼルは動揺が表に出ないようになんとか押さえながら玉座へと歩いた。

 少なくとも普段から顔を会わせている宰相にはバレただろう。 

 しかし彼は彼で平静を装ってはいるが、やはり顔色が悪い。

 それはつまり、イグルという男を実際に確認した感想がカイゼルとほぼ同じだということを意味していた。

 

 ――状況はネガティブだ。


 ――極めて、そして想像以上に。


 カイゼルの背中で嫌な汗が存在を主張し始める。

 敗色は上書きが一切効かないほどに濃く、本能はここが過酷な戦場の最前線だと認識した。


 しかし戦わねばならない。


「よくぞここまで来てくれた。……新たな勇者イグルよ」


 カイゼルは玉座に座ると、動揺が溢れ出さないように注意しながら口を開いた。

 しかし目の前で剣を握った男は、その瞳も含めて微動だにしない。

 その様子に堪えきれず、カイゼルはついに息を飲んだ。

 

(ジョズは説得に一週間掛かったと言っていたが……。むしろたったそれだけの時間でよくもここまで連れて来れたものだ……!)


 王族に生まれて六十年弱。

 王子として、そして王として様々な者達を見てきた。

 内心に野心を抱えた者、希望を抱えた者、不満を抱えた者。

 表裏の無い者など皆無だったと言っていい。


 ――それでは今、目の前にいる男は?


 このような人間を見たのはカイゼルも始めてだ。

 端的に表現するなら、『何もない』。

 完全に希望を失った目、体に染み付き日常となった絶望。

 精神的な意味で死んでいるという表現を病的なまでに完璧に体現している。


 純然たる虚空、そして虚無。


 しかし彼には戦ってもらわなければならない。

 魔王と。

 勇者シゲルと王国最精鋭の武力がまるで通用しなかった相手と。


「ここに来るまでに話は聞いていたかもしれんが、改めて貴殿を呼び寄せた訳を説明しよう。……宰相よ」


「……はっ」


 カイゼルが宰相を促すと、彼もまた珍しく緊張した面持ちで口を開き現状を説明し始めた。

 しかしイグルは彼に視線を向けることもなく微動だにしない。


 果たして聞いているのかいないのか。


 彼はただ立っているだけだというのに、それだけで周囲の不安を増大させる存在となっていた。

 カイゼルは出来る限りの平静を装いながら、再び息を飲みたい衝動を必死に抑え込む。

 そして宰相の説明が終わった後、未だ反応のないイグルに向けて覚悟の言葉を放った。


「二十年前のことは済まなかった。しかしどうか勇者の力で魔王を打ち倒して欲しい。……望む物は用意できる全てを用意しよう」


 そう言葉を発しながら、カイゼルは胸の中で考えた。


 ――いったい何を望む?


 ――権力? 復讐? それとも富や女か?


 ――いや、そもそも……。


 ――果たして今のこの男に、望みなどあるのだろうか?

 

 ――この死んだ目をした男に。


 他の者達も同じことを考えたのだろう。

 誰もが口を開くこと無くイグルの反応を待っていた。


 若干の静寂。


 そして謁見の間にある全ての関心を集め、勇者の口がついに開かれた。


「魔王は……、どんな奴だ?」


 カイゼルが再び聞いたイグルの声。

 静かな謁見の間を通り抜けたそれは、彼が少年だった二十年前とは似ても似つかないほどに乾ききっていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] おいおい、王。5人(笑)。一人は実の妹だろうが。
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