第49話 旅立ち
大量の金貨と宝石、そして各国を移動するための手形を発行してもらい、バッグにつめ込んだ。城を出て、焼け落ちた村の様子を横目に、カインから受け取ったアメジストの指輪を嵌める。
自宅へ戻り、シャルルロアの女王暗殺を命じられた旨を祖母に話すと、彼女は黒いローブと、揃いの帽子、そして刺繍された青いマントをタンスから出してリリーに差し出した。
「これは、姿を消すためのマント、周囲から姿を隠すことができる」
彼女が村の暮らしで、使うことがなくなった魔法の道具の説明を聞く。
「黒百合の女神の力で、私は100過ぎまで生きていたけれど、お前が彼女の契約を引き継ぐなら……。帰ってくるころに、私は、いないだろう」
女神の力は、失われてしまうだろうからと祖母は目を伏せて笑った。
「いずれ人は死ぬ。仕方ないこと」
きっとこれが、最後の団らんだ。
本当なら、ノアと結ばれて王妃になっているはずだった祖母は、干からびた果物の皮のように死んでいく。私はよい孫だっただろうかと、尋ねようとして止めた。
「ごめんね、リリーや。私がノア様と出会ってしまったばかりに」
「二人は出会う運命だったのよ。それは変えられない。私が生まれてきたのは、おばあちゃんのおかげよ」
王妃になり損ねた祖母と、なり損ねつつある孫は、抱き合って別れを惜しんだ。
どうか、人殺しになる前の姿を覚えていて。
「おばあちゃんの孫で良かった」
「そうかい。しっかりやりなよ」
「うん。さよならおばあちゃん。またいつか」
「お前の家はここよ。いつでも帰っておいで」
きっと今生の別れ。
涙を隠し、背を向けた。
大人にならなくてはならない。
なんてことはない、それが今日だっただけの話だ。
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2年前のできごとを、リリーが語ると、つい昨日のことのように聞こえる。
「まっ、そんなわけで、私が村を出て、すぐにおばあちゃんは死んでしまったみたい。あとで墓参りしないとね」
「……おばあ様は優しい方でしたか」
「そーね。今思えば、優しかったんじゃないかしら。うちは両親が早く死んじゃったから、大変だったと思うわよ。学校にもろくに行かない孫だったから、いっつもうるさくってさ。アキラの家はどう」
「うちは、母の実家が遠かったので、たまにしか会えなくて。やっぱり口うるさいおばあちゃんでした。おじいちゃんは、なんでも買ってくれましたけどね」
育児放棄がちだった母と違い、祖父母はたまにしか会えない孫を可愛がってくれたと思う。
僕とリリーはお互いに血縁とは縁遠いようだ。
「おばあさんは、きっと幸せだったと思いますよ」
「そうね。そうだと嬉しいのだけど。人は死んだらどこに向かうんだろうね。また同じところに生まれてくるのかな」
「別の世界に生まれることもあるんじゃないですか。僕が、この世界に来てしまったみたいに」
そういえば、僕は本当に向こうの世界に帰れるんだろうか。
そんな話をしながら、リリーは顔を上げて指さした。
「トレニアの家よ。着いたよ」
玄関で、シャーロットが顔を洗っていた。もともとシャーロットは猫だった。忘れそうになる。
「シャーロットおいで」
抱え上げると、ぐぎゃーと野太い声で泣いて、リリーにだっこされる。
猫はいいなあ。
「アゼナおばさん、リリーよ。お久しぶりです、おはようございます」
ノックすると、中年の女性が出迎えた。トレニアの母親だろう。
「リリー、戻ったのね。まあまあハデになったわねえー」
「シャルルロアに2年いたから。トレニアは」
「まだ寝てるわ。顔見てあげて」
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ベッドに眠っている少女が、トレニアか。
ふんわりとした金髪が顔を包み込んでいる。
背の高いリリーと比べると、小柄だ。雪のような白い肌に長いまつ毛が影を落とす。
寝顔だけでも相当レベルが高い。
これは引け目を感じるなあ。
リリーはメイクが上手いだけど言うけど、素顔もかなり可愛い方だ。
しかし、トレニアの美貌は、さらに上をいっていると言わざるをえない。
いじめられていたリリーと、つるんでいたのも、なんとなくわかる。
可愛すぎても妬まれていじめられたりするからな。
「トレニア、元気そうね」
眠ったままの親友にリリーは話しかけた。
本当はよく喋る子なのよと、彼女の母アゼナが部屋に入ってきて笑う。
そっと枕を持ち上げて、枕カバーを取り替えた。
朝食にしましょうと、部屋を出る。
テーブルには目玉焼きと切り分けられたパン、ベーコンとチーズが用意されていた。
「ところでリリー、この子はどなた」
「シャルルロアの街で仕事を手伝ってもらっているの。アキラ、ご挨拶なさい」
「はじめまして、アキラといいます」
アゼナは礼儀正しく腰を曲げて頭を下げた。
「はじめまして。ずいぶん若いようだけど、親御さんは」
「父はもとよりおりません。母は別の街で働いてますので、心配なさらないでください」
さすがに、別の世界から来たと話しても信じてもらえないだろう。
向こうの世界は、トレニアと同じように眠ったままだ。母は、毎日お見舞いに来てくれているだろうか。
「そうなの。小さいのに大変ね、たくさんお食べなさいね」
14才なんですけどね。何歳だと思われたんだ!?
みんなでテーブルについて食事なんて、実家ではなかったから、友達の母とはいえ、世話をやかれるのは嬉しい。
パンにジャムやバターをがっつり塗って、リリーも嬉しそうに口を動かしている。
きっとトレニアが元気だったころは、よく泊まりにきていたんだろう。そういう友達がいることが羨ましい。
ミートボールと玉ねぎのスープの温かさが胃に染みわたる。リリーの料理では出ない味だ。よその家のおふくろの味というのいいものだなと、僕はおかわりをした。
「パンにつけていいわよ」
「つけたいと思ってたところです」
紅茶にたっぷりいちごのジャムを入れたものが最後に出て、朝食が済むと、
「おばさん、まだエメラルドが見つかってないの。ごめんなさい」
「いいのよ、王子を探すのが先よ、当たり前じゃない」
シャルルロアでは、何の情報も得られなかった。シャルルロアはラウネルに攻め込んだりしていないという国民の認識があり、当然、ラウネルの王子をさらったなんて思われていなかった。
リリーは貴族たちの屋敷に出入りしたが、シャルルロアの国内は平和そのものだった。
普通は、戦が起これば、人も金も動く。
国民に隠しておくなどそもそも不可能なのだ。
「でも、見たのよ。クラウスを攫って行ったのはダイアモンドナイトだった」
魔法で動く石の巨像の兵。使えるのは女王だけ。
2年ぶりに帰ってきたんだし、ベリロスに相談しましょうということになった。黒百合の女神の姉で、斧を持つ、ぶっきらぼうな女神だ。
話に聞いただけで、見る……、いや、会うのは初めてだ。
アゼナが、庭から鉢植えを運んできて、リリーが呼びかけた。
すると、鉢の上に、小さな妖精のようなものが浮かんできた。
「久しぶりね2年ぶり?」
「久しぶり」
15センチぐらいだろうか。
確かに、身長ほどの大きな斧を手にしている。女神というより、妖精のようだ。
国中の小城や貴族の屋敷を探し回ったが、クラウスを発見できなかったことを話す。
「僕はアキラといいます。言いにくいですが、クラウス王子は、もう死んでいるのではないかと……」
「……私も、そう思う時があるわ」
リリーはため息をついて、ベリロスにクッキーを差し出した。
ベリロスはクッキーを食べ終わると、
「そんなことはない」
とようやく話し始めた。
「お前の王子は生きている。さすがに死んでいれば、お前に教えている。時間の無駄だからな」
時間の感覚はあるんだな。
神々というのは無限に生きるものだと思ってたけど。
「エメラルドもまだ見つからないの」
「持ち主はまだ生きている。私にはわかる」
「……生きてるってことはそういう、生命力みたいなものを感じられるんですか」
「そうだ。私たちは大地でつながっている」
「大地でですか。どうして?」
「私たちは、石から作られたからだ」
「そうなんですね。で、今は、その子はどちらに」
「さりげなく聞き出そうとしても無駄だぞ」
バレたか。
エメラルドの持ち主を探すヒントはくれなさそうだ。ぺらぺらとよく話をする黒百合の女神より、頑固な性格のようだ。
黒百合の女神はアメジスト、すみれの女神・ベリロスはエメラルド、ダイアモンドナイトは……、別にお花ってわけでもなさそうだ。
リリーと黒百合、トレニアとベリロス、リリー・スワンとダイアモンドナイト。
魔女と女神……。
「つかぬことをお聞きしますが、ダイアモンドナイトとも姉妹なんですか」
「ああ。ダイアモンドナイトは、私の姉だ」
「聞いてませんけど」
リリーが驚いてクッキーを取り落とした。
「あなたの姉ということは、黒百合の女神の姉ってことよね!?」
「そうだ」
「どうして教えてくれなかったの」
「聞かれなかったから」
「……」
「聞かれないことを話す必要はあるまい」
リリーとアゼナは、空いた口がふさがらないとばかりに、目の前の斧を持った女神を見つめた。
「リリー様。彼女の言う通りです。こちらから尋ねたわけでないなら、姉妹だと明かす必要はありませんから。女神を責めるのは筋が違います」
「そうね……。そうかもしれないけど……」
「お前は、トレニアを助ける方法は尋ねた。だが、ラウネルの王子をどう探すかも、エメラルドをどう探すかも、別に聞かなかったではないか」
確かに、リリーが話してくれた2年前に村を出た時、情報らしい情報は何もなかったようだったし、リリーはひとに何かを聞くというのが基本的に下手なのかもしれない。
「私に人間たちの望みなどわかるわけがない。だから聞かれたことは答える」
なんだ、わかってきたぞ。これが彼女たちの世界。
この女神たちは、インターネットの検索に似ているんだ。
検索しようにも、的確な語句を入力しないと、回答が得られないのと同じこと。
こちらからうまく聞かなくては、何も答えてくれない。
そりゃそうだ。
「ベリロス、では、お尋ねします。エメラルドの持ち主の名前を憶えていますか」
「アミシ」
「アミシ? 女性ですか」
「ええ。女王だったから」
「だった……? それはどのくらい前の話しですか」
「覚えてない。だいぶ前」
ざっくりしてんな。
「どこの国の女王だったんですか」
「砂の国」
「彼女はまだ生きているんですね」
「エメラルドを持っているならな」
「そこは確約なんですね」
リリーのおばあさんも、女神の力で100歳を過ぎていたと言っていた。神に選ばれた者というより、神の力を持つ石をもっていることが大事なのだろう。
「リリー様、シャルルロアでエメラルドを探していたのはなぜです」
「宝石と言えば、王侯貴族に集まるでしょ。あるいは城の宝物殿」
「そういう知名度のあるのなんですかね。加工されてるとか……。宝冠やネックレス、あるいは、杖。王冠のイメージですけど」
大河と砂漠の国テル・アルマナという国が南方にあるとリリーが言った。
あとで、図書館で女王の名前を調べることにする。
「何か理由があって、ベリロス、あなたはその女王にエメラルドを渡したんでしょう。大切な石を分け与えるほどの相手の居場所がわからないなんてことがあるでしょうか」
「……」
「その人間と距離を取るほどのなにかあったんですか?」
「……アキラといったな。これは試験だ」
その女王は、エメラルドで何をした?
黒百合の女神のように、人間の近くで暮らしていながら、ベリロスはどこか冷ややかだ。
深入りしたくないのだろうか。
人間を助けてやる義理などないと言いたげな澄ました顔で。
彼女は、トレニアの母にも、リリーにも、特別な友情は持っていないのかもしれない。いや、持たないようにしているのかもしれない。
しかし、二度もトレニアを助けている。無関心なわけではないようだ。
『私を利用しようとする奴ばかり……』
リリーが話してくれた、2年前のベリロスの言葉が思い出された。
「ベリロス、何があったんですか? その、アミシという人との間に」
「……」
「これは僕の勝手な想像ですけど、誰かが、いや、何かの出来事が、あなたを傷つけたのではありませんか」
ベリロスの眉間がわずかに動いた。不愉快なんて感情を持っているらしい。
「人間よ。私に立ち入るな」
「……失礼しました。ですが、僕の主人のリリーが困っているのです。もしアミシとあなたになにか、わだかまりがあるのなら、お助けしたい」
「……」
「あなたは、トレニアさんに猶予をくれた。冷たい女神とは思えないのです」
黒百合の女神の姉であるなら、本当はもっと、人間に近い場所にいたのではないか。
なんせ、鉢植えにおさまって、庭で暮らしていたのだから。妖精みたいなものだから、普段は森で暮らしているのかもしれないが。
「……私を助けたいなどと。思い上がった人間もいたものだ」
「無礼をお許しください。なら質問を変えましょう。姉妹がいるということは、親がいるということですよね。あなた方に、親というものは存在しているんですか」
「ああ」
「これは試験と言いましたね。それなら、どういった手段でエメラルドを持ってくるかは自由ですよね」
「そうだな」
「わかりました。それでは、今日はこれで失礼致します」
彼女の姿が見えなくなると、僕はリリーを連れて庭に出た。
「リリー様はすでに黒百合の女神と契約を結んでいるのに、お姉さんは力を貸してくれないんですね」
「そーね、試験にクリアしてないからね。私が力を貸すに値するかどうか」
「すでに、黒百合の女神の力を得ています、資格は十分だと思いますが。何が気に入らないんでしょう」
「ベリロスの希望を満たしているかは別問題よ」
どうして、話を切り上げたの? とリリーは庭のりんごを勝手に食べながら聞いた。
「あーあ、なんで私がこんな目に」
「リリー様……」
「彼氏が欲しかっただけ、なんだけどなあ」
「まあまあ。アミシを探し出しましょう」
もっと情報が必要だ。
もっと古い記憶、情報、別のなにか。
ネットがあるなら、グーグル先生やシリ女史に相談するところだが、厳格なすみれの神や黒百合の神よりとね、もっと古い神に直接聞けばいい。
黒百合の女神を呼んで、「あなた方の両親は健在ですか」と尋ねた。
「はい?」
「ご両親です」
「親……? いるけど」
「亀の甲より年の功といいます。聞くまで、姉妹がいることを話してくれなかった。御両親が健在なら……神様だから健在だとは思うので、力を貸してください」
「なんでよ」
「友達が困っているなら、力を貸してくれるのが本当の友達でしょう?」
「協力してくれるとは限らない」
「してくれないとも限りませんよね。それは僕が交渉します」
黒百合の女神は、髪をいじりながら、僕をまじまじと見つめて笑った。
「長い間、たっくさん人間を見てきたわ。私を欲しがった人間はいたけど、私の親に会わせろと言ってきたのは、アキラ、あなたが初めてだわ」
「本当ですか? 女神の口から初めてなんて言葉が聞けるとは思いませんでした」
「ふふっ、気に入ったわ」
くしゃくしゃと僕の髪を撫で回すと、彼女は微笑んで屈み、僕と視線を合わせた。
「会わせてあげる、神々の母にね」




