第44話 南の城のノア
「アキラ、起きろー」
「……シャーロット?」
シャーロットは額に手を置き、「熱は下がったな」と布団をはがした。
「お前ー、リリーに手を出そうとしたんだって?」
「おかげで風邪は治りました」
「減らず口たたけるなら大丈夫だな」
早く着替えて降りてこいとシャーロットはさっさと部屋を出た。
居間では、リリーがいつもと変わらず「おはよう」と手をあげた。挨拶を返し、昨夜のことを謝ろうとすると、
「気にしないで。年頃だもの」
「……」
「トレニアの家で朝ごはん用意してくれてるって。顔洗ってきなさい」
トレニアの家まで歩いて15分ほどらしい。
ラウネルの村はとても小さいようだ。
村の真ん中に教会が見える。
りんごを詰め込んだ木箱が、家々の前に積まれている。りんごは森で採ったり、庭に植えてあるらしい。
ひんやりとした秋の空気に、りんごの香りが甘酸っぱい漂っている。
「元カレの話どこまでしたっけ」
「人柱になったところまでは聞きました」
「そっか」
……で?
「……」
「いやっ、言い出したんだから最後まで話してくださいよ」
「そうよね。……村を出る前にね、彼に一度だけ会ったんだ」
村が焼かれた直後に、結界の様子を見るため、古城に出向いた。
「ダイアモンドナイトが、シャルルロアの兵だとしても、外敵が入らないように、彼……ノア様は、結界を張ったの。この国全体に」
「ノア様は、魔法が使えたんですか」
「彼は、最初は普通の貴族に過ぎなかった。黒百合の女神の力を得て、ラウネルを統一したの」
「……統一って、じゃあ、元カレさん、最初の王様なんですか」
「そうよ。この国はもともと領主がそれぞれの土地を治めていて、いつも争っていた。彼は両親を殺されて、統一戦争に突き進んだ」
女神の力を得たノアが、短期間で国をまとめ、ラウネルの統一は成った。
その直後に隣国シャルルロアに襲われて、国を守るために人柱になったのだと、リリーは見てきたかのように話した。
「会えたんですか」
「ええ。魔力が弱っていたのは感じたけど、私が行ったらお城の中に入れてくれたわ。ラウネルの王子に惚れ薬を使ったことを話したらさすがに怒っていたけれど」
-----
久しぶりに会う彼は、まったく変わっていなかった。
銀色のさらさらした髪に、明るいアメジストの瞳。
体の向こうが透けて見える、半透明の美しい影は、彼がこの世のものでないことを思い出させた。
ひとりぼっちの美しいひと。
「久しぶり」
「お変わりなくてなによりだわ」
「この通り、私はもう消えかけているけど……。隣国の姫が、ラウネルを襲ったのはどうしてだい」
「……」
「リリー、心当たりがあるから、私に会いにきてくれたんだろう?」
白い狐の毛皮をあしらったマントを翻して、月の光のような微笑みを浮かべる。
雪の肌も光り輝く銀髪も、この世界のものではない、わかっているのに、触れたくなる。
この人と、初恋が実っていたらよかったのに。
「ラウネルの今の王子に、惚れ薬を飲ませたの。結婚するのよ私たち」
「おめでとう。でも質問に答えてないよね」
「シャルルロアの姫との婚約の話があったみたいなんだけど、断ったはずなのよ。恨まれたとしたらそれくらいしか」
「王族のお見合いは政治のためにするものだけど……。断ったからといっても、相手の国に攻め込んだりしない。戦わないために、婚姻を結ぶのだし。シャルルロアを怒らせるようなことを、何かしたのかい」
「わからない……。わからないのよ、どうして彼が連れ去られたのか」
「リリー。君はもう、黒百合の女神の力を使えるのに、その力をもって、人の心を変える薬を使ったんだよね」
「それがなによ。私は」
「自分の幸せを掴みたかっただけだよね」
「ええ。あなたとは一緒になれなかった。別の王子様を探しているだけよ」
「その結果が、これだろう」
「なによ、……私のせい?」
彼の向こうの窓を雨が叩きはじめた。
晴れていた空はあっという間に陰り、沈黙のかわりに雨粒が弾ける音が響く。
「ノア様、怒ってるの?」
「……自分の力に気づかないのか。リリー」
「私は、女神の力はほんの少ししか使ってないわ」
「そういうことじゃない。君の言葉は、人を動かしてしまう、強力なものなんだ。それこそが、本当の君の魔力」
彼はそう言うと、ふわっと宙に浮き、私の手を取った。
気づくと、城外の薔薇園に出されて、髪はびしょぬれになった。
「力の使い方を間違えないで。リリー、君は……君が思っているよりずっと強い魔力を持ってる」
「ノア様」
「ラウネル城に私の弟がいる。カインに会え。力を貸してくれるだろう」
「弟……!? 待って、ノア様! 勝手なことばかり」
「この城が破壊された以上、私はいずれ消えることになる。私が消えても、結界が消えないように手は打ってあるから」
言いっぱなしですぐ消える。
あなたは本当は冷たい王子様。
「さよなら、私の魔女」
-------
そのノア様という奴の言葉は本物だ。
まるで、その場にいるように、彼とのやりとりまで見えるようだった。
リリーの言葉は、人の心を揺らして動かす。
本人はまるで気づいていないようだが。
「ノア様とは、もう会ってないですよね」
「ええ。2年くらい」
「もう会わないでください。死んでるんですから」
「……そうねえ。まったく、その通りね」
視線を落とし、リリーは、「もう会わない」とは言わなかった。
次回、ノアの弟が出ます。
黒髪のショタです。




