「止まない雨はないと言うけれど、止んで欲しくない雨はあると思うの」(現代もの)
種別:掌編
お題:「止まない雨はないと言うけれど、止んで欲しくない雨はあると思うの」
「止まない雨はないと言うけれど、止んで欲しくない雨はあると思うの」
君はそう言いながら、厳しい視線を空へと送る。
横で雨宿りする俺からは、君の瞳は見えないけれど。
「俺は止んでほしいけどね」
せっかくの休日、突然の豪雨。狐の嫁入りというのだったか。
身体を濡らしながら、喫茶店の軒下に潜り込めば、そこにいたのは隣の家の幼なじみ。
被っていたキャップを外して水を飛ばしながら、俺はぎこちなく隣に立つ。
曇り空の下、俺から視線をそらしながら、君は文句を口にする。
「いいわね、あんたは。独り身で気楽、好き勝手に遊んで、自由気まま」
「そこまで言われるのも、しゃくだけどな」
どうやらご機嫌ななめらしい。雨のせいなのか、他の原因なのか。
雨に濡れてじっとりとした髪と、陽光を隠した曇天が、彼女の表情を読み取らせなくしている。
「なに見てんのよ」
こっちを見ていないのに、視線には気付く彼女。エスパーか。
腹の底から出たような不満声は、いつも俺達を怒鳴りつける、活発な君の声らしくはあった。でも、どこか違和感を感じる響きで。
だからもっとも違和感を感じるそれを、話題に選んでしまう。
「いや、制服以外でスカートなんてはくんだなって。寒くない?」
「あんた、私をなんだと想ってるの?」
不満顔で俺に文句をつける姿は、まぁ、いつもの彼女だ。
でも、学校ではジャージで過ごすことも多く、スカートは常日頃から苦手だって口にしてる。
休日の私服も、活動的なパンツやスニーカーが多かったから、今日の服装は意外なのだ。
明るい色調のワンピースに、女性らしいバッグを持った姿は、いつもよりずっと女の子らしい。
「いや、ここまで化けるもんなんだって、驚いてる」
「――明日、学校で覚えてなさいよ」
「なんだよ、せっかく褒めたのに」
ちょっと口をとがらせて、不満げに言う。雨音がうるさいけれど、誤解されたらたまらない。
喫茶店の軒下にいるのは、どうしてか俺達だけだから、なにを聞かれても平気だろうけれど。
「……で、今日はどこへ出かける気だったんだ」
「いいでしょ、どこだって。関係ない」
俺は、彼女の目的地を知っていた。正確には、目的の相手、なのだが。
「先輩とのデート、だろ。雨だから、行けないのか?」
きちんとした格好が、雨で崩れてしまっては、見せるにも見せられないのかもしれない。
そこをカバーするのが、男の役目だとも思うのだが。……まぁ、俺、彼女いたことないけど。
「――もう、行かない、の」
「ん?」
彼女のその言い回しに、俺は引っ掛かりを覚えた。
とはいえ、無理に聞きだすのも気が引けて、少し黙って待っていたら。
「簡単な話よ。待ち合わせ場所に行ったら、違う人と修羅場だった。それだけ」
あっさり語ろうとしていたのは、その雰囲気からわかった。
でも、それを無理しているのも、長年の付き合いだからわかってしまった。
「……あの先輩、そういう噂、あったものな」
「『君だけを、これからは見続けるよ』って。まぁ、試合では、カッコよかったからねぇ。でも、さ、あはは……」
――そう聞いていたから、不安な心を、ようやく抑えられてたのに。
「で、その嘘つき野郎は、今どこに?」
「私と、もう一人の、両方の機嫌とろうとして。あぁ、嘘つきなんだなって、急にわかっちゃって」
そこまで言って、彼女は、ぽつりと呟いた。
「――見抜けない私が、バカだったってだけよ」
それこそ、雨音に掻き消えそうなくらい、小さな声で。
だから俺は、それを掻き消すように、やや力をこめて言った。
「違うだろ。嘘をつく方が、悪いんだよ」
「でも、さ。それでも、嬉しかったんだよ。それを、喜んでたのも、本当なんだ」
「……俺は、許せないな」
好きであることで、騙されることが、消されていいわけじゃない。
「心配、してくれてるんだ?」
「そりゃあ、幼なじみだからな」
「でも、それは、お節介かもね。気をつけた方が、いいよ」
「……そう、かもな」
俺は頷きながら、言えない言葉を飲み込んだ。――お前だから、なんて、このタイミングだから尚更に。
「……止んじゃった」
寂しげに彼女は、暗転を見上げながら呟いた。
雨に濡れた髪を少しだけ横へ動かし、大きなその瞳が、俺の眼に映る。
「困ったなぁ。止まないのも、困るけど」
「いいじゃないか。降り続けても、気が滅入る。晴れた方が、いいさ」
「……いやよ。だから、止んで欲しくなかったのに」
――彼女の眼が、とっくにふやけているのに、俺はなにもできない。
「陽がさしたら、わかっちゃう。そんなの……」
……からかうわけにも、いかない。慰めるのも、違うと想う。
でも、そういう相手としか想われていないのも、わかるから。
頬をかいて、当たり前の友人のふりを、するしかない。
「……帰ろう。送るよ」
「行って。一人で。いいから」
その声は、普段の強気な彼女とは違う、別人のもの。
だから俺は、無言で、被っていたキャップを外す。
「……えっ?」
「見られたくないなら、これでいいだろ」
「……こんなの、嫌だよ。似合わない」
確かに、着飾った彼女に、ラフなキャップは違和感しかない。
――でもそれは、今の、着飾った彼女だからだ。
「それなら、俺と話してる、いつものお前だろ」
「なに、それ」
「……ずっと、残ってたって。ぐずぐずに、なっちゃうだろ」
まだ、道路に水は残っている。それでも、乾ききる前に、俺は歩き出す。
後ろを振り返って、彼女を誘うように見る。
「……割り切れないよ、そんなに」
キャップの下から、少しだけ、彼女の視線が覗き見える。
――そんな顔もできたんだなって、知らなかった一面。
「なにするにしても、さ。まずは、普通に帰ろうぜ」
こんなに弱気な彼女を、周囲に見せたいと、想わない。
勝手な、考えだけれど。
「そう、だね」
――ついてきてくれる彼女を、ありがたく想う。
「……さっきは、ひどいこと言ったね。ごめん」
水を払ったキャップは、まだまだ水気を含んでいるだろうに。
彼女は、外すこともなく、被ったまま俺の後ろをついてきてくれる。
「いや、こっちこそ。ごめんな、そんなものしかなくて」
俺に出来るのは、彼女の雨を、そんなもので少し隠してやるだけ。
「ううん。ちゃんと、返すから」
そうして彼女と共に、家へ帰り。
その頃には、先ほどまでの雨は嘘のような、晴天になっていた。
からりとした太陽の下で、彼女は門を抜けると、くるりと身体を回し。
「また、学校でね」
そうしてキャップを外し、俺へと微笑む彼女。
陽光の下で、少しだけ彼女は、いつもに近い笑顔を見せてくれた。
「ああ。また、怒鳴り声を聞かせてくれよな」
その言葉には、軽く笑うだけだったけれど。
――今は、それでいい。
(俺の雨も、早く、止ませないとな)
彼女の瞳に、俺はいない。
なのに俺の心は、彼女への想いを、止んで欲しくないと想っている。止んで欲しいのに、諦めたつもりなのに、しつこいほどに惹かれてしまう。
――今なら、それでもいいのかってことに、迷いを感じてもいるのに。
(お互いに晴れて、また、会いたいけど)
いつまで、この胸の内にたまった想いを、騙しとおせるだろうか。
……でも、溢れる日は、近いのかもしれない。
そんなことを考えながら、水気が薄れたキャップを片手に、自宅への扉を開けた。