うつるのかな(SF)
種別:掌編
不思議なお客だった。
長い黒髪と、ガラスじゃないのってくらいに白い肌。着ている服も、このアース(地球)の住人にしては、ほこりっぽさがない。
雨の日だけ、このカフェーにやってきて、一杯のコーヒーを頼んで帰っていく。
初めて見かけてから、三ヶ月くらいか。
区画管理や大気清浄がなされている土地とは言え、そのお客の雰囲気はちょっと異質。
晴れの日なら、匂いも汚れもつかないし、ちょっとはわかるんだけれども。
「……コーヒー、お持ちいたしました」
「ありがとう」
浮かぶ想いは消して、店員に徹する――
「今日は、雨が強いですね」
――ことは、できなかった。
「そうね。今日は雨の匂いが、とても強いから」
「匂い、ですか?」
「彼が、好きだって言ってたのよ。コロニーでね」
「あぁ、コスモス(宇宙)の方なんですね」
宇宙に住むなら、キレイなのも納得だ。そして、雨の匂いなんていうのにも。
「彼、アースの生まれでね。雨が好きって言ってたの」
「そういえば、コロニーって雨降らないんですよね。大気の管理や、水源設備の関係でしたっけ」
「そう。だから、雨の光景を懐かしがっていたわ」
「……今日は、というか、雨の日は、えっと」
余計なことを話しそうになるのが、店員としての私の悪い癖。
そのお客さんは、少し笑って、手をふる。
「わたしが、アースに用があったの。彼は、コロニーに残っているわ」
「用って、個人旅行ですか?」
「メンテナンスよ。いい加減、コロニーで全て対応できればいいのだけれど」
「あれま。お客さん、そういう方だったんですか」
どうりで、キレイすぎると想うわけだ。同時に、見抜けなかった技術にも感心する。
「コロニーの方だと、珍しくないって聞きますものね」
「独り旅が? それとも、アンドロイドとの恋愛が?」
「両方となると、さらに珍しいと想いますよ」
少なくとも、抗体の弱いコスモスは地球を毛嫌いしているから、独り旅は酔狂がられる。
かといって、コロニー維持を主とするアンドロイドのお客様の旅も、また珍しい。
「それで、旦那様は?」
ため息をつく仕草は、よく知る人妻の憂鬱に似ている。
「……仕事だから、抜けられないの。それは、サポートをしている私が一番よく知っているけれど」
「辛いですねぇ」
「そうよ。里帰りのチャンスでもあったのに」
不満そうな彼女の顔は生き生きと動いて、ウチの厨房で働くロボットと親類とは想えない。
「だから、ちょっとイジワルをしようかなって」
「イジワル?」
そうよ、と彼女は少し笑って、頷く。
「あの人、雨の日が好きって言っていたわ。特に、日本の雨。湿度は気になると言っていたけれど」
「ははぁ。確かに、日本の雨は独特かもですねぇ」
まとわりつくような大気と、染み込むような雨。昔より四季の変化は減ったと言われるけれど、今の季節は念入りにからみついてくる。
「その匂いを、連れて帰ろうかなって。だから、雨の日だけ、歩いているのよ」
「それはまた、イジワルですねぇ」
好きな相手の匂いを付けて、愛する旦那の元へと帰る。
もし、旦那様がその匂いに、気づいたとしたら。
「それがイヤなら、一人にさせないことね……って、そう言うわ」
「厳しいですねぇ」
「……それくらいしないと、一緒に来てくれないのよ」
「そこがいい?」
「どうかしら? そこが嫌なのかも」
ふふ、と笑いあう私たち。
「ありがとう。今日で、メンテナンスも終わりなの」
「パスの申請、厳しいですものねぇ」
「詳しいわね。あなたもコスモス?」
「根っからのアースですけれど、商売柄いろいろ聞くんですよ」
(良いことも悪いことも、様々にですけれど)
精算を済ませたお客様は、ドアの前で振り返り、私へ言う。
「また、来るわね」
「はい! お待ちしております」
カラン、とドアのベルが鳴る。次いでドアの向こうから、雨が降りしきる音と、独特の艶のある匂いが流れてくる。
その音と匂いに包まれながら、アンドロイドの彼女は、傘を差して私の知らない世界へと帰って行った。
「……早く、来れるといいですね」
耳にした話だと、アンドロイドのフルメンテは、何十年毎だと聞いたことがある。費用もバカにならない。
つまり、彼女がアースへ降りてこられているのは、愛されている証拠なのだろう。だから彼女もまた、旦那様と一緒に来たかったのだ。
だから、彼女は匂いだけでも持ち帰ろうとしているのかもしれない。
「雨の匂いに誘われて、か」
次の来訪まで店があるか、不安に想う私の立場。
まあせめて、今日より良いコーヒーを入れられるようにしておこう。
「……あれ、コーヒーは大丈夫なのかな?」
そんなことを想いながら、お客様のいない店の中で、雨の音を聞くのだった。




