第8話 女神inドールハウス
昨日はいろんなことがあったな。
リリーが商人のオッサンを怒鳴りつけていたり、アルベルタとその妹と会ったり、魔女の話を聞かされたり。
名前はなんだったかなあの人。
この部屋には時計がない。買ってもらおう。
この街に来てから、自分の時間がなかった。
少し落書きをしようと、買って置いた紙と鉛筆を取り出す。
彼女は魔女っ子である。名前はまだ無い。
銀髪に淡い紫色の瞳で、赤いガーネットのロッドで魔法を使う。
困難に遭っても諦めない心を持っている。
どんな名前と、ストーリーにしようか。
落書きをしていると落ち着く。しばらく絵を描いていると外が明るくなってきた。窓の外では、もう鳥が鳴いているが、まだ街は静かだ。
パジャマのまま、1階へ降りた。
薄暗い朝の店舗の一番奥に、ドールハウスがあることに気が付いた。
1メートルほどの高さがある。
緻密な作りで、窓やドアもきちんと開く。カーテンもついている。
中の家具も、本物のように細部まで作りこまれている。
刺繍が美しいクッションが置かれたソファまであった。
寝室には、美しい人形が眠っていた。
黒い長い長い髪に、黒のロングドレス。赤い唇は生きているかのような艶やかさだ。
よく見ようとして、うっかり窓に指が当たった。
「あら、おはよう」
「おはようございます……えええええ!?」
その人形が起き上がった。
生きてる……?
人間でも、人形でもない。
でも、話しかけてきた。
「私があなたを呼んだのよ。覚えているでしょう」
「……あなたは……。その声……」
池袋駅前が陥没したあの時、光の中で聞いた声だ。命を助けてくれた。
まさか、んなところで。それに、こんなに小さいとは思わなかった。
「あの時は、ありがとうございます」
「礼には及ばないわ。この街は慣れた?」
「はい。あの。……僕は、日向森暁といいます。あなたのお名前を、うかがっても」
「私は……。リリーには黒百合の女神と呼ばれているわ」
女神、なのに黒百合。
精霊のようなものなのだろうか。
「立ち話もなんだし、お入りなさい」
ドールハウスの窓から彼女が手を出した。彼女の指に触れると、僕はそのドールハウスの中に吸い込まれた。
そこは家そのもので、ソファに座ると、天井は高く、家具は芸術品のように輝いている。
聞きたいことは山ほどある。
「どうして僕を?」
「君が助けを求めてきたから。リリーが、人手を欲しがってたからちょうどいいと思って」
求人感覚かよ。
「ここは……。この世界は、僕のいた世界とは、違うんですか」
「ええ。私は、君の呼びかけに返事をしたに過ぎない。君の世界のことは知らないわ。君がどこから来たのかもよくわからない」
「元の世界へ帰してくれるんですよね」
「それは約束したから、帰してあげるわ」
「あなたは……。こういう聞き方は失礼かもしれませんが、何者なんですか」
「黒百合の女神と呼ばれているわ。ずっと前から。あなたたちが言う神というものなのかしら。ずっとそのように扱われてきたから、きっとそうなんでしょうね」
神様がこんな身近に話せる存在だとはおもっていなかった。
このドールハウスも、神棚みたいなものだと思えばいいのかな。
リリーはどうして、神様を連れているんだろう。
立ち話もなんだしといった割に、彼女は別に自分から喋るタイプではないようだ。ウェーブがゆるやかにかかった長い黒髪は艶やかで、肌は真っ白で雪のようだ。頬に赤みが全くないせいで、人間らしく見えないのだろう。そうか、人じゃないのか。
「あなたとリリーは……どういう……?」
「私たちは契約を結んでいるの。だから、あの子が望めば、私の力を使うことができる」
精霊とか妖精とか使い魔とか。やはり、リリーは魔女なのか?
でも、神様と契約してるなんて。
彼女は……。そして、目の前の女神は、何者なのか。
いや、神に対して、何者かなんて訊いても意味のないことだ。
「僕は……、あの世界で、まだ生きているんですか」
「ええ。助けたと言ったでしょう」
彼女は立ち上がって窓を一度指で叩いた。
すると、まるでテレビのように映像が映し出された。
病院のベッドで眠っている僕自身の姿があった。傍らに母さんが座っている。
憔悴しきった母は、髪がほつれて、疲れ切っていた。心配をかけてしまって、申し訳ない。数日しか経っていないのに、こんなにも遠く感じる。お母さんと呼びかけた声は、きっと届いていない。
必ず帰ります。
心の中で呟く。
目を一度閉じて開けると、もう映像は消えていた。礼を述べると、彼女は「困ったことがあったらいいなさい。聞いてあげないこともないわ」と微笑んだ。
「質問してもいいですか」
「なにかしら」
「あなたの、本当のお名前を教えてください」
「なぜ」
「リリーは僕の主人です、彼女のそばにいてくれる神であるなら、お仕えするのが当然です」
「そうねえ」
「僕は、命を救ってくれた方のお名前を知りたい」
彼女はポンと、僕の頭を撫でた。
「私にこれほど礼儀を尽くしてくれたの人間は久しぶりよ。いずれ、教えてあげるわ」
帰りはドアからね、と指さす。
ドールハウスの玄関から外へ出ると、僕の体はもとのサイズに戻っていった。
■
日本には八百万の神という考え方がある。
自然のものすべてに神が宿るという。黒百合の女神は、名前の通りだと仮定すれば、黒百合の花の精霊なのだろう。
『ずっとそのように扱われてきたから』ということは、以前から祀られてきたのだろう。
そんな神を、何故リリーは連れているのだろう。
部屋に戻ると、リリーの部屋から何か落下するようなドタンという音が聞こえた。
「リリー様!?」
「うーん……」
ベッドから転がり落ちている。
「どうしました、大丈夫ですか」
「……気持ち悪い……。吐きそう……」
「それは二日酔いっていうんですよ! しっかりしてください」
酔っぱらいの体は、力が入らないせいで、やけに重い。彼女の脇に肩を入れて、抱き起こす。
胸でかいな。めっちゃ当たる。
知ってたけど。
「吐いてもいいですから。トイレ行きましょう」
「うう……んー……」
「しっかりしてください、リリー様」
昨日、そんなに飲んでなかったですよね。ハムばっかり食べてたのに。
「飲みすぎ」
「だって、パーティーで酒飲まないと、飲まないのかよみたいな空気になるじゃない」
「そういう時は2杯目を水がジュースにしてもらうんですよ」
トイレで介抱して、吐かせる。
「酒なんて全然好きじゃないけど、飲まないと喋れないの」
「……なんでそんな無理をして」
「……人を探しているのよ」
うう、無理吐きそうと繰り返して、苦しそうにまた吐いた。
「どこかの貴族に匿われてるんじゃないかって」
匿われる?
「手がかりはないんですか」
「生きてることは確かよ」
誰を探しているのかまで聞き出せず、リリー力が抜けた。
寝間着のワンピースを脱がそうとしたが、着替えの場所がわからない。
「シャーロット! 手伝って」
「おい、アキラ、なに脱がせようとしてんだ」
「吐いてしまったので、服は洗います。水を少し飲ませて、もう少し寝かせてください」
「また二日酔いかよ。わかった」
リリーをお姫様抱っこして寝室に運ぶ。
いいなあ。
シャーロットが着替えを持ってきて、二人で、ぐんにゃりとしたリリーの着替えをする。
酒が弱い母を介抱していた経験が役に立った。母はきっと今日も飲んでいるだろう。
顔色の悪いリリーと母は、どこか似ているのかもしれない。
井戸で寝間着を洗い、干しておく。店は開いていいのかな。
「昼まで寝なおしてもいいぞ」
「結構寝たから大丈夫です。お店どうします」
「リリーがこんなだしな。予約もないみたいだし、放っておこう。金持ちは午後からしか来ない」
ゆるい店だな。
2025/06/15 誤字修正しました。