第62話 人魚姫にはなりたくない
「4番めの女神を返品するですって」
返品なら誰も殺さずに済む。
リリー・スワンがいなくなったら、彼女の国の民は困るかもしれないが、僕には関係ないことだ。
神々の母に、返品して、リリーの前からいなくなってくれればそれでいい。
「クラウスを助け出して、ダイアモンド・ナイトを殺せなくても構わない。黒百合の女神のお母さんのところに帰ってもらいましょう」
「……ふうん。それで」
クラウスを助け出して、それから。
……それからのことは、その時に考えればいい。
「そのために、銅の国の女神に、協力を頼めないでしょうか。黒百合、お姉さんの……ベリロスはあまり、協力的でなかったですから」
「かわりに別の神に頼むと。合理的ないい判断よ」
「構いませんか」
「決めるのは私じゃない。説得するのはアンタよアキラ」
黒百合の女神は、ワインをグラスに次ぐと、僕に持たせた。
「もうアンタは子供じゃない。意地を見せてごらん」
グラスを受け取って、「いただきます」と飲み干した。
赤ワインが喉を通り抜けると、思い描いていたようなアルコールくささはない。爽やかな風味だ。
「おいしい……」
「ジュースみたいなモンよ。リリーだって、ガバガバ飲んでねけど、全然酔ってないでしょ」
確かに。
これだと、酔った勢いでどうにかなるとかは難しそうだな。
海風に吹かれて、リリーの髪がなびいている。
にこっと微笑んで、髪をかき上げる。
僕の気持ちを聞かせても、彼女にはきっと届かない。曖昧に微笑んで無視するだろう。
船の進路のように、リリーの心は決まっている。
今は考えないようにしよう。銅の国に向かう。考えてもどうにもならないことは、考えない。
クラウスと、エメラルドの在り処を尋ねに、そして、ダイアモンドナイトの返品を頼みに。
その時、突然、風が止んで、船のスピードが急に落ちた。次の瞬間、ぐらりと大きく船が揺れた。
「うわああああああっ!?」
船体に太い触手が絡まっている。海面から、巨大なイカが姿を現した。
「く、クラーケンだ!! 野郎ども、槍を持てー!」
コンラッドが船員に指示を出し、客は船内に逃げ込んだ。リリーと黒百合はワイングラスを投げ捨てた。
「ちょっと、化け物が出る海域なんて聞いてないわ」
「あら……外洋には、ちょっと大きい生き物がいるものよ。ねえ船長?」
慌てふためく船員たちに指示をしていたてコンラッドが、「あなたたちも中へ! 海に落ちたらどうするんですか!」と怒鳴った。
「アキラ、なんとかしなさい」
「えっ」
「あなたはもう魔法が使えるのよ。ここで船が沈んだら、旅は終わりよ。……どうする?」
どうするもこうするも、戦うしかない。
僕は覚悟を決め、ガーネットに変身した。
「ガレ! 我に従え!!」
「心得た」
ガレを呼び出したものの、一体どうすれば……。
船体に絡みつく太く長い巨大イカの足は、容赦なく船を押しつぶそうとしている。船員たちが槍を投げつけているが、ぬるりとした表面で滑って虚しく海に落ちている。
「ガーネット、指示を。命令通りに」とガレ。
「アキラ、足を狙っても無駄よ、目を狙いなさい」
リリーがマストにしがみつきながら指差した。
「目って言われても……!」
動きを止めれれば、目に槍を当てられるのではないか。
「ガレ、風を起こせ!」
ガレが起こした突風は、一瞬クラーケンを怯ませたが、すぐに足が動き出した。まったく効果がない。
「真剣に考えなさい、死にたいの」と黒百合。
「……くっ……!」
船が沈んで、僕の物語は終わるのか。
叶わぬ恋を悟って、人魚姫のように海に消えていくなんて、絶対に嫌だ。
……そんなのはごめんだ。
考えろ考えろ考えろ。
僕にできること、ガーネットにできることはなんだ?
絵を書くことぐらいしか僕にはできない。
……それが、唯一の僕の武器。
僕はロッドで宙にに弓矢を描き、手にとった。
「ガレ、炎の妖精を呼べ!」
矢の周囲に集まった炎の妖精たちに、矢につかまるように命令する。
「ガレ、風を起こせ!!」
目に当てるだけでいい。
「……当たれ!」
風に乗せた火矢は、吸い込まれるように、クラーケンの眼球を捉えた。
グェェェェェェェと空気が漏れるような音を発し、クラーケンは船を離し、ゴボコボと息を吐きながら海底へと消えていった。
「……勝った……」
「……やったじゃないアキラ」
よくやったねとリリーが抱きしめてくれた。柔らかい腕に包まれて、頭を預ける。
リリーがガーネットに優しいのは、クラウスと同じ顔だからだ。
このひとの、ものになりたい。
「こんなところで死ぬわけに行かないの」
あなたに抱きしめられるたびに、殺意が湧いてくる。
邪魔者を消さなくては。
「アキラ?」
「……早く、銅の国に行かないと……。考えがあります」




